四 川辺
次の日から、俺は村の中を歩き回って様子を探ることにした。
一応仕事だから、やることだけはやっとかねえとな。その上で、色々と考えなきゃならねえこともある。
村の周り、山の様子、盗賊どもがどこら辺から攻めてくるのか、こっちはどう守るか。
もちろん、あっちが攻めてくるのをのんびり待っていようなんて、考えてやしねえ。奴らのねぐらを突き止めて、こっちから攻めるつもりだ。
なあに、昨日の奴らの調子なら大した連中じゃねえ。俺一人でもなんとかなるってもんだ。
「おおい、用心棒の
川沿いの畑道をのんびり歩いていたら、年寄が声をかけてきた。
「よお爺さん、いい天気だな」
「いやあ、ゆんべは面白かっただなあ。あんたが盗賊の耳をばら撒いた時の
ほう、屋敷にいた連中の一人だな。
「なんだい、爺さんは驚かなかったのかい」
「はっはっ。この歳にもなりゃあ、滅多なことじゃ驚かねえだよ」
「ははっ、面白れえ爺さんだな。名はなんてえんだ?」
「佐助だあ」
「佐助爺さんか、よろしくな。ちょうどいいや、ちょっくら話を聞かせてくれや」
「なんだね?」
「この村と、盗賊どものことさ」
「ああ、ええだよ。
この村ぁ見ての通り、なんてこたあねえただの貧乏村だ。弱い者が寄り集まって、なんとか暮らしてるってとこだあね。
喧嘩はあるだども争いはねえ。水とお天道様さえあれば、生きてくくれえはなんともねえもんな。
あとはまあ、年貢さえなければよう」
「そいつあどこでも同じだねえ」
はっはっは、と佐助爺さんは声を上げて笑った。
「で、盗賊どもの方は?」
「あいつらの事は、おらもよく判んねえだな。
名主様も言った通り、どっから来たのか、いつの間にかあの山ん中に住み着いちまってよ。時々里へ下りてきちゃあ、近くの村々でやりたい放題に悪さして、また山へ帰って行くだ。
この村も、もう三度も襲われてるだよ」
「そんなに派手にやられて、役人は一体何してんだ。年貢を取るだけ取っといて、いざと言う時ゃ知らんぷりかい?」
「とんでもねえ、二度も兵を出してるだよ。一度目は五十人ほど、二度目は二百人ものお侍が山に向かっただ」
「へえ、そんでどうなった?」
「二度とも、一人も帰ってきやしねえ。全滅だあ」
「なに?」
「そんで、殿様も頭にきちまってな。憎っくき盗賊どもめ今度こそ成敗してくれるって、また人を集めてるらしいだ。
だから、奴らを退治すんのはお侍に任せてよ、兄さんは村が襲われた時に、なんとか追っ払ってくれりゃあいいだよ」
俺は腕を組んで考えた。
いくら何でも、二百人もの軍勢を返り討ち、しかも逃げ帰ってきた奴さえ一人もいねえだなんて。とても「へえそうかい」なんて素直に信じられる話じゃねえ。
「なあ爺さん、名主は盗賊どもの数を四・五十人だって言ってたけどよ。ほんとはもっと、何百人もいるってことはねえのかい?」
「いや、ねえだな」
佐助爺さんは、あっさりそう答えた。
「何で判んだよ」
「食い物がねえだよ。
いくら近くの村を襲ったって、盗れるもんなんて多寡が知れてる。いつも襲いに来るのは二十人くれえだし、四・五十人ったってほんとにそんなにいるのかも怪しいくれえだ」
「そっか、なるほど」
この爺さん、意外と頭が切れるな。
「それにしても、二百人が全滅とはちょっと解せねえな。俺っちを襲ってきやがったのは五人だけだったけど、そんなに大した奴らじゃなかったけどなあ」
「ヒッヒッ、こいつあ何とも頼もしい用心棒だあ。その調子で頼むだよ」
佐助の爺さんは、嬉しそうに笑いながら俺の肩を叩いた。
「それはそうと、爺さんよ」
俺は川の方に目をやりながら、爺さんに言った。
「なんだね?」
「この川は、あの山から流れてきてるんだよな」
「そうだが?」
「じゃあ、ひょっとしてあれも、盗賊にやられたのかも知れねえなあ」
俺が指差す先、川の真ん中あたりに奇妙なものが浮いてた。
黒くて丸い……、人の頭だ。
「あそこに流れて来てんのは、死人だろう? ありゃあ、山から流れてきたんじゃねえのか?」
だが爺さんは、その黒いもの見て笑った。
「んー……? あっはっは。兄さんよ、ありゃあ死人なんかじゃあねえだよ」
「ハァ? どう見たって人だろうが。ん?」
あれ、よく見たら動いてやがら。なんだよ生きてんのか。
「なんでえ脅かしやがって。あんなとこで何やってんだ、魚でも取ってんのか?
それにしても、きったねえ格好だな」
「はっはっは、そうじゃねえだよ。ありゃあ人じゃねえ、河童だ」
「河童あ?! なんだそりゃ?」
俺はもう一度目を凝らして、そいつの姿をよく見てみた。だが、どう見ても人間にしか見えねえ。
おいおい、盗賊なんかよりもこっちの方が大変なことじゃねえのか?
「なんじゃいお前さん、河童を見たことねえのかね」
爺さんは、至極当たり前のように言い放つ。
「話にゃ聞いたことはあるけど、ほんとにいたのかよ。おい、とっ捕まえた方がいいんじゃねえのか。人を川に引きずり込んだりすんだろ?」
「そんなことするもんかね。河童様は川の神様だで」
「神様? あんな汚えのが? へえー、こいつは驚えた」
「呼んでみるかね。おおーい、河童さまよーい!」
爺さんが手を振ると、そいつも水の中から手を振り返し、ゆるゆるとこっちに近付いてきた。
「やあ爺さん、元気かね」
そいつは川っ縁までやって来ると、水面から顔を覗かせ、暢気そうな声で挨拶をしてきた。
これが河童か。もっとヌメッとした蛙みてえな奴を想像してたけど、まるっきり人間と変わらねえじゃねえか。
絵巻物に描かれているのと違って髪の毛も普通に生えてるし、小汚えが衣もちゃんと着ている。
それに、意外と若そうだな。
「河童様も元気かね」
爺さんも挨拶を返す。知り合いか?
「そっちの人は誰だい?」
「用心棒の
「へえ、盗賊って山ん中にいる奴らかい? オイラ、あいつら嫌いだ」
「はは、好きな奴なんかいねえだよ」
「ああ。爺さん、これ」
河童が水の中から、笹の束を差し出してきた。見ると、枝いっぱいに魚が縫い付けてある。
「あれえ、
「こないだ瓜もらったから。礼だ」
河童は照れくさそうに下を向いた。
「あれっぽっちでかい? いやあわりいねえ、んじゃ遠慮なく貰っとくよ」
爺さんは、笹を受け取ろうと腰を落として手を伸ばした。
「おい爺さん、大丈夫か? 落っこちんなよ」
「大丈夫、と言いてえがこりゃあちょっくらホネだな。兄さん頼むだ」
「ほいよ」
俺は川岸に立って手を伸ばし、河童から笹の束を受け取った。うひゃあ、こりゃ重てえや。百匹くらいいるんじゃねえのか。
「せえのっと!」
踏み外さねえように気を付けながら両足を踏ん張り、よっこらしょと岩魚を水の中から引き上げる。
河童はその間ずっと、俺の顔を見つめていた。
「ん? なんだい?」
「あんた、いい顔してるね。あんたの顔、好きだ」
河童がニッと笑った。この笑い方も、ホントに人間と同じじゃねえか。
「ありがとよ。おめえも結構いいツラしてるぜ」
俺もニヤッと笑い返す。
「ちょっと待ってな」
河童はそう言って、川の中に潜って行った。
「なんだい?」
「さあ?」
爺さんも判らないらしい。
川の中の様子を覗こうとしてみたが、水は濁っていてまるで見えやしねえ。
仕方がねえから爺さんと二人でそのまま待っていたら、暫くして川の真ん中あたりから河童が顔を出した。
「おおい、行くぞー」
「「何だ?」」
二人して目を凝らした次の瞬間、いきなりものすごい飛沫が上がったと思ったら、水柱の中からでっかい魚が飛び出して、俺達の方に向かって飛んできた。
「うわあっ!」
「ひゃあっ」
慌てて逃げ出した俺と爺さんの足元に、人の子ほどもある大魚がドスンと音を立てて落ち、草の上でビッタンビッタンと暴れ回った。
「なんとまあ、こりゃあまた大層立派な鯉でねえか」
爺さんが声を上げて感心する。
「いやあ、こりゃ俺もたまげた。さすが河童様だ」
「挨拶代わりだ。食ってくれ」
河童が川の中から顔を出し、また照れくさそうに言った。なんだいこいつ、顔に似合わず照れ屋なのか?
「済まねえなあ。ありがとよ」
「いいんだ。じゃあな」
そう言って軽く手を振ると、河童は上流の方へ去って行った。
緩やかとはいえ、川の流れに逆らって泳ぐのは、相当な力がいるはずだ。
なのに河童はそんな様子は微塵も見せず、ただ流れに身を任せているようなのんびりした様子で、川を上って行く。
さすが、大したもんだ。
「あれが河童かい。へえー」
「あいつは河童の中でも特別だあ。他の連中は人前になんか絶対に出てこねえのに、あいつだけは時々ああやって里に遊びに来るだよ。村の
「え? 他の連中って、あんなのがいっぱいいるのかい?」
「見たこたねえだが、山の奥にはいるらしい。そんで、大親分が龍神様だってよ」
「へえー」
「さてと、あんたこの鯉どうするだね?」
「一人じゃとても食いきれねえよ。神様からの授かりもんだ、名主んとこへでも持ってくか」
「そりゃええ。んじゃ、ワシもそうすべえ」
俺と爺さんが大鯉と大量の岩魚を担いで行くと、名主も大喜びで迎えてくれて、村の連中を集めて皆に鯉鍋をふるまおうって事になった。
いくらデカい魚だからって、村中で分けちまったら一口にもならねえだろ、なんて言っちゃいけねえよ。
量の問題じゃねえんだ、皆で分け合うってのが大事なのさ。
なにしろこんな貧しい山里だ。独り占めなんて考える奴は、村で暮らすことなんか出来やしねえ。
それくらい俺だって判ってるさ。俺の育った村だって、そうだったんだ。
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