【番外編】海を泳ぐ小鳥─4*b─
「……あのね、小鳥遊さん」
「あ……はい?」
「私、小鳥遊さんのこと……好きだよ」
「────エッ!」
「だ、だけどそれは! 運命だから、じゃなくて……普通の理由なの。普通に、段々、好きになっただけで……」
ふと見上げた先の彼女がキラキラに紅潮しているのに気付き、堪らず都はすぐさま下を向く。それでも勝手に上気していくこの感情は何なんだ、恥ずかしさか、照れか、それとも居た堪れなさか。
「……初めて会った日から今日までのこと、全部憶えてる。何月何日にどんな花を貰ったとか、その時に小鳥遊さんが何て言ってたかとか……多分、小鳥遊さんが忘れてそうな小さなことも」
「………」
「そんな風に毎日、少しずつ好きになっていって、今では───だけど、今の話を聞いたら私……私……」
「……な、何ですか?」
「だって……小鳥遊さんは、運命の人だと思ってくれてるんでしょ、私を? だから好きになってくれたんでしょ? でも私は、はっきり言うけど、そうじゃない──運命だから、小鳥遊さんを好きになったんじゃないの! ただ、いつも優しくて、一生懸命で、あったかくて、カッコよくて、かわいくて、憧れで、嬉しかったから……そういう“普通”の理由で好きになっただけなの……っ!」
叫びながら、何だか情けなくて少し泣けてきた。堪らなかった、とにもかくにも情けなくて。
ああ、己の運命を賭けてくれた彼女と比べて、何と軽い気持ちで好きになってしまったことか。
ただでさえ雲の上の人から好意を向けられて、初めてのときめきに心が舞い上がってしまっていた。知らぬ間の両想いを、無邪気に喜んでしまっていた。
だからこそ、本当に好きだからこそ、この告白は受け取れない──
「受け取る訳にはいかないよ……! 小鳥遊さんのきもフギャッ」
……渾身の想いを訴えているつもりだった。何ならこっちは泣いているし、十二分に重苦しい雰囲気を漂わせているつもりだった。
それなのに、そんな都の切ない乙女心を遮ったのはまさか、まさかの……
「YES! OH MY GOD! So sweet! Excellent! Ah……Miyako, You are the best……!!」
「!? !?? ?????」
「そうっ、それでいいんです! 普通で! いえ、それがいいんですよミヤコタチバナ! 貴女の目から見た私こそ、ただのラムタカナシなんですからっ……!」
むぎゅううううううっとした、おモチだった。
いや違う、バレーボール…………
じゃなくてメロン。いや待て、もはやスイカ……!?
(な、何でここでハグ!? っていうか息! 苦し……うう、で、出来なくはないけど、こんなトコで、吸うのは、ちょっと……!)
ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうすりすりすりすりはぐはぐはぐはぐ……! 呼吸困難に暴れる都を如何ともせず、ラブコールと愛の抱擁は止まる気配を見せない。今やシリアスな空気とやらは完全に吹き飛ばされ、彼女から発せられるハート型のハロゲンオーラに周囲ごと包み込まれてしまっていた。真夏の太陽も顔を背ける、アッツアツなトンデモ事態。初めて出会ったあの時以上の熱烈さと、物理的な酸素不足にいよいよぐるぐると目を回し出す。
「ンーー! むううう!? んっ、ンンンン!!」
「やっぱり私の目に狂いは……あら、ミヤコん?」
「プハッ!! はあああ……し、死ぬかと思った……もう! 突然何? いきなり抱き付くのやめてよ、眼鏡が曲がっちゃうし息が出来なくなるでしょ!?」
「……眼鏡のことは、ごめんなさい。でも、出来ませんか? 息」
キョトンと首を傾げてくる、手のひら一枚分背の高いウルトラダイナマイトビューティー。ちなみに多少力を緩めたとは言え、未だに都の首に腕を回したままでいるので(どうやら離す気はさらさらなさそうだ)二人の密着度は差して変わっていない。
依然として目の前に、ご立派な双丘がある。文字通り、都の目の前に。………………神様。この格差社会、今からでもどうにかなったりしません?
「………………あ。何? もしかして嫌味?」
「いいえ? ですが、少しくらい隙間はあるでしょう?」
「す……! そ、う、で、す、ね! 少しはありますよ、そりゃね! 少しくらいならね!?」
「でしたら、ちょっと──いえ、しばらくの間眼鏡を外していただいてもよろしいですか?」
「な、何でそうなるの……? あのね、完全に鼻が塞がってるから息が出来ないんじゃなくて、こんな状態ではしたくないから出来ないって言ってるだけなんだよ!?」
「どうしてしたくないのです?」
「へ? だ、だってそれは、小鳥遊さんの、む……胸の、真ん中でなんて……私には、シゲキが強すぎて……」
「………………私はぜひとも思いっきり……」
「え……何て?」
「何でも。とにかくわかりました」
と言うと來夢は、ここでようやく少し離れてくれた。とは言っても、都からすればギリギリ触れる肌の面積がゼロになっただけなので、つまりはまだデデンと眼前にそびえているのだけれども。
「はあ………何の話してたんだっけ」
「貴女も私を大好きという──」
「うん、違うね。あっいや違わないけど違うでしょ、そうじゃなくて……」
「違いませんとも、ミヤコタチバナ! 先程の言葉は、私にとってナニモノにも変えられない宝物になりました……」
「宝物って、さっきのが?」
「ええ! ……私の為に、どれだけ苦悩されたのかと。どれだけの秘めた想いを打ち明けてくださったのかと思うと……今にも胸が張り裂けそうなくらい、苦しくて、ですがそれ以上に嬉しいのです」
絶句した。こんなことになってもつくづく彼女は何もかも、都の想像を超えてくることに。
眉はぐっと下げられ、目尻は細められ、けれども笑顔で、頬は桃色で。心から喜んでいるのが一目瞭然なそれに、またもや都のハートは揺さぶられる。思えば來夢はいつも、いつでも、いつの日も、都にだけはありのままの姿を……
──もしかして、小鳥遊さんが言う“クリアな自分”って、こういうこと……?
はたと悟る。
來夢は言った。いつの間にか、何の為に頑張るのかわからなくなっていたと。気が付けば、皆の喜びが自分の喜びに直結しなくなっていたと。そして何よりまた、誰かの為に頑張る自分を好きになりたいと。
「ミヤコさん。ミヤコタチバナさん。好きです。大好きです。愛しています」
「──!」
「ですがそれでも、この想いだけは貴女に伝わらないでしょう。私がどれだけ、先の言葉に救われたか。背中に隠した汚いバケツを見せても、何も変わらなかった貴女のピュアさがどれほど、どれほど、私の胸を強く打ったかは……!」
確かに、都が知っている小鳥遊來夢は、出会って数秒でプロポーズをかまして来る破天荒な少女だ。そこからずっと追いかけて来て、全然諦めてくれなくて、何度逃げてもそれを上回る回数の愛の言葉と花を贈られた。
しかしながら、そんな姿を残念がる人もいた。期待と違う、思ってた人じゃなかったと。『期待に応えられない』ことがどれ程彼女のこれまでと、ボロ泣きした十二歳の決意に泥を塗ったのか、確かに都にはわからない。
けれども……これだけは言える。
「……君は、それでも、私を取ったんだよね。みんなじゃなくて、たったのひとりを」
「ええ。何せ貴女しか見えなくなったものですから」
「本当に良かったの? ……後悔してない?」
「……Of course. Because you are my destiny.」
“……もちろん。何故なら貴女が、私の運命の人だから。”
「わかった。はは……わかったよ。もう降参!」
「ミヤコさん? それはどういう……?」
「“運命”の話だよ。まだふわふわしててちっともピンと来てないけど……“運命を信じるラムちゃん”なら、信じられるから」
「……ラ! らむ……今ッ、名前! 私の!」
「だ、だって……お付き合いするんだし……?」
「───ッ! Really? 今何と? 嘘じゃないですよね!」
「う、うん。むしろ、私の方から、お願いします。……ラムちゃん、私と付き合ってください」
「っは、はい!! ああ神様、今日は何て最高の一日なんでしょう! ありがとうございます、絶対絶対、幸せにしてみせます!!」
背後にこれまた満開の花々を咲かせ、來夢は飛び跳ねるようにして都の両手を取った。「また大袈裟な」と少し可笑しくなったが、絡まった指から伝わる確かな想いに、都の緊張は緩やかに溶けてゆく。
ひとつの二枚貝が閉じた時、完璧に噛み合う殻と殻の組み合わせはたったの一対。
貝として成長したその二枚同士だけが、それを成し遂げる。
もう片方を見つけ出すのは、確かに難しい。
でも──存在しない訳じゃない。
この広い世界のどこかに必ず、自分だけの特別が生まれ落ちている。それこそ、海の底にしんと眠る貝のように、静かにその時を待っているはずなのだ。
運命か否かを誰も証明できないのならば、当人たちが信じている限り、それは紛れもない真実となる。だから都は───……。
「カラフルなアートも、汚れた水も、どっちもラムちゃんの一部。だったら私、両方──ていうか、どんな色のラムちゃんも、好きだけどな……」
さすがに日が暮れてきたかも、と頭上を見上げつつふと想いをこぼした時。あれだけ騒がしかった好きな人がしん……と黙りこくった。これまで都が言った何かに來夢が即レスしなかったことはなく、初めての沈黙に対する違和感に遅れてハッとした。
もしや何か、気に触ることを言ってしまっただろうか──と、ゾッとして目線を前に戻すと、
「…………」
音もなく、雨が降っていた。
彼女の深い空色の瞳から……窓ガラスを伝うように、頬を。一線の、滴が。
屈折前の、透明な涙が。
都は固まる。
それを綺麗と思ってしまった自分と、あんまりにもなこの状況に。
「え……何で。ごめ、ど、どうし……」
「……お願いです、眼鏡を」
「え、」
「眼鏡を、外してください……」
「……」
──ああ、またギュッてしたいんだ。
このタイミングで何で? とか、
嬉しいけど恥ずかしいなとか、
恥ずかしいけど嬉しいなとか、
私そんなに抱き心地いいのかなとか、
それとも単に抱き付き魔なだけかなとか、
色々目まぐるしく思うことはあっても、今や都の辞書に「断る」の文字はない。それが貴殿の望みとあらばと、悩むまでもなく行動に移す。
そっと離された手の震えを極力見ないようにして、眼鏡を下ろした。それでも顔が赤くなるのを抑えられない。そりゃあこれから恋人に遠慮なく抱き付かれるのだから、当然ドキドキはするだろうけど。だけど、友人から恋人に変化してからのハグはこれが初めてなものだから。個人的には何となく……心構えが違う。
都はボヤけた視界でもう一度前を見据えた。
おかげさまでぼんやりしている輪郭でも、彼女がじっとこちらを見つめているのを感じ……都は、都も……
(……や、やっぱ無理っ)
残念ながら正面から迎える勇気は出ず、代わりにきゅっと目を瞑る。
──あ、そうだ、今の内に深呼吸しておかないと……
「………知りませんでした」
「……ん?」
「こんなところに、ホクロがあったのですね……」
左目の下を、滑やかな何かが触れた。まるで壊れ物を触るかのようなたおやかな指遣いと、溢れる愛おしさがそのまま乗った声色が、視覚を閉ざした今、ダイレクトに神経に響く。その時思った。──とにかく恥ずかしい! と。
「い……今はどうでもいいでしょ、そんなの───」
照れ隠しにそっぽを向くつもりでくわっと目を見開けば、すぐ傍に…………“青”。
「……ふぇ?」
いや 何で はっきり見えるくらい 近────
……………… C h u ♡
──シルエットが一つに折り重なったその時、都は遅ればせながら理解した。
出会い頭でプロポーズを決めてくるような人が。
迫りまくって追いかけてくるような人が。
感極まって全力で抱き締めてくるような人が。
つまりはこの、小鳥遊來夢が!
今更ハグで満足する訳がないってことを───……!!
「なっ…………ナナッ? んな、NANANA……」
「アハ。えーと、ゴチソウサマでした……?」
「〜〜〜ッ! その使い方……! 合ってるようで合ってない、からね……?!」
中途半端なツッコミでとうとう精魂尽き果て、遠くなる意識と共に都は崩れ落ちた。読んでそのまま、膝からガクッと…… 最後の最後に、頭から大量の湯気をぼふっと噴き出して………
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