旅立ち

 伊刈は大西敦子と都心でディナーを約束していた。大西はスウェーデンに発つ予定で犬咬のアパートを引き払い、都内の友人宅に居候していた。大西が別れのディナーに選んだのは学生時代によく通ったという代官山の小さなフレンチタルトのお店だった。テラスを廃材で囲んだだけの奇妙な店は夜になっても意外なほどの賑わいで、八割は若い女性客だった。よく見ると廃材の掘っ立て柱はシロアリに食われてぼろぼろになっていた。まるで山小屋だった。

 「昔より味が軽くなったわ。もとはもっと濃い味だったのよ」一皿出るたびに大西は首をかしげた。

 「勉強してるってことだよ。十年前と同じ料理を出しちゃだめだ」

 「そうなのかなあ。でもおいしいならいいよね。ここのお食事パイはやっぱり最高ね」

 「スウェーデンにしばらくいるのか」

 「わからない。ナチュラル・ステップの事務所は世界中にあるからね。どうせインターンなんだし、いろいろ行きたいと思ってる。ずっとボランティアを続けるつもりはないわ。三十歳前には起業したいの」

 「どんな会社?」

 「日本のエコの技術を世界に広める会社を作りたい。ヨーロッパにも中国にもインドにもアフリカにも。そのためにそれなりに勉強してきたからね。ナチュラル・ステップは人脈づくりなのよ。でも最高の人脈は伊刈さんね」

 「お世辞でもうれしいね」

 「本気よ」

 「みんな飛んでいくんだな」

 本を出し、JHKデビューもしたというのに、伊刈にとってはむしろ孤独な春の始まりだった。古い時代が終わり新しい時代が始まろうとしていた。不法投棄の大恐竜時代は終わり、生残った者は新しい時代に向かって飛び立とうとしていた。自分も飛ばなければ取り残されると本気で焦りを感じた。

 「大丈夫、伊刈さんは誰よりも遠くまで飛べる人だからね」大西は伊刈へ逆のはなむけの言葉をかけた。不安を見透かされたと伊刈は思った。

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産廃水滸伝 ~産廃Gメン伝説~ 11 白いカラス 石渡正佳 @i-method

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