アメリカ村

 伊刈はかえって意地になっていた。翌週には阿武隈運送本社の立入検査を実施するため東京郊外の稲荷市へと向かった。車は横須賀、横田などと並ぶ米軍基地のあるいわゆるアメリカ村に入った。ハンバーガー店やミリタリージャケットの古着店が並ぶ町並みにはアメリカの田舎町に迷い込んだような異国情緒があり、テレビドラマやファッション雑誌のロケ地として重宝されていた。しかし軍用機の騒音や事故、米兵の治安への不安から住宅開発は敬遠され、地域の経済は活況とは言えず、地価が安いせいか産廃業者が多かった。そんなアメリカ村を外れて寂びた住宅地を進むと阿武隈運送の処分場が見えてきた。十メートルもありそうな高い塀でぐるりと囲われているのがとにかく目についた。カラー塗装の鋼鉄の塀は寂びた町並みと違和感があった。コンクリートの塀だったらさながら刑務所だ。阿武隈社長と岩見がダンプの搬入口で検査チームを待っていた。

 「なめてるな」車を降りる前から伊刈が言った。「検査があるってのに処分場は平常どおりの操業か」

 確かにXトレールを駐車場に入れる間にもひっきりなしに廃棄物を持ち込む四トン車が入ってきた。解体業者の廃材だった。検査中は余計な指導を受けないために搬入を停止する処分場が多いのに、阿武隈運送は管轄外の犬咬市には権限がないと高を括ったのかもしれなかった。混合状態の廃棄物が搬入されるや、すぐに数人の作業員が手際よく可燃物、不燃物、有価物に分けていた。いわゆる土間選別である。可燃物は焼却炉に投入され不燃物は破砕してから犬咬に自社処分場に埋め立てている様子だった。建設系廃棄物の処分場らしい単純明快で効率的なラインだった。しかしこの日の伊刈は何がなんてもお土産を持って帰るつもりでいた。

 「マルチ破砕をしているんですよね」伊刈は破砕物の保管場で足を止めた。保管場は二区画に仕切られ破砕物を落とすベルトコンベヤが移動できるようになっていた。マルチ破砕とは一台の破砕機で多品目の破砕をすることだ。

 「午前中は安定型、午後は管理型の廃棄物を破砕しています」案内役の島根工場長が答えた。

 「これはどっち」伊刈はベルコンがセットされている右側の保管場の破砕物を拾い上げた。

 「それは安定型です」

 「見たところ管理型ですよ。木くずも紙くずも混ざってるじゃないですか」

 「あとで篩いますよ」

 「手で篩うんですか」

 「ええ必要があれば」

 「スクリーンは使わないんですか」

 「トロンメルのことですか。うちは使いません」

 「なるほど」伊刈は左側の管理型破砕物の保管場に移動した。

 「こっちが管理型?」

 「そうです」

 「あんまり右と変りませんね」

 「そんなことないですよ」

 「石膏ボードはどっちにも入ってませんね」

 「ボードは最初から分けてますから」

 「破砕物に混入することはありえないってことですか」

 「そうです」

 「でも現に犬咬に来てますよ」

 「それはここからじゃないですね。ここではちゃんと分けてますから」島根工場長は自信ありげに答えた。

 「岩見さん、工場長はこう言ってるけどどうですか」

 「俺は工場のことはわかんないからね」岩見は不機嫌そうにそっぽを向いた。

 「これボードじゃないですか」遠鐘が管理型の破砕物を広げながら指摘した。一同が遠鐘の手元を覗きこんだ。

 「これはボードに使ってる紙ですよね」

 「どうですか工場長」伊刈がたたみかけた。

 「ちょっとは混ざりますよ。現場で潰しちゃってるボードもあるからね。その程度なら問題ないでしょう」

 「現場で混ざってしまったのは分けられないんですね」

 「ムリですね」

 「マルチのせいじゃないんですか」

 「違います。分けられるものはちゃんと分けています」

 「分けられないものは分けてないってことですね」

 「そう言われたらそうですが」伊刈のしつこい指摘に工場長は憮然とした表情で答えた。

 工場では決定的な問題が発見できなかった検査チームは住宅地の中にある事務所に移動して書類検査を実施した。これこそ伊刈のチームの独壇場だった。

 「決算書三期分と総勘定元帳を見せてもらえますか」喜多が開口一番に言った。伊刈の指示を待つまでもなく会計帳簿は喜多の担当になっていた。

 「いいけど」阿武隈社長はよほど自信があるのか書類を隠そうとせず請われるままになんでも見せた。

 長嶋と遠鐘はマニフェストの受託数量の積上げ計算を始めた。台貫台帳はなかった。大半が四トン車の持ち込み受注で台数も多く正確な計量はしていないのだ。伊刈は外注費の点検をした。

 「最終処分場への委託は一円もないんですね」

 「ああ、そうだよ」伊刈の質問に阿武隈はあっさりと答えた。隠し事は何もないと言いたげだった。

 「どうしてそんなに自社処分にこだわるんですか」

 「前にも言ったと思うけどさ、最終処分場と付き合いたくないからね」阿武隈がなんでも正直に答えるのを岩見が渋い顔で見守っていた。

 「最終処分場が高いからじゃないんですよね」

 「どこもみんな暴力団の息がかかってるんですよ」

 「そんなことはないでしょう。まともな処分場だってたくさんありますよ。昔の話なんじゃないですか」

 「昔も今もなんも変わらん。伊刈さんはまだまだ業界の裏をご存知ないんですよ。おまけに取引の途中にいろんな連中が挟まるし、誰それを通さないと付き合えないとか、いろいろ面倒くさくてね。あ、これも前に言いましたっけね」

 「リベートを要求されるってことですか」

 「金なら別にいいんだよ。そういう連中と付き合うのが面倒臭いってこと。わかんないと思うけどさ」

 「この工事費って費目ですけど、なんの工事ですか」伊刈は話題を転じて外注費の帳簿を阿武隈に示した。

 「ああこれはね、処分場の工事費だよ」

 「どこに払ってるんですか」

 「工事部長だよ」

 「岩見さんてことですか」

 「ああそうだよ」

 「工事費なのに一台八万円て計算ですね」

 「その方がわかりやすいだろう」

 「それから用地費という費目は」

 「ああそれは工事部長に土地を買ってもらったからさ」

 「処分場の土地の名義人は岩見さんでしたね」

 「とりあえず買っておいてもらったんだよ」

 「それを一台十五万円で買い戻しているってことですか」

 「ああ」

 「ということは一台二十三万円ですね」

 「なんかまずいの」

 「これなら安定型の最終処分場に委託したって同じ程度じゃないですか」

 「だからさ何度も言わせないでよ。料金はどうだっていいんだよ。ヤクザがやってる処分場とは取引しないんだ。これが俺のポリシーなの」

 「それで岩見さんに頼んでるんですね」

 「あんたもしつこいなあ」

 岩見に支払っている工事費と用地費の総額は年間一億五千万円にもなり、実費を差し引いた岩見の手取りは毎年五千万円になるだろうと伊刈は瞬時に見積もった。現場でかかる経費はユンボのリース料である。これはもはや阿武隈運送の自社処分場ではなく岩見の無許可処分場設置と無許可処分業だった。阿武隈運送は無許可処分場への委託基準違反ということになる。これは不法投棄に等しい重大な法律違反だった。だが、伊刈はあえてそのことをその場では指摘しなかった。バッチ(議員)がらみの案件なのでいまさら本課が行政処分や刑事告発に乗り出す可能性は薄いと思われたからだ。それより阿武隈運送を指導するための切り札としてとっておこうと即断した。

 喜多の受注金額の集計、長嶋と遠鐘の受注量の集計が終わった。台貫台帳がないにもかかわらずトータルの数字に大きな食い違いはなかった。伊刈が計算した自社処分量とも矛盾はなかった。つまり不正なルートへの流出はないということだった。

 「講評をしますよ」伊刈は手元の集計表から目を離して阿武隈に向かった。

 「なんでも言ってくれよ」

 「柴咲町の処分場では埋立物に木くず、紙くず、石膏ボードの混入を認めています。その原因を確認するために工場の状況と本社の帳簿を検査させてもらいました。その結果としてこちらの工場の破砕物に管理型の廃棄物が混入したまま柴咲町に搬入された可能性が高いと判断されます」

 「どうすればいいの」

 「柴咲町の処分場を一度完全に空にして廃棄物を再選別し、安定型廃棄物だけにしてから埋め戻してもらえますか。それから処分場の深さや面積が本課への届出の図面と違っていますので埋め戻しの前に処分場の形状を元に戻してください」

 「なるほど」阿武隈は腕組みした。

 「ちょっとあんたら」岩見が何か言おうと気色ばんだ。

 「工事部長は黙ってて」阿武隈が険しい顔つきで岩見を睨んだ。「いいよわかった。あんたらの言うとおりにさせるよ」阿武隈が腹を括ったように答えた。触らぬ神に祟りなし、それがこの業界を生き抜いてきた阿武隈のポリシーだった。神とはお役所、それとも暴力団、どちらにしても阿武隈は神が大嫌いなリアリストのようだ。

 翌日、岩見は阿武隈社長の代理人として環境事務所に改善計画書を提出し、その日のうちに柴咲町の廃棄物の掘り起こしを始めた。いったん持ち出してトロンメル(回転式ふるい)にかけてからまた埋め戻す二度手間だったが、資金を阿武隈が出すことになったので自身は痛くも痒くもなかった。阿武隈運送にはトロンメルがないので、それも岩見が手配することになっていた。改善計画書に移動式トロンメルを一時的に借りると書かれていたので無許可設置ではなかった。岩見はプロの中のプロだった。犬咬の穴屋の最高峰は嵐山でも三塚兄弟でもヤマジでも黒田でもなかった。最後に生き残ったのは阿武隈運送オンリーワンに徹した岩見だった。

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