言葉が為に、口閉ざす―2―
本校の図書委員の仕事内容は、本の貸出しや返却、図書室の整理整頓、本の仕入要望アンケートの取組みなどにある。その中でもやはり本の貸出しと返却が主な活動だろう。実際、咲夜がヘルプを頼まれたのもこの仕事である。時刻は放課後、早速咲夜は図書室を訪れていた。───はちゃめちゃにゴキゲンなスマイルで。
さて。咲夜がこの図書委員会を選んだのには、実は他でもない……というかやっぱり、れっきとした理由があった。蓋を開けてみれば単純明快なのだが、端的に言えば、待ち時間中本が読み放題だからである。
ひょんな事から極一部に隠れロマンティストな事がバレてしまった咲夜だが、そんな彼女の内緒の趣味はお小遣いで少しずつ揃えている少女漫画や、ネットの投稿サイトにてUPされているイラストや小説を読む事だったりする。その中でも特に、咲夜が推している作品───延いては、作者。それが、先日天華を嫉妬の炎に駆らせた問題人物──【コトノハ少年】という訳だ。
きっかけは、一枚の写真だった。
ぼーっとスマホをいじっている時に偶然目に留まった、満点の星空と古ぼけたバス停の写真。ただ、美しかった。吸い込まれそうだと思った。まさか、たった一枚の写真で言葉を失う羽目になるなんて……それはもちろん、十数年間生きてきて初めての経験で。
なんて綺麗。これはどこで撮った写真なんだろう。このバス停は、こんなに錆びれるまでどれだけの人を送り迎えしてきたんだろう………
咲夜は自然と、そのページの先を読んでいた。そして知る。この写真は、コトノハ少年なる者が手掛けた小説の表紙なのだと。彼が自分自身で撮って、その背景を想像し、文字で表現してみた作品なのだと。
(……凄い)
読み始めてから終えるまで、咲夜は何度もそのバス停に想いを馳せた。まるで登場人物の一人になったかのような気持ちで、時には運転手、時には傘を手に出迎える恋人、時には傍らのベンチで涙する学生になりながら……。
そうして彼の他作品を全て読み終える頃には、もうすっかりコトノハ少年なる者のファンになっていた。本名も年齢も住まいも容姿も何もわからなくたって、眩しいくらいに煌めいてさえいればそれで充分。救われた気持ちに嘘は吐けない。このような投稿サイトの存在を知ったのが初めてだった事もあり、咲夜はみるみるうちにハマっていった。そして現在、暇さえあれば繰り返し閲覧、感想等をコメントする生活を送るようになったという訳だ。
要は、自分以外の物語に浸りたいのだ。最高の物語を読んでいる時だけは、咲夜はどんな世界でも行けるし、どんな事だって出来る。もう国語の教科書に載っている分だけでは物足りない。もっとたくさん漫画も小説も読みたいけれど、レイママ──玲二におねだりするのは気が引けてどうしても頼めない(確実に奮発してくれる未来が見えるから)(富田家は何かと咲夜に甘いのだ)。
なので、誰にも苦労を掛けず、学生には何よりも有り難い無料という待遇で文字をなぞれるこの委員会は、咲夜にとって至れり尽くせりの環境と言って差し支えなかった。故の、このリアルスマイル。本当は機会さえあれば、怪しまれない程度で何度だって来たいと思っている咲夜は、意気揚々と図書室の扉を開け、司書の先生に挨拶をするべくカウンターに目を向けた。
(あれ?いない)
奥の書庫にいるのかしらと手を掛けると、案の定、普段は鍵が掛かっているそれが咲夜をキィと受け入れる。
「……あのー。先生?私、一年の瀧本です。聞いてるとは思うんですけど、今日当番だった子が体調不良でお休みになった代わりに……って何だよ、誰もいないじゃん」
だったら何で開いてるんだ?昨日鍵掛け忘れたのかな……?なんて考えながら、物珍しさからの興味が勝り、何となくそのまま中に入ってみる。当然広くはないが、小綺麗にされていて不思議と落ち着く部屋だと思った。そして、こちらにも何故かある背の高さ程の本棚。表に出ていない理由は不明だが……ぱっと見で古ぼけているので、いずれは処分予定の本達なのかもしれない。それでも少々気になった咲夜は近くまで寄り、チラと眺めて……心底ギョッとした。
「え!これ……前にコトノハさんがオススメだって言ってた奴……うわ、よく見たらこっちも!こっちもだ!──え、嘘でしょ……?古本屋で探してもなかったのまであるんだけど……」
驚愕と感激のあまりポンポン独り言が飛び出すが、ずっと気になっていた書物が目の前にズラリと並べられていた喜びに比べればどうって事ない。興奮した咲夜はキラキラと目を輝かせながら、それらを次から次へ手に取っては戻し、手に取っては戻しを繰り返す。
「やばい、全部読みたい……!でも、わざわざこっちにあるって事は閲覧自由じゃないのかもしれないし……」
「いいよ、読んでも」
「マジですか!?───えっ?!」
肩を跳ね上げ、振り向く先にまさかの人影。
「こんにちは。君、一年生?」
「……あっ……はい!えと、私、今日図書委員の当番になって……いやっその前に、か、勝手に入ってすみません!鍵が開いてて、つい……」
「ああ!ごめんごめん、驚かせるつもりはなくてね。大丈夫、こんな事で怒ったりなんかしないよ。だからそんなに緊張しないで」
と、朗らかに言われたものの、完全に気を抜いていた咲夜の萎縮はなかなか解けない。不意を突かれてしまった事もそうだが、歩み寄ってきた人物のタイが新緑色だったのが一番の要因だ。つまり、相手は三年生。生徒会メンバーでもない、知らない先輩なのである。
ただでさえ上級生相手に余計な粗相は避けたいところなのに、人一倍己の体裁を気に掛けている咲夜はこれ以上ボロを出してなるものかと、慌てて平凡な優等生の仮面を被ろうとした……の、だが……
「あれ?君、確か……瀧本……」
「え」
「さ……そうだ、咲夜ちゃん。瀧本咲夜ちゃん、だったよね?」
「そうですけど、どうして……」
「えへへ。私、記憶力には少し自信があってね。ほら、一度、委員会の説明で全学年が集まったでしょ?その時、みんなで軽く自己紹介しあったじゃない」
「あ、ああ、そういえばそんな事も……え?でもそれだけで……?」
「まあね。咲夜ちゃんは私の事、わかんないかな?」
「!?」
いきなりニコリと問い掛けられ、咲夜の愛想笑いは大層中途半端なところで固まってしまった。ほぼ……というかこちらからしたら完全初対面で下の名前で呼んできたのはもうこの際いいとして──いきなり何て質問をしてくるんだ、この先輩は。
(よりによってこのアタシに……他人の名前を思い出せって……!?)
一番苦手なんですけどっ、そういうの!!と内心で大汗をかきながら、必死に記憶の海に頭からダイビングする咲夜。
まず、見た目。背丈は自分と大して変わらず、まあ少し高いくらい。つまり小柄。ほっそりめの普通体型だ。髪型は……明るめブラウンのショートカット。ギリギリ膝が隠れる程度のスカート丈。それとセーラー服でよく見えないが、シンプルなネックレスを身に付けているようで……他に特徴を挙げるなら、その細縁の赤い眼鏡と言ったところだろうか……と言うより、正直、それ以外は特出するような所がない。必ずクラスに一人か二人はいる、目立たないけど可愛い、控えめタイプの女の子、という風な印象だった。……いや、参った、こういう人が一番記憶に残らないのに……。
(いや、待てよ……委員会で会ったって言ってたな……?)
図書委員会。自己紹介。最上級生。そしてこの物腰の柔らかさ…………?咲夜の脳裏に蜃気楼のようなボヤボヤ加減で、黒板に名前やら役職やらを書き記す誰かの姿が浮かんできた。そしてその人は、次に穏やかに頭を下げて……
──『今期の委員長になりました、タ○○○ ○○○です。よろしくお願いします』
と、言った。
ような、気が、してきた。
「……た」
「た?」
「確か……た……たち……委員長……?」
「ふふ、あはは!そう、ありがとう。図書委員長の橘です」
「あっ、そうでした!難しい方の橘なんだなって思った記憶が……あ゙……ごめんなさい……」
「……咲夜ちゃんって、とっても素直だね」
「……へ?」
「よく言われない?ちょっと話しただけなのに表情コロコロ変わって、何だか見てて飽きないや」
「そ……!い、言われないですよ!素直だなんて………いやもう、ちょっと、待っ……一回タンマで!」
「ん?うん」
キョトンとしている先輩を置いて、咲夜は一度書庫を飛び出した。そのまま扉に背中を預けて……大きく大きく深呼吸。図書室特有の木と紙の匂いが、乱れた心をゆっくりと落ち着かせてくれる。
(……素直なんて言われたの、いつぶりだろう)
少なくとも、初めてだ。人前で強がるようになってからは。
他人には決して理解出来ないであろう、α供からの庇護的な視線。無意識の内に繰り返される、過小評価。どうって事のない何かですら逐一心配される煩わしさ──つまり、深層心理での、Ωへの支配欲。そういったものを断ち切る為に、咲夜はこれまでずっと………。
(い、いや、今は見栄を張る前だったからノーカンでいいはず!)
ああそうだ、そうに決まってる、そうさ、間違いない!と自身を納得させようとしつつも、ドクンドクンと何故かうるさい心臓。気にするな、気にするなと首をぶんぶん振ってから、再度書庫の扉を開けた。
「すぅ、はぁ……よし!……失礼します」
「……? どうかしたの?」
「いいえ、何でもありません。大きな声出してしまってすみませんでした。本当に何でもないので気にしないでください。というか、さっきの事は出来れば忘れてもらえると助かります」
「………咲夜ちゃん?」
「はい」
「急にどしたの?」
「え?いえいえ!どうもしてませんよ。むしろ、こっちがいつもの私です」
「ふうん」
「……何か?」
「ううん。まあいいや!それで、その本だけど、私のでもあるから好きに読んでくれていいよ」
「え?そうなんですか?」
最初こそ何か言いたげな様子の橘だったが、それすら許してくれない空気を悟ったらしく、さらりと話を元に戻してきた。
「うん。その棚にあるのって、歴代の図書委員が寄贈してくれた本なんだって、全部。だから私もそうしようと思って、オススメのをいくつか持ってきてあるんだ」
「へぇ……」
感慨深そうに本棚を撫でる彼女に習い、咲夜もそれを見上げながら、今一度近くまで歩を進めた。何とも文学好きらしい、青春の残像である。
「あ、そういえば、今日の当番なんだったよね?ここの鍵開けてくれたのは先生だよ。さっき廊下ですれ違ったんだけど、所用があったの思い出したって言ってたから、待ってればその内戻って来ると思う」
「ああ、なら良かったです」
「だから、今図書室に誰もいないのかなと思って、私が様子見に来たんだ」
「そういう事でしたか」
「ところで咲夜ちゃんって、読書好きなんだよね?」
「あはは……何ですか急に」
脈絡も突拍子もない質問。ついつい乾いた笑いが漏れてしまう。
「だってさっき、これ全部読みたいって言ってたじゃない」
「あ、ええと、ですからそれは……」
「いいよって言ったら、マジですか!?って凄く嬉しそうに──」
「忘れてくださいってば……っ」
「ふふ、ごめんね。でも、難しいかな。私記憶力良いから」
「……そうみたいですね」
「あれ?受け入れてくれるんだ」
「だって、一回さらっと会っただけの一年生……しかもその場にいたのは私だけじゃなかったのに、下の名前までなんて覚えられませんよ、普通……」
「そうかな?そうかもね!」
「そうです。……とにかく、その……そういう事なら、有り難くお借りします」
「ん!じゃあ、頑張ってね、当番。今度会えたら感想聞かせて?」
「はい」
それくらいは当然、借りたものの礼儀としてきちんと応えるべきだ。と、しっかり頷き返した咲夜に、橘も屈託のない笑みを浮かべて。
「それと……その時はもう一回、いつもの君と話せたら嬉しい、かな?」
「………!」
「バイバイ」
「……さようなら」
先輩の姿が見えなくなってから、咲夜はモヤモヤとした気分で額に手をやり、深く重い溜息を吐いた。ああ……つくづくやらかした、と。天華の時のように、嫌われようとして自分から素を表したケースとは訳が違う。本当に、油断していた数分前の己を悔やむ。なんて今更言っても仕方ないから、この際教訓にさせてもらうが。例えその場に一人だろうと決して気を抜くべからず……と。
(っていうか、いつものアタシって何なんだろ)
立ち尽くしながら、そのまま少し考えた。確かに、自分は普段から無理をしている。平凡面のαの群れに馴染むように、平均以上のΩの値を気取られないように、誰にも弱味を見せないように当たり障りなく振る舞ってはいる。
──でも、それが毎度の事ならもう“いつもの”って言ってもいいんじゃないの?
心の中の、悪魔の囁き。
(ああ、そうだよね。そう決めたのはアタシ自身なんだし、後悔なんてしてない)
──……だけどさ、嬉しかったよね。素直って言ってもらえて。
“あの娘”以来だもの、と───天使も。
(…………うん……)
抑えた額が熱い。手のひらも、目頭も、全身が燃えるように熱い。心臓のバクバクが鳴り止まないのは、素性を見られた動揺のせいだと思っていた。未だに本への興奮が冷めやらないせいでもあると、無理やり思い込もうとしていた。それなのに………。
──『咲夜ちゃんって、とっても素直だね』
「……次、ちゃんと名前聞こう」
橘委員長。羨ましいくらい、“普通”の人。最初は随分馴れ馴れしい先輩だと思ったけれど、こうして話し終わってみれば、そんなに嫌じゃなかったかもしれない。……不思議な、いや、変なセンパイ。でも、何だか興味が湧いた。
また、話をしたい。
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