既設偽装
伊刈から依頼を受けた土木事務所が滅失した赤道を復元するための境界立会いを召集した。水沢は意気揚々と現れたのに対して岩見は要請を無視した。
「ああいう連中とかかわりたくないんで境界立会は欠席しますよ」当日になって岩見は伊刈の携帯に電話してきた。しかしちゃっかり立会の様子を双眼鏡で伺っている岩見の姿を目聡い喜多が谷津越しに発見した。水沢が気付いていないのがかえって幸いだった。
地主の岩見が参加しないので立会は不調になった。それでも水沢の証言と公図がほぼ一致したので伊刈は土木事務所に現況図を作図してもらった。確定図ではないものの結果里道が阿武隈運送側に崩落している疑いが強まった。
阿武隈運送の処分場の亜硫酸ガス濃度は日に日に高まっていた。ガス検知管で測定すると崖上でも二百PPMを観測した日があった。東洋エナジアの不法投棄物がガスの発生源だとすればこれほど急激な濃度の変化はありえないことだった。伊刈は阿武隈運送の埋立て物の再調査を通告し、安全のために硫化水素の吸収管を着けたガスマスクを装着して現場に向かった。ガスの噴出口での硫化水素濃度はガステックの測定限界を超えており、埋立物の温度は八十度もあった。噴出口を手掘りしてガスの発生源となる石膏ボードも確認した。
「違法な廃棄物の埋立てが確認されましたので埋立中止を命じます」伊刈は改めて岩見に通告した。
「え、なんのことだよ」電話口の岩見があわてた様子で問い返した。
「石膏ボードが出ました。そこからガスが出てるんです」
「それは東洋エナジアが不法投棄したもんだろう」
「いいえ最近埋められた新しいものです」
「そんなはずねえんだけどなあ」
「明日、掘削検査を実施します。協力してもらえますか」
「協力しないと言ったら」
「市で調査をします。それまで搬入停止を命ずる勧告書を作成します。勧告ですから強制力はありません。ですが無視したら処分に切り替えます。処分を無視したら収集運搬業の許可取消処分をします」
「そうするとどうなるんだよ」
「東京都の処分業の許可も連座して取消しになります」
「なるほどお役人さんは一方的だね。言うことは聞けってことかい。掘ればいいんだな。いつだ?」
「明日の九時でどうですか」
「わかったよ。ユンボ回しとくよ」
「それから東洋エナジアとの境界の赤道が崩落してますね」
「あっちがやったんだろう」
「いいえ公図から見ると阿武隈運送側に崩落している可能性が高いですね」
「ふうん」
「赤道がなくなっているとなるとちょっとまずいですよ。国有地ですから」
「土地がなくなったわけじゃねえだろう。崖が崩れたって土地はある。そうだろう」
「赤道が処分場内にあるとすると面積が三千平方メートルを超えてしまいます。つまり無許可処分場設置になります」
「国有地は使ってないよ」
「そうでしょうか。国有地にゴミが入っていれば処分場の拡張ですよ」
「だから入れてないって」
「それも明日調べます。この間の土木事務所の立会いに来てくれたらよかったんですよ」
「水沢が出てただろう。あいつとは会いませんよ。とんでもないやつでね。不法投棄現場を買えって言ってきましたよ。両方合わせればいい処分場ができるってね。冗談じゃない」
「いくらで買ってくれって言ってましたか」
「一億円のところ大負けに負けて一千万円でいいとね。不法投棄現場なんか一億円もらったって要らないでしょう」
「なるほど」
「どんなやつかわかったでしょう」
「とにかく明日、お願いしますよ」
「お手柔らかに願いますよ」岩見は渋い声で言うと電話を切った。
翌日岩見は約束どおりにユンボを回送してきた。
「どっから掘ればいいんだよ」岩見は面倒くさそうに言った。
「一番奥の沢の縁を掘ってください」
「そんなとこ掘ったら水が湧くじゃねえか」
「地下水位を確かめておきたいんです」
「ふうん、まいいか」岩見はユンボをゆっくりと処分場の奥に進ませた。
処分場は進入路の坂道から見て右手が崖、右手が沢だった。もともとは平らな台地が雨水を集めて流れる沢筋によって侵食を受けた地形だった。谷津の斜面が土砂採取業者によって削り取られ、その跡地に産廃が持ち込まれたのだ。沢の水位と地下水位は同じ水準にあるはずなので、深くは掘り下げられないはずだ。伊刈はそれを確かめようとしていた。ユンボのバケットが覆土をはがすと、すぐにゴミの層が出てきた。四メートルほど掘ったところで案の定埋め立てた廃棄物が浸水しているのが確認された。
「こんなもんだろう。これ以上掘ると崩れちまうぞ」岩見が運転席から顔を出して伊刈を見た。
「ずいぶん深いですね」
「あ? なんのこった?」
「本課から承継届けの添付図面を借りてきましたが、このあたりは沢より二メートル高いところから埋めるようになってます。掘ってもらった穴を見ると沢の水面と同じレベルですね。二メートル余計に掘ったんじゃないですか」
「ちょっと均しただけだろうよ。二メートルくらいなんだっつうんだよ」
「二メートルくらいってことはないでしょう。三千ヘイベかける二メートルで六千リュウベですよ」
「変更届けを出せばいいのか」
「既設処分場は変更ができません。変更するとなると一リュウベでも許可が必要です」
「じゃどうすりゃいいんだよ」
「深く埋めた廃棄物はいったん掘り上げて処分場の底面を届出の高さまで埋め戻してください」
「ちょっと待てよ」岩見は血相を変えた。
「そうしないと無許可処分場設置になります」
「おいおい」
「結論は後にしましょう。ここはわかりましたから今度は中央に移動してください」
「この穴はどうすんだ」
「本課に見てもらいますからそのままで」
「好きにするといいよ」
岩見は処分場の中央にユンボを移動した。伊刈は手を覆土にかざして温度が上がっている場所を探した。覆土をはがすと廃棄物から湯気が立ち上った。
「そのまま待っててください。組成検査の準備をします」
伊刈のチームはブルーシートを覆土の上に敷き、その上にバケット一掬いの廃棄物をぶちまけさせた。組成検査といっても埋立物を木くず、紙くず、廃プラスチック類など品目ごとにざっと手作業で仕分けするだけだった。プロの検査ならピンセットを使って小さな木片まで仕分けるのだが、そこまでする時間はなかった。それでも紙くずがかなり含まれていることがわかった。大半が石膏ボードの厚紙だった。それが発酵熱源になって廃棄物の温度が上がっていたのだ。石膏も出てきたが既にガスが抜けたあとでぼろぼろになっていた。伊刈たちの仕分け作業を岩見は無言で見守っていた。仕分けが終わった廃棄物が品目ごとの小山に分けられていた。一番大きな山は廃プラスチック類で容積にして九十パーセント以上を占めていた。その次が石膏ボードの紙くずでバケツに一杯程度の量があった。三番目は破砕機の残滓だと思われる小さな木片でバケツに半分程度の量があった。
「後で重量を計りますが安定五品目(廃プラスチック類、ガレキ類、金属くず、ガラスくず及び陶磁器くず、ゴムくず)以外の混入が明らかですね。ガスの発生源は石膏ボードですね」
「このくらいどおってことないだろう」
「森井町の処分場のものとはかなり違いますよ。工場の仕事の内容に変化がありましたか」
「俺は工場のことはわかんないよ。こっちを任されてるだけだからな」
「工場長じゃないんですか」
「名前だけだよ。工場には行ったことない」
「それじゃ工場にお伺いすることにしますよ。都内でしたね」
「あんたらさ」岩見は何か言いかけてやめた。「まあいいや。会社に来るなら社長に言っておくよ。いつ来るんだ」
「今日の検査結果をまとめたら連絡します」
「お手並みはわかったよ。楽しみに待ってるよ。」岩見は棄て台詞を履くとユンボの運転席に戻って撤収の準備を始めた。
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