女の友情は嘘なのか?

 異性を怖いと思うことは結構ある。


 その理由として、本性を出さずに感情を圧し殺した仮面を被っていることに気づいたそのゾクッとしたものだ。化粧もその一環なんじゃないかと思っているんですがね。


 演技力が高いから取り繕うのも簡単だし、表情を自由自在に動かせてしまうんじゃないのかと。その裏に潜むブラックな声が見えたときに恐怖を感じるのではないだろうか。


 あわよくば、『School Days』みたいに恨み恨まれ血祭り騒ぎに発展してしまうことだってあるのかもしれない――おっと、出す例が悪かったかな? とりあえず誠シn(以下省略


 僕の好きな小説家に「重松清さん」といえばピンとくる人もいるのではないのか。彼の小説から炙り出されるいじめの現状というかその感情がインパクトを与えてくるのだ。特に、女子同士の「精神的にじわじわくるいじめ」(ジャイ○ンの『メリメリパンチ』ような分かりやすいものではないってこと)が多いのが見受けられる。それは女性特有の集団心理であり、あそこまで統率とれる、周りに合わせまくれることは男子には無理だろう。ぼっちに男女比で前者が高く占めるのは想像しやすいはずだ。


 そういう嘘でまみれながら、それを分かっていながら友人関係を続けている人も中にはいるはずだ。それで本人たちは幸せなのだろうか。生きていくためだからといって我慢しているのだろうか。本当に分からない。


 僕自身、家族に母親しか異性はおらず、また異性恐怖症なのでまったくといっていいほど女性の感情を推測も察知もできていない。分からないのだ。本当に。分からないから、小説でも語り手が女のストーリーを書いたことがない。


 この何も見い出せない黒いウェーブに掛かったものが、昨今の性差における事件の原点になっているんじゃないのかなあと個人的には思っている。


 まあ、男も女もぼっちは嫌だし、友達は多いほうがいいし、生活を有意義にしたい、と大半の人は考えているんじゃないのかね。そこは共通していると。


 重松さんの小説に戻るけど、ある話しで明るいムードメーカー的なポジションであり媚売り系の女の子がボス女子の機嫌を取ろうと、面白い話をわざわざ準備したりタイミングを考えたりして友達関係を構築するのに用意周到だな、と。これは男の僕でも持ったことのある感情だが、結局のところ誰も一人になるのが怖いのだ。一人で移動教室するのが嫌なのだ。一人で下校するのが嫌なのだ。それは相対的なもので、周りの視線を気にしてしまうあまりの恥ずかしさだ。だって、みんな初対面の人々が一同集合してもぼっちを怖がることはないけど、仲間と連れたって下校している道でポツンとうつ向いて歩くのは周りと違うから仲間を欲しがるのだ。


 結局、日本人の引っ込み思案なところが大きく影響しているのかもしれない。それを変えることは相当な勇気が必要だとは分かりきったことであろう。


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