言葉が為に、口閉ざす―4―
「いやだからもうマジで言葉にならなくて……!尊いし悲しいしでほんと……何でそこでレオンが引かなきゃなんないのって言うね……!あのほら、終盤の森のシーン覚えてますか?レオンが……」
「『この気持ちに名前を付けるならきっと愛だった』?」
「そう!!そこっ!そん時のアイリッシュもアイリッシュでマジ……あーーーもおおお思い出したらまた泣けてきた……アタシ実は図書室でめちゃくちゃ泣くの堪えたんすよ……はぁ、くそぉ……ほんと最高だった……いつかもっかい読むわ絶対……ぐすん」
「ティッシュいる?」
「あじゃます」
「何?」
「ありがとうございますっ」
「あはは」
冷静?穏やか?静か?にこやか?和やか?真っ直ぐ?
「あーーー……出会いに感謝しかない……」
……普通?
否。……素丸出しだった。
最初こそ。最初こそ、咲夜は至って普通に、知的に、思い思いの感想を述べていた。
元々こんな感じの話だと聞いていた、読んで期待通りだと思った、でも読み進めば進む程に趣きに触れ、様々な感情が渦巻いて……などなど。いつも通りの自分を保ちつつも、実に有意義な感想会になっていると自負していた……の、だが。そんな彼女の唯一の誤算は、お相手である橘が素晴らしく聞き上手だった事だろう。
言葉に詰まった咲夜に適切なワードをアシストしたり、こう感じたという意見に賛同したり、とにかく余計な動作は一つも入れずに最後まで、ひたすらうんうん優しく頷きながら聞きに徹してくれたのだ。
普段、ベタベタな恋愛ストーリー好きという内面をひた隠しにしている咲夜は、知らず知らずの内に、この楽しさに没頭していた。好きな事を好きなだけ話せる爽快感。気が付く間もなく、コロッと、タガが外れたという訳だ。
それはもう、お約束と言えば、お約束な。
咲夜の言う、ベタ中のベタ、よくある展開という奴で……
「咲夜ちゃん、落ち着いた?」
「あ、はい、まあ……何とか……」
「んふふ、ありがとね」
「? 何がですか?」
「“いつもの”を見せてくれて」
「へ?」
「ん?」
「………は?」
にこにこと頬杖をついている橘のその言葉に、ようやく己の失態を客観視する咲夜。
「………………」
その途端、赤面。ではなく、絶望。
「………………………」
後悔やら悔恨やら羞恥やら、様々な負の感情が咲夜に襲い掛かり、血の気が引き、頭を抱え、目を虚ろにし、そして最終的に。
「消えたい」
魂が抜けた。
「急に何?!」
「いや……ここまで来ると自分のバカさ加減に呆れを通り越して逆に尊敬ですよね……」
「咲夜ちゃん?」
「フッ……さようなら委員長……私の事、どうか忘れないでいてくださいね……」
「え?ちょっと?」
「いや忘れてくれないと困るんだったわアハハハ」
「落ち着いて!?さっきからどうしたの?っていうか、だからそうそう忘れないってば!」
自暴自棄に立ち去ろうとする後輩をテンパりながら引き止める、橘。グッと引っ張った細腕は思ったよりも随分軽く、咲夜はそのままガクンと椅子に腰を落とし、そして無気力な溜息と共にこう嘆いた。
「ああ……まさかこんな、人畜無害を具現化したような人にバレてしまうとは……」
「……や、私から特別何かしたって訳でもないけどね……?」
と、呆れ笑いのようなツッコミを受けても尚、某ボクシング漫画の主人公のように真っ白に燃え尽きているそんな咲夜の前に、橘はそっとしゃがみこんで。
「ごめんね。とにかくその、咲夜ちゃんがショックを受けてるのだけはわかったよ……」
「いえ、いいんです……私がマヌケだっただけなんで……」
「そんなにいつもの自分を見せるのが嫌だったの?」
「…………まあ」
「どうしてか、聞いてもいい?」
「……それは……だって、」
「うん……?」
「………」
ああ、何もここまで聞き上手じゃなくても。
と咲夜は、あえて低姿勢でいてくれている彼女の心遣いに、唇をきゅっと結ぶ。
──いいじゃない、話してあげたって。
ふとその時、またもや天使が囁いた。
──この人ならきっと信用出来る。話も合うみたいだし、自然体で接しても大丈夫だよ。だって、思わず素で話しちゃうくらい、すっごく楽しかったんだもん!
同調し、頷きかけたその刹那。それを制するように悪魔が──いいや、止めておこう。と首を振る。
──それはよくわかるけど、だからってまた同じ事の繰り返しになったら……結局、傷付くのは自分だよ。忘れた訳じゃあないでしょ、あの時の気持ち……
「…………」
「……もう少しで時間だね。先生が見回りに来る前に出ちゃおっか」
「あ……は、はい」
「靴箱のとこで待ってて?すぐ鍵返して来るからさ」
「……わかりました」
言われた通りにしたその後、案内されたのは校舎裏。こうして連れられでもしない限り、進んで入って行こうとは思わない場所だった。フェンス近くの草陰にまで連れて来られた時、咲夜はぼんやりと「あーこれ、喧嘩漫画なら呼び出されてカツアゲされるシーンだ……」とか何とか呆けた頭で考えていたせいで、橘の一声を聞き逃す羽目になる。
「あっ、ごめんなさい、今何て……?」
「ん?だからね、ここにたまに猫が遊びに来るんだけど、今日はいないから残念って」
「え!あ、ああ……いないんですか、それはドンマイですね」
「うん、可愛いんだよ。人馴れしてるみたいで大人しくってね」
「へぇ……!いいなあ、私も見てみたかったです」
「好き?猫」
「好きです!猫だけじゃなく、犬も。てか動物なら全般的に……みんな素直で、裏表が無くて、可愛いですよね」
「……そうだね」
フェンスの網に軽く手を掛け、残念そうに黄昏れる咲夜の後ろ姿を見て、橘は「ああ」と一言呟く。
「だから好きなんだ?」
「はい?」
「自分も素直でいれるから」
その問いに、咲夜は少々眉間に皺を寄せて振り返った。それにしても本当に、我ながら素モード時は愚直なまでに表情が面に出てしまうものだ。
「なんでわかったんだろうって顔してるね」
「惜しい。恐いなこの人とも思いました。……委員長って、人間観察も得意なんですか?」
「そうかな……うん、そうかもね?」
「はは、マジか……」
「咲夜ちゃん……あのさ」
「はい」
「私、さっき、生き生きとした咲夜ちゃんとお話してるの、凄く楽しかったし、嬉しかったよ。いつかまた、今日みたいに感想会が出来たらなって思ってる」
「……それは、私もです」
「……! じゃあさ、だったらもう───」
「待ってください」
にこやかに差し伸べられたその手を、咲夜は剣豪な眼差しでもって振り払った。怯えたようにビクッと静止する、橘。開いた空間は、そのまま心と心の距離だ。天使にも、悪魔にも、どうしても譲れぬ矜持の為に。咲夜は淡々と、瞳や頭が冷えていく感覚を覚えながら言った。
「多分、私……いえ、アタシ、委員長が今何を言おうとしたのか、何となくわかりました」
「……うん」
「でも、それだけは絶対に言わないで欲しいんです。だってアタシ、これが辛いって思った事はないんですよ。一回も。言う程無理しまくってる訳でもないし、誰かに強制された訳でもない。他でもないアタシが、アタシの為に、こうしたくてしてる。……だから、何があっても言わないでください」
“これからは、そのままの自分でいいんじゃない”、なんて───
「貴女の事、嫌いになりたくありませんから」
───死んでも、御免だ。
「……そう、だよね。ごめん。私ってば、何も知らない癖して、色々でしゃばりすぎた。……ごめん」
と、苦しそうに胸のタイを掴み、深く頭を下げる橘。その姿に、咲夜は数秒遅れてハッとした。何もそこまでさせるくらい、責めているつもりはなかったのに。
「あ、いや……!でも、心配してくれたのもわかるんです。ありがとうございます、こちらこそすみません……」
「ううん。……じゃ、帰ろっか」
心なしか元気なさげに歩き出すその背中に、何と声を掛けるべきか。咲夜は結局気の利いた事は何も思い付けぬまま、黙って着いていくしかなかった。途中でバス通学だと伝えたのに、そんな自分は寮生だと言うのに、反対方向である最寄りのバス停まで送ってくれた橘。本当に、どこまでも優しい先輩だ。……それは、最初からわかっていた事だけれど。
「委員長、今日、本当に楽しかったです」
「うん、私もだよ」
二人きりのバス停で、別れを惜しんだ咲夜が言った。
「その内また、写真部に会いに行ってもいいですか」
「いいよ、もちろん。大歓迎!」
「あと……にゃ……じゃなくて」
「にゃ?」
「ね、猫も!また探したいです……」
「ん、そだね。今度その子の写真も見せてあげる」
「ほんとですか!」
にゃんこの話で目を輝かせるわんこ。可笑しそうにクスクス笑う橘に、はにかみ顔で目を細めた咲夜の頬は、頭上と同じ夕焼け色をしていた。
と、バスがやって来る。長いようでいつもと変わらぬ、そんな一日の終わりを告げに。
「じゃあ、またねっ」
橘は、まるで何事もなかったかのように笑顔で手を振ってきた。それを受け、会釈をしつつ、考える。きっともう彼女は、自分から何かを聞いてきたりはしないだろう。こちらもそうだ。お互いに大きく踏み入らず、遠からず近からずのスペースを保って。
(でも、本当にそれでいいのかな……?)
カツン、カツン。ステップを上る脚が重い。
(せっかく、ようやく、理解ってくれそうな人と出逢えたのに……)
胸の真ん中がじくじくと痛む。
どうすんだ?
どうすんだよ、咲夜!
(───ダメだろ、やっぱり、このままじゃ……!)
「橘委員長っ!」
堪え切れず、叫んだ。
「多分、これから学校のどこかですれ違う時とかもあると思うんですっ。その時は、わた……アタシ!貴女にだけは出来る限り、“普通”に話します!」
「え……いいの?」
「はい!だって、やっぱり……嬉しかったですから……っ」
貴女に、あの日、素直と言って貰えた事も。今日、心配して貰えた事も。これから一緒に、好きな話で盛り上がれる事も。
本当の意味で自然体でいれたのは、高校ではこの人が初めてだった。差し伸べられた手を取るのは、決して悪い事ではないはずだ───今は、そう信じたい。
「だから……その、変な後輩ですみませんけど、お願いしますっ、これからも仲良くしてしてください……!」
「ふふ……おっかし。変って、咲夜ちゃんが?何の話?」
「えっ?いやそれは、だからアタシが」
本当はこんな性格で──などと続けるつもりの言葉がその時、運転手によるアナウンスに阻まれる。
ああ、まだ話し終わってないのにと悔やむ鼓膜に、やけに煩く鳴り響くバス特有の閉鎖音。仕方なしに諦めたその瞬間……そう、扉が完全に閉まる直前の。その最後の最後に、ぺろりと舌を出した橘がこう言った。
「ごめんね。忘れちゃったや」
……その後、乗客が少ないからこそ出来る独り占めの二人席にて。
頭から湯気を出して卒倒している咲夜の姿が、そこにあった────。
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