第5話

 銀の髪を汗で頬に張り付かせながら、剣を振っていた彼女は知らない男の子ガウレオが居ることに気が付くと、スリーリンの後ろに隠れる。

 そんな彼女の様子を見て、ようやくガウレオ達に気が付いた彼は二人に駆け寄る。

 

「お久し振りです、スリーリンさん。遊びに来ちゃいました」

「お元気そうで何よりです。ですが、たしかオーリスト殿が見張りについていたはずでは?」

「おじいちゃんはお留守番してます。……その子が勇者ですか」

 

 小声で話すスリーリンに冗談に返しながら、その後ろから覗き見ている紫の目に視線を向ける。

 少女はヒッと体を竦ませて、また後ろに隠れてしまう。その姿を見て、少し心がざわつく。

 

「はい。こちらがキュオン様のご息女、ロクサーヌ様です」

「よろしく、ロクサーヌ。今日から私があなたの師匠せんせいです。早速ですが剣を持ってください。あなたの実力を知りたい」

 

 にこやかだが、有無を言わせぬ語気に押されて、ロクサーヌは剣を持つ。彼女の動きを眺めていたガウレオは眉を顰める。

 

「何をぼさっとしているのですか。さっさと構えなさい」

 

 慌てて剣を構えるが、直ぐに弾き飛ばされる。驚く彼女を叱りつける。

 

「体だけ構えても意味がありません。むしろ、心は常に構えなさい。あなたは勇者です。いつ魔王の手先が現れるか分からないのです。あれは狡猾です。油断は死です。さっさと剣を拾いなさい。それとも、あなたは剣を持たないほうが強いのですか。なら、さっさと掛かってきなさい」

 

 彼女は慌てて魔法の詠唱を始めるが、その横っ面を叩かれて魔力が霧散する。

 

「この程度で集中を途切れさせてどうしますか。勇者なら喉が焼け焦げ、手足が潰されようと、魔法を完成させます。大体、こんな至近距離で棒立ちしたまま、詠唱する馬鹿がありますか。距離を取り、相手の動きを封じることを優先しつつ、一撃を狙う。魔法使いの基本です。覚えておきなさい。さっさと掛かってきなさい」

 

 もう一度、頬を叩く。さっきよりも強く。泣きそうになる彼女の腹に蹴りを浴びせる。踞る彼女を何度も踏む。髪を掴み、持ち上げる。呻く彼女の頬をまた叩く。

 

「私を見なさい、ロクサーヌ。見なさい! 体術も出来ないのですか。体術は重要です。勇者であろうとも、優れた武器も、強力な魔法も、動きが鈍ければ当たりません。それどころか、相手の攻撃を避けれずに死ぬこともあります。思うように動ける体を鍛えなさい。どんな攻撃も避ける体捌きを覚えなさい。どうしました。さっさと掛かってきなさい」

 

 手を離すと、糸の切れた操り人形の様に崩れる。完全に倒れる前にその体を抱き抱える。回復魔法をかけながら耳元でゆっくりと語りかける。

 

「頭を働かせなさい。心を強く持ちなさい。あなたの最後の武器は心です。どんな苦境でも逆境でも好機を探りなさい。諦めず行動し続ければ、必ず逆転の目が出ます。覚えておきなさい、ロキシー。その機を逃さない者が勇者なのです」

 


 気絶してしまったロキシーをスリーリンへ預けると、グリゴリにキュオンのいる部屋まで案内してもらう。部屋に入る前に抜き身だった剣を渡して、適当な鞘を見繕いに行ってもらった。

 部屋の中には机に座り、何かの書類に筆を走らせていたキュオンと、その近くに家政婦が一人立っていた。

 どちらも、突然の来客者に虚を突かれてしまっていた。

 

「いつまで待っても来てくれないので、来ちゃいました」

「来ちゃいましたって、本当に規格外だね。キミ」

 

 キュオンは呆れた様にため息を吐いた。そんなのはお構い無しと、ガウレオは部屋にあった来客用のソファーへ腰かけると、驚きっぱなしの家政婦にお茶を出す様に頼んだ。

 

「そういえば、ロキシーに会いました。あれを勇者に育て上げるのは、大仕事になりそうです」

「そうか。それでもよろしく頼むよ。それにしても、ロキシー?」

「ええ、やはり弟子にするからには愛称で呼んであげなくては。それと、この屋敷はどうなってるんですか? 密偵を家政婦に雇うなんて正気じゃないですよ」

 

 それを聞くと彼はニヤリと笑った。その笑みの意味を理解したガウレオも口を歪める。

 

「彼女は良く働いてくれているよ。お陰で私達の仕事は大助かりさ」

「それは良いことです。そういえば、十傑がもう一人いると聞いていますが、今はどこに?」

「彼女なら妻の護衛について出掛けているよ。彼女は妻と仲が良くてね。彼女の世話係、いや騎士を買って出てくれてるんだ。ああ、どうやら近くまで来ているみたいだね」

 

 キュオンは窓を見ると、そう言った。外では雨が降り始めていた。しかし、見える範囲に雨雲はない、天気雨のようだ。

 

「なるほど。では、ロキシーにも同じ役目を持つ人が要りますね。彼女が仕上がるまで、僕がずっと付いている訳にはいきませんし。周りに余計な誤解を与えかねません」

「しかし、目ぼしい女性騎士は殆ど、他の貴族達に囲われてしまってるぞ。今から新しく騎士を育てるには時間が掛かりすぎる」

 

 キュオンの言葉に腕を組んで考えてから質問する。

 

「家政婦を密偵に仕立てあげるのと、密偵を家政婦に仕立てあげるのってどっちが難しいですかね」

「難しいところだね。家政婦とはいえ、無礼を働けば只では済まない仕事だよ。ただ、密偵をやるには感性がいるけど、家政婦に必要なのは努力だ。根気があれば出来る分、後者だろうね。……まさか、あの家政婦を引き込むつもりじゃないよね」

 

 批難めいた視線を笑って一蹴すると、立ち上がって机の上に置いてあった紙に何かを書き始める。

 

「それこそまさか、ですよ。騎士が居ないなら仕立てましょう。専属の騎士を募集するんです。王弟キュオンさんみたいなお金持ちの専属なら、直ぐに群がってきますよ」

「しかし、騎士なんてものをどこへ募集にかけるっていうんだい」

 

 ガウレオはイタズラめいた笑みを浮かべると、書いていた紙を拡げてみせた。

 そこにはこう書かれていた。

 

『護衛任務。報酬一日、金貨10枚。雇用期間中の住居、食事、装備の支給あり。条件は女性であること』

 

冒険者ギルドなんでもやさんですよ」

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