『とりやんせ』に関する調査報告
私は調査のために阿見手先生が最期に訪れた段違地へと赴きました。
秩父の山間にあるこの地域は、大きな断層によって高く押し上げられた崖の上にあります。『段違地』という地名はこの地形からつけられたものだと言われています。
過疎化の進んだ現在では住人はわずかに六世帯のみ。かつては70家族ほどが暮らしていたという村には廃屋が目立ちます。
阿見手先生がこの村を調査対象としたのは、『通りゃんせ』に影響を与えたと思われる最も古い歌の記録が、この村に残されていたからです。
この村の旧家である上鳥居家に残されたその資料は『段違地村録』と呼ばれ、上鳥居家の代々の家長が村で起きた細々のことを書きとめた備忘録でした。私は自分自身の目でこれを確かめましたが、村で起きた小さないさかいや、またどの家に子供が生まれたかなど、いわゆる日記の域を出ないレベルの記録でした。
その中には上鳥居家が管理する祠のことと、この祠に奉納する歌の記録がありました。
以下、全文。
とりやんせ、とりやんせ
あれは憎しや我がかたき
祖徒干様にあげまつろ
記録はわずかにこれだけですが、語感からも『通りゃんせ』を思わせる節であっただろうと容易に想像できます。祖徒干様がどの神様を指すのかは調査中ですが、おそらくこの村内のみで使われていた俗称的なものであろうと思われます。
私見をさしはさむならば、歌詞の内容といい、実際に歌ってもらった曲調といい、どこか不穏なものを感じさせる印象が強く、無邪気なわらべ歌のイメージからは程遠いものであると感じました。
以下、『段違地村録』を含む上鳥居家の家財いっさいを管理しておられる木之井テイさんのお話を記録しておきます。上鳥居家は10年ほど前に家は絶えており、今現在では木之井家に嫁いだテイさんが上鳥居家の血を引く最後の一人となっています。
お父は祠や祖徒干様についてちゃんと勉強してござったけど、私は女なんで神事のこととかは何も教えられておりません。そんでもいくつか聞かされていることはあって、祖徒干様は怖い神様なんだと知っております。
この歌ですがね、まあ、あまり大きな声では言えませんが、呪いの歌なんですわ。どうしても恨んで仕方ない相手が居るときに、これを歌いながら祖徒干様の祠にお参りに行くんです。祖徒干様は生贄を好む神様なんで、いつも食っていい人間を探しとるちゅうて。この歌で祖徒干様を祠から呼び出して、一緒に恨んどる相手の家へ行くんですわ。この時に歌を途絶えさせたらダメで、恨んどる相手の家までずうっと歌い続けないといけない、そうしないと祖徒干様には人間なんてみんなおんなじに見えるんで、自分が食われてしまうんですわ。村の子供はみいんなこれを知っとるから、『行きはよいよい帰りは恐い』ちゅうて歌うんですわ。
ええ、『行きはよいよい帰りは怖い』ですわ。さて、いつから歌っていたかまではわかりゃしません。それでも私なんかも物心ついたころからそう歌っとったんで、ずうっと昔からあったんじゃないですかねえ。呪いの歌は気軽に歌っちゃいけない歌で、そんな歌を歌ったら『行きは良いけど帰りは怖い』、それでも人を呪う覚悟があるのかっちゅうことを、私らは子供の頃から遊びの時の歌で教えられておったんですわ。
それでも生きてりゃあ、自分か相手か、どちらかが死なねば気が落ち着かんくらいの恨みってのも一つ二つはありますわな。私も呪い歌を歌ったことはありますわ。相手を呪うことができたのかって? そういうことは聞くもんじゃありませんよお。
それでも、そうですねえ、誰だってあるんじゃないですか、相手を呪えるなら自分の命と引き換えてもいいくらいの、強い強い恨みっちゅうのは。そういう時にこの村には呪いの作法があって、祖徒干様がおったと、それだけのことですわ。
(応嵐米次 録)
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