第14話 73階層ー2

「物語世界の中に生まれた、独自のルールを持つ亜種の物語世界って事か……厄介な所に来てしまったな」


「それでも、出口は見えたよ! あとは、そこに向かって駆け上がるだけさ!」




 少年の体調が回復した二日目の朝。3人は、大きな山を登っていた。


 『大きな山』という、なんとも抽象的な言葉のみを与えられた、物語世界モドキの意志は、標高600メートル程度という、微妙な高さの山を作り出していた。



 山の5合目辺りに差し掛かったところで、ルーラがフレアに確認を取る。


「フレア君、作戦は分かっているよね? 全ては君に掛かってるんだ」


 フレアは、その問いかけに、深い溜息をついた後、渋い顔で答えた。


「まあ、大きなクマってのが、どれ程強いかわからないが、倒して見せるさ」


 そう言いながら、軽く拳を握るフレアの腰には、剣が存在しない。代わりにサージの手に抜身の片手剣が握られていた。


「オイラに出来るかな? こんな重いの振れる気がしないよ……」


 サージは両手で握った剣を見つめながら、そう話す。フレアにとっては片手剣でも、小さな体のサージには大剣のように感じている事だろう。


 フレアは、落ち着きのないサージの頭をポンと叩く。それに反応したサージと目が合ったところで話しかけた。


「心配するな。俺が、クマを地に這わせる。お前は、動けないクマの心臓を貫くだけだ。何も難しい事は無い、自信を持つんだ」


 サージの目に決意が宿ったのを確認した一行は、さらに上を目指す。この世界を越えるための最初で最後の障害。大きなクマを倒すために。





 一行がクマの姿を発見したのは頂上だった。頂上は木など一切生えておらず、地面もならしたように平らだ。ここで戦闘してくださいと言わんばかりの場所であった。


 そして、クマの様子は、実にクマだった。確かに大きい。立ち上がれば3メートルはありそうだ。


 それを確認したフレアは、呆れた声でルーラに話しかける。


「あれは、世界中の生き物を殺せるような存在じゃないよな……。あれが何かって聞かれたら、俺はクマだって答えるぞ」


 それを聞いたルーラは、たまらず笑い出した。少し間を置いて、落ち着いた頃に、自分の考えを述べる。


「うん、確かにクマだ。でもまあ、あのサイズのクマって一般的には大きなクマだからね。物語の記述からは外れていないよ」


「フレアの兄ちゃん。本当にあんなの倒せるのか?」


 体の小さなサージからすれば、そのクマは、やたらと巨大に見えたのであろう。足が震えているのが、見て取れた。


「大丈夫だ。お前は素振りでもしておけ。すぐ出番が来るぞ!!」


 そう言い終わるとフレアは、大きなクマに向かって駆けだした。




 敵意を持って近付く存在に、気付いた大きなクマは、すぐさま立ち上がり、威嚇を始める。もちろんフレアは、そんな威嚇で怯む事は無い。目の前で立ち止まると、相手の動きを待った。


 クマは威嚇で振り上げていた右腕を、そのままフレアに向けて振り下ろす。


 ……やっぱりクマじゃないか! なんだその普通のクマパンチは。


 フレアもクマの腕に合わせて右腕を動かした。クマの腕にフレアのフックが直撃して、『ゴキッ』と、骨の折れる音が響いた。


「グァァァァァァ!!」


 そこでフレアは動きを止める。今回の戦いで絶対にやってはならない事、それはフレアが止めを刺す事だ。それをやってしまうと、物語世界モドキから出られなくなる可能性が高まる。



 現時点で大きな矛盾が存在しているにもかかわらず、世界が崩壊していないことから、世界のルールが大きく違う事は間違いない。本来は慎重に行動したいところだが食料がそれを許さなかった。



 態勢を立て直した大きなクマが、無事な左手をフレアに向けて振り下ろした。


「所詮は獣かっ!!」そう言いながら左のフックを放つフレア。それは右腕の時と全く同じ結果をもたらした。嫌な音を立てて砕ける左腕。合わせて響くのは、大きなクマの汚い悲鳴。クマの両腕がこれで潰された。



 怯む大きなクマに一歩踏み込んだフレアは、左ひざ目掛けてローキックを放つ。その蹴りは、クマの左ひざを砕き、そのまま右足までも狩り払った。


 足を払われた大きなクマは、砂煙を上げながら地面にその身を投げ出した。戦闘開始から一分もしないうちに、クマが地面に伏した。




「サージ! 来い!」フレアは、倒れたクマの首を踏みつけて押さこみながら大声で叫んだ。ルーラに背中を叩かれたサージは、剣を重そうに抱えて走り出す。


 大きなクマの横に立ったサージは、逆手に持った剣を高々と振り上げる。それに合わせてフレアが叫ぶ「どこでもいい! 動かなくなるまで突きまくれ!!」


 少し青い顔をしたサージが、「はいっ!!」と叫んで剣を振り下ろす。――――苦し紛れに転がろうとする、大きなクマに怯えながらも、何度も何度も繰り返し突き続ける。



 そして、その時は訪れた。大きなクマの動きが止まって、その体が眩いほどの光に包まれる。それを見たフレアとサージは、数歩あとずさり、次に起こる事を見落とさんと凝視し続ける。



 ――――光が消えた時、無傷のクマがゆっくりと立ち上がった。



 しゃがれた声でクマが吠えた「グオオオォォォォォン!!」その声に驚いたサージが、カチカチと歯がぶつかり合う音を鳴らしている。


 その時フレアの表情が激変する。その顔にあるのは強い怒り。抑えきれない衝動だった。


「チックショオォォォォォォォォ!! 何でこうなるんだ!!」


 言葉と共に、フレアの右腕が霞んだ。その直後、クマの頭が跡形もなく吹き飛び大地に血の雨を降らせる。



 その様子を見ていたルーラの表情も激変する。そこに浮かぶのは邪悪な笑み。目の前の光景が、楽しくて仕方ないと言わんばかりの、そんな笑みだった。そして話し始める。まるで別人のような冷たい声で。


「はっ! どんな気分? 最後の希望が音を立てて崩れる瞬間ってのは? 気付いたでしょ? そのクマは絶対に死なない。そう、貴方たちはここで飢えてやせ細り死んでいくの!!」


 ルーラは口調まで別人と化していた。その様子を見たサージは、大きなクマが復活した時以上に動揺を覚えたのだろう。力なくその場に座り込んでしまう。


 ルーラに向き直ったフレアが拳を震わせながら吠える。


「ルーラ!! 何のつもりだ。ふざけている場合か!! お前だって戻れないんだぞ!!」


 ルーラは、相変わらずニヤニヤと笑いながら、右手を空中にかざす。その手には、セディーラの書が現れる。その本を見せつけながらこう言い放った。


「バカじゃないの? ボクにはこれが有るんだよ? 帰れないわけないじゃない?」


「ルーラ……まさか……本気で……」




 その時、大きなクマが再び復活して、フレアに襲い掛かる。油断していたフレアは、直撃する寸前で何とか振り下ろされた右腕を受け止めた。そして、サージに叫ぶ!!


「サァーージ!! その女は強くない!! お前が、手に持つ本を奪え!!」


「……でも……」「でもじゃない!! さっさとやるんだあぁぁぁぁ!!」


 怒声を浴びたサージは、涙目になりながらルーラの元に走る。その手にフレアの片手剣を握りしめながら。


「いや、フレア君。ボクが弱いっていっても、コレには負けないよ?」


 そう言いながら、セディーラの書を持たぬ右手を使い、ホルスターからナイフを引き抜いた。そのナイフが殺意を持ってサージに襲い掛かる。


 当てる気が微塵も感じられない、大振りの上段切りを、軽く躱したルーラは、右手に持ったナイフをサージの左肩に滑らせる。瞬く間に血が噴き出して、肘まで血が流れ落ちていく。




 この瞬間、サージはルーラを敵と認識した。痛む肩など顧みもせず、両手でがむしゃらに剣を振るう。しかし……「絶対障壁」ルーラの言葉が無情に響き、サージの剣は肌に触れる寸前で止まってしまう。


 ルーラは満足げに頷いた後、手に持ったナイフを振り上げる。その時、目線はサージの首筋に向いていた。


 ルーラは戦士ではない。故に、視線によるフェイントなど、高度な技術を使う可能性は低い。視線の先がそのまま次の攻撃目標だ。




 絶対障壁の効果時間は10秒。ルーラが障壁を張って5秒経過した時。クマを押さえていたフレアが叫ぶ「デュアルブースト!!」四つの肉片が宙を舞った。


 クマには分からなかった。自分の両手両足がなくなり、地面に伏せている理由が。




 クマの四肢を消し飛ばしたフレアは、ルーラ目掛けて走る。辿り着いた時。絶対障壁の残り効果時間は2秒。走る勢いそのままにルーラの首を右手で掴み、後頭部から地面に叩きつける。


 地面に倒れて1秒後、ルーラの絶対障壁の効果が切れた。次に使えるのは5分後。もう絶対に間に合わない。


「サァーーーージ!! 今だあぁぁぁ!! やれえぇぇぇぇ!!」


 サージは剣を振り上げた。その目に涙をいっぱに溜めながら。そして、目を強く瞑って全力で振り下ろす。


 ――――鮮血の花がルーラの胸に咲いた。


「ぐぁ……あ……あぁ……………」


 ルーラは、少しの間、宙を掴むように手を伸ばしていた。やがて、その手がゆっくりと地面に落ちる。




 その様子を見たフレアは、首筋にそっと手を当てて脈を確認した。脈が無い事を悟った後、すぐに立ち上がりサージの腕を掴んで、引きずりながら歩く、クマの倒れている場所を目指して。


「さあ!! もう一度、こいつを殺すんだ!!」


 涙でグチャグチャになった顔で、サージが再び剣を振り上げる。目の前で四肢を失いもがき続けるクマに向かって。


「うあぁぁぁ!! くあぁぁぁぁ!! くそぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 何度も何度も振り下ろした。もう、その目はクマを見ていない。焦点の合わぬ目で、途切れることなく剣を振る。――やがて、その手がフレアに止められた。


 もうクマは息をしていなかった。それに気付かないサージをフレアが静止したのだ。


「よくやった。もう終わったんだ。……すまないな。辛い思いをさせた……」


 死んだクマは、もう光に包まれなかった。代わりに辺りの景色が少しずつ、少しずつ色を薄めていく。




「うっ……うっ……」嗚咽を上げるサージをフレアは優しく抱きしめる。そして、ゆっくりとルーラの遺体に目を向けた。そこには……。


「あー、痛かった!! フレア君は、いつもこんな痛い思いをしながら戦ってるんだね。死ぬかと思ったよ!! まあ、1回死んだんだけど」


「おっ……お姉ちゃん……どうして?」


 サージが驚くも無理はない。確かにルーラは死んでいたのだから。


「んしょっと!」気合を入れて立ち上がったルーラが、服に付いたホコリを払った後、二人に向かって歩み寄る。状況が全く理解できていないサージの頭を軽く撫でながらルーラは語りだした。


「サージ君は、『サージは敵を殺すと強くなる――強くなったサージは大きなクマを殺す』って書いたよね? 一度敵を殺して、強くなった君じゃないと、クマは殺せなかったんだよ。――その可能性も考えていたから、念の為、作戦を立てておいたんだ」


 そこで言葉をフレアが引き継いだ。


「サージの敵を演じられるのはルーラしかいなかったんだ。ルーラは2回までなら死んでも生き返る異能の持ち主だからな。……何か生き物が生きていれば、それを敵に見立てる事も出来たんだが……」


 苦笑いをしながら話し始めたフレアだったが、最後の方に差し掛かるにつれて、その顔は苦渋に歪んでいた。生き返ると分かっていても、ルーラに苦痛を与えた事実が、フレアにとっては耐え難い。


「そ、それなら最初から……言ってくれれば、良かったじゃないか……」


「教えたら敵だと認識しないからね。それじゃ、きっとクマは倒せなかったよ」


 この物語は、最初から出来損ないの物語だった。クマが生き物を消す。生き物が居ないから強化できない。強化できないからクマを倒せない。フレア達が来なければ、サージは確実にこの地で命を失っていた事だろう。




 ルーラはサージの肩をヒールで癒しながら、フレアに向き合う。自責の念がありありと浮かぶフレアの顔を笑顔に変えたかった。――だから言葉を投げかける。――偽りない自分の想いを打ち明ける。


「フレア君、そんな顔しないでよ。今、ボクは嬉しいんだ! ボクが描きたいのは君に守られて進む物語じゃない。二人の力で階層を駆け上がる、そんな物語なんだ!!」


 やがて、辺りの景色は完全に色を失い。その形をも曖昧にさせていった。それに合わせて耐え難い眠気が3人を襲う。――次に目覚めた時、恐らくそこは73階層の世界だろう。

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