言葉が為に、口閉ざす―5―


『ねーね、あなたおなまえなんていうの?さく?さくちゃ!よろしくね、わたしは───』


『あ……やっぱり!さくちゃんっ、さくちゃんよね?私、ほら!幼稚園の時、ずっと一緒に遊んでた……!』


『え、私の名前が?そうかな……それを言ったら、さくちゃんだって似合ってると思うけど。だって、夜に咲くって、花火みたいで綺麗じゃない。……ね。私は好きよ、さくちゃん』



「………………くそ」


 この日一番に耳に届いたのは、毎朝恒例のアラーム音でなく、自身の気怠げな独り言であった。ぼんやりしている内に柴犬型の目覚まし時計がワンワンと吠え出したのを、ムクリと起き上がりがてら頭を撫でるようにして止める。


(夢……?何で、今になってまた……)


 ああ、思い出したくない事を思い出してしまった。

 それはもう、とっくに破り捨てたはずの、淡い淡い絵日記の一ページ。愛情の赤と、憂鬱の青と、幸福の黄色から織り成した、色鮮やかで……甘くて、苦くて、渋い─────。


「ああ……少し、雰囲気……似てるかもな……橘委員長と……」


 だけど所詮、夢は夢。記憶から消し去ったはずの過去に想いを馳せるのは、金輪際これっきりにしたい。のそりと起き上がった咲夜は、抱き枕代わりの黒柴ぬいぐるみに顔を埋めてから、ばしゃばしゃと顔を洗いに向かうのだった。掠れた絵の具を洗い流すがの如く。





 そんな夢見の悪さはさて置き。


 実はそれからというもの、咲夜の日常は至って平常、いや、それよりもずっと晴れやかなものとなっていった。そう、まるで霧が払われたかのような爽快感。眼に映るもの全てが、昨日よりほんの少しだけ色濃く、愛おしく思える。自然と胸が弾んでしまうくらい、明るくて、どこまでも前向きな気持ち。

 玲二、虎由が作ってくれる料理やケーキは更に美味しく感じたし、バスでは素早く席を譲れたし、コンビニで出たお釣りはそのまま募金箱に突っ込んでしまえたり。

 とにかく、何やらすこぶる気分が良かったのだ。それもこれも全ては、あの眼鏡の先輩のお陰であると咲夜は考えている。というか、絶対にそう!


(……ふへへ。また早く感想会やりたいな)


 その頃には橘の許可を得て、例の本棚から好きな一冊を自由に持ち出せるようになっていた。つまり、就寝前、通学中、休み時間など……読書可能な機会が増えたのだ。教室ではクラスメートの目があるので控えめ気味ではあるものの、これまでとは段違いのペースで読み進める事が出来るとあって、咲夜の読書欲には一段と拍車が掛かった。


 早く続きを読みたい。

 そして、早くあの人に会いたい。


 そんな熱が、瀧本咲夜の真ん中を焦がす。

 どこか……昔懐かしい熱さだ。



「いいんちょ……こんにちは」

「やあ、いらっしゃい」


 そんなこんなな、いつかのとある放課後。読み終えたばかりの本を持参した咲夜を、橘はまた温かく出迎えてくれた。知らない教室の匂いはもう、どこにもない。


「そろそろ来てくれる頃かなーって思ってたんだ」


 椅子を引いてくれる橘に、咲夜の見えない犬耳と尻尾がぴこぴこと振り回される。羊の皮を脱ぎ捨てた狼は、今だけは単なる忠狼……いや、忠犬サク公であった。


 

 そうしていつもの楽しい感想会がひと段落したところで、橘が「あ、そうそう!猫の写真見せるって約束だったよね!」と席を立ち、一冊のアルバムを差し出してくれた。ワクワクしながらA4サイズの指定ページを捲ると、期待以上にどんどん出て来る出て来る、にゃんこ達。木の上で寝ていたり、複数同じ格好でカメラ目線をしていたり、鼻先ドアップで写り込んだりしている写真などがいくつもあって、咲夜の興奮ゲージはギュウウウウンと高まっていくばかり。


「か、可愛い……!」

「違うページも見てていいよ。今他のアルバム持ってくるね」

「ありがとうございますっ!」


 破顔したまま返事をする咲夜。そりゃ、声も弾んでしまうというものだ。

 ……それにしても、本人は自信がないと言っていたが、全くそんな事はない、十分上手に撮れていると咲夜は思った。素人目線だからそう感じるだけなのかもしれないが、少なくとも自分には素敵な写真集に見える。これまでスマートフォンで写真は撮っても現像した事はなかったので、そういう意味でもかなり新鮮である。橘が戻って来たらその辺の事も含めて感想を伝えようと考えつつ、じっくりじっくり次のページへ。

 すると、にゃん──ごほん、失礼。猫だけでなく、学校周辺や校内の他、海やヒマワリ畑など、知らない場所の写真も多数出て来たのに感心した。しかも朝、夕、夜とシチュエーションも様々。凄い、ああ見えて結構アクティブなんだ……と意外に思っていた矢先───実に予想外で、とんでもないものが映り込んだ!


「は………っ!?」


 背筋にバシッと電流が流れ、咲夜の目が一発で釘付けにされる。


(ここっ、こ!えっ、これって!?コトノハさんのと……同じっ!?)


 そう!そこに並んでいたのは、絶対に有り得ない、有り得てはいけないはずの一枚。それは、咲夜がコトノハ少年と“出逢った場所”と言っても過言ではない、美しい星空のバス停の写真であった!


「……!? ───っ??」


 何故、あれがここにあるのか。クエスチョンマークが頭を埋め尽くし、果てには脳天をぶち破り視界にまで乱入してきたところで、遅ればせながらハッとした。な、なんだ……よくよく見れば、少し違う。

 混乱しながら取り出したスマホで例のサイトにアクセスし、改めてそれらを見比べ……やはり、といった結論に至る。ああよかった。思った通り、同じではない、限りなく似ているだけだ。……でも、これだけは言い切れる。あの場所であるのは間違いないと……!

 例えるなら、WEB上の写真は真正面から撮られているものだとして、今目の前にある方は斜めから撮ったもの。要は単純に、別角度で何度か撮影した内の一枚、といった感じだった。……そう認識を改めると、ますます怪しさが募るというもの。


(偶然……夜に、同じ場所を撮ったとか……?)


 ちら……と戸棚を漁る先輩を盗み見て、一瞬浮かび上がった“まさか”の想像を打ち消しにかかる。いやいやそんなはずはないと首を振り、引きつったように呆れ笑いを浮かべながら。

 ずっと憧れていた人が、実は身近な存在だった───なんて、確かに“あるある”な話ではあるけれども……?!


(いや……ないでしょ、ないない。だってコトノハさんは“少年”のはず、なんだから……)


 との議題を論議するのは、毎度お馴染み天使と悪魔。


 ──うん、自分の事“僕”って言ってるしね?

 ──でも改めて考えたら今って一人称と性別を結び付けるのナンセンスじゃない?レイママだって普段は“ママ”じゃなくて“私”だし。まあレイママはオンナだけど。

 ──てかその前に、言うてアタシら文面でしかコトノハさんの事知らないじゃん……

 ──しかも“コトノハ少年”てただのHNだし、リアルとそんな関係あるかな?


(うっ……そういえば、自分は男ですって公言してる訳でもないな……)


 脳内会議が進むごとに、じわじわ滲む嫌な汗。それでもどうしても認めたくない思いから、必死に反論を重ねる咲夜なのだが……


(でも、でもさ?これだけで“そう”って疑うのはやっぱりどうかと思うよ?だって、偶然同じ場所を撮っただけの可能性の方が全然高いじゃん……きっと、どこかの有名な撮影スポットなんだよ……)


 ──ま、写真だけならまだその方が自然だよね。……でも、それをアタシが言う?あの写真からファンになって、食い入るようにずっと見続けてきたこのアタシが?

 ──それに、橘委員長がコトノハさんのオススメの本、いっぱい持ってたのはどう説明付ける?


(そっ、それは……っ)


 結局他ならぬ自分自身に論破されかかった時、追い討ちとばかりに、先日彼女が語った内容を思い出してしまった。それは、橘──自分がカメラを触り始めた、数年前のあの気持ちだ。


 ──『……それで、撮り方を教わってる内にだんだん、ファインダー越しに見える景色にハマっていったんだ……まるで物語のワンシーンを覗いているみたいで、ドキドキして……』


 今思えばつまりあれって……創作的な何かに目覚めたきっかけとか、なんか、そういう事だったんじゃ。。

 と、考えれば考える程目を閉じずにいられなくなった咲夜は、たまらずごくっと生唾を飲み込んでしまった。

 もし、もし、もし、仮に。本当に、本当に……彼女が、“彼”で。つまり、“彼”が、彼女だったとしたら………!?


(アタシが崇拝するコトノハ少年さんは……こんな、ほんとに、普通の、普通でしかない……女の子だったって事、で……!?)


 イコール───


(偶然、入学先にいて……偶然、同じ委員会になって……偶然、こうして仲良くなれた、って事……?)


 ──アタシの、大好きな神様と……!?


 一度目は 偶然。

 二度目は 奇跡。

 三度目は 運命。


 なんて言葉が、蘇る。


 そんな馬鹿な!と尚も否定し続ける自分と、期待に胸を膨らませ、高揚しかける自分がいる。アルバムとスマホを持つ手を震わせながら、咲夜は上擦った声で橘に問い掛けた。


「……ぁ、ちょっと、聞いてもいいですか?」

「んー?なぁにー?」

「コトノハ少年って知ってます……?」


 どんがらがっしゃーん!!!


 その瞬間、物っっっ凄い騒音が鳴り響いた。それは橘が、両手に抱えたアルバムごとすっ転び、内一冊が戸棚にダイレクトアタックした諸々の衝撃音だった。ごとっ。がん!ばらららら。──ちなみに今のは、戸棚から落ちた冊子類が橘の頭上に遠慮なく降り注いだ音である。咲夜は当然肩を跳ね上げたが、それ以上に、突然目の前で繰り広げられた漫画チックな緊急事態に驚き、あんぐりと口を開けた。


「なんっ……どうして咲夜ちゃんがそれ………えぇ!?」


 ズレた眼鏡。舞い散る写真。紙束に埋もれたまま逆に問い返してきた彼女が動揺すればする程、咲夜の中で確信という名のピースが集まってゆく。


(何だよ、そのベタなリアクション……)


 結果、大丈夫かと駆け寄る事も、受けた問いに答える事も何もかも出来ずに、こうして半分意識を飛ばした状態で固まってしまった。挙げ句の果てには、全然何も面白くないのに口元に謎の笑みさえ浮かんでくる。アーメン。


「……愛、と言えば……」

「え?」

「愛は……何色だと思いますか……」

「…………! そ、その質問……!?」

「という事は……やっぱり、赤、ですか……?ハートマークのイメージから取って……」

「どうしてそれを……まさか、咲夜ちゃんって、Amourさん……?う、嘘でしょ……?」


 ああ、嘘であってほしい。が、残念ながら、その名が出たからにはもう確定である。何を隠そうAmourとは、各作家達へコメントを送る際に用いている咲夜のHNなのだ。当然それはコトノハ少年宛てにも該当するし、こうやってすぐ名前が出てくるだなんてファン冥利に尽きる……ってそんな事は置いといて。

 話を戻そう。さて、真っ青になったり真っ赤になったり忙しい橘に更なる驚愕を塗り込んだところで、とうとう望まれないパズルは完成した。嗚呼、完成してしまった!


(ええと……読書が好きで……?)


 咲夜は無意味に天井を見上げ、これまでのやり取りの全てを思い返す。


(写真も上手くて……? 人間観察も得意で……? 記憶力凄くて……? んで、あんなに引き込まれる小説書けるとか──)


 キャパシティが限界を超え、思考という思考が全て脳に放棄された咲夜は、フッと綺麗な微笑を浮かべたかと思うと、まるで意味不明なツッコミを最後にくらりと意識を手放したのだった───………



「多趣味かよ………」

「……え?ちょ、咲夜ちゃん?大丈夫!?どうしたの、待って!色々聞きたすぎるから!ねぇっ、しっかりして!咲夜ちゃあああああん……っ!?」

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