売り込み
翌週、池沼は産業廃棄物処理施設設置要綱に沿った自社処分場の承継届を持参した。前回よりやや地味なワンピース姿だった。届出書の被承継者の欄には白川建設株式会社代表取締役白川善治の記名があり代表者印が押されていた。承継者欄には池沼麗子の記名押印があった。処分場の所在地は犬咬市森井町、面積は二九九八平方メートル、容量の記載はなく手書きの簡単な処分場の見取図が添付されていた。
「測量図が付いていませんね。面積はどうやって計算したのですか」
「白川建設からその面積だと聞いています」
「設置されたのは平成四年ですね」
「そう聞いています」
「それを証明できますか」
「さあ私にはちょっと」
「届出ですから受理します。ただ承認するかどうかは本課の判断です。それまでは埋め立てはできませんよ」
「わかりました」池沼は受理印を押した承継届けの写しを持って帰った。伊刈はその日のうちに届出書を産対課に進達した。
その翌日のことだった。天昇園土木の持田から伊刈を名指して電話があった。
「犬咬で売り出されている処分場があると聞いたんだけどよ、買ってもいいのかい」許可取消し間際だったシルバーコードの焼却場を承継し、勇美監督の緊急追悼番組にも登場した持田はまだ処分場のオーナーになるという夢を棄てていない様子だった。
「どこのことですか」伊刈が逆に問い質した。
「森井町だよ」
「誰から聞きましたか」
「う~んそいつは言えないな」
「女ですか」
「う~んどうかねえ」
「教えてくれないとこっちも教えられませんよ」
「わかったよ、伊刈さんだから言うけど水沢の女だよ」
「東洋エナジアの水沢さんですね。何か処分場の権利証みたいなものはありましたか」
「会ってないんでね、なんにも見てないよ。市が認めてくれたって話だけだ」水沢が売り込んでいるのは池沼が承継届け提出した白川建設の捨て場のことに間違いないようだった。
「森井町にそんな処分場があるとは聞いてませんね」伊刈はきっぱりと否定した。
「そうかい、まあそうだよな。そんなうまい話があるわけないか」
「天昇園土木の処分場はどうなったんですか」
「あああそこはよ、地主が怒っちまってな、もう使えないよ。新しい穴を持とうと思ってもよ、もう法律がだめなんだろう」
「自社処分場はだめです」
「それで水沢の話に乗ろうかと思ったんだ。あいつは前科があるからで自分じゃできないだろう」
「水沢さんからいくらって持ちかけられたんですか」
「さあなあ、まだ値段も聞いてないんだよ」
「シルバーコードの末吉さんはお元気ですか」
「あの女とはあれっきりだわ。薬剤師に戻ったんじゃねえのかね。産廃から抜けられてかえって清々してるみてえだよ。じゃあこの話はなかったことにするわ」
「それがいいですね」
持田は電話を切った。伊刈は自分が受理印を押した届出書が早くも水沢に悪用されたのを知って失敗したと思った。産廃からは足を洗ったと嘯きながら水沢が起死回生のチャンスを伺っているのはわかりきったことだった。長嶋にいつも諭されているとおり、女に甘いという弱点が出てしまったのかと内心ちょっと後悔した。伊刈はすぐに本課に電話をかけて池沼が提出した届出書には水沢が関わっていると通報した。
さらに翌日、今度は不法投棄で何度も撤去指導をしたオブチの小渕会長から問い合わせがあった。神田工場長がずっと指導の窓口になっていたので会長本人と話すのは初めてだった。
「犬咬の処分場を買わないかと持ちかけられてるんだけどね、伊刈さん何か知らないかね」
「誰からの話ですか」
「なんていったけな、ほら許可を取消された社長がいただろう」
「東洋エナジアの水沢さんですか」
「そうそうそんな会社だったよな」
「やっぱりそうですか」
「その社長から持ちかけられてね、手付を一億積むように言われたんだが、ほんとかどうかわからないので払わなかったよ」
「手付金で一億円ですか」伊刈は金額を聞いて呆れた。水沢もふっかけたものである。「大きさを聞きましたか」
「聞いたよ。容量は八万リュウベで値段は三億円だっていうんだ。ほんとの話なら安い買い物なんだが、そんないい処分場あるのかい」
「あるわけないと思いますよ」
「そうかやっぱりガセなのかい。じゃあうっかり騙されるとこだったな」
「面積は聞きましたか」
「いいや」
「旧法のミニ処分場(設置許可基準未満処分場)ですから面積は三千ヘイベです。それで八万リュウベ入れるには垂直堀りで二十七メートルですよ」
「なるほどそりゃそうだな。わかった、うちは買わないよ」
「水沢さんから直接の電話ですか」
「いや女からだった」
「そうですか、情報提供ありがとうございます」
「それからね、俺はもうどっちみち産廃からは手を引こうと思ってるよ」
「オブチを閉められるんですか」
「いや神田に譲るよ」
「なるほど」
「社名もね好きなように変えていいって言ってんだ。そしたら神田商事にするとよ。地味な名前だねえ。あいつも地味だからいいけどな。そういうわけだから神田を面倒見てやってくれよ」
「わかりました」
どうやら水沢は本気のようだ。事態の急展開に伊刈は電話を切るなり天井を仰いだ。
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