十 森

 


 木漏れ日が、瞼の上をチラチラとくすぐる。


 んん……眩し……。


 川のせせらぎ……

 鳥の声……

 かすかな花の匂い……

 ここは極楽か、はたまた地獄……。

 な訳ねえか。


 ああ、どうやらまだ、くたばっちゃいねえらしい。

 これで何度目だっけかな、死に損なったのは。

 まったく、こんなクソみてえな世の中、生きていたって良い事なんかいっこもありゃしねえってのによ。

 いい加減に、楽になりたかったよな。

 あー、がっかりだ。

 あーあっ! がっかりだーっ!


 なんて、誰に八つ当たりしてんだよ俺は。

 まあ極楽から追い返されちまったならしょうがねえや。今回は諦めるとして、次の機会までせいぜい生き延びてやるとすっか。


 それにしても、だ。

 本当に俺って、ちゃんと生きてんのかね。どれ、試しに体を動かしてみるとすっか。

 手……駄目だ、ピクリともしねえや。

 足……付いている気がしねえ。つーか、首から下の感覚がまるでねえよ。

 口……お? なんか動いた気がする。

 目……パチパチ、おお動く動く。狼さん感動。

 あー、でもまだ霞がかかったようでよく見えねえ。木の枝らしい影がユラユラ動いてるのは判るが……。

 あれ? なんか急に暗くなったぞ。じゃねえや、目の前になんかいる……。

 顔の上に何かが覆いかぶさって……、え?


「あっ、動いた! 兄様にいさま、動いたよ!」


 いきなり、影が大声を出した。

 若い女の声だ。聞いたことのねえ声だけど、誰だ? 村の娘っこかな?

 はあ、こんな娘に助けて貰ったんじゃあ、文句を言う訳にもいかねえか。

 えーと、まあ有難うよ。

 と礼を言おうとしたが、声が出ねえ。


「うう……、うー、クッ、カッ……カッ……!」


 どうにかうめき声が出せたと思ったら、喉が詰まってむせちまった。

 そういや俺、口から色々吐き出してなかったっけ。


「お水?! お水飲む?!」


 ああ助かるぜ、と返事をしようと思った途端、バシャバシャと大量の水が顔にかけられた。


「ブバッ! ぐは……げふ……ゲボ」


 飲むどころか、鼻にまで入ってきやがって、息もできねえよ。

 殺す気か!


「どお?! 美味しい?!」

「はあ、はあ。お……いじい……じゃねえ……」


 だが、おかげで完全に目が覚めたぜ。

 思った通り、幼げな娘っこがニコニコしながら俺の顔を覗き込んでいる。


「やあ、どうにか生き返ったようだな。やれやれ」


 今度は、やけにのんびりした男の声が聞こえた。ん? こっちの声は憶えがあるぞ。

 こいつは確か……。


「よお……、あんただったか」


 娘と向かい合う恰好で俺を見下ろしていたのは、昨日の河童だった。


「うん、しゃべれるようならもう大丈夫だろう。ひとまず良かった良かった」

「あんたが助けてくれたのかい? 世話になっちまったな」

「いやあ、オイラじゃなくてな。助けたのは、妹のマリモだ」

「そうだよ! マリモが人間の兄さんを助けたんだよ!」


 やけに元気のいい娘だな。でもあれ? 妹ってことは、こいつも河童なのか?

 なんだよ、てっきり河童ってのはみんな、こっちの兄さんみてえにボーっとした奴ばかりなのかと思ってたぜ。

 全然似てねえじゃねえか。


「マリモちゃん、ていうのか。助けてくれて有難うな」

「えっ? う、うん。え、えへへ……えへ……」


 なんか下向いてモジモジし始めたぞ。照れ屋なのは一緒かい。


「そういや、兄さんの名前も聞いてなかったな」

「オイラかい? イヅナだ」

「人間の兄さんの名前はなんていうの?!」

ろうだ。よろしくな、マリモちゃん」

「よろしくね! 人間の兄さんの狼さん!」


「ところでよ、ここはどこなんだい?」

「山だよ!」


 うん、それは知ってる。


「そうさなあ、狼さんが落ちた所からは大分上の方だなあ」

「だってだって大変だったんだよ! マリモが兄様のところまで引っ張ってきたんだよ!」

「ああ、マリモちゃんが一人で運んでくれたのか」

「あのねあのね! 昨日ね! マリモが一人で川で遊んでたらね! 空の上からこーんなこーんな、おっきなおっきなおっきな花が落ちて来てね! そしたらね! その下に人間がくっついていてね! 川に落っこちてね! 沈んじゃったからね! 拾ってね! 兄様のところまで引っ張って来たんだよ!」

「いやあ、さすがにあの時はオイラも驚いたな。なにしろ二つ折りになった人間なんて初めて見たもんなあ、あはは」


 二つ折りだと?

 その言葉に、あの時のことがまざまざと頭に蘇ってきた。

 ああ、言われた通り確かに俺は二つ折りになった。

 気を失う前のほんの一瞬のことだったけど、背骨がボキッといった音をこの耳で聞いたし、自分の顔を膝にぶつけたのも、その足先に口から吐き出した臓物が絡み付いたのも、ちゃんと憶えている。

 うげ、思い出したらまた吐きそうになってきた。


「まあ、マリモが力任せに引っ張って来たせいもあるかもしれないけどな。オイラのところへ来た時には、もう半分千切れかかってたよ」

「だってだって重かったんだもん! 人間の狼さんの兄さん、とっても重かったんだもん!」

「わかったわかった。

 そういうわけでな、狼さん。ちゃんと上半分と下半分をくっ付けて、外れないように添え木もしといたから。動けるようになるまで、もう少し辛抱してくれなあ」


 そう言われて初めて、俺は自分の状態に気付いた。


「お、おお……、こりゃあ」


 体が動かないのも道理だ。俺の体は蔓でぐるぐる巻きにされ、背中にはぶっとい木の棒を縛り付けられていた。

 いや、というより俺の方が丸太ん棒に縛り付けられていた。


「ん? ちょっと待て。手当それだけ?

 ただくっ付けて縛っただけで、俺、治っちゃったの? 真っ二つだったのに?!」


 どういうことだ。いくら何でも二つに千切れた体が一日や二日で治るわけがねえ。

 つうか、生きていること自体おかしいだろ。俺はいつの間にそんな不死身に……。

 ってまさか! あの地球王の野郎が、知らぬ間に俺の体に何かしやがったのか!


「ああ、薬付けといたから」

「へ? く、薬?」

「うん。だから明日には動けるようになると思うよ」

「ああ、薬ね。ふーん、へー。それなら安心だね」


 きっと河童様の秘薬かなんかだよな、あー良かった。

 なんて、薬を塗ったくれえで治っちまうなんてちっとも納得できねえが、ここは無理やりだろうが何だろうが、自分で自分を納得させるより他はねえ。

 あの化け物オヤジに体をいじられたと思うよりは、河童の方がずっとマシだ。


「ところで狼さんは、あんなところで何してたんだい?」

「ああ、えーと」


 さて、何て説明しよう。


「分身の術の練習?!」


 違う。


「チョウチョのマネ?!」


 いやそうじゃなくて。

 て、何でそんなに真っ二つにこだわるんだよ。


「あのな、マリモちゃん」

「待って待って! マリモが当てるから待って!」


 そんな、腕組みして真剣に考えなくても。次は尺取虫とでも言うつもりか?


「わかった。化け物退治だね」


 いきなり人が変わったような静かな声で、マリモが言った。


「だからそうじゃ……、あれ? 当たってる」

「やったー!」

「大当たりだけど、一体どういうことだよ兄さん」

「マリモの勘は当たるんだよ。時々だけどな」


 これも河童の神通力って訳かい。なるほど流石は川の神様だ、侮れねえ。


「狼さんを助けたのも、きっと勘が働いたからじゃないのかなあ。マリモは人間が苦手だから、普通だったら放っといたはずだからな」

「そうだよ! 狼さんのことを助けなきゃって思ったんだよ! 人間なのに、全然怖くなかったんだよ! それに沈んでく狼さんの顔見たら……! 顔……顔…か……」


 あれ? また俯いちゃったぞ。


「ああ、惚れちまったのか」

「兄様の馬鹿あっ!」


 兄様の方も大した勘だが、ちっとは気ぃ使えよ。


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