されど青春は放課後に
朔立
プロローグ これはきっと何かの罠だ。
駅のホームで帰りの電車を待っていた。
夕焼けの中、ペンキの剥がれかけたベンチに腰を下ろす。
徐々に帰宅ラッシュが始まる時間帯のため、ところどころにスーツを着た大人たちが立っている。
あそこに立っている初々しい彼、きっと今年から就職したばかりなのだろう、ピシっとシワ一つないスーツを身にまとい、心なしかこれからの出世ライフを夢見ているかのように爽やかな表情をしている。だが、その希望溢れる新社会人の後ろに立つ三十代半ばぐらいの男性。彼の表情はどこか暗く、希望と言う名の言葉をどこかに置いてきたかのようだ。目は虚ろで、ここではないどこか遠い所を見ているかのような覇気の無い目だった。おそらく今日も上司に口うるさく文句を言われたのだろう。年を取っただけで偉いと勘違いしている老人ほどめんどうくさいものはない。初々しい彼も数年後にはこうなってしまうのだろうか。
はぁ、大人になりたくねぇ。
言葉にしないため息を漏らし、将来苦労しているだろう数年後の俺に心で敬礼した。
「間もなく電車がまいります。黄色い線の内側でお待ちください」
そうアナウンスが告げ、希望溢れる新社会人と「希望? 何それおいしいの?」と表情全体で訴えかけてくる覇気なき男の後ろに並んだ。
一応この二人にも心で敬礼をしておこう。
電車のドアが開き、ホームにいた人達が吸い込まれるように車内へ入り込む。皆疲れているので、この時間帯の車内はどんよりしている。
俺は少し前に並んでいたこともあってすんなり座席に座ることができた、ドアから一番近いこの座席が一番競争率の高い席である。
この座席を狙っていたサラリーマンたちに心で謝罪しつつ、ありがたく座ることにした。一応俺も疲れているので許してほしい。
座席競争に出遅れた人達が吊革につかまっている。それでも数人である。結局のところ、田舎の電車なので満員になるほどの混雑ぶりではない。ちなみにどのくらい田舎なのかというと、デパートがあって、国道の脇に各メーカーの車のディーラーの店が並ぶ。つまり、中途半端の田舎なのである。俺はこれが一番嫌いだ。こんな中途半端に発展されても結局のところ東京のような大都会には遠く及ばないし、なにより田舎のメリットが失われているのが最大の失点である。田舎と言えば、まず思い浮かぶのは大自然。森林の中にこだまする虫や鳥たちの合唱、渓流を流れる清らかな水。よどみ一つない空気と空。これほどの田舎であれば、多少交通面などで不都合はあるだろうが、それでも都会特有のストレスはないはずだ。
できることなら俺は将来、超が付くほどの田舎に引っ越し、豊あふれる自然の中で農業をやりながら死んでいく人生を希望する。都会で毎日ストレス抱えながら生活していくよりははるかにましだ。
そんな将来設計を立てていると、己の意思とは反して睡魔がやってくる。
眠い、超眠い。
電車の適度な揺れと、周りのかすかな雑音。それはまるでゆりかごに入っているかのような安堵感を覚える。
まだ自分の駅まではつきそうにない、俺はひと眠りすることにした。
「次は、桜水、桜水。お出口は左側です」
ん、次か……。
俺の降りる駅の一つ前の駅のアナウンスが流れ、ここで降りゆく人たちが数人立ち上がり、左側のドアの前に立つ。
俺が降りる駅まではこの桜水を出発して数十秒で着く。
これは田舎電車あるあるなのだが、駅と駅との間隔が異常に近いことがある。電車に乗るより歩いて行った方が早くね?と思う駅が数か所ある。
徐々に電車が減速していき、やがて駅のホームに着く。
そこで俺は一つの事実に気づく。
あの子……傘忘れてないか?
俺と同じ制服だな……だが顔は見たことない。となると一年か三年か?
いや今はそんなことどうでもいい、彼女は今、傘を忘れて電車を降りようとしている。
どうする、声かけるか?いやまて、不審に思われたらどうする。きっと誰かが忘れていることを彼女へ告げるだろう。そうだ、俺が出る幕じゃない。変に出しゃばって恥をかくのはごめんだ。そんなの中学時代に勇気だして告白して「え、ごめん。誰?」と言われたことだけで十分なんだよ!
ちなみにその子とは隣のクラスで毎朝すれ違うから顔ぐらい覚えてくれてると思ったがそんなの自分の都合の良いふうに現実を入れ替えているだけだった。ちきしょう!
やがてドアが開き、彼女がホームへと足を降ろしたときだった。
「あの! 傘忘れてますよ!」
気がつけば、俺が告げていた。
体に電気を流され、自分の意思とは違う動きをする手足に様に、俺は自覚のないまま座席を立、彼女のもとへと駆け寄っていた。
「えっと……あの…………」
彼女はなぜか申し訳なさそうにこちらを見つめる。何かを言いたそうに口をもごもごと動かしている、だがそれは言葉にはならず、聞き取ることはできない。
それから数秒の時をえて、意を決したのか手を握り口を開いた。
「ごめんなさい……私、傘……持ってきてないです」
なん……だと。
その時、まだ寝ぼけていた脳に電撃が走ったのごとく覚醒した。
そうだ、今日は雨どころか降水確率0%の雲一つない晴天だった。
あぁぁぁぁぁぁぁ! なぜ気づかなかった!
だがしかし、今更気づいても遅い。また一つ黒歴史が加算されてしまった。
「あの……すいません」
ほらみろ、彼女は何も悪いことしてないのに気を使って謝ってしまったじゃないか。
やめて? その気遣いマジで心えぐるから……。
「ドア閉めますよー……フㇷ……」
おい今笑ったぞあの車掌。口元隠そうと手で顔を隠しているが、目が完全に笑っている。
おいお前隠しきれてないぞこの野郎。
とにかく、電車の運行を遅らせるのはマズい、早いとここの場を切り上げよう。
「あッ! あー……、ご、ごめんね、勘違いだったよ……」
だめだ、全然平常心保ててない……。
「あ、はい……じゃぁ私……行きますね」
彼女は踵を返し、駅舎の方へと去っていった。
俺も電車の中に入り、元居た自分の座席へと戻る。
鏡を見たわけじゃないが、今俺の顔は絶対赤くなっていると思う。それこそ顔から火がでるとはまさにこのことなのだと実感できるぐらいあつい。
あぁやだ恥ずかしい。軽く死ねる。
それにさっきからこの車内いる人たちがクスクスと笑いをこらえているのが伺える。おいやめろ。
これあれだろ、あとでSNSに拡散されるやつだろ。動画撮られてたらどうしよう。きっと一通り拡散されて「うわぁマジ恥ずかしすぎだろこいつww」「私だったら死ねるww」とか散々言われるんだろうなぁ……。
あぁ死にたい。
「次は平野、平野。お出口は左側です」
俺の降りる駅のアナウンスが鳴り、速攻で立ち上がりドアへと駆け寄る。
ドアが開いた瞬間ボルト並の速さで車内を抜け出し、駅舎を後にした。
その後、自室のベットで枕に顔うずめて一晩叫び続けたのは言うまでもない。
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