第9話 75階層ー2

「そうか……願い、叶うと良いな」




 突如部屋に押し掛けてきた女性が去った後も、ルーラはフレアの部屋に居座っていた。


「危険だよこの世界は! 竜将なんて目じゃないよ! そこいらじゅうに危険が転がってるじゃないか! だからボクが、ここで見張りをする事にする」


 この世界に来たときルーラは気付いていなかった。だが、少し考えればわかる事なのだ。この世界の主人公が、優れた容姿や才能でハーレムを作る話ではない。唯一の男性であるという事が、主人公最大の武器である。


 そう、フレアだってこの世界では同じ武器を持っているのだ。そして、この世界の主人公が持たぬ武器だって幾つも持っている。


「わかったよ。じゃあ俺が床に寝るから」


「それはダメ! そうだ! 頭の向きを反対にして、一つのベッドで寝ればいいよ。君が窓側に頭を向けて寝て、ボクがドア側に頭を向けて寝る。うん、何の問題も無いね」


 どう問題が無いのか、いまいち分からなかったフレアだが、拒否しても無駄な事だけは分かっているので、その案を否定しなかった。




 そうしていると、『トンッ、トンッ、トンッ』ドアを叩く音が、二人の耳朶を叩く。ドアに向かおうと立ち上がったフレアの腕をルーラが強く掴んだ。


「フレア君、ボクが出るから、後ろに隠れているんだ。いいかい? 目を合わせちゃいけないよ? 襲い掛かってくるかもしれないからね」


 魔物相手でも見せた事が無いような警戒を行って、ルーラがドアを開く。……そして、ドアの向こうに居た人物を視認するや、そっとドアを閉じた。


「さあ、今日はもう寝ようか! 明日も早いしね!」


 すると『ドンッ!ドンッ!ドンッ!』と一際強くドアが叩かれる。ルーラは、絶対に開いちゃダメだと言うが、どんどんノックは強くなる。


「大事な用かもしれないだろ? 話くらい聞いてやろうぜ」


 そう言いながら、ドアを開けたフレアの目に映ったのは、光を反射して緑色に光る黒髪だった。視線を下げると、二人と同じ年ごろと思われる女性の顔があった。




 フレアと目が合うなり、女性は必死に訴えかける。


「あっ、あの、ここに居るって、聞いて! それで、来て…… あの、教えて、教えてくださいっ! どうしていいか、どうしていいか分からないんです!!」


 流石にフレアも面食らった。逆に何を言いたいのか教えてほしいくらいだ。それほど女性は取り乱していた。その様子を見て、フレアを狙う悪い虫では無いと判断したルーラが優しく話しかける。


「どうしたんだい? 落ち着いて話してごらん? ボク達で分かる事なら、教えてあげるから」




 二人は、女性が借りた部屋に移動していた。その部屋のベッドには一人の若い男性が横たわっていた。男性の顔はどす黒く変色していて、全力疾走の直後を彷彿とさせるほど、息が荒い。ときおり身体がビクッと痙攣をおこして、そのたびに苦痛の声が漏れている。


「教えてください! もう3日目なんです。今日中に何とかしないと死んでしまう!! そちらの男性が元気なのは、何か理由があるんですか? 治し方を知っているんじゃないですか!!」


 この女性は、街に健康な男性がやってきたという噂を聞いて、その秘密を探るべく二人を探していたのだ。そして、このホテルに滞在する事を調べ上げ、話しをするべく押し掛けてきた。




 ……ルーラなら、治せる。治せるが……また感染して数日後には同じ事になる……よな……。いっそこのまま楽にしてやったほうが、二人の為になるんじゃ……。


 フレアが悩んでいる間に、ルーラは男性に近付いていた。両手を苦し気に上下する男性の胸に当てながら、女性の目を見つめる。


「ボクにできるのは、一時の延命行為だよ。数日後には、また同じ状態になる。そして、ボク達は、君達のついてこられない場所に、もうすぐ旅立つ。それでも、やって欲しいかい?」


 女性は、言葉を失った。この時、女性の胸では、少しでも長く一緒に居たいという想いと、3日近く苦しんだ彼に、もう一度、同じ苦しみを与えたくないという相反する想いが、同じ強さでぶつかり合っていた。


 誰もが言葉を失ったなか、掠れた声が小さく響く。それは、ベッドに横たわる男性の声だった。


「……やって、……やってください。三日で良い。三日あれば……」


「ねぇ……」女性が男性の手を取って、目を潤ませながら話しかける「私の為なら無理しないでいいんだよ? もうこれ以上ね、苦しま……なくても……」


 その言葉を聞いた男性の手に力が入る。手を握り返しながら、思いを伝える。


「僕は、君の絵を……完成させたいんだ……三日あれば、描き上げる事が……」




 ――――「キュア」ルーラは静かに唱えた。男性の体から、視界を遮る程の瘴気が立ち上り、それが消えた時、男性は発病前の姿を取り戻していた。





 作者によって創り出された、男性だけが死ぬ病。それに掛かった男性を癒した二人は、抱き合う男女を置いて、フレアの部屋に戻っていた。


 部屋に戻ってから、二人は一切会話をしていない。フレアがベッドに潜り込むと、続いて足側にルーラが潜り込んだ。


 その夜、二人の部屋の明かりが消える事は無く、ただ本のページめくる音だけが、朝方まで鳴り続けていた。




 翌朝、目を覚ましたフレアは手足に複数の痒みを感じた。見れば、虫刺されのような跡が幾つも存在している。そのうちの一つを指先で突いていると、それを見たルーラが原因を伝える。



「やっぱり刺されたね。それが病気を媒介してるんだよ。刺した犯人は蚊だよ」


「じゃあ、あの二人も蚊の対策さえしっかりしていれば、もう病気になる事はないんじゃないか?」


 それは、当然の疑問だった。そして、誰でも思いつく疑問。


「初登場は、ただの蚊として書かれていたんだ。でも、それに作者も気付いたんだろうね。それじゃ、地上の男性を全員殺せない。……そして、次に蚊が書かれるとき『物体を通り抜ける特殊能力を持った蚊』って、新たな設定が書き加えられているんだ。それで物語の穴を埋めたんだね」


「チッ! 要らんことをしてくれる……」


 苛立ちの色を、顔に浮かべたフレアのとなりで、いつもと変わらぬ表情のルーラが、少し乱れた栗色の髪を撫でつけながら、立ち上がった。


「さあ、出発するよ。寄るところがあるからついて来てね」




 ルーラに連れられて辿り着いたのは、昨晩、治療を行った男女の部屋だった。ドアをノックすると、女性が顔を出す。少し驚いた表情を見せた事から、事前に連絡はしていないと、フレアにも察する事が出来た。


「君達を救う僅かな可能性が見つかったんだ。それは、荒れる大海に投げ出された者に差し出された、1枚の板きれにも等しい、儚い生存への道筋。……それでも懸けてみるかい?」


 ルーラはそう言った後、女性に右手を差し出した。そして、女性の手が、ルーラの右手をしっかりと握り、脇役の恋人たちが生存を目指す物語が幕を開けた。




 それから一週間、4人は馬車の旅をつづけた。


 二人の旅に加わった男性の名はサガン。出会った街を管理する領主の息子だった。女性の名は、フィア。領主の屋敷で働く家政婦。――脇役でありながら、なんとも物語じみた組み合わせであった。



 辿り着いたのは、古代ギリシャを彷彿とさせるような遺跡だった。今にも崩れそうな石の柱の間を縫って進んでいると、高さ2メートルほどの石碑が見えてきた。そして、ルーラはその前で足を止める。


 ルーラは石碑を指でなぞりながら、それを見つめる3人に語り始める。


「これがね。地下世界への扉だよ。この石碑が結界をはっていて、大モグラが外に出られないらしいんだ」


 そこまで聞いたフレアが前に進み、拳を構えた。


「よし、皆下がってろ。近くに居ると破片で怪我をするぞ」


「ちょーーい!! フレア君ってそんなに脳筋だったっけ!? 待って待って待って、その石碑もクリエの一種だってば。壊したら大変な事になるよ!!」


 それを壊せば石碑どころか世界が壊れる。それが分かっているルーラは、必死にフレアを引き留めた。


「そうなのか? じゃあ、どうやって開くんだよ」


「サガン君と、フレア君が居れば、簡単に開けられるよ」




 サガンはルーラの指示に従って、石碑の裏側に回り、中心あたりに手を置いた。フレアは、表側の中心辺りに手を添える。そして「「開門!!」」二人が発した言葉に反応した石碑が、台座ごと横に移動した。石碑が最初に存在していた位置には、下へと続く階段が存在していた。


 全員が階段に入ったところで、ゴゴゴゴゴゴゴと石材が擦れる音を立てながら、階段への道は再び閉じられた。


 階段を下りながら、先程の石碑の事を考えていたフレアは、ふと違和感を覚えた。扉の開け方があまりにもおかしい。


「なあ、男が居ないに等しい世界なのに、男が二人いないと開けられないって、酷い設定じゃないか?」


「ああ、それかい。免罪符なんだよ。ただ『ハーレムを作って楽しいな』じゃ最低の主人公みたいじゃないか。主人公は自分の性質を受け継いで、病気にかからない男の子が産まれるのを待ってるんだ。大モグラを倒すためにね……まあ、結局、完結するまで一度としてこの扉は開かれないんだけど」


 ルーラは詳しく話さなかったが、ハーレムを作る正当性以外にも、故郷の地下世界を捨てて、逃げ出した事に対する免罪符でもある。


 実際のところ、最初にその設定が描かれただけで、次にこの場所が書かれるのは、最後の最後。石碑に手を置きながら『いつか必ず、戻ってみせる』の一言で物語が終わるのである。





「ルーラ、それじゃ受付の女性は、念願の子供がもし男だったら……」


 フレアの歩みが無意識に止まる。喜びから一転、深い絶望に突き落とされた女性の姿が目に浮かんでしまったから。


「それは大丈夫。作者だって、楽しいハーレム生活に、悲嘆にくれる母親の絵とか描きたくないじゃないか。妊娠したのも気付かない内に、母親が持っている病原菌に感染して、死んでしまうって設定だよ」


 そう言いながら、自分の腕にある虫刺されの痕をフレアに見せた。




 二人の会話をいままで黙って聞いていたフィアがおずおずと口を開く。


「あの、やっぱり教えては、もらえませんか?」


「うん、ダメ。何も知らないのが君たちのためなんだ」


 フィア達は、何も質問しないという約束で連れて来られていた。話の前提にある物語世界の仕組みを知らないフィアとサガンには、二人の会話が半分も理解できていない。


 もし世界の仕組みを教えたとしても、世界の意志に支配されている彼等には、この世界を崩壊させるような行動を起こす事はできない。だから、教えても問題無いのだが、この世界の未来は決して明るくない。主人公と、その周りの女性は幸福になるが、それ以外の人間にとっては、生き辛い世界だ。故に、教えないのが優しさというものだろう。




 地下世界へと続く階段は、降りる程に明るくなっていく。それは、壁に生えた発光する苔が、下るほど増えていくのが理由だ。そして、階段を抜けた先は、地下世界の天井付近だった。


 4人は言葉を失い、辺りを見渡した。今居る場所は、地下世界の頂上。そこから下に向かって、急で細い下り坂が続いている。下り坂の両脇は切り立った崖になっており、視界を遮るのは坂のみで、地下世界の全貌が確認できる。


 流れる川に、しげる木々、天井には太陽のように輝く巨石。鳥が飛ぶ姿まで見える。そして、住居だ。……住居が集まり村を形成している。


「これは……天井がある以外は、地上と何ら変わらないじゃないか……」

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