第一〇七六四八八星辰荘
「ここに来たばっかりだと住む家もないでしょ。おいで、ちょうど空き室があるから。案内したげる」
アーシェスと名乗る三つ目の少女?は、
『……ついていった方がいいのかな……?』
と考え、信じていいのか不安を感じながらも仕方なくついて行くことにした。
『え…? え…? なんなの、ここ…!』
自動車一台通れそうにない路地裏を歩いていると、何人もの人?とすれ違った。一見すると人間のようにも見えるが、皆どこか違和感があった。
獣のように毛深い者。
三つ目のアーシェスを上回る四つ目の者。
異様に背が高い者。
逆に背が低すぎる者。
四本の腕を持つ者。
肌の色や髪の色も様々だった。
そんな者達に対して、アーシェスは気軽に「こんにちは」とか「お久~」とか声を掛け、相手も、
「こんにちはアーシェス、また新入りさんかい?」
「うッス、アーシェスの姉御、お勤めご苦労さんッス」
などと気安い感じで返事をしていた。皆、顔見知りなのだろう。彼女にとってみれば異様にも思えるその見た目に反した和やかな雰囲気に、石脇佑香も、
『そんなに怖いところじゃないみたい…』
と、少し気持ちが落ち着いてくるのを感じていた。
五分ほど歩き少しだけ広い道に出ると、そこには古びたアパートがいくつか並んでいた。いや、『古びた』などという表現はいささか過大評価し過ぎか。見るからに老朽化著しい、いつ倒壊してもおかしくない、およそ人が住めるとは思えない酷い有様だった。それぞれには、アパートの名前だろうか、<第一〇七六四八二星辰荘>、<第一〇七六四八三星辰荘>と書かれた看板が掲げられていた。と言っても、それは明らかに日本語ではなかった。日本語どころか、一体どこの国の言葉かも分からない見たこともない言葉で書かれていた。なのに読めるのだ。
『何これ…日本語じゃないよね。私、どうしてこんな文字が読めるの…?』
看板を呆然と見ている石脇佑香の様子に気付き、アーシェスが言った。
「<書庫>の中の言葉は、勝手に翻訳されて自分の中に伝わってくるから心配ないよ。喋ってる言葉もそう。私、あなたの
言われて見れば、日本語に吹き替えられた外国映画を見てるように、微妙に動きがズレていた。すごく不思議な感じだった。
「さ、ここよ、あなたは今日からここに住むの」
そう言ってアーシェスが示したのは、やっぱりとんでもなくボロボロのアパートだった。
「第一〇七六四八八星辰荘へようこそ。みんなあなたを歓迎してくれるわ」
『え……? えぇ~……!?』
にこやかなアーシェスを前に、石脇佑香はやはり呆然とするしかできない。
「ようこそ」とにこやかに言われても、さすがに足は進まなかった。
『住むの…? ここに……? 怖い……』
もはや妖気さえ感じそうな風情のボロアパートは、普通の中学生の女の子でしかない
けれど、
『ここま来て入らなかったら何言われるか分からないよね……』
とも考えてしまい、彼女は意を決して扉を開ける。が、中は外見に比べてそれほど痛んではいなかった。古さは感じさせるものの、意外としっかりしていそうにも見えた。
『あれ…? 中はそれほどでもないのかな……
良かった…思ったよりはまとも……』
しかし、
『でも、玄関で靴を脱いで上がるんだ? アニメとかでは見たことあるけど、こんなアパート、ホントにあるんだ?』
と、玄関で靴を脱いで上がるアパートは初めてだったこともあり、やはり戸惑いは大きかった。
「あなたの部屋は八号室だから、靴箱はここね」
八つの扉が並んだ木製の古びた靴箱にはやはり見たこともない言葉が書かれてたが、それが数字であることは分かってしまう。
『鍵も付いてないけど…取られたりイタズラされたりしないのかな…』
アーシェスが開けた靴箱に、不安を感じながらも自分の靴をそっとしまった。
「部屋はこっちよ」
そう言って前を歩くアーシェスについて行くと、キシキシと音を立てる階段を上がって二階へと案内された。さらにその一番奥が八号室だった。
「ここがあなたの部屋。どうぞ開けてみて」
アーシェスに促されて、
『おじゃまします……』
と心の中で言いながら恐る恐る扉を開けてみる。すると
『……あ、きれい……?』
そう。部屋は更に綺麗な六畳一間の和室だった。畳も新しく、壁は土壁でいかにもな風情だが、アパートと言うよりはむしろ品の良い旅館の客室という印象さえあった。外見との落差に、呆然としてしまう。
「どう? 見た目よりは綺麗でしょ? 大丈夫。こういうのは全部<演出>なの。だってここにあるものは全てデータだから。私もあなたもそう。物体としてそこに存在してるわけじゃないからね。もっとも、ここに住む私たちにとっては、現実と区別は付けられないけど」
『データ……? これが……? 畳の匂いもしてるのに……?』
呆然とした感じで一通り部屋を見渡した石脇佑香が視線を向けると、アーシェスは自分の胸に手を当てて、にいって感じで笑った。
「改めて自己紹介するわね。私はこのニシキオトカミカヌラ地区のエルダー、アーシェス・ヌェルーカシェルア。歳は2,046,154歳よ。たぶんだけど」
「にひゃ…!?」と声を詰まらせる石脇佑香に向かって、アーシェスは更に「くすくす」と悪戯っぽく笑う。
そして彼女が指をパチンと鳴らした瞬間、部屋の様子が一変した。いかにもな和室だったそれが、今度は今風のフローリングに一瞬で変化したのだ。もう一度パチンと鳴らすと、今度はエスニック風の趣があるそれへと変わる。
「だから言ったでしょ? 『データ』だって。あなたの好みの部屋がたぶん見付かるわ」
「……」
どこか自慢げにそう語る彼女に、石脇佑香はやはり呆然とするしかできないでいたのだった。
『なんで……? どうしてこんなことに……
書庫…? データ……? 何を言ってるの……?』
自分は死んでこの<書庫>と呼ばれる世界にデータとして転送されてここで生きていくのだと突然言われても、目の前で部屋が一瞬で変わるのを目の当たりにしても、中学生の少女にとってはまるで現実味のない話だった。
にこやかに自分を見詰めるアーシェスの視線を受け止めきれなくて、石脇佑香は目を逸らした。その彼女の頬を涙が伝う。
『分からない……なにがなんだか分からないよぉ……』
無理もない。
そんな彼女に、アーシェスはどこまでも寛容だった。
「分かるよ。いきなりこんなところへ一人で送られて周りには知り合いは誰もいなくて不安だよね。だけどもう元には戻れないんだ…」
静かにそう話すアーシェスの言葉に、石脇佑香は自分の腕を胸に抱くようにして、
「う…うえ、うあぁ…」
と嗚咽を上げた。
『どういうことなの…? なんでこうなるの……?
保育園の時にはイジメられて、小一の時には変質者にイタズラされて写真撮られて、それをお母さんに相談しようとしたら『忙しいから後で!』って相手にもしてもらえなくて……
お父さんは偉そうなだけで私のことなんか見てもくれなかった……
家にいてもホッとできない……学校は気配を消してなきゃ何されるか分からない……
超自然現象や不思議なことを書いた本だけが楽しみだった……
ネットをするようになってからは、イタズラされて撮られた写真がネットに上げられてないか心配で心配で調べまくって……
中学に上がっても友達なんか全然できなかった……
でも……でも……部長さんに誘われて入ったオカルトを研究するクラブ活動に入ってからは、部長さんも優しかったし、他の部員の人は、ちょっと変わってる人が多かったけどイジワルとかはされなかったし、ちょっとはマシになってきたのかなって思ってたのに……
それなのにいきなりこんなのって……こんなのって、ないよぉ……』
溢れる涙を拭うことも出来ず泣きじゃくる石脇佑香に、アーシェスが手を差し出し、小さな体で、自分よりずっと大きな少女の体をそっと抱き締めていた。
「今はいいよ。いっぱい泣いたらいい……あなたには、その権利があるから」
それはまるで、母親が幼い我が子を抱き締めて癒そうとするかのような姿だった。いや、実際にそうなのだろう。なにしろアーシェスはこの地区のエルダー。<書庫>に転送されてきた者たちを導く存在なのだから。二百万年以上の時間を生きた彼女にとっては、僅か十四歳の石脇佑香は本当に幼子でしかないのだから。
アーシェスは、石脇佑香が落ち着くまで待ってくれた。彼女にとっては些細な時間でしかなかったからだろう。
「落ち着いた?」
「……」
穏やかな声でそう問われ、石脇佑香は黙って頷いた。こんな風にしてもらったのは生まれて初めてだった。両親はどちらも自分の話すらまとも聞いてくれなかった。泣いていたら『泣くな!』と怒鳴られた。手を上げられたことも何度もある。こうしてただ涙が止まるまで抱き締めてくれることがこれほどまでに気持ちを落ち着かせてくれるものだとは知らなかった。
『不思議……この人と一緒にいると、怖くなくなってくる気がする……
ホントに二百万年も生きてきた人だからかな……』
ハンカチで涙を拭いてくれて鼻も拭いてくれた彼女は、姿こそ幼いが自分よりずっと大きな器を持った人なんだと石脇佑香は感じた。この人が傍にいてくれるなら、何とかなりそうな気がした。
「…この部屋、どうしたらいいですか?」
そう尋ねた石脇佑香に対しても、彼女は優しかった。『そんなことも自分で考えられないのか!?』と怒鳴ったりしなかった。
「そうだね。まずどんな部屋がいい?」
と問われたが、これといって希望とかはなかった。
『そう言われても…私、どんな部屋に住みたいとか、考えたことなかった気がする……』
そう、自分の部屋を飾るとかどんな部屋に住みたいとかあまり考えたことがなかったからだ。自室は与えられていたが勝手なことをすればまた両親に怒鳴られると思って、精々可愛らしい小物を並べる程度だった。可愛らしいとは言っても、その殆どがUMAをモチーフにした人形等だったが。
「よく分からないから、普通の部屋でいいですか? フローリングの普通の部屋です」
まだ少しオドオドした感じでそう述べる石脇佑香にも、アーシェスはやはり穏やかに応えてくれた。
「そっか、じゃあこんな感じかな」
そう言ってパチンと指を鳴らすと、実に愛想も面白みもないがシンプルで使い勝手は良さそうなフローリングのワンルームが姿を現した。
「はい、これでいいです」
あっさりと決めてしまう。
『あんまりワガママ言うと、この優しそうな人でも怒るかもしれないし……』
だからもうそれ以上は言わない方がいいと石脇佑香は思っていた。ただ、部屋を選んだだけではまだ生活はできない。必要なものを揃えなければならない。見ればシンクのところに一口とはいえコンロだけはあったが、それだけでは話にならない。だが他に必要なものを手に入れる当てはない。そこでアーシェスは言った。
「じゃあ次は、ここで生活する為に必要なものを手に入れなくちゃね。まずは挨拶がてら、他の部屋を回ろっか。おいで」
この時点で石脇佑香は既に、素直に彼女に従うしかないと思うようになっていた。
『優しそうな人だから、言うこと聞いておいたら大丈夫かな……』
それ以外にはどうにもできないと思った。
そう考える石脇佑香を伴って、アーシェスは隣の七号室の扉を気安い感じでノックした。
「メジェレナ、いる? アーシェスだけど」
「あ~、アーシェスか……なんか物音するなと思ったらやっぱり新しい子?」
ドアを開けて顔を出したのは、褐色の肌でピンクの髪を逆立てた、少々目つきのきつい女性だった。しかもその瞳は、爬虫類を思わせる縦長の瞳孔を持つ金色と、見るからにイケイケと言うかオラオラと言うか、他者を威圧して自分の存在をアピールしようという感じに見えた。
『あ……怖い人だ……!』
ついそんなことを思ってしまう。
だから、小さなアーシェスの後ろでは隠れることもできないが、彼女は少しでも目の前の怖そうな人の視線から逃れようと身を縮めるしかできなかったのだった。
そんな石脇佑香に対してアーシェスはにこやかに言った。
「彼女はメジェレナ・クヒナ・ボルクバレリヒン。あなたから見たら怖そうに見えるかもしれないけど、これ、彼女のすっぴんだから。二千年ほど引きこもりしててようやく十年程前からショップ店員として働きだしたの」
『…え…?』
一瞬、意味が分からなかった。
『この怖そうな人が引きこもり…? しかも二千年って…』
呆気に取られる彼女の前で、メジェレナと呼ばれた女性が相貌を崩す。
「もう、止めてよ、アーシェス。あんただって一万年以上ウジウジしてたって聞いてるよ。人のこと言えないでしょ」
困ったような顔をして頭を掻くその様子からは、確かに自分を威圧しようとするような気配は伝わってこない。しかもよく見れば、自分と視線を合わせようとしてない。こちらの目を見てるんじゃなくて、口の辺りを見てるのが分かる。
『あれ…? この人もしかして私と同じ……相手の目を見るのが怖い…?』
石脇佑香が感じたことはまさにその通りだった。メジェレナは本当は臆病な性格で人見知りだった。彼女の外見はあくまで彼女の種族の一般的な特徴でしかなく、肌の色が黒いとか白いとかそういうレベルの話なのだ。
冷静に相手を観察すれば、外見から受ける第一印象とは違うものが見えてくることもある。石脇佑香はこれまでそういうことを教わってこなかった。だから勝手に、他人は自分より強くて乱暴で横柄で怖いと思い込んでいたのである。
相手も人間だ。能力にそれほど極端な差はない。そしてそれなりに弱い部分も持ち悩みもある。人間とはそういうものだ。無闇に自分を卑下する必要などないのだ。
今回の件だけで石脇佑香がそれを理解することはないだろう。だが、それに気付くきっかけにはなったとは思われた。
「初めまして。よろしくね、え、と…?」
メジェレナが口ごもってようやく気付いた。
『あ…そうだ、名前……!』
と、まだ名乗ってすらなかったことに。
「石脇佑香です。よろしくお願いします」
自ら名乗れたこの時点から、彼女のここでの生活が始まったと言っていいのかもしれない。
「ようやく名前教えてくれたね」
「…え? ……あ…!」
アーシェスにそう言われて、石脇佑香はようやく自分が名乗ってすらいなかったことに気が付いた。さすがにこれは失礼だと思った。
「ごめんなさい…!」
視線を泳がせて顔すら見ることができずにそう言うしかできなかった。そんな彼女にアーシェスは言った。
「大丈夫。徐々に慣れていけばいいから。時間はたっぷりあるよ。だって私達、この<書庫>の中では死なないもの」
『…え? あ、そうか…』
そう言われてピンときた。
『死んでここに来たのなら、もう死ぬことはないんだ……だって<データ>なんだし……
だから二千年も引きこもったりできるんだ…!』
何だか合点がいってしまって、急に気が楽になるのも感じた。
『そっか、これは一種のリアルなゲームのようなものだと思えばいいのかも……』
一人納得している石脇佑香を、アーシェスとメジェレナは見守っていた。と言うか、かつての自分の姿を思い出していたと言うべきか。彼女達もここに来たばかりの頃はこんなものだったのだ。
「じゃあイシワキユウカ、お近付きのしるしにこれあげる。最近買い替えたところで引き取り手を探してるところだったんだ。型は古いけどまだまだ十分に現役だよ」
そう言ってメジェレナはドアの脇に置いてあった小型の冷蔵庫を差し出した。見るからに一人暮らし初心者が買い求めそうな、カラーボックス程度の大きさの冷蔵庫だ。
「え、でも…?」
出会ったばかりでこんなものを貰うとか、石脇佑香にはピンとこなかった。そんなものを気前よくくれる人がいるなんてことが理解できなかったのだ。
明らかに戸惑ってるのが分かる彼女に、アーシェスが言った。
「大丈夫。これがここの暗黙のルールだから。ここに来たばかりで生活の基盤がない人には、自分ができる最大限のもてなしをするって。遠慮しなくて貰ったらいいよ。その分、次に新しい人が来たら、あなたができることをしてあげたらいいから」
そこまで言われたら、
『受け取らない方が失礼…てことなのかな……?』
とも思えた。
もっとも、実際には要らないなら断っても何の支障もなかったのだが、今の彼女にはまだそこまでの理解がなかったのである。
「ありがとうございます!」
何度も頭を下げて、小型とは言えさすがに中学生の女の子には少々重い冷蔵庫を何とか部屋に運び込んだ。こうして、まずは冷蔵庫が手に入った。使い込まれてる感じはあるが中はきちんと掃除されていて綺麗だった。
『私の、冷蔵庫…?』
まだ電源も繋いでないからただの箱でしかないそれを、石脇佑香はしげしげと眺めてしまっていたのだった。
「ありがとうございました。あ、それと私のことは<ユウカ>でいいです」
「OK、ユウカ。これからよろしくね」
自己紹介ができて少し落ち着いた石脇佑香=ユウカは、メジェレナに改めて冷蔵庫のお礼をして、アーシェスは今度は六号室のドアをノックした。が、返事がない。
「留守みたいね。じゃあここは次の機会にしようか」
と、とりあえず後回しにして、五号室へ行く。
だが、ノックをする前にアーシェスがユウカに向かって囁くように言った。
「五号室の住人はちょっと気難しい人だから、気を付けてね。一応、今回は挨拶はするけど普段はもうあまり関わらなくていいよ。向こうも関わって欲しくないって思ってるから。そっとしておいてあげてね」
と言われて、急に緊張してくるのを感じた。
『気難しいって…怖い人なのかな……』
さっきのメジェレナが、見た目に似合わず温和な人だっただけに、どんな人が出てくるのかと身構えてしまう。
「ポルネリッカ、いる? アーシェスよ」
…返事がない。『ここも留守なのかな』と石脇佑香が胸を撫で下ろしかけた時、かちゃりと静かにドアが開いた。しかし開いたのはほんの数センチで、しかもそこから覗いたのは、形も何もはっきりしない真っ黒な<何か>だった。それでも何となく頭かなって思えるところに黄色い光が二つ、浮かんでいるように見えた。目ということなのだろうか。
「…なに…? 忙しいんだけど…」
『うわ~…なんか怖い……』
もういかにも面倒臭い、関わらないでっていうオーラが濃密に放たれてるのを感じ、ユウカは更に委縮した。
「八号室に入る新しい子を紹介しに来たのよ。名前はイシワキユウカ。ユウカって呼んであげて」
アーシェスにそう紹介してもらって、ユウカは恐縮しながら頭を下げた。しかし、輪郭すら曖昧な真っ黒な何かが相手だと表情がさっぱり分からない。
「そう…よろしくね。じゃあこれ、あげるから。私のことはそっとしておいて…」
そう言ってポルネリッカがドアの外に置いたのは、携帯音楽プレーヤーらしき機械だった。僅かに部屋の外に出た手がまた黒く、しかも輪郭がはっきりしない気がした。まるで、黒い霧のような……そしてそのままドアを閉めてしまったのだった。
それを拾い上げながらアーシェスが苦笑いをする。
「彼女はポルネリッカ・パピリカ。あれでも売れっ子の作詞家なの。創作活動に集中したいからってことで殆ど他人とは関わろうとしないわ。その所為で結婚に失敗したりしてたけど、悪いコじゃないのよ。あ、これ、ポルネリッカモデルの
音楽プレーヤーを気前よくくれるのはすごいけれど、その態度が……
『うう……不安だなあ……』
受け取った
しかしアーシェスはそんなユウカに構うことなく一階に降り、すぐさま一号室のドアをノックした。
「キリオ、ヌラッカ、いる? アーシェスよ」
ポルネリッカのこともあり、ユウカは緊張していた。その前で、かちゃりとドアが静かに開く。
「おや、アーシェス。なんか用かい?」
「アーシェス、久しぶり…」
今度は二人出て来た。一人はちょっと鱗っぽい質感の青い肌をした赤い瞳のすらりとした長身の女性?だった。タンクトップにショートパンツといういでたちで、胸のふくらみを見て女性かなと思ったのだが、頭には髪がなく、大きな鱗のようなもので覆われていた。
もう一人は、見るからにおっとりとした印象のある表情をした、緑がかった透き通るような肌が……いや、『透き通るような』どころか完全に透き通っていた。反対側が見えている。しかも服を着ていない。これにはユウカも、
『…え? 裸!?』
と驚いて、目を覆ってしまった。
「もう、ヌラッカ。人前に出る時は服くらい着なさいって言ってるでしょ」
アーシェスが困ったような顔をしつつそう言うと、ヌラッカと呼ばれた透明の女性は、殆ど表情を変えずに、
「服、キライ…」
とだけ呟くように応えた。
しょうがないなあという感じで苦笑いしたアーシェスは、気を取り直してユウカを紹介した。
「この子、八号室に住むことになったイシワキユウカ、ユウカって呼んであげて」
紹介された以上は挨拶をしなければと、視線は向けられない状態ながら、
「よろしくお願いします」
と頭を下げた。見た目はちょっとあれでも、メジェレナのことがあったから、言葉などから受ける印象としては、
『よかった。優しそうな人だ』
と感じて少しホッとした。ただ、恰好が……
しかし問題は、ヌラッカの格好だけではなかった。
「よろしく。君、可愛いね。歳はいくつ? 付き合ってる人いる?」
『…え? え? なに……!?』
透明な彼女がヌラッカなら、こちらはキリオと呼ばれた方なのだろう。鱗っぽい青い肌をした長身の彼女は、石脇佑香の顔を覗き込むように顔を寄せてきた。それを見たヌラッカが、
「キリオ、浮気、ダメ!」
と、表情はほとんど変わらないにも拘らず怒ったような声を出した。
「そこまでそこまで。ユウカがどういうコか分からないうちからそれは無しだよ」
アーシェスが割って入るように立ちはだかり、釘をさす。するとキリオは「ちぇっ」といった感じで引き下がった。苦笑いしながら石脇佑香に向き直ったアーシェスが言った。
「青い方の彼女がマフーシャラニー・ア・キリオーノヴァ。モデルさん。で、透明な彼女はヌラッカ。不定形生命体だけど歯科技師で、二人は同棲中なの」
『同棲中……? 浮気……? え? ってことは、そういうこと、だよね…?』
今彼女の目の前で行われているやり取りは、ウブな女子中学生のユウカには少々刺激の強い言葉だった。
『しかも女性同士で? キマシってこと……?』
そういうことがあるというのは知識としては知ってたしアニメとかならそれこそよくあることなのだろうが、実際に目の前にすると戸惑わずにはいられなかった。
『私、今、キリオっていう人にモーションかけられたんだよね? だからヌラッカさんっていう人が『浮気、ダメ!』って怒ったんだよね……?』
頭の中がグルグルと回ってしまう感覚。けれど、ただの冗談とも思えなかった。
これは別の意味で不安にならざるを得なかった。
それでもキリオは、
「じゃあ、お近付きのしるしに、この服をあげるよ。サイズもそんなに違わないと思うから上手くアレンジしたら着られるんじゃないかな。ヌラッカにプレゼントしたものだけど、彼女、服が嫌いでほとんど着てくれないから。大丈夫。これは袖も通してないやつだから」
と、抱えるのも少し大変なくらいに気前よく服をくれた。
『こんなたくさん……?』
戸惑うユウカにキリオはウインクしながら、
「ボクはモデルだから服は安く手に入るんだ。まだたくさんあるよ。もらってくれた方が助かる」
『ああ、そういうことなんだ……!』
そう言われれば気が楽になる。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
何度も頭を下げて、二人に見送られながら一端、自分の部屋へと戻った。さすがにこれを持ったままで次の部屋には行けない。
『可愛い……そっか、あのヌラッカさんって人が着る為のなんだから可愛くて当然か。
私にはちょっと可愛すぎるかもだけど、着れなくはないかな。サイズ的にも』
貰った服を見てそんなことを考えながら、決して大きなものではなかったが備え付けられているクローゼットにとにかく服を掛けていく。
ふと見ると、電源を入れた冷蔵庫が微かに音を立てている。
『あ……部屋って感じする……』
クローゼットに掛けられた服と合わせ、少しずつ人が住んでいる部屋になっていく感じがした。
「まあまあ順調かな。このアパートだけじゃ十分には揃わなくても、近所も回ればたぶん一通り揃うよ。もし揃わなくても無料のリサイクル品が指定の場所に行けば手に入るから大丈夫。とにかく、生活基盤を整えるまではみんなが助けてくれるから。そこから先は自分次第だけどね。みんなと関わっていくもよし、昔の私やメジェレナ、今のポルネリッカみたいに自分の世界に閉じこもるもよし。それはあなたの自由」
アーシェスは穏やかにそう言ってくれた。その言葉に、
『なんか……少しホッとした気がする……』
と、ユウカも素直に感じられるようになってきた。
「じゃ、次は二号室だね」
「あ、はい…!」
アーシェスに促され、石脇佑香は再び一階へと降りたのだった。
「次の二号室のマニは、男の人に見えるかもしれないけど、地球人と違って両性具有種だから性別とか関係ないからね」
『…え…? まだ属性増えるの…? 正直、もう、おなか一杯かな…』
ここまででも結構大概だった気がするが、まだ属性が異なるのがいるのかと、ユウカはそう感じていた。留守だった六号室の住人もまだだし、あと三部屋。
『もちこたえられるかなぁ…』
そんな不安を抱えつつ、アーシェスがドアをノックする様子を息を呑みながら見ていた。
「マニ、アーシェスよ。いる~?」
その声に応えて、
「は~い」
と部屋の中から声がした。だが、
『女性の声だ……』
そう。その声はどう聞いても女性のものにしか聞こえなかった。
しかし……
「……!?」
ドアが開けられて出て来たのは、まさに<肉の壁>とでも言うべき、ものすごい筋肉量の大きな肉体をピッチリTシャツとジャージで包んだゴリマッチョな男性だった。髭こそは生えてなかったが顔もいかつく頭も角刈りで、間違いなく男性に見えた。
『男の人……だよね…?』
なのに、
「アーシェス久しぶり。聞こえてたよ。その子が八号室に入る子なのね」
と、声と口調は確かに女性だった。あまりに違和感に脳の処理が追い付かず、
『? ? !?』
ユウカは呆然としてしまう。
「うん、予想通りの反応ね。あなたたちのように性別が分かれてる種の人達は大抵そういう顔するわ」
「…はあ…」
どう応えていいのか分からずに、そんな声が漏れてしまった。性別が分かれてるからとか分かれてないからとかいう問題でもないような気がするが、それは言葉にはならなかった。
「彼女は、子供を生んだことがあるから便宜上<彼女>って呼ぶけど、名前はマニュハルクァク・ングラニャーァハガ。発声しにくいと思うからマニでいいわ」
そうアーシェスが紹介するのに合わせて、マニは「うふん」とウインクした。
『って、子供!?』
「マニは運よく同種族と巡り合えて恋に落ちて、子供を生んだのよ。今はその子も大人になってそれぞれの人生を送ってるわ」
『……? ? !?』
もはや訳が分からなかった。アニメとかではそういう無茶苦茶な話も出てくるが、それが実際に自分の前に提示されると人間はこういう反応をしてしまうのだと自分でも思った。それでも辛うじて、
『あ…挨拶しなくちゃ…!』
と気を取り直して、
「石脇佑香です。ユウカって呼んでください。よろしくお願いします…」
と、何とか挨拶をした。ここまでで多少慣れたのか、思ったより声が出た。
「こちらこそよろしくね、ユウカちゃん。じゃあ、私からのプレゼント」
と渡されたのは、サンダルだった。
「子供のために買ったんだけど、サイズを間違えてね、結局使わずじまいだったの。だからあなたに使ってもらえたら助かるわ」
こうして、ちょい外出用にサンダルを手に入れることとなった。
「アデュー」
と、マニに見送られながら、次の三号室の前へと移動する。もらったサンダルも手にしたままだ。
『変わった人だったけど、すごく優しそうでよかった……』
それが正直な印象だった。なんだかホッとしてしまう。
すると、マニがドアを閉じるのを見届けて、アーシェスがユウカに向き直った。
「三号室のヘルミは、このアパートの中では一番、種としてはあなたに近いかな。ただ、気が合うかどうかって言ったら、どうかなって感じかも」
「…え……?」
アーシェスのその言葉に、彼女はまた不安を覚えた。
『ここまでそんな言い方はしてこなかったのに、どうして急に……?』
とも思った。これまで会った人達以上に変わった人ということなのだろうか……
コンコンとドアをノックし、
「ヘルミ、アーシェスだけど、今いいかしら?」
と声を掛けた。かちゃりとドアが開いて出て来た姿に、ユウカはこれまでで一番、ビクッと体をすくませた。
「…あ”?」
『うわぁあぁぁ、怖い人だ~…』
それはもはや本能的な反応だった。七号室のメジェレナは見た目は怖かったが実際には温和な人だったのに比べて、こちらは恰好こそは茶髪でベリーショートのウルフカットにTシャツとジーンズという実に普通なもので胸のふくらみを見る限り女性だと思えたが、もうその目が明らかに攻撃的だった。全身から攻撃的なオーラが発せられてる気がした。
『怖い怖い怖い怖い……っ!』
これこそ彼女が最も苦手とするタイプだった。
しかし、アーシェスは平然としていた。もし殴られたりしたらそれこそ反対の壁まで吹っ飛びそうなくらい体格が違うのに、こんなに怖そうなのに、まるで気にしてなさそうだった。
『どうしてそんなに平気そうなの…?』
なんて思ってしまう。そんなユウカの前で、アーシェスは、『やれやれ』とでも言いたげな感じで、
「なに? またケンカしてきたの? いい加減にしなよ」
と、まるで妹を諭す姉のような態度を見せた。
「まあいいわ、そのことは後で。とりあえず今は八号室に入ることになったこの子、イシワキユウカを紹介しに来ただけだから」
『ケンカ…? 後で…? いったい何の話をしてるの……』
完全に怯えてしまってほぼ思考停止状態の石脇佑香は、頭を下げることすら思い付かない程に固まってしまっていた。暴力的な雰囲気を前にするとこうなってしまうのだ。今にも泣きだしそうな顔までしている。
「…なんだよそのツラ。何ビビってんだよ。俺がお前になんかしたかよ。被害者ヅラしてんじゃねーよ」
『あわわわわわわ……!』
これ以上何か言われたら漏らしてしまいそうってなった彼女の前で、アーシェスはヘルミをキッと睨み付けた。
「ヘルミ、いい加減にしなさい!
過去を引きずるのは構わない。だけど、それで他人に当たり散らすのは自分の傷を広げるだけよ。これは、先輩としての忠告」
アーシェスのその穏やかにも拘わらず毅然とした態度に、ヘルミと呼ばれたその女性は、視線を逸らして「チッ!」と舌を鳴らした。
「彼女は、ヘルミッショ・ネルズビーイングァ。ロックバンドのボーカルなの」
ユウカの方を向きそう言ったアーシェスの顔は、にこやかなものに戻っている。それから再びヘルミの方に向き直り、彼女は静かに語りだした。
「とにかく、この子はイシワキユウカ。ユウカって呼んであげて。無理に仲良くしろとは言わないけど、あなたが何故、ここに居ることを許されるのか、それは忘れないでほしいの」
感情的になった幼子を諭すように、アーシェスはヘルミに語り掛けた。この時、ユウカのことは正直、二の次になってたと思われる。
「…ふん」
と不満げに鼻を鳴らしてドアを閉ざしてしまった彼女をそれでも見つめようとするかのように、アーシェスは閉ざされたドアを見詰めていた。しばらくしてユウカの方にまた向き直り、ふわっと笑う。
「彼女はまだここに来て一年ほどだからね。ここに来る前に信頼してた人に裏切られて自暴自棄になってたの。だからこれでもだいぶ落ち着いてきたのよ。そんなわけで、ヘルミとも無理に関わろうとしなくていいわ。それは私達の役目だから。あなたはとにかく、早くここでの生活に馴染むことね」
結局、ヘルミからは何も貰えなかった。無理もない。彼女もまだ石脇佑香と大して違わない立場なのだから。
『怖かった~…ちょっぴり、チビっちゃったかも……
無理に関わらなくていいって、言われなくても関わりたくないです……』
ヘルミの迫力に、彼女は思わずそんなことを考えていた。
でもまあとにかく、今のところは次の四号室で終わりだ。だがその前に……
「あの…トイレ行ってきていいですか?」
そう言った石脇佑香にアーシェスは、
「あ、ここトイレ共同だから。階段横のそこね」
と指差して言った。
『え~…? トレイは共同なんだ……?』
正直、石脇佑香にとってそれはなかなかに厳しい話だった。
『学校とかは仕方ないけど、自分の家で他人とトイレを共有するって……なんかやだなあ……落ち着いてできなさそう……』
さりとて、それしかないのなら仕方ない。
『学校と同じって考えるしかないのかなあ……』
そう割り切ってトイレに入った。すると、
『あ…でも、学校のトイレよりもキレイかも…良かった』
とユウカが思った通り、共同トイレと言っても、設備はちゃんと新しいシャワートイレだった。流水音を出すボタンも付いていた。壁に、業者による清掃のスケジュールが張り出されている。
『毎日朝夕、十分ほどトイレが使えなくなる…か。気を付けないとね』
個室は三つ。男性用の小便器も設置されてたがここは女性?しかいないので殆ど使われている形跡はなかった。来客用と考えればいいのだろう。
一息ついて落ち着いて、下着をチェックした。
『よかった…漏れてなかった』
下着が汚れていなくて安心したが、ただその時に気が付いてしまった。
『あ…そう言えばまだ、替えの下着が無いんだ…』
実際に生活を始めるには、まだまだ先は長いと思わされたのだった。
トイレから出て四号室の前に戻ったユウカに、アーシェスはまたにこやかに話しかけた。
「四号室のシェルミは、種族としてはこのアパートで一番変わってるけど、付き合う上では一番楽かもね。精神的に安定してるし。いろんな意味で」
『付き合う上では一番楽…? どういう意味だろ…そのままの意味だったらいいな……』
等々、いろいろな思考が頭の中を駆け巡っていたユウカの前でアーシェスが、
「シェルミ、いる? アーシェスよ」
そう言ってノックすると、すぐにドアが開いた。そして姿を現したのは……
『…え? ロボット…? アンドロイド…?』
とユウカが思った通りだった。
その姿はどこからどう見ても人工物で出来た機械にしか見えなかったのだ。
見る角度によって色が変わるマジョーラカラーと言われる色なのだと思うが、ぱっと見の印象は赤味かかった紫のようにも見える、プラスチックとも金属ともつかない、しかし少なくとも『肉』と呼べるような感じでは決してない無機質な肌を持ち、かつ女性らしいプロポーションを持ったその体は服を着ていなかったが、それでいて透明なヌラッカよりは艶めかしい感じではなかった。
これなら服を着ていなくてもそれほど違和感はない気はする。
顔も、女性らしい印象のある造形ではあるが、水色っぽい光を放つ目と思しきそれには瞳がなく、鼻を思わせるでっぱりはあるものの鼻の穴らしきものも口もなかった。なんとなくマスクをかぶっているようにも見える。
「こんにちは、アーシェス。新しい住人の方ですか?」
いかにもアンドロイド然とした外見にそぐわず声は柔らかい感じで、しかも口調も穏やかで丁寧だった。その第一印象で、
『あ…なんか優しそうな人……』
とホッとしてしまう。
『付き合う上では一番楽』と言われた意味は分かった気がした。とは言え、
『口とかがないから話す時はちょっと違和感ある感じかな……』
などと思ってしまった。
また、硬そうな印象のある皮膚と言うか表面だったが、関節部分にはいかにもな機構が見当たらないのに滑らかに動いているので、実は人間の体と同じように柔らかい素材なのだというのも不思議な感じだった。
「初めまして。私はシェルミ555647。見ての通りの機械生命体です。ガードマンをしています」
自らを指し示すように胸に手を当て静かに丁寧に語る彼女の姿に、石脇佑香はホッとしていた。だから、
「は、初めまして。私は石脇佑香です。ユウカって呼んでください。中学生です」
とこれまでで最もまともな自己紹介ができた。その様子を、アーシェスは満足そうな顔で眺めていた。
『どうやら何とかやっていけそうね』
そんなことを思っていたのだ。
と、その前に。
「どうぞ、お入りください」
シェルミにそう言われて、
「…え?」
と少し戸惑いつつユウカはアーシェスを見た。すると彼女は、
「大丈夫よ。遠慮なくどうぞ」
と微笑みかける。
『アーシェスさんがそう言うんだったら大丈夫かな……』
そう思い、
「おじゃまします……」
恐縮しながらも部屋に入った。
「…わあ……!」
思わず声を上げてしまったそこは、まるでランジェリーショップのように様々な女性用下着が三畳ほどのスペースに所狭しと並べられていた。いや、『ランジェリーショップのような』ではなく、実際にランジェリーショップなのだ。
「私は、居住スペースを殆ど必要としません。また、新しく来られた方がまず困るのが替えの下着類の確保ということが分かりましたので、このように部屋の一部をランジェリーショップとさせていただいています。他の部屋の方にもご愛顧いただいています。新しく来られた方には五日分のランジェリーのセットを無料で提供させていただいております」
と、普通のランジェリーショップの店員のように丁寧に案内してくれた。改めて見まわしてみると、非常にコンパクトではあるが日常使いの下着類については十分な品揃えだった。子供用のショーツどころかおむつカバーまであった。
それでいて当のシェルミは機械生命体であり衣服を必要としておらず、かつ生々しさが感じられないからか、この一種異様な空間にも、ユウカはそれほど戸惑わずに済んでいた。もしシェルミが彼女と同じような肉の体を持った有機生命体であったら、何となく引いてしまっていたかも知れない。自分の部屋にランジェリーショップを作るというその発想に、何か別の意図を感じてしまった可能性があったのだ。しかしシェルミからはそういうものが感じられなかった。
おかげで、思った以上に自然に、生理用ショーツを五枚、スポーツブラを五枚、選ぶことができた。実はそろそろ来そうだったのを思い出して、せっかくだからということでそうしたのだった。
シェルミはそれを見て、
「では、こちらも私からのギフトとしてお付けいたします」
と、生理用ナプキンを棚から取り出し、一緒に袋に入れてくれた。
「ありがとうございます」
頭を下げつつ、ユウカは思っていた。
『なんか今までお店でナプキンとか買うのも恥ずかしかったのに、不思議。シェルミさんのところだとそんな恥ずかしくない』
それはシェルミが、人間の生理現象を至極当然のものとして受け入れているのが伝わったからかも知れない。
ユウカが生きていた頃には、何故かそれが後ろめたい、やましいことのように受け取る風潮が根強く残っていたのを感じ取っていたのだろう。生身の人間ならあって何ら不思議でも不自然でも不必要でもないことを、まるで忌まわしいことのように捉える悪習が残っていたからだと思われたのだった。
最後に、見た目はともかく一番の常識人で丁寧なシェルミを紹介してもらえたおかげで、ユウカは自分が落ち着くのを感じていた。
『何とかやっていけそうかな…』
とも思った。
そんな彼女を、アーシェスも穏やかな笑顔で見守ってくれていた。
「じゃあ取り敢えず一度部屋に戻ろうか」
そう言われて、マニにもらったサンダルとシェルミにもらった下着を手に、二人で八号室へと戻ったのだった。
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