第7話 76階層ー3

 収容所に現れたフレアとルーラに、魔族たちが襲い掛かる。




 魔族の数は軽く200を越えそうだが、200人で二人の相手を同時に攻撃する事など、できはしない。それは、1匹の蟻を10人が同時に踏み潰そうとするようなものだ。――だから、手近に居た3人が殴りかかる。


 この時、攻撃に参加していない魔族たちは、自分の出番があるなどとは、思っていなかった。彼らの認識だと、人間相手では1対1でも過剰戦力。人間10に魔族1で丁度良いくらいだと考えている。


 心配な事があるとすれば、勢い余って殺してしまい、ダガズサの逆鱗に触れる事だけだ。そうなってしまったら、どれ程の血が流れるか、分かったものではない。


 しかし、その考えは間違いだった。そもそも、空から落ちてきた二人が無傷な時点で、その異常さに気が付くべきだったのだ。人間が落ちてきた驚きと、ダガズサの怒りの声、二つの動揺が波状に襲い掛かり、誰もその事に気付けなかった。


「ぐぁ!」「がぁぁ!」「グェッ!」


 殴りかかった魔族が、ほぼ同時に宙を舞った。それは、比喩ではない。実際に地上4メートル付近まで、その体が飛ばれている。


 それをやったのは、たった一人の少年だった。少女の方は、腰に両手を当てたまま、動く気配すらない。




 続けて3人が襲い掛かったが、二人は瞬く間に空に飛ばされた。残り一人は、殴り飛ばされた勢いで、周りで見守る魔族の群れに突っ込んだ。その勢いは投石機で発射された岩石如く、巻き込まれた魔族の体までをも破壊する。


 流石に、魔族達も、その人間の異常さに気が付いた。既に誰も、少年に向かって行こうとはしない。逃げる事を思いつき、身体を反転させようとした、魔族達の目に映ったのは、顔を怒り一色に染めたダガズサの姿。


「んー。フレア君、この中にクリエは居ないみたいだよ」


「そうか、それなら一安心だな。……あの娘を泣かせずにすみそうだ」


 動揺する魔族の耳にそんな会話が飛び込んできた。何の緊張感も感じられない声、まるで日常会話でもしているようだ。それがなお、恐怖をかきたてる。


「キサマらぁぁぁ!! 何を止まっている!! ぶち殺されたいのか!!」




 進むも地獄、戻るも地獄、板挟みになった魔族は、間違った選択を選んでしまう。そちらへ向かわなければ、助かる可能性は決して低くなかったというのに。


 少年に立ち向かった魔族達が、一撃として当てる事ができぬまま、次々と倒されていく。あるものは頭を潰され、あるものは、内臓を破壊しつくされ、五体満足でいられた者など一人も居ない。


『恋物語の脇役たち、人間よりも強い存在』そんな陳腐な設定で誕生した脇役が、戦いの世界に生み出されたフレアに敵うはずなど、なかったのだ。




 業を煮やしたダガズサがフレアに歩み寄った。残った魔族の群れが綺麗に割れて、道ができあがる。ダガズサは恐れる様子もなく、その道を一歩また一歩と踏みしめる。


 三本の腕を腰に置き、残り一本の手でフレアを指さしながらダガズサが口を開く。


「キサマ! よくもやってくれたな……ここからは、特別に俺が相手をしてやる」そう言って、フレアに向けた指を下げながら「遠慮はいらんぞ。それを抜いてかかってこい!!」その指はフレアが腰に差した剣に向けられていた。


 ダガズサが言う通り、ここまでフレアは一度も剣を抜いていない。襲い掛かる魔族を全て素手で倒していたのだ。


 その言葉に、フレアは平坦な声で答えた。まるで差し出された飴玉を断るかのように。


「いや、素手でいい。お前が思うより、剣を研ぐってのは大変なんだよ」


 フレアは、挑発したわけではない。思った事をそのまま言っただけだ。フレアは理解していた。この魔族が全員でかかったところで、竜将に傷一つ付けられないと。それどころか、ストーンゴーレムを倒せるかすら怪しい。




 物心ついた時から、負けた記憶など一度もないダガズサにとって、その言葉は、どこまでも許し難く、どこまでも屈辱的で、理性を吹き飛ばすには十分の破壊力だった。


「こんのクソガキがあぁぁぁぁ!! 殺す、殺す、ぶち殺してやるぞぉぉぉぉ!!!」


 ダガズサは素手で殴りかかった。腰に佩いた剣を手に持つ事無く。フレアに対して剣を使う事は、どんなに理性が失われていても絶対に出来なかった。したくなかった。もし、持っていたとしても結果は変わらなかっただろうが。


 殴りかかった右腕が、胴体から外れて宙に舞った。続けて放たれた左腕は、決して曲がってはいけない方向へ折れ曲がった。後ろへ下がろうとした右足が着地の前に無くなって、そのまま後頭部から、地面に転がる。


「ぐぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!」




 ――――こ、この人間は、今、何をした……見えなかった。気付いたら手足が……マズイ、マズイ、マズイ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ! このままじゃ殺される!! 殺されてしまう!!


「まて、まって、待ってくれ。降参だ、降参。そう俺の負けだ。……ここにいる捕虜を全て解放するから。……そうだ、まだ中に残ってる捕虜も開放する」


 そう言って、ダガズサは4本の腕のうち残った2本で、二つのポケットを、少しの間まさぐり、鍵束を取り出した。そして、それをフレアに向けて差し出す


「まあ、降参するって言うなら、終わりにしてやるよ。別に虐殺がしたくて来たわけじゃないしな」


 この時、ダガズサは、ポケットの中で一つのケースを開き、中に入っている、細い針を取り出していた。目を凝らさなければ見えないような細い針。その先端には、大型の獣すら一瞬で死に至らしめる猛毒が塗られている。


 その針は、鍵束と一緒に握られている。鍵束を受け取ったフレアの手に、ちょうど刺さる位置に調整されて。


 ――――馬鹿正直に、手を出しやがった! そうだ、掴め、掴め!! これでキサマはおしまいだ…………。




 鍵束に手を伸ばしたフレアは、人差し指と親指で、針だけを摘まんで引き抜いた。そして、無造作にその針をダガズサの眉間に突き刺す。その動きに何の迷いもなかった。まるでそこに針がある事を、事前に知らされていたかのように。


「余計な事をしなければ、死なずに済んだのに……つまらない最終回になったな……」


「え!? な、なんで、なんで? なぜ気付いたぁぁ! グッ、うぅぅ、ガハッ……ぐぇぇぇ……」 


 ただでさえ即効性の毒を、脳に近い眉間に突き刺されたダガズサは、疑問の答えを聞く事もできず、泡を吹いて痙攣しはじめ。1分と経たぬうちに、完全に沈黙した。




「……………………………………………」



 暫しの沈黙の後、捕虜たちの歓声と魔族達の悲鳴が同時に響き渡った。



「……うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」


「……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」




 脱兎の事く逃げ出す魔族達と、抱き合い喜ぶ人々の姿、そんな喧騒など我関せずといった感じに、フレアとルーラは、磔にされた夫婦の元へ歩み寄った。


 ルーラがホルスターからナイフを抜き取り、二人を縛るロープを切っていると、夫婦が懇願してくる。


「お願いします。娘も助けてください。まだ、中に囚われているはずです。どうか……どうか……」


 ルーラは「ちょっと待ってね」と言いながら二人のロープを切断して、ナイフをホルスターに戻したあと、一枚の紙を夫婦に差し出した。


「あの? これは?」困惑の表情を浮かべ、紙に目をやる夫婦。そこには、地図が書かれていた。


「逆なのさ! 娘さんに君たちを助けるように頼まれたんだ! その場所に行ってごらん? そこにある小屋で、二人が来るのを待っているよ」


 渡した地図に記されているのはヒロインの生家だった。二人は、少女を生家に残し収容所に戻って来たのだ。




 そうしている間にも、囚われていた人々がフレアとルーラを取り囲み大きな輪が出来上がっていた。ルーラは、その輪の中に、片腕をダランと下げた青年の姿を見つけ出した。


「そこの君! こっちへおいで!!」


 呼ばれた青年は、何事かと驚きつつも、ルーラの元へ歩いてくる。青年の肩が折れて、腕をまともに動かせる状態で無いのは、素人目にも明らかだった。


 そこに座って、と言った後、肩に右手をかざし「ヒール!!」治療の魔法を唱える。下がっていた肩が元の高さに戻り、青く変色していた首筋が肌色に変わっていく。


「え!? こ、これは……痛みが引いた……腕が、腕が動くぞ!! 貴女が治してくれたのか? も、もしかして、貴女はアスティネス様ではありませんか? そして、彼は、その戦士ダグース様!!」


 この世界の人間が信仰する女神の名がアスティネス、その女神と行動を共にするのが戦士ダグース。これは、この世界の作者が創った設定で、物語に登場するのは名前だけ、ストーリに関与しない存在である。


 言うまでも無く二人は、そんな大層な存在ではない。なにせ、創造主の居ない脇役なのだから。しかし、魔法の無い世界で、ヒールは奇跡に近い。民衆が神と勘違いするのも仕方のない事だ。


 ちなみに、物語を読んでいたルーラは、神の存在を認識していた。




「ふっふっふー! 良く分かったね!! 何を隠そう、私がアスティネスさ!」


 胸を張って高らかに宣言するルーラを見て、フレアは面食らった。


 ……待て待て待て待て!! こいつは何を言っているんだ!! なんて、思ってる場合じゃない! 直接言わないと!!


「おい! いきなり何を言い出すんだ!」


「アスティネス様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 もう手遅れだった。耳を覆いたくなるような大歓声。奇声じみた声まで混ざって鼓膜を揺らしに揺らす。 


「良いから、ダグース君は黙っててね」フレアに余計な事を言わないように釘を刺したルーラが、パンパンと手を打ち鳴らしながら、民衆に向かって語り掛ける。


「はい!! 静粛に!!」その言葉は後方までは届かなかったが、聞こえた人間が周りに伝えて、徐々に歓声が小さくなり、暫く後、静寂が訪れた。


 それを見たルーラは、よしっ! と頷き、本題に入る。


「はーい! これから神の予言を皆に伝えまーす! 皆さんはこれから、シュザヴァの街に向かってくださーい!! そこで4年間耐えれば、争いの無い未来がやってきまーす!! それまで頑張ってくださーい!!」





「ついてきちゃダメだよ?」という神命を残して、収容施設の中に入り込んだ二人は、ゲートに向かって歩いていた。


 持て囃される事に慣れていないフレアは、あまりの動揺に、ここまで口を開かず歩いてきたが、それもようやく落ち着いて、ルーラに疑問をぶつける。


「さっきの演説はなんだったんだ?」


「ああ、あれね。シュザヴァの街が人類の最後の砦になるんだよ。そして、攻められる前に、魔族と人類は和解するんだ。だから、そこに行けば生き残れると思ってさ」


「なるほどな。話に信ぴょう性を持たせるために神を僭称したって事か。そこまで考えていたなんて、ルーラは頭が良いんだな」


 そう言われたルーラは、拳を作って、ポカポカとフレアの肩を叩きながら抗議する。


「だーかーらー、ボクを褒めないでよお! なんか、口元がムニムニする」


「さっきまで、散々崇め奉られていたじゃないか。何をいまさら」


 フレアに突っ込まれた、ルーラは頬を赤らめて、口をとがらせながらこう言った。


「知らない人に褒められるのと、フレア君に褒められるのじゃ、違うんだよ!!」



 この日の早朝にヒロインは魔王城に送られていた。セディーラの書に止められる事無く、施設内を自由に歩き回った二人は、一つの牢に辿り着く。


「さあ、向かうよ! 75階層へ!」


「ああ! 原初の世界目指して一気に駆け上がろうぜ!」


 誰にも邪魔される事無くゲートを開いた二人は、75階層に向けて、新しい物語のページを開いた。

 

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