【更新停止中】オーバーテクノロジー娘、現代トーキョーを征く

あらた暁

オバテク娘が教室を回す

2018年4月、ボクは高校2年になった。都内郊外の公立高校、とりたてて目立つようなこともない学校、モラトリアムを体現するようなゆるーい場所だ。こうして授業中にぼーっとしてても怒られない。


でも1年前…入学するときはとても慌ただしかった。父親の海外赴任が決まり、母親もそれについて行くと言い出し…一人っ子のボクは強制的に一人暮らしせざるを得なくなったからだ。家事もおぼつかない中、コンビニ弁当を食いつなぐ生活から始めて…徐々に生活にも慣れて、掃除洗濯も1人でこなせるようになって……部活にも入って友人関係も良好。このままいけば、一人暮らしをだらだら続けながら高校卒業まで…と、思ってたんだけど。


世の中ってホントに不思議だ。こういう時期に、ボクみたいな人間に限って、急に両親が海外移住する以上の『おかしなこと』が起こり、生活がしっちゃかめっちゃかになって……そんな風にこの一年に起きたことを思い出し、かなり複雑な気持ちになってから、『おかしなこと』の張本人、隣に座るクラスメイトを見た。


クラスメイト―木場きばミナミは、授業中にも関わらず堂々と寝ている。30人強の居並ぶクラス、中央からみて左側、前から2列目…2時間目から腕を組み突っ伏して寝るなど、相当肝がすわってないとできない。長めの黒い髪で顔は見えないが、微動だにしないこの様子、爆睡しているらしい。教室に響くチョークの音、その間にかすかに聞こえるすぅすぅ…ずず、と穏やかな寝息が…いや待って、いまの音はいびき?


そんな不届き者を野放しにするほど、この学校の教師陣は甘くはない。今のいびきが聞こえたんだろう、教壇に立っていた数学担当の藤野先生が、問題解説を止めてジト…とミナミを睨む。根は優しい先生なんだけど、眉毛の濃さと眼光の鋭さがハードボイルド俳優みたいで、睨まれると隣のボクでも背筋がざわつく。先生は図形問題の解説に使っていた大きな三角定規を握りしめ、教壇を降り、ゆっくりと、しかし威圧感たっぷりでミナミの席に近づく。しかしミナミは起きるそぶりがない。気づいていない、いやが、気づかないフリをしているんだ。そんな不遜極まりない態度に、先生が一喝。

「木場ァっ!お前何度言えばわかる⁉︎机はお前の寝床じゃない、寝るなら保健室行け!」

至極真っ当な注意を受け、むく、とミナミが顔を上げる。突っ伏していたからか、額には制服の裾の跡が残り、前髪に隠れても赤い跡が目立つ。クラスのあちこちからは、その様子に苦笑が起きて…いるんだけど、これは単にミナミのすこし間抜けな様子が可笑しいから、だけではない。この後にミナミと先生が行うであろうやり取りが、この一年に、様々な教師とで行われたものの再演になるから。何度見ても飽きない『ミナミと教師の押し問答』が始まるのを期待して、笑いが起きているのだと思うと、ボクとしては藤野先生に同情してしまう。そんなボクの気持ちなど知る由もなく、ミナミは

「寝床じゃないのは知っています。しかし、私にとってはこれが一番効率よく学習できるので。先生の授業の邪魔もしていませんし。」

と、すいませんの一言もなしに反論開始。教師を論破(これは藤野先生には悪いんだけど、すでに既定事項だ。ミナミは必ず論破する)するときに見せる、チベットスナギツネのように細めた瞳を正面に向け、先生の方も見ずに応える。


「バカなこと言うんじゃない。お前爆睡してただろ!いびきなんかかきやがって。隣の赤塚が迷惑してんだ。真面目に授業受けろ。」

おっと、ここで隣のボクに飛び火。先生は目ざとく、ボクがミナミのいびきを聞いたことに気づいていたようだ。赤塚、というボクの名前に反応し、ちらりとこちらを一瞥するミナミ。その目は『余計なマネするな』と主張している。ミナミ、ボクは全く悪くない。そうやって自分の落ち度を他人に押し付けるの、ほんと良くないよ?


「それは赤塚くんの集中力の問題です。ほんの少しのいびきで切れる集中なら、図形問題なんかより座禅を組んだ方がいささか有益でしょうね。」

いびきをかいた事実を黙認しつつ、クラスメイトの集中力をディスる。全くもって図太い。

「話をすり替えるんじゃない!今はお前の授業態度の話をしてるんだ。2年にもなって真面目に授業も受けられんとは。なかなかに成績もいいと先生方からも聞いている。なのに何故授業に集中できないんだ?」

いけしゃあしゃあと言葉を返すミナミに藤野先生はヒートアップし始めた。こうなると、大半の先生の注意は説教に変わる。そして、ミナミに論破される。いつものパターンに入ったと、クラスメイトたちが気づくと、彼らの興味の眼差しは一層ミナミに注がれた。それに全く気づく様子もなく、ミナミは

「ですから、。先生の授業も聞いていますし、理解もしています。眠っているからといって授業に集中していないと断定するのは、生徒の多様性を理解する姿勢の欠如だと感じますが。」

いつもの殺し文句が飛び出し、教室のあちこちがかすかに沸く。しかし、そんなもの教師にとっては理不尽、屁理屈にしか聞こえない。藤野先生にとっても然り。ぷっつーん、と先生がキレた音が聞こえた、気がした。

「ふざけんな‼︎睡眠学習してるとでも言いたいのか!バカバカしい。寝言は寝てから…」

「平行四辺形ABCDにおいて、[ベクトルAB]-[ベクトルAD]が、なぜ[ベクトルDB]となるか、ですよね?」

激昂した先生の言葉を静かに、ばっさり切って、ミナミが口を開いた。唐突に放たれた数学の話題に、先生はぽかんとしている。それもそのはず。こいつは藤野先生に叩き起こされてから、一度たりとも黒板を見ていない。なのに、なぜかこの証明問題の解説ができる…それは、本当にから。

「簡単です。マイナスの[ベクトルAD]は、プラスの[ベクトルDA]と同値です。となると[ベクトルAB]-[ベクトルAD]=[ベクトルAB]+[ベクトルDA]が成立する。加法は単純に、図形上で一直線を明示すればよいのでこの答えは[ベクトルDB]。これでQ.E.D.。よろしいでしょうか?」

数学苦手なボクには、ちょっと理解に時間を要したけど、先生が唖然としているのを見ると、内容は完璧なようだ。相変わらずの『授業真面目に受けてましたけど?』アピール。今日の授業の内容を、簡潔かつ過不足なく、説明してみせた。

「それと…」クラス全員の注目を集めながら、ちらりと黒板を見たミナミが続ける。

「先生の描かれた平行四辺形、ご丁寧に対角線も描かれていますが、少し長さがいびつかと。あの対角線、交点がそれぞれの中点になっていませんよね?あれでは定理に矛盾、数学法則が歪んでしまっています。丁寧な図示こそ、生徒の授業理解の一助になるかと思いますが?」

完全に教室が沈黙する。ミナミは授業を理解したことを示すだけでなく、先生の授業に口を出し始めた。形勢逆転。先生が生唾を飲み込む音が、今度は確実に聞こえた。


キーンコーンカーンコーン…――

ノックアウトを示すゴングのように、授業終了のチャイムが鳴り、日直が、授業終了の挨拶をする。がたがたと鳴る椅子の音に、ようやく我を取り戻した先生を尻目に、ミナミは丁寧に起立、礼を行うと、そのままの流れで廊下へと向かう。それを何人かのクラスメイトが取り巻く。「ミナミちゃん、相変わらずキレッキレだね~」「木場、さっきのもう一回解説してくれよ!」などと掛けられる言葉に軽く会釈しながら教室を出て行った。


そうして教室はいつもの様子に戻る。談笑しながら次の授業の準備をする者、先生に不明点を質問する者…相当ショックを受けていた藤野先生も、他の生徒から質問を受けるとぎこちなく答えていた。本当にお疲れ様ですね…と思ってしまう一方、もうミナミに突っかからないほうがいいですよ…と心の中で忠告しておいた。


と、いうようなやりとりは、ミナミがこの学校に入ってからというもの、クラスの恒例イベントになった。それはもう、大半の先生がミナミのカウンターフックにノックアウトされ、「木場が寝ていても絶対に注意するな」と職員室で暗黙のルールとして共有されているまでに。藤野先生は、この春にウチの学校に赴任してきたから、その慣例を全く知らなかったんだろう。ご愁傷様、としか言いようがない。


じゃあボクも次の授業準備を…と思い机を漁り始めると、ポケットでスマホが鳴った。ミナミからのメッセージだ。教師を論破した後には必ず送られてくる。大体内容は想像できるけど、既読がつかないとそれはそれで怒るんだよな…

『この時代の教育方針、アナクロすぎ。マジでクソ。』

この時代で覚えた汚い言葉で彩られた短文に、ミナミの呆れと怒りが感じられた。いやいや、アナクロなのはキミのほうだから、と呆れ返しながら、『がんばれ』といった旨のスタンプを送っておく。最低限のフォローはこれで十分だ。


木場ミナミ、2050年生まれの未来人。なにやかやあって、50年前の過去にタイムワープしてしまい、今はかりそめの高校生活を送っている。

いや、なにやかや、と一言で済ませるにはコトはあまりにも異質だった。1年前、タイムワープで未来人の家庭訪問があったあの日…あの日から、ボクの人生は明後日の方向へ転がり出したのかもしれない。

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