第4話 「わらわの最後の夢、一番の夢は」
のんびりと回る観覧車が西日に輝いている。
閉園まであと十一分。客はほとんど帰っていた。観覧車に乗っている人も今はいないようだ。
貸し切りか。
モフモフさんが真剣な顔でぴょんと跳び、観覧車のゴンドラに乗った。続いて俺も足を踏み入れる。
備えられた椅子に座って、同じく腰を下ろしたモフモフさんと向かい合った。モフモフさんはここなら大丈夫と思ったのか、「ひー暑いのじゃ」と言いながら耳や尻尾を隠した帽子とコートを脱いでいる。
昨晩出会った時と同じ、巫女服の狐耳少女の姿がある。
「観覧車なぞ初めてじゃ。というより、今日は初めてのことばかりじゃった。ありがとうな、アユム」
「こちらこそ。楽しかっただろ? 遊園地」
「もちろんじゃ! よい思い出になった。きっと……、………………」
モフモフさんはなにかを言いかけて口をつぐむ。
俺の胸中には様々な思いが去来していて、たぶん、モフモフさんもそうなのだろう。
「きっと、なに?」
「……ふふ。せっかくだから言おうかのう。きっと、わらわは日本一の幸せ者じゃなーと言おうとしたのじゃ……ちいと恥ずかしいのう、やはり」
「でもモフモフさんはこれから、……消えるじゃないか」
「んむ。じゃが、それを補って余りある。おぬしを残していかねばならぬのは、つらいがの」
徐々にゴンドラの位置が高くなっていく。線路や、明かりの灯り始めた民家やマンション、それから、海も見える。目がくらむほどの夕焼けが、美しい景色とゴンドラの中と、俺たちの顔をオレンジに染める。
「綺麗じゃな」
「……うん」
モフモフさんは陶然として、瞳に夕陽の光を映していたが、やがて景色ではない何か遠くを見る目をした。
「おぬしよ」
「なに?」
「すまぬな」
モフモフさんの顔を見る。窓の外を眺めていたモフモフさんも、俺の方を向く。
「仮にも神だというのに、おぬしが夢を諦めていたと知るや取り乱し、泣いて……きっとおぬしはそんなわらわを見ておれなかったのじゃろ。だから新しい夢ができたなどと言った」
「モフモフさん」
「おぬしの気持ちは疑っておらぬ。本当にわらわの夢を叶えたかったのじゃと、わかる。ただ、気遣いをさせて、すまなかったのう」
真面目な表情が陰る。
「……おぬしは、宇宙飛行士にならないと決めてからも、必死で生きていたというのにのう……」
それからモフモフさんは、寂しげに、にこりと笑った。
「よく、頑張ったのじゃ。おぬしはわらわの誇りじゃ」
俺はぐっと息を詰まらせる。
なにかが決壊しそうになる。
なんとか抑え、「ありがとう」と笑い返した。
「ありがとう。でも、俺にとってもモフモフさんは、恩人だよ」
「それ、まだよくわかっておらぬのじゃが……」
「俺を見ていてくれただろ」
「……やはりそれだけか?」
「うん」
「……変な奴じゃ」
もっとちゃんと言おうと思えば言えた。恩人の理由。独りのまま一生を終える気がしていたけど、俺を覚えててくれている存在がいたから、安心できた。モフモフさんがいたから俺は孤独なんかじゃなかった。きっと、これからもだ。
けど、寂しい。
モフモフさんが消えた後は、孤独じゃなくても寂しいだろう。
そう予感するだけで俺は口元が震えて、だから、長々とした言葉は言えなかった。
終わりの瞬間が、もう、すぐそばまで来ているのを感じた。
「もう少し……一緒にいたかったのう……」
「…………」
「一日では足りるはずがない……。行きたいところが……してやりたいことが……いっぱいあったのう……」
「…………」
「…………。」
「…………」
「……そろそろじゃの」
俺はその事実から目を逸らすようにして東の空を見る。頂上に近づきつつあるゴンドラから見えるあちら側の空は、藍色になりかけていて、半分夜空といった趣だ。一等星が輝いている。
「わらわは……」
モフモフさんが口を開く。
「ぷらねたりうむで六等星というものを知った時、なんだかまるでわらわのようじゃと思ったのじゃ。……実を言うとな。わらわは死後もずっとおぬしを見ていたのじゃ。神となる前はただの霊だったのじゃが、おぬしをいつも見守っていた。やることなすこと全てを見ていたわけではないが、いつも、いつも……。……じゃが」
うつむき気味になり、自分の小さなひざこぞうを見つめる。「わらわはおぬしには見つけてもらえなんだ。当然じゃ、霊なのじゃからな。それで思ったのじゃ、わらわは暗くて誰にも気づかれぬ六等星のようじゃったと……」
俺もそうだった。
俺も自分は六等星みたいだと思っていた。誰にも見つけられない、路傍の石以下のなにかでしかないと半ば本気で思っていた。
だけど。
「じゃけど」
今は違う。
「今は違うのじゃ」
俺とモフモフさんは見つめ合う。たくさんの伝えたい気持ちがあった。なのに俺は口にすることができない。少し緊張を解けば涙がこぼれそうだった。だから心の中で叫んだ。自分を六等星だと思っていた。でもモフモフさんに見つけてもらえた。それが嬉しかったんだ。嬉しかったんだよ、モフモフさん。
「わらわはおぬしに見てもらえている。それだけで幸せなのじゃ」
ああ、同じだ。
モフモフさん。
モフモフさん。
「モフモフさん、きみは六等星じゃない」
「アユム、おぬしは六等星ではない」
「きみは俺にとっての北極星だ」
「おぬしは誰よりも輝く一等星じゃ」
モフモフさんの巫女服姿が透き通る。
影が薄まり、夕陽の光に滲みそうになる。
俺は手を伸ばした。
彼女は手を重ねてくれた。
絡まる小さな指先から温もりが伝わる。
最後の夢を教えるのじゃ、と彼女は言う。
「わらわの最後の夢、一番の夢は」
「おぬしがこの先抱く夢を、叶えることじゃ」
俺はしっぽごと抱き締める。
もふもふとした感触が心にじんわり染み渡っていく。
熱い体温は、しかし弱まり始めていて。
いくら強く抱きしめても留めておくことはできなくて。
促され、俺は身体を離した。
そうしなくては、顔が見えないから。
モフモフさんの、去り際の顔は。
涙でぐしゃぐしゃになった、晴れやかな笑顔だった。
声も出せなくなった彼女の口が動く。
〝ずっと一緒じゃ〟
モフモフさんは淡くきらめき、夕焼けに溶けて消え去った。
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