言葉が為に、口閉ざす―7―
グラウンドより轟くは運動部の掛け声。校舎より舞出るは吹奏楽の音色。吹き抜ける初夏の風。草木が揺れる音。誰かと誰かの笑い声。音漏れしている通りすがりのイヤホン。自転車のベル。
人一人が歩み寄る足音。
「貴女は、コトノハ少年さんなんですか?」
心臓の鼓動。
「そうだよ」
──静寂。
「どうしてわかったの?」
今日も、猫はいなかった。
「あの本棚と、写真です」
「写真……? 本の事は私も怪しまれポイントだったなと思ったんだけど、写真って……どの?」
「あのアルバムにあった、星空の──『僕たちとバス停』の表紙になってるあの写真です。アタシ、『バス停』でコトノハさんを知ったんで……!だから、一目見て……」
「…………」
答えを聞いた橘は、信じられない、といった表情で自らのスマホを取り出した。そして「……これか」と静かに、肩だけで大きく息を吐いて。
「これはね……叔母さんの別荘に連れて行って貰った時の夜空なんだ」
「……!」
「北の方でね。寒かったけど、凄く空気が澄んでて……流れ星も見えたんだ。あ、それは撮れなかったんだけど……でもさ、結構よく撮れてるでしょ?」
「はい、とても」
「……うん、これはカメラを覚えたての頃の………ああ、でもそんな、まさか。ねえ、本当に? ごめん、正直まだドキドキしてて……だって、写真って。これだけなんだよ、アルバムにも入れてたのは」
「そ、そうなんですか?」
「ん。気に入った角度が二つあってね。一つはアルバムに、もう一つは……ここに載せたの」
差し出された画面には、咲夜もよく知る小説閲覧ページが。
「はあ、こんな事ってあるんだ……それにしてもほんと、凄い偶然……」
“偶然”。その言葉に、咲夜は視線を橘本人へ戻した。
「趣味で始めた創作活動──ただネットで小説書いてるだけのコトノハ少年を知る人なんて絶対、ほんの一握りじゃない?なのに、その一握りである読者の方の……Amourさん。それがまさか……ね」
「あ……それはアタシも同じ気持ちです……」
「はは、そう……だよね、うん、ごめん。そもそも、ネット上で繋がってただけの人とこうして偶然、同じ学校で……それどころか委員会まで一緒になって、しかも、たまたま見せたアルバムに一枚だけ入れてた写真がきっかけで見抜かれちゃうなんてさ……これはもうミラクルって言っていいね、うん」
「“
どくん。体の中心で何かが跳ねた。それは、死に絶えたはずの期待。破り捨てたはずの日記。白のペンキで塗り潰したはずの──真っ赤な、愛。
「“運命”────」
「え?」
「あっ!いえ、ちょっと思い出しまして……その、一度目は偶然、二度目は奇跡、三度目は……何とかっていう……」
「ああ、運命?」
「!」
「私も聞いた事あるよ、その言葉」
「……じゃあその。委員長は運命って……し、信じてたり、します?」
「うん」
「ですよね、やっぱりそんなの…………ええっ!?」
さらりと。それが何か?とでも言いたげな笑み。そんな軽い返事を受けた咲夜は、ついつい仰天の声を上げてしまった。
「そんなに驚く事?」
「すみません!だって……」
いや、それもそのはず───何せ、この誰でも誰とでも結ばれていい新時代。つまり言ってしまえば事実上、“全ての人類”が“運命”の存在と呼べる世の中になってから、人々の意識から対個人への特別感が失われつつあるのは間違いないのだから。
さて、おさらいをしてみよう。まず始めに相互理解しておきたいのは、大抵の場合、特別=希少であるという方程式だ。数少ないから、一つしかないから、もう何処にもないから……だからこそ、酷く高価だったり、厳重に保護されたり、永遠に語り継がれたりする。もし我々のよく知るダイヤモンドが世界中至る所から発掘される何の変哲も無い鉱石だったとしたら、恐らく今日日、砂利道とは細かなダイヤが敷き詰められて出来たものだったかもしれない。
問題は───その小石一粒に、更なる価値を見出せるかどうか、というところだ。どれを取っても等しいそれらの一欠片を、自分にはこれしかないと心から守りたいと思えるか……?ちなみに世間一般的な答えはこうである───満場一致で、『NO』。
その砂利からダイヤの原石を見つけ出せたと信じている天華も、既に磨き上げた宝石を抱えているらしい來夢も。そういった考え方からすれば、稀有な方。むしろ天華に至っては、それまでの「運命?何それ甘いの?美味しいの?」状態の方がよっぽど世間体に合っていた。
だけど、それが普通だ。
それが“普通”なのだ。
だから、早く諦めなくてはならないのに。
そう、愛とは“夢物語”。
早く、早く、目を覚まさせてくれ───
「まさか、橘委員長も信じてたなんて……」
───嗚呼。
望外に喜んでしまう自分が、憎い。
このままじゃ、本当にあるんじゃないかと錯覚してしまう。もう一度、信じてみてもいいんじゃないかって。もしかしたら流れ星に願い事を三回唱えたら叶うとか、世界のどこかにサンタクロースだけの国があるとか、そういうのもマジでアリなんじゃないかって。信じてきた神が信じているなら、それはつまり実在するって事なんじゃないかって。信じる信じないとかじゃなくて、実は今、目の前に在るんじゃないかって───………。
血液という血液が全身を物凄い勢いで駆け巡っていくのがよくわかる。どくん。どくん。どくん!ああ、そうか──高揚感に包まれながら、咲夜は思った。だから、だからハートは心臓なんだ。愛と同じ真っ赤な色の血液を、頭の天辺から足の先まで送り出して生きるから。血が……愛が無ければ、生きていけないから……!
「も? って事は、咲夜ちゃんも信じてるのかな?」
「あっ……!いや……ええと、ま、まあ……」
スカートをぎゅっと握りしめ、咲夜は意を決して答えた。
「実は……アタシ、Ωなんです!」
「……ん?」
「……ごめんなさい、話す順番間違えました……」
「そ、そう……えっと、落ち着いて?」
「……おほん。つまり、運命は……信じていたい、と思っています。昔はアタシみたいなΩには、運命の番っていう決定的な絆で結ばれたαがいたそうじゃないですか。だから、何というか……そういう関係には憧れます」
「憧れ……憧れね。なるほど、うん。よくわかるよ、その気持ち」
「本当ですか?」
「うん。だって、私も同じだから」
「……何が?」
「ふふふ。“Ω”」
「……え」
「そっかあ。咲夜ちゃんも、そうだったんだね」
──咲夜ちゃん も 、そう……?
リフレインする言葉。
「私も、Ωなの」
恥ずかしげもなく告げた橘。
めいいっぱい瞼を開いた咲夜のこの時の気持ちを、無理やりにでも例えるならば。
地平線しかない砂漠に、一滴垂らされた雨水。
絶滅寸前の獣の同種族を発見したとか。
自分で言うのもよくわからないが、とにかく、ただ、救われたと感じた。
音もなく、声もなく、涙が頬を伝ってゆく。
αじゃない。βでもない。という事は、自分は本能で、Ωの血から彼女に惹かれた訳ではないのだ。純粋に、瀧本咲夜という一人の人間が、奇跡的な巡り合わせで出逢った少女に“運命”を感じた。それが真にわかっただけで、咲夜はもう…………
「それにね。本当に、“運命”は、あるよ」
ちゃり。ふと、小さな金属音が聞こえた。それは、少し頭を下げた橘の首元から鳴ったものだと察するのに、ものの二秒も掛からず。
「ほら」
何故かとても幸せそうな顔をして、取り出されたのはネックレス。制服で隠れて見えずにいた、先端のデザインが露わになった瞬間───咲夜は、凍り付いた。
「これが、私の“運命”」
羽モチーフのアクセサリーに、エメラルドブルーの美しい煌めき。
グアムの海のように透き通ったその色には、大いに見覚えがあった。
「……橘、委員長の……下の、名前って……」
「あれ、嘘、もしかして知らなかったの?何だ、それならそうと早く言ってくれれば良かったのに」
私ってば影薄いからなあ、と申し訳なさげに苦笑する彼女が、酷く朧げに見えてくる。
辛うじて、羽を掴んだ少女の唇が、そっと息を吸い込むのがわかった。
その時────
「ミヤさん」
背後から────嗚呼。
(わかってた……全部………)
雲一つない空をその瞳に宿した──小鳥遊來夢、その人が。
「え、ラムちゃん!どうしたの?まだ約束の時間じゃないよね?」
「ええ、ですがここに来れば会えるかと……おや?瀧本さん?」
今気付いたように目を丸くする來夢に、咲夜は何も言えない。返す気力がない。その頃には既に涙も、息も、鼓動も、全て止まっていたから。
「ラムちゃん、咲夜ちゃんと知り合いなの?」
「はい、実はこの娘なんです。前に話した、生徒会の後輩で、天華に降臨したチャンスの女神というのは」
「えっ、そうだったの?」
「ミヤさんこそ……どうして彼女と?」
「うん、それがね!聞いて聞いてっ、最近仲良くなったって話した委員会の後輩!それが咲夜ちゃんなんだよ!」
「そうだったんですか……!それはまた、凄い偶然もあるものですね」
何度も聞いた二文字のフレーズが、心に重く伸し掛かる。希望を失った虚ろな目にはもう何もかも眩しすぎて、このまま光に呑まれて消滅してしまうのではないかとさえ思った。
「瀧本さん。良い機会なのでご紹介しますね。こちら、私の“運命”の───」
(ああ、やっぱり………)
「改めまして、【
──ありがとう、目を覚まさせてくれて。
一度目は 偶然。
二度目は 奇跡。
三度目は 運命。
なんて言葉をどう思う?
信じるも信じないも皆自由。ならば自分は、どうにかして信じていようと思う。
神が認める運命を。
己を繋ぎ止める運命を。
ただ、その運命の相手が……
またしても、自分じゃなかっただけなのだから。
もはや、二人を何と言って送り出したのか、咲夜は憶えていない。笑顔でいたような気もするし、ぶんぶん手も振っていたような気もする。ああ、また明日と、こちらから明るく別れを切り出した気さえしてきた。
「『さようなら』」
力無くしゃがみこんだ咲夜の足元で、何かがそっと動いた。小さくて茶色い。にゃあ。噂の可愛いけむくじゃら。大人しく撫でさせてくれた観客に、物語の登場人物は、有り難く台詞を続ける事にした。
「……『さようなら、僕のアイリッシュ。この気持ちに名前を付けるなら』」
笑いながら、泣く。
「『きっと、愛でした』」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます