海の家

 君浦海岸は犬咬きっての海水浴場で、北には犬咬漁港ポートタワー、南には犬咬岬灯台を臨む屈指の眺望を誇っていた。ビーチサロン浜中は十数軒立ち並ぶ海の家の左端にあった。間口は十五間、奥行きは二十間で、大きさだけは君浦海岸最大だった。八月も終わり近くなると南洋の台風の影響でうねりが高く遊泳禁止の日が多くなる。海の家の営業はお盆が峠だ。泳げなくても波打ち際で遊ぶ海水浴客はまだそこそこ途絶えていなかった。作業服を着たチームメンバーは海岸パトロールのように見えて違和感はなかった。スラックスにワイシャツ姿の伊刈だけはちょっと浮いていた。

 「水沢の海の家のオーナーはやっぱり狐澤なんですか」砂浜に革靴をもぐらせながら伊刈が長嶋に聞いた。

 「浜中の名義は狐澤の舎弟になってました。やつが実質オーナーと見ていいんじゃないすか。ここの海の家の半分が大耀会っすね」

 「あとの半分は」

 「残りは滝元連合っすね」

 「テキヤの組合か」

 「班長は海の家も詳しいんすよね」

 「いろいろ勉強したよ。海の家を出すには県庁に国有地の使用料を払うだろう。月に坪千円くらいだから百坪の海の家なら夏の三か月で十万円だ。ただみたいなものだけど海の家の組合に入会費を払わないと出店できない。それがなんと一夏五百万円だって聞いたよ。これって会費じゃなくみかじめ料だろう。たかが海の家でも表と裏があるんだって思ったよ」

 「まあそおっすね」

 「不法投棄やってた水沢が海の家もやってるってのもちょっと目から鱗だな。つまりどっちも同根てわけだ」

 「ヤクザはどんな凌ぎだってやりますからね」

 「結局追っかけてるものは同じだったってことなのかな。つまりこの社会の二重権力構造っていうか」

 「班長、俺にはそんな難しいことはわかんないすね」

 「つい調子に乗ったよ」浜中の看板が見えてきたので伊刈も話をやめた。

 ビーチサロン浜中では学生アルバイトが男女の差別なく働いていた。一昔前なら海の家の店番はかけだしのチンピラの仕事だった。今はそんな時代ではない。海の家のオーナーの大半がヤクザだってことも海岸全体の秩序をヤクザが管理しているってことも学生もお客も誰も気にしていない。そんなことをいちいち気にしていたらパチンコ屋にも行けないしキャバクラにもマッサージ店にも雀荘にもどこにも行けない。

 「店長いるかな」伊刈が男子学生のアルバイトの一人に声をかけた。サーファーなのか真っ黒に日焼けした肌の裏にしっかりと筋肉がついていた。

 「奥にいると思いますよ」

 オープンカフェ方式の海の家の奥に十坪ほどのプレハブの帳場があった。カウンター越しに中を覗くと、ねじり鉢巻をした水沢の大きな頭が見えた。

 「社長」池沼がいまだに水沢を社長と呼んでいたのにならって伊刈はわざとそう呼びかけてみた。

 「おお、これはこれはみなさんおそろいでご苦労さんです。海岸まで不法投棄のパトロールですか」水沢は精一杯の社交辞令で答えた。

 「そうじゃないよ。社長の様子を見に来たんだ」

 「そおっすか。ご覧のとおりでねえ、夏の間はなんとか凌いでますよ」

 「せっかくだからなんか飲んでいくよ。アイスコーヒー四つ頼む」

 「へいまいど。アイコ特大四つ」

 「普通のでいいよ」

 「うちのは全部特大っすから。でっかいだけがとりえっすから、はは」水沢は大げさに笑った。

 テラスの一角のプラスチック製の椅子にかけて待っていると長身の女子学生がアイスコーヒーを運んできた。グランデサイズの大きなプラスチックカップにはクラッシュアイスがたっぷりと入っていた。アイスを抜けばコーヒーの量はたいしたことはなかったが、蒸し暑い海岸で飲むにはこの方がいいかもしれなかった。

 「ところでよう伊刈さん、女が世話になってるんだってな」いきなり水沢が切り出した。

 「世話なんかしてないけど」

 「相談乗ってやってくれよ。あの女には苦労ばっかさせてっからよ。だけど見かけよりずっと気立てのいい女なんだぜ」

 「見かけも悪くないですよ。社長にはもったいない」

 「そうかい」

 「まだ付き合ってるんですね」

 「俺は金がねえからなあ。知ってると思うけどここだって俺の店じゃねえしな」

 「水沢さんは産廃からは足を洗ったんですよね」

 「だってよう欠格なんとかで俺の名前はもう使えねえんだろう」

 「五年間だけですよ」

 「まだ執行猶予も明けてねんだ」

 「それが明けてから五年ですね」

 「きついわなあ」

 「この間は世話になりましたね」

 「あああれか。いいってことよ。ほんの罪滅ぼしだわな」

 「社長、はまぐり来ましたけど、どうしますか」男子学生の一人が水沢を呼びにきた。

 「ああそうか。じゃいま行くわ。ブツを見てみねえと魚屋に騙されっからな。はは、夜はここは焼きハマ屋になるんですわ。浜小屋ってのは昼間は暇そうに見えっけど夜がめっぽう儲かるんでね。まあゆっくりしてってください」水沢はガラにない愛想を言うと帳場に戻って行った。学生たちに囲まれているせいなのか東洋エナジアの社長時代よりも血色がよくなったように見えた。

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