偽装犯
特別とがめだてする理由はなかったのだが、住民になんとかすると約束した手前、伊刈は森井町団地にブローカーの岩見を呼び出した。岩見は阿武隈社長と共に現場に現れた。背が低くずんぐりとした体躯の阿武隈社長と背が高く農夫風ながら男前の岩見とはいろいろな意味で好対照だった。
「後で面倒になるといけないから社長にも立ち会ってもらうことにしたよ」岩見がにやけた表情で言った。
「住民から通報があったんですよ」伊刈が説明した。
「へえどんな」岩見はバカにしたように応えた。「どうせあのヒステリックなおばさんだろう」
「通報者が誰かは言えませんよ。とにかく今日は森井町と柴咲町と二つの自社処分場を検査します」
「こっちはねえ、もう先週で埋めて終わっちゃったんだよ。産対課とね完了検査の段取りをしてるとこなんだ。それでいいんじゃないかね」閉鎖の検査を控えているというのはほんとうらしく処分場全体がきれいに最終覆土されていた。いつの間に済ませたのかと思うくらいすばやい手際だった。
「本課は本課うちはうちですから」
「面倒だねえ。で、どうすりゃいいの」
「掘削検査をやります」
「せっかく被せたのにかい」
「ついでに覆土厚も見ておきますよ」
「あんたらがやれってんならやりますよ」岩見は自ら運転して回送車からユンボを降ろした。「で、どこを掘ればいいの」
「真ん中へんでいいですよ」伊刈はちょうど一反(十アール)ほどの処分場の真ん中を指差した。
「きれいにならしたのにキャタで壊れちまうなあ」岩見は恩着せがましく言うと、ユンボを処分場の中央に進めざっくりと覆土をはがした。いくら掘り下げても阿武隈運送の森井町自社処分場に埋め立てられた廃棄物の性状は変わらなかった。他社物を入れていれば異なった性状の廃棄物が混ざるので目視でわかるはずだった。
「問題ないようですね」伊刈はそう認めざるを得なかった。
「それはそうですよ。不法投棄なんてしちゃいませんよ。もういいんですか」岩見が勝ち誇ったように運転席から首を出した。
「埋め戻していいですよ」
「世話かけるねえ。やっぱり調べるだけ時間のムダでしょう」岩見は掘り上げたばかりの産廃を穴に戻し始めた。
「どうして次々と自社処分場を持ちたがるんですか」作業を見守りながら伊刈は阿武隈社長に聞いた。
「最終処分場と付き合いたくないからね」阿武隈は敗れた風船のように頬をすぼませながら答えた。
「どういうことですか? 最終処分場は値段が高いってことですか?」
「いや料金はどうだっていいんだよ。ちゃんと処理すればね、どうせ大した量は出さないんだし」
「じゃどうして」
「最終処分場はみんなヤクザでしょう。途中にいろんな連中が挟まるし、誰それを通さないと付き合えないとかいろいろ面倒臭くてね。だから自分で処分場を持ちたいんだ」
岩見だってヤクザみたいなものだとノドまで出かかったがやめておいた。最終処分場がみんなヤクザだから付き合いたくないという阿武隈社長の言葉は経験からきたものだろう。しかし伊刈には先入見にしか思われなかった。
「柴咲町の処分場も拝見します」
「あっちはまだ入れ始めて間もないよ」
「承継届けを出されたのは昨年度末ですよね」
「そうねえ、すぐに入れようと思ってたんだけど住民がうるさいもんだから様子を見てたんだ。だけどこっちが終わっちゃったからね」
「法律が改正されて自社処分場の設置基準が見直されたのはご存知ですよね」
「知ってるよ。面積にかかわらず許可が必要になったんだろう。だけど改正前に設置された処分場には既得権が認められてるだろう」
「それで処分場じゃなかったただの土採場を処分場だったことにする既設偽装が増えているみたいですね」
「おいおい俺がなんか偽装したってんなら見当はずれだぜ」覆土を終えてユンボを回送車のドライバーに任せた岩見が阿武隈の代わりに答えた。
「そうは言ってませんよ。ただどっちみち既設偽装も時間の問題ですよ。今に自社処分場って考え方がなくなりますよ」
「それならそれで次を考えるまでだわ。法律はどう変ったってゴミがなくなる日は来ないからねえ」
阿武隈の運転するベンツが検査チームのXトレールを先導するようにして柴咲町の処分場に移動した。岩見はわざとらしく国道を使わず県道と農道だけを走って処分場にたどりついた。崖下に立つと風向きのせいか硫化水素の異臭が立ち込めているのを感じた。
「臭いですね」伊刈が開口一番に言った。
「ガスは隣の不法投棄現場から出てんだよ。こっちはまだ入れ始めたばっかだからな」回送車の助手席から飛び降りた岩見が嘯いた。確かに処分場の崖の上にはかつて東洋エナジアが検挙された不法投棄現場が当時のまま残されていた。かたや十万トンの現場かたやまだ千トン程度の現場だ。東洋エナジアの不法投棄現場がガスの発生源になっている可能性は否定できなかった。しかし伊刈の記憶するかぎり東洋エナジアは硫化水素の発生源となる石膏ボードを受けていなかった。
「ガスが隣から来るってことは崖のすぐ向こう側にゴミが埋まってるってことですか」
「そうだよ。ぎりぎりまで掘ってあるんだ」
「こっち側の崖も掘り広げていませんか」
「それはないね」
「とにかくガス濃度を測定してみます」伊刈は遠鐘を見た。「ガステック持ってきて」
「はい」遠鐘が車に戻った。
「ガス濃度が問題レベルだったら搬入は停止してもらいますよ」
「なんでさ、原因はうちじゃないだろう」
「発生源を特定できるまではダメです」
「ちっしょうがねえなあ」岩見は納得していない様子だった。
遠鐘が水鉄砲みたいな形をしたガス検知管で硫化水素濃度を測定してみると百五十PPMあった。生命に危険はないもののかなりの高レベルだった。
「班長ここからガスが出てます」長嶋が崖際の覆土にできた亀裂を指差した。
「測ってみよう」
遠鐘がガス検知管を噴出口に当ててピストンを引くとみるみる検知紙が黒くなった。
「やばいです。測定限界超えてます」セットした検知紙の測定限界は二千PPMだった。それを超えているということは致死量だった。
「退避しよう」危険を察知した伊刈がメンバーに命じ崖上に避難した。
「しょうがないねえ。こんなのゴミがあればどこだって出るよ。どおってことないだろう。で、どうすりゃいいの」岩見が諦めたように言いながら伊刈についてきた。阿武隈は無言で渋い顔をしていた。
「日を改めてガスの発生源の検査をします」
「だから隣だって言ってんだろう」
「隣も呼びますよ」
「おいちょっと待ってくれよ。俺はヤクザ者とは会わないよ」
「水沢さんはヤクザじゃないですよ」
「似たようなもんでしょう。とにかくヤクザ者が来るなら俺は来ませんからね」
「ガスの発生源が判明するまで埋め立ては中止していただきます。いいですね」伊刈が念を押すように言うと阿武隈は渋々ながら頷き、岩見を無言で睨みつけるときびすを返した。
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