オモイが為に、爪隠す―1―


「天華。誠実の意味を知っていますか?」

「……真面目。正直者。真摯的。真心を込めて物事を捉える様、とか?」

「その通り。では、誠実と不誠実、どちらが良いとされているでしょうか?」

「……」

「そう、誠実ですね」


 時刻は間も無く消灯時間といったところの、神楽坂女学院学生寮。

 ベッドに腰掛けた二年生の竜峰天華に、同じく寝る体勢間際の三年生、同室である小鳥遊來夢が、まるで小テストの予習をするかの如く尋ねた。しかしながら、訳あって少々高圧的に。


「……來夢」

「それでは……我欲の為に力を使い、大勢を巻き込み、目的の人物を追い込むのは果たして、誠実な行いと言えるのでしょうか?いいえ、言えません。絶、対、に!」

「はぁ……」


 額を抑えて俯く天華に、來夢が目を三角にしてまで息を巻くのには、何を隠そう、大変な理由があった。


──

─────


『一年B組、瀧本咲夜です。あれから色々あって、生徒会メンバーになりました。改めて、今日からよろしくお願いします、小鳥遊生徒会長』

『…………What?』


 一足先に生徒会室で書類の整理をしていた來夢は。訪れた人物と、丁寧なお辞儀と、その笑顔と、語られた内容があまりにも想定外すぎて、一気に頭が真っ白になってしまった。あの瞬間は、当分忘れられそうにない。


『そういう事だから』


 と、彼女の隣でのたまった、我が親友のドヤ顔も……


『いや……何が……そういう事なんですかっ!?』


─────

──


 ひとたび來夢がお説教モードに入ってしまうと、それはもういつまで経っても終わらない小言、小言、小言。こんな風になられるのはかなり久々だ。放課後から今の今まで、適当な事を言ってはぐらかし続けてはきたものの、さすがにもうここいらが限界なようで……。


「だから……言ってるでしょ、瀧本さんはスカウトに応えてくれただけだって」

「私を甘く見ないでください、天華。カグジョにおいての情報量は、私の方が上なんですから」

「……」

「……聞かせてもらいましたよ、実に、色々な噂を。ですからもう、単刀直入に聞きますけど───」


 ジロリ。合わせてもないのに、來夢の視線が痛い。


「貴女、女神をハメましたね?」


 いえす、ざっつらいと……──自業自得とは言え、こう真っ直ぐ責められるのは結構ツライものがあると思いながら、天華はぐっと口元を引きつらせて押し黙った。今はまだギリギリ手で隠せそうではあるが、似合わない冷や汗が流れ落ちて来るのももはや時間の問題である。


「全く……そんな事では、あの娘に嫌われてしまいますよ」

「!」

「はぁ。ようやく顔を上げたかと思えば」

「……だって」

「だって?」

「……仕方ないでしょう!ああでもしなきゃ、瀧本さんを側に置けなかったんだから!」

「何開き直ってるんですか!?」


 乙女の就寝前とは思えない声の荒げようである。はっきりド正論で返した來夢は、これ見よがしに大きな溜息を吐き、自身のこめかみをトントンと叩きながら言った。


「いいですか、天華。貴女から聞いた話と、私なりの見解をまとめますよ」

「……どうぞ」

「先週末、天華がお兄さんと出掛けたあの日。チャンスの女神──改め、瀧本さんに出逢ったんでしたよね。そしてその翌朝、学校にてまさかの再会。早速声を掛けに行って……その、」

「断られたけど、諦めないって言った」

「……ですね。それを聞いた時はかなり驚きましたし、正直天華がフラれたなんて今でも信じられませんが……ともあれ、一度切りで諦めないのは良いことです。その点は応援出来ます」

「……その点は?」

「で、同じ日のお昼休み。これは私も一緒にいたので……というか、巻き込まれたので?よくわかるのですが? 突然、天華と瀧本さんとでおかしな勝負を始めたんでしたよね」

「おかしなって……失礼な。來夢もわかるでしょう、あそこにいたんなら。私が本気だって事も、瀧本さんだって冗談なんかじゃなく──」

「問題はその後です!」


 憤慨しかける天華をズビシと遮るなんて芸当、同年代では彼女にしか出来やしないだろう。

 と、いかにも「私は怒ってるんです!」とばかりに腕と脚を組んでみせた來夢だが、そんな事では別段天華は怯まない。それどころか、組まれた事で細く長いお御足が最高の画になっているのが逆に腹立たしくて、対抗しようと一瞬足を上げかけたくらいだったくらいだ。一応、何となく止めておいたが。


「瀧本さんの教室に乗り込んだんですって?天華!貴女程の人が、まだ学校に慣れ始めたばかりの下級生の前に立ったら……!それはもう、その娘にとっては選択肢がないようなものなんですよ?現に、だから瀧本さんは……もう、天華だって嫌でしょう、興味の無い事を強制的にやらされるのは」

「それは、そうだけど……!でも、チャンスの女神に前髪はないって言ったのは來夢でしょ?」

「あれはそういう意味じゃ……」

「……そうよ、出来る事は全部しなきゃ、あの娘は手に入らない。……いいえ、私のものにする為なら、何だってやってやるわ」


 想像する。咲夜が“運命”を受け入れる未来を。


 ああきっと、そこには幸福しかない。手を繋ぎ、向かい合い、抱き締めて、キスをして、甘くとろけて、一つになるのだ。

 ああ……!それは、どんなに美味な事だろう!きっと今まで食してきたどんなご馳走よりも、珍味よりも、スイーツよりも……格別に絶品に違いない、あの少女。もはや自分の人生は、彼女なしでは考えられない。いや、彼女がいて初めて魂が満たされる──そう言い切ってしまっても差し支えなかった。だって彼女は、この世にたった一人の“運命”なのだから。それが、“運命”という因果の、重さなのだろうから───。


「天華?」

「あ……ごめん、何?」

「……いえ、何でも。天華がどれだけあの娘を強く想っているのか、少しはわかりました。それでも、彼女を無理やり生徒会に引き入れたのはやはり、生徒会長として許し難いのですが……」


 と、やり切れなさそうに肩の力を抜き、楽な体制に戻した來夢は、そっと目の前の親友を見つめて。


「……天華。私は、貴女に幸せになって欲しいと、心から願っています。天華の憂いを晴らすのにあの娘が必要だと、他でもない貴女自身がそう言うのであれば、もちろん協力は惜しみません」

「何、突然」

「……だからこそ、あえて伝えておきたいのです。こんな言葉を聞いた事はありませんか?『愛は、お互いを見つめ合う事ではなく、共に同じ方向を見つめる事である』──と」


 海外発の、有名な格言だ。もっとも、聞いた事がある程度で、深く考えたなどなかったが。天華は肯定しながらも、首を傾げて問い返す。


「あるけど……それが?」

「一度、自分の胸に手を当てて、よく考えてみてはどうでしょう?天華のその愛は今、本当にあの娘に向けられたものなのか……」

「……どういう意味?」

「要するに、自分の為だけに瀧本さんを利用しようとしてはいないか、と聞いているのです」

「り……利用!?そんな訳ないじゃない!」

「本当に?」

「っ……」


 これだ。その、來夢の澄んだ瞳。怒りも、嘆きも、憂いも、蔑みも何にもない、ただ純粋な気持ちが込められた、碧眼。吸い込まれてしまいそうだと思った瞬間、天華の脳内から否定の二文字が消え、掠れた空気が喉の奥に戻って行ってしまった。


 ──『なんか、センパイって、普通にいい人っすね?』

 ──『これまでの人と違って、無理やり気持ちを押し付けて来なそうっすし……』


「……!」


 そして代わりに浮かんだのは、咲夜による、天華への率直な印象。そんな彼女がαとの因果関係を打ち明けてくれたのは、自分が泣きながら素直な想いを伝えたからではなかったか。あの時の衝動に、下心や打算はあっただろうか……いや………きっと───。


「來夢……」

「はい?」

「……人を好きになるって、難しいのね」

「……そうですね。でも、思ったより単純なものでもありますよ」

「難しいのに、単純……?」

「ふふ、大丈夫。天華なら、きっとすぐにわかるようになりますから」


 反省の色を見せた天華に、來夢はふっと表情を明るくして、そう笑ってくれたけれども。……そういうものだろうか。何せ初めての事ばかりで、残念ながら具体的なビジョンは何一つ浮かんで来ない。小論文の組み立てや理学のロジックなら、作り方や解き方は頭の中に一から十まで叩き込まれているのに。計画通りにいかないなんて、愛とは何て厄介なシロモノなのだろう。

 それに、今はまだ。どうしても──「咲夜が欲しい」としか、思えない。

 きっとそれは。確かに、自分の為だ。でも、愛故に自分の欲を満たそうとするのは、そんなにいけない事なのか?言う程、不誠実な感情なのだろうか?


(難しい………)


 お腹が減るから、食欲があり。

 眠たくなるから、睡眠欲があり。

 繁栄の為に、性欲がある。

 どれも、生きる上で必要不可欠な“欲”なのに。何故、“愛”だけは。自分の為に満たそうとするのは、あまり良しとされないのだろう───それが今の天華には、やはり、まだ理解出来ない。


「ねぇ……來夢にとって、愛って何? “欲”ではないの?」

「umm……欲……欲、でもありますけど………一言で言えば、Love is free!」

「自由?」

「Yes!私にとって、愛とは“自由”です。好きだからこそ、自由に羽ばたいていて欲しい。そして飛ぶのに疲れたら、私の元に帰って来て欲しい。逃げないように鳥籠に閉じ込め、愛で続けるのも一つの“好き”でしょうけれども……果てのない大空で、お互いに伸び伸びと羽を広げるからこそ愛は大きく育つと、私は信じていますから」


 慈愛に満ちた、どこまでも優しい微笑み。誰の事を思い描きながら話しているのかなんて、改めて聞かずとも一目瞭然だった。


「………もし、帰って来なかったら?」


 だから、そんな事は絶対に有り得ないだろうと、軽い気持ちで尋ねて──天華は、すぐに後悔する。


「……それは…………」


 真顔になった來夢が──恐らく少し想像してしまったのだろう──ぐっと泣くのを堪えるように、


「それなら、最初から……彼女との愛は、私のものではなかった───という事でしょう」


 そう、答えたからだ。───無理に作った、ぎこちない笑顔で。

 ……ただただ、目から鱗。常に恋人を第一に考え、好かれる為に努力を怠らない來夢でさえも、“愛”を失う事を恐れている。そして、そんな風に危惧しながらも、もしもの未来を受け入れる覚悟も持っているなんて……


「ごめんなさい、來夢……私、無神経な事を……」

「いえ、いいんです」

「……“ミヤさん”が貴女を選んだ理由が良くわかった。大丈夫よ、來夢。貴女が“運命”と決めた彼女となら絶対に、この先何があっても……」

「ああ、天華……Thank you、でも、いいんです。そうじゃなくて……」

「え?」

「その……すみません。今のは少し、カッコつけすぎました。本音を言うと……私だって本当は、ずっと、ミヤさんを傍に置き続けたい……ですよ」

「え……そ、そうなの?」


 その意外な告白に、天華の目がくるんと丸くなる。


「えぇ、まあ。実は前に一度だけ、カンカンに怒られた事がありまして。……お恥ずかしい話なんですが……ごほん。ええと、その、つまり、ミヤさんが好きすぎて、えー、まあその、独占欲が……ですね、一時期とんでもない事になりまして」

「とんでもない事に」


 ともすれば笑ってしまいそうな話なのにも関わらず、語り手の面持ちがあまりに深刻味を帯びていたので、天華は思わず生唾を飲み込んでしまった。……その当時の様子を容易に想像出来てしまえるのも、なかなか考えものだが。


「要は、何だかんだと過保護にし過ぎだと……そういう事でして」

「ん、うん……なるほどね」

「あの人の全てを理解したつもりでいた馬鹿な私は、その時初めて本気で怒ったミヤさんを見て、途方も無いショックを受けました。それから、しばらくひとりでたくさん悩んで……大いに反省して、仲直りして、今に至ります。ですから、あー、要するに……結局は。束縛などして……嫌われたくないだけ、なんです」


 「いっそ、私が入りたいくらいですから──あの人の鳥籠に」と、來夢が冗談めかして笑ったところで、その日一日の幕は降りた。

 今日は華の金曜日。土日である明日明後日は咲夜に会う機会はない。これを幸いと言っていいのかどうかわからないが、ともかく一度、冷静になろう。経験者である先輩を見習って。

 話を聞いた今でも、強引な手に出た自分の行動が間違いだったとは思っていないけれども、何が一番自分と彼女の為になるのか、その為にはどうするべきなのか、これを機に、深く考えてみようと天華は思った。


(さっきの來夢……何だか、自分をカッコ悪いって思ってそうだった)


 ……だけど。暗闇に包まれ、瞼を閉じた恋愛初心者の天華にも、一つだけ。はっきりと、悟った事がある。


 好きな人の隣に立つ為。

 理想の関係を築く為。

 想いを注ぎ、想いを受け入れ、献身的に支え合う二人は仲睦まじく、素晴らしく、本当に幸せそうで。


 つまりはそれが、彼女の。彼女達が選んだ、“愛”の形、なのだろう─────。

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