26.白い手





 さゆりが消えた。

 それを私が教えてもらったのは、彼女が消えてから一週間が経ってからだった。


 顔を青ざめさせて、出来る限りの手を尽くしたが見つからなかったと、スーツ姿の人が話しているのを私は少し冷めた目で見ていた。

 それは教えてくれるのが遅かったせいもあるし、私に言われてもどうしようも出来ないという思いもあったからだ。


「これを、見てください。」


 しかしそう言って渡された写真を見た途端、無関係だと無視できなくなった。

 写真は、どこだか分からないが海を背景にしたさゆりが写っていた。


 そしてその海から、まるで彼女を引きずろうとでもしようとしているかのように、無数の白い手が伸びている。


「ここはどこですか?」


 写真をまじまじと見たまま、私は尋ねる。


「分かりません。」


 しかし返って来たのは、そんな頼りの無い言葉だけ。

 それは手掛かりが無しという事か。


 私は大きくため息を吐いて、この写真を預かる事にした。





 いなくなったさゆり。

 残されたどこだか分からない海の写真。


 そんな絶望しかない状況の中、まず私はここ最近のさゆりとの会話を思い出していた。

 手掛かりが無い今は、どんなに小さい事でも情報が欲しい。


 私は、どんなにくだらない内容でも思い出した。

 そしてその中から、もしかしたら役に立つかもしれない会話を見つける。



 その話をしたのは、確か昼休みの事だった。


「私、危険な目に遭うのは別に嫌じゃないのよね。だって冒険みたいで、ワクワクするじゃない。」


「はあ?それに巻き込まれる私によく言えたね。そんな口は、失敗作の玉子焼きで塞いでやるわ。」


「んぐっ……。」


 さゆりのあっけらかんとした言い方に、少しむかついた私は、彼女にお母さんの作った『リンゴ酢入りついでにリンゴ入り玉子焼き』を突っ込んだ。

 1つ食べてそのまずさは知っているので、涙目になるだけで吐き出そうとしない姿に尊敬する。


 何とか飲み込んださゆりは、口直しに持ってきていた紅茶を飲むと、涙をぬぐった。


「相変わらず理名のお母さまは、創作料理のレパートリーが凄いわね。」


「料理が好きだからね。しかも味のまずさに気が付いていないというのは、恐ろしいんだけど。」


 自分の家事能力をものすごいスピードで成長させてくれたのは、その料理のおかげだというのも微妙な気持ちにさせてくれるのだが。

 何とか落ち着いたのか、さゆりはまた微笑みを取り繕うと、私に何かを差し出した。


 それを受け取り、手のひらの上にのせてみると、砂の入った小瓶だった。


「何これ?」


「手がかり、みたいなものかしらね。出来れば大事に持っておいて欲しいの。」


 滅多に見れない真剣な顔に、私は文句を言わずそれを大事にしまう。

 彼女は満足そうにすると、ちょうど誰かに呼ばれそちらへと行った。



 私はその後ろ姿に、今思えば嫌な感じがしたのだ。

 そしてその予感が、これだったのだと私は深く深くため息を吐いた。





 さゆりの家は凄い。

 そう感じるのは、年に数回はある。

 今回もそれを実感した。


 さゆりにもらった砂の解析に、数時間もかからなかった事に驚きつつ、教えてもらった場所に私は向かっていた。

 そこは電車で2時間はかかる場所で、何でそんなところに行くのかと不思議に思ったぐらい、さゆりとは縁もゆかりも無かった。


「さゆりお嬢様をよろしくお願いいたします。恐らく私達では、どうしようも出来ないでしょうから。」


 そう言って直角に頭を下げたスーツ姿の人を思い出し、電車に揺られる。

 絶対に私が行くよりも、あの人達の中の誰かが行った方が早いと思う。


 そんな嫌な考えを振り払うかのように、私は目を閉じた。





 着いた駅は無人だったので、置いてあった箱に切符を入れる。

 外へと出れば、潮の香りがして海が近い事を感じた。


 さて、さゆりは一体どこにいるのだろうか。

 電車の中で、ある程度の予想をつけた私は、とりあえず置いてあった地図を見て、海に行く事にする。


 その道すがら、何となくさゆりとの関係性の事を考えた。


 いつまでもこんなふうに過ごせないのは、お互いに分かっているはずだ。

 しかしそれを見ないふりをして、私達は残り少ない時間を一緒にいようと決めた。



 正しい判断だったのかは、今でも自信が無い。

 それでもさゆりの楽しそうな顔を見ていると、どうしても嫌だとは言えなかった。

 これから待ち受けているのが、どんなに悲しい結末だとしても、彼女の手を私から離すことはないだろう。



 そんな事を考えていたら、目の前に海が広がった。

 まだ入るには時期が早いが、ちらほらと人がいるのはサーフィンをしているからか。

 私はさらに濃くなった潮の香りを、めいいっぱいに吸い込み、逸る気持ちのまま走った。


 思ったよりも海までの距離があって、私は息を切らしながら膝に手をついて体を支えた。


「疲れたっ。走らなきゃよかったわ。」


 ぜーぜーとなる呼吸を、大きく息を吸って吐く動作を繰り返して落ち着かせる。

 そして私は写真を取り出して、そこに写っているのと同じ場所を探し始めた。



 思っているよりもはるかに早くそこにたどり着いたのは、岩に座るさゆりがとても目立っていたからだった。

 写真と同じ空の色を移したかのようなワンピースを着て、体育座りをしていた彼女は、私が近づくとゆっくりと顔を上げた。


「……驚いた。」


 ぼんやりとした表情が、私を目に入れた途端、力の無い笑みに変わっていく。

 そしてポツリと言った言葉を、聞いた私は口を尖らせた。


「思っていたよりも早かった、とか思っているの?」


「違うわ。……来てくれないのかと思っていたの。」


「あんな風に手をこんだ呼び出しをされたら、さすがに来るわよ。」


 加工された写真。

 さゆりが見つからないと、嘘をついたスーツの人達。


 どうやら私の予想は当たっていたみたいで、さゆりはまた笑った。


「試したみたいでごめんなさい。せっかくのお休みだったのに、私に付き合わせてごめんなさい。」


 そしてどこか遠くを見つめて、謝ってくる姿に、私はもう一つ考えていたことが当たっているのだと悟る。


「……もし私が来なかったら、私の前からいなくなるつもりでいた?」


「…………ええ、そうかもね。」


 彼女を攻める気は全くなかった。

 怒っていないわけじゃないけど、攻めたところでどうしようもないのも分かっている。


 だから私は、さゆりに向かって手を差し出した。

 その手をじっと見つめた彼女は、首を傾げる。


「帰るよ。」


 私の考えを察していないようだったので、無理やり手を繋いで歩き始める。



 そうやって進んでいれば、何だか昔を思い出して。


「またどこか行くなら、迎えに来てあげるから。」


「……あり、がとう。」


 自然と出た言葉。

 それを聞いたさゆりの顔は残念ながら見えなかったが、震えた声に何となく予想は出来た。


 私がこれからもさゆりを守っていく。

 たとえ、タイムリミットが迫っているとしていても。




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