なし崩し的に歓迎パーティー
住人達と一通り挨拶を終えて一息ついたそこに、コンコンとドアがノックされる音が聞こえてきた。
「は、はい!」
慌てて応えると、
「七号室のメジェレナだけど、いいかな?」
と声を掛けられた。思わずアーシェスを見ると、にこやかに笑いながら頷いてくれた。
『OKしていいってことだよね…』
応じていいということだと思い、
「どうぞ、開いてます…!」
少し声がうわずってしまったが、何とかそう言葉に出来た。するとドアが開けられて、ピンクの髪を逆立てた、褐色の肌と爬虫類を思わせる金色の瞳を持つメジェレナの姿が見えた。その手には、ペットボトルと紙コップが握られていた。それを示すように掲げつつ、メジェレナが言う。
「まだ、飲むものとかもないでしょ? だからこれ、どうかなと思って」
そう言いつつアーシェスに視線を向けて、
「この子もミネラルウォーターでいいんだよね? ジュース類は味の好みとかもあるから水が無難かなと思ったんだけど」
そんなメジェレナの言葉に、アーシェスが応える。
「そうね。ユウカは生物的にはあなたと大きな違いがないからその選択は正解だと思う」
アーシェスがそう言うと、メジェレナは確かにホッとしたような顔をした。自分の選択に不安を感じてたのがユウカにも伝わった。それを見て、
『この人は本当はすごく引っ込み思案な人なんだな。私と同じなんだ。見た目で判断しちゃいけないんだな…』
と改めて感じた。
三人で床に座り、まだテーブルもないから床に直置きになったが、見ればそのペットボトルには<日本山系の美味しい水>と書かれていた。しかも間違いなく日本語で。それにユウカは驚いた。
「え…? これ、日本語? どうして…?」
驚き過ぎてそんな感じにしか言葉にならなかった。その彼女に対して、アーシェスとメジェレナは顔を合わせて微笑んだ。
「ここは、宇宙のあらゆる情報が集まる<書庫>。そこでも、あなたの地球の、しかも日本と呼ばれる地域の商品は人気なんだよ。高品質で安全でってことでね」
まさかこんなところにまで日本の商品が浸透しているとは想像すらしていなかったユウカは、唖然とするしかできないでいた。でもそのすぐ後で、見慣れた日本語を見ることができてホッとして、また涙が溢れてきてしまう。
「ユウカ、お邪魔してもいいかな~?」
不意にまたドアがノックされ、声が掛けられた。それはキリオの声だった。
「は、はい、どうぞ」
ユウカが応じると、ドアが開いてキリオとヌラッカが入ってきた。ヌラッカはやっぱり服を身に着けていなかった。とても正視できない。
『うう…不定形生物ってことだったら裸って訳じゃないかもだけど……』
そう、ユウカが思った通り、透明だし彼女は本来は不定形生命体だそうだから実際には裸とは言えないのかもしれないが、しかしその形は細部まで緻密に人間の体を再現していて、透明であることを除けば完全に人間の裸身そのものにしか見えないから、目のやり場に困ってしまう。
これにはメジェレナも困ったような顔をして目を背けてしまっていた。
『もう、ヌラッカってば……』
そんな彼女達の前に、キリオが折り畳みのテーブルを広げて置いた。
「やっぱりまだ何もないんだね。これももうボクたちは使わないからあげるよ」
そして広げられたテーブルの上に、ヌラッカが買い物袋を二つ置く。一つは、冷凍食品らしきものが入った袋で、もう一つにはスナック菓子らしきものが入っていた。
「コンビニで買ってきた……これ、あげる。だからキリオの誘惑に負けないで…」
どうやら、ユウカがシェルミのランジェリーショップに入っている間にコンビニまで行って買ってきたらしい。しかし、これをあげるから誘惑に負けないでとは、先手を打ってきたということか。
「ははは…」
と、ユウカとメジェレナが乾いた笑いを浮かべる。
『負けるつもりもないですけど……』
なお、メジェレナはキリオの好みに合わなかったらしくアプローチを受けたことはなかったが、キリオの性癖についてはそれなりに知っていた。とは言え、目の前にすると戸惑いを隠せないようだ。アーシェスは「はあ…」と頭を抱えて溜息を吐くだけだった。
「ヒドイなあ、ヌラッカ。ボクは君一筋だよ。ユウカへのアプローチはあくまで挨拶さ」
まるでイタリア辺りの伊達男のようなその振る舞いに戸惑いつつも、
『ホントに仲がいいんだな……』
と、ユウカは感じていた。
『だからこうやってお互いに堂々としてられるんじゃないかな』
と思った。それでつい、笑顔を浮かべてしまった。柔らかくて穏やかな笑みだった。
その笑みを見た途端、キリオが「ヒュゥ~ッ」と唇を鳴らした。
「君、やっぱり可愛いね。今度、この街を案内してあげるよ。いいお店知ってるんだ。一緒に買い物もしよう。ここでの生活に必要なものを揃えなきゃいけないだろ?」
どうしてこうスラスラとそういうセリフが出てくるのか。
「―――――!」
ユウカは顔を真っ赤にして俯くしかできない。
とその時、
「ユウカさん、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
またドアがノックされて、今度はシェルミの声が聞こえてきた。もちろんユウカは「どうぞ」と応えた。だがドアが開かれた時に見えたのは、シェルミの姿だけではなかった。
「六号室の方がちょうど帰ってこられたところですので、差し出がましいとは思ったのですが、せっかくですしお連れしました」
そう言ってシェルミが紹介したのは、一見すると普通の人間に見えた。ただ、
『? 眠いのかな…? 普通の人間にも見えるけど、たぶん違うんだろうな… 三十歳くらい? ビジネススーツを着てる割には、なんて言うか、夜の雰囲気が……』
なんて思ってしまう、独特の印象があった。戸惑っているユウカに、アーシェスが声を掛ける。
「ちょうどよかった。紹介するわ。彼女は六号室の住人で、クォ=ヨ=ムイ。何て言ったらいいのか難しいけど、まあ一言で言ったら<邪神>かな」
アーシェスがあまりにも普通にさらっと何の気負いもてらいもなくそう言ったので、ユウカも、
「あ、初めまして…」
と言いかけたのだが、遅れて彼女の意識に届いた強烈な違和感に、声が詰まってしまうのを感じずにはいられなかった。
『は…? え? え…と、邪神…?』
言葉にならず明らかに混乱してる様子のユウカに対して、クォ=ヨ=ムイは慣れているのか特に気にする様子もなく頭を下げて、
「どうも…」
と言った。
目を白黒させているユウカに、アーシェスが静かに語り掛ける。
「信じられないかも知れないけど、彼女は本当に邪神なの。この<書庫>は宇宙のありとあらゆることが記録されてて、それには神とか悪魔とか邪神とか言われる存在も記録されてるのよ。もっとも、彼女達邪神は死なないから、情報だけが記録されてるんだけどね」
もう意味が分からなかった。邪神というものについては、彼女もすごく興味があったから良く知っている。クトゥルー神話などはラヴクラフト全集を読破したこともあるくらい好きだ。特にニャルラトホテプについては、言い方はおかしいかも知れないが初恋の相手と言ってもいいくらいだった。
しかし今、自分の目の前にいる女性は…いや、言われてみれば確かに綺麗だ。その気怠そうな雰囲気も含めて、何とも言えない色香を漂わせて相手を魅了しようとしている気もする。それは人間には容易なことではない気も…?
「言ってもすぐには信じられないでしょうね……やってみるのが一番よ…」
そう言ってクォ=ヨ=ムイが右手を軽く振ると、部屋の様子が一変した。それまで家財道具がほとんどなかったそこに、ベッドとカーテンと照明とカーペットが現れた。
「すごい…!?」
信じられない光景に、ユウカはただ呟いていた。そこにアーシェスが解説を加える。
「私はエルダーだから、<書庫>システムの一部にアクセスする権限があって、部屋の内装を変更できたりするんだけど、クォ=ヨ=ムイは、彼女自身の力で書き換えができるの。もっとも、エミュレートされるのは、あくまで創造的な力だけなんだけどね。破壊のための力は再現されないの。ただの手品とかショーみたいになるのよ。当然よね。ここは、宇宙のあらゆる情報を蓄積するデータベースなんだから、その情報自身が情報を破壊したら困るもの」
アーシェスの解説は分かりやすかった。
『あ、そっか、つまりどんなに破壊行為したって現実にはならないってことか……』
と、ユウカもすぐに察することができた。言い換えれば、ここには死も破壊も存在しないということである。
「だからここでは邪神も破壊神も形無しってわけ」
キリオがそう付け足す。メジェレナやシェルミもその言葉に頷いた。当のクォ=ヨ=ムイは肩をすくめて、
「そういうこと…」
と呟くように言った。
「でも、ケンカとかの暴力によるダメージは再現されるから気を付けて。死ぬことはないし形質を失うほどの破壊はされないけど、痛みや苦しみはちゃんとあるから。怪我とか病気が治るまでの苦痛とかも再現されるからね。無茶はダメよ」
アーシェスが念の為にとそう釘をさす。とは言え、
『いえいえそんなことしません~…!』
ユウカにはそんな無茶をする気は全く無かった。元よりそういうことは最も苦手なのだから。
「あ、そうそう忘れてたけど、この子はイシワキユウカ。ユウカって呼んであげて」
ユウカ自身もあまりのことに忘れてたが、代わりにアーシェスが紹介してくれて、慌てて、
「よろしくお願いします」
と頭を下げた。クォ=ヨ=ムイはそれを見て「ん…」と小さく頷いた。その仕草がまた艶っぽい。
『なんか分かんないけど恥ずかしい…!』
ユウカは思わず自分の顔が熱くなるのを感じてた。するとキリオが、
「うん、いいね、素質ありだね」
と言いながら人差し指と中指を交差させた。その瞬間、今度はヌラッカが、「キリオ!」と強い口調で声を上げる。
『え? なに? なんですか……?』
意味が分からず戸惑うユウカに、アーシェスが耳打ちして解説してくれた。
「今のキリオの指の形、あれ、彼女たちの種族のハンドサインで、体の交わりを意味してるの。『私としましょう』って感じかな。かなり本気で狙うつもりみたいだから気を付けてね。絶対に二人きりにはならないように」
『わ、私としましょう…!? ええ~~~~~っ!?』
そういうことには全く縁がなかったが、知識だけならそれなりにあるだけに、ユウカは耳まで真っ赤にして、俯いてしまったのだった。
クォ=ヨ=ムイの力のおかげで一気に人が住んでる部屋らしくなったユウカの部屋に今度は、
「は~い、ユウカちゃんの入居を歓迎してミルフィーユ鍋にしてみました~」
と言いながらマニが鍋を抱えて部屋に入ってきた。六畳一間の部屋に、ユウカ、アーシェス、メジェレナ、クォ=ヨ=ムイ、キリオ、ヌラッカ、シェルミの七人がいたところにさらに体の大きなマニが入ってきたものだから、
『せ、狭い……』
と、一気に窮屈な印象になった。
「じゃ、じゃあ、アーシェスさんとシェルミさんはベッドに座ってください」
そう言ってユウカはアーシェス、シェルミと一緒にベッドに腰掛け、
「それでは、ユウカちゃんの歓迎パーティーに移りたいと思いま~す♡」
というマニの掛け声そのままに、歓迎パーティーへとなだれ込んだのだった。
「あ、カセットコンロがないのね。クォ=ヨ=ムイ、お願い」
「…ほい…」
マニとクォ=ヨ=ムイのそんなやりとりでカセットコンロが具現化し、鍋を温める。ユウカの部屋には食器もまだなかったので、
「食器は各自持ってきた方がいいね」
そう言って部屋を出たメジェレナに続いて皆、自分の食器を取ってきた。
「これ、使ってなかった新品だから良かったら使って」
さらにメジェレナが茶碗と割り箸をくれた。その上、「ポン酢でいいよね」とポン酢までくれた。他の住人もそれぞれ自分の好きな調味料を自前で持ち寄って、鍋をつつくことになった。
少しだけ気分も落ち着いてきて空腹を感じ始めてたユウカにとってもちょうどよい夕食になった。
『あったかい…』
ユウカは、こうして皆で鍋をつついている状況に気が付き、ふとそんなことを感じた。それは、彼女が今まで感じたことのない感覚だった。
『そうだ…私、家でも、学校でも……こんなことなかった気がする……』
部活をしてる時が最もそれに近かった気がするが、それでもここまでではなかった。それを思い出してしまって、彼女は白菜と豚肉を入れた茶碗を手にしたまま、ポロポロと涙をこぼした。
「ユウカ……」
アーシェスがそんな彼女をそっと抱き締めてくれて、シェルミは背中を撫でてくれた。それ以外の住人も、穏やかな表情で彼女が落ち着くのを待ってくれた。
『こんなに温かくて優しくて穏やかな空間が本当にあるなんて、私、知らなかった……』
漫画やアニメの中にしかないものだと思ってた。それが今、こうして自分を包んでくれてるのだ。
唐突に命を終えたと言われた時には本当にどうしたらいいのか分からなかったけれども、今、こうしている分には自分が本当に死んだなんて思えなかった。死んだのではなく、ただ命の有り様が変わっただけだとしか思えなかった。それどころか、単に、一人で別の町に引っ越してきただけとしか思えなかった。そこでこうして、温かい歓迎を受けてるだけにしか思えなかった。
ある意味では、彼女の認識も間違いではないだろう。そもそも命というものの定義も実は曖昧なのだ。だからこうして自我を維持できている以上は、彼女は死んではいないのだとも言えるかもしれないのだから。
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