誰が為に、華は咲く―1―
○○占い。○○診断。○○心理テスト。
この世の中には、実に曖昧で不明瞭な人格判断方法が溢れている。
──と、神楽坂女学園 二年A組【
六月二十日生まれ、双子座だから誠実で美しい物へのセンスが高いのだろうとか。A型だから几帳面で少々神経質の傾向があるんじゃないかとか。そういうアヤフヤな先入観で人一人を推し量ろうとする事に、一体何の意味があるのかと。“大体の人はこうだから”なんて幼稚且つ不確かなデータを、自身に当てはめて欲しくなかった。
六月二十日生まれの双子座から得られる確証は、六月二十日生まれの双子座であるという事だけ。
一度も染めた事のないセミロングをよくハーフアップにしているのは、純粋にこの髪型が好きだからであって血液型は全く関係ない。もしかしたら確かに、冷静で自分に厳しい性格はA型らしいと言えるかもしれないが、それはどう考えても、今年で十七年目になる両親の規律と愛ある育みによるところが大きいだろう。
だから。誕生日を動物に当てはめても、性別がどちらでも、星座が何でも、血液型がどうでも。何一つ、竜峰天華がどんな人物かを説明しうる事は出来ない。
そう。例え彼女が──彼女の第二の性が……“α”だったとしても──────。
人類には、六種類もの性別がある。いや、性別の組み合わせがある、と言った方が適切か。
男性・女性 × α<アルファ>・β<ベータ>・Ω<オメガ>。それぞれの掛け合いで、計六種類。
α【alpha】……リーダー、キャプテン、ボス的気質を持つ、誕生の時点で将来を約束された優秀なエリート。
β【beta】……最も人口が多く、さしたる特徴はない平凡的な一般人。
Ω【omega】……なんと約三ヶ月に一度、発情期が来る。その度日常生活に支障を来たしてしまう事から、社会的地位が低い者がほとんど。
以上、三種類の第二次性が、第一次性である男女の上に被さるように備わり、芽生え、目覚め、その人の一生を決める。決めてしまう。
否───決めてしまっていた。
時代は進む。
あれから。少数のαが覇権を握っていた時代から、随分と時が流れた。いくらβが人口の七割方を占めていても、いくらΩが疎まれた存在だったとしても、αと交われば高確率で、その血の濃さ故にαの子供が生まれてくる。……と、あっては。
しかもΩに至っては、“番”と呼ばれる唯一無二の、生涯を添い遂げる伴侶のαの存在が必ず世界の何処かにいる。……とも、なれば。
α × α = 絶対的 α。
α × β or Ω = 大体的 α。
……つまり、世界のほとんどがαで染まる。冗談のようで本当の、そんな時代がやって来たのだ。だが、長い目で人類の発展を考えると、これは決して残念な経過ではない。むしろその逆だ。大袈裟かもしれないが、歴史上、最高とも言えた。
今までになく優秀な人材が溢れかえる世界になって、この世のありとあらゆるテクノロジーが進歩し始めた。過去の技術、頭脳では机上論でしかなかった様々な理論や研究も歩みを再開し、更に長い年月を掛け、先代から子孫へ、各αとβとΩから大勢のαへ受け継がれ、ついに……とんでもない時代──“今”が、やって来たのだった。
「───はい。と、まあここまでは一般常識ですし、皆さん、よろしいですよね。では……今日は二十日ですから、出席番号二十の……ふむ、竜峰さん」
「はい」
「立って、次の段落の、『つまり、今ではもう』から、最後まで読んでもらえますか」
「はい。……『つまり、今ではもう、第二次性による個体差は皆無に等しくなり、全ての人が誰でも自由、平等に結ばれる権利を得ています。───』…………」
季節は四月。新学期が始まり、天華は高校二年生となった。学業、運動共に高成績、セーラー服も着崩さない品行方正な良家の娘で、更に生徒会にも属している天華は、一年生の頃から教師陣に一目置かれている。
大人達からだけでなく、αでひしめくクラスの中でも、彼女は心なしか優遇……いや、特別視されていた。何故なら、実は天華は他人よりαの血が濃いめからである。……まあ、ヘモグロビンの量のようなものだ。高血圧とか低血圧とか、身体的特徴の一つとして彼女の“αらしさ”が平均よりも上だった、ただそれだけの理由。何となく、他より凄味を感じる気がするから。だが、ただそれだけの事でも、周囲は天華への評価を高く見積もってしまうものなのである。
──ああ、嫌で堪らない。
「『──第一次性がどちらで第二次性が何であっても、子孫を残す事が可能な世の中になったのは、私達人類のとてつもなく偉大な一歩です。生物としての進化、とも言えるでしょう。“番”と呼ばれるα性とΩ性の特別な繋がりがいつしか確認出来なくなったのも、この影響が大きいと考えられています。……もはや私達が生きる現代において、第二次性による区別の必要はなくなりました。これからも一人一人がお互いを認め合い、高め合い、思い遣りの心を持ち、明るい未来を目指していきましょう。』」
「はい、結構です。ありがとうございました」
満足げな教師の許可が降り、天華は優雅に着席する。子孫だとか番だとか性だとか、まだ恥じらいを感じてしまいがちな話題でさえサラリと読みあげてしまえる天華に、クラスメートによる感心の眼差しが絶えない。
(……矛盾してる)
それらを軽く受け流し、天華は小さく息を吐く。矛盾だと感じたのは、今読んだばかり文章と、自身を取り巻く環境だ。この一文通り、本当に区別する必要がなくなったのなら、何故周囲はこんなにもαの濃さを目敏く感じ取るのだろう?どうして誰も、私を私と見てくれないのだろう?
(はぁ、早く終わらないかしら……)
いつもより遠く感じる終礼のチャイムまで、あと二十八分。
神楽坂女学院は、学生寮付属の高等学校である。
そこで暮らしている天華は、この日もオレンジ色に透き通る月を背に自室へと帰り着いた。慣れた手付きで扉をノックし、「ただいま」の言葉と共に敷居を跨ぐがしかし、返ってくる一言はない。ああ、それもそのはず、同居人はまだ校内に残っているのだから。だから逆にここで「おかえり」なんて聞こえたら、それはもうスリルショックサスペンスなので、これでいい。一番恐ろしいものは幽霊でなく人間派な天華は、ひと気のない普段通りの部屋に無意識的に安堵した。
セーラー服から動きやすい服装に着替えたら、ぼふんとベッドに横たえ一呼吸。もちろん明かりは付けたものの、このままではうっかり寝落ちてしまいそうだと思ったので、とりあえず頭の中で今日の出来事を振り返ってみる事にした。
「……それにしても本当、今更、αが何だって言うんだか」
そうして一番に思い出したのは、第二次性の歴史。延いては、それを元に人生を決めようとする一部の──名残りと呼べば聞こえはいいが──古臭い習慣で。天華の美しく整った顔立ちが嫌悪に歪んだ。
──『第二次性による区別の必要がなくなった』なんて、絶対嘘だ。
繰り返すが、現代社会はαで溢れかえっている。天華のクラスも担任も全員がそうで、街を歩いても大半がそうで。今では更に数を減らしたΩがαと大差ない能力の高さを見せている理由に、長年Ωを悩ませてきた発情現象がここ十数年すっかり息を潜ませている事実は無視出来ない。
αだろうがΩだろうが、女性なら女性、男性なら男性のありのままの身体つきで成人するようになったのも、発情を用いなくても子を成せる事実を本能が理解した結果だと、Ωでありながら数々の賞を受賞した医学教授が発表したのは一体何年前のニュースだったか。真・万能細胞サマサマである。
「ああ、ありながらって言うのは失礼だったわね……はあ、私とした事が。つい引きずられちゃったわ」
天華は上体を起こし、少々ウンザリとしながら一人ごちた。
要するに。今では本当に、第二次性による能力差は見られず、皆ほとんど均等なのだ。それなのに、この奇跡のような新時代に突入しても尚それらに踊らされている人々の潜在意識を、天華は疎まずにはいられなかったのだ。
だって、真に平等なのであれば、多少αの血が濃い程度では周囲の定評が変わらないはずなのだから、やはりあの教科書の一文はおかしい。いや、おかしいと言うか、あまりにも綺麗事だ。第二次性による差別なんていう因習が終結したのはもちろん良い傾向だと思うけれども……度々、天華はこう願う。
誕生日も。星座も。血液型も。
男も、女も。αも、βも、Ωも。
何一つ関係なく純粋に、自然体の。誰に強制される訳でもなく、竜峰天華自身が選んだ道を。惜しみない努力で、ここまで登り詰めたこれまでの“私”を。この先の“私”を。
頑張ったね、と。偉いねと。「強いαだから」とか言う余計な枕詞はなしに、皆が認めてくれるようになってはくれまいか、と────。
一頻り憂いた所で、天華は顔を上げ、勉強机と向かった。このように、色んなものが面倒臭くなった時は他の何かに没頭するに限る。出来れば何か甘いものでも食べて、癒されるのが一番だけれど……
「ただいま戻りました」
と、その時、疲れを滲ませた声が鼓膜に届いた。天華は一度思考を中断し、扉の様子を伺う。
「おかえりなさい。自主勉してくって言うから、もっと遅くなるのかと思ってたけど」
「ええ、まぁ。無理しすぎて身体壊すのも嫌ですし」
と、脱力気味にローファーを脱ぎにかかるのは、天華の同居人【
腰まであるウェーブがかったアッシュグレーを耳にかけると、その奥に宝石の如く綺麗な碧眼が現れた。基本的に一個違いが同室になるよう部屋割りを決める当学院寮なので、つまり彼女は天華の後輩──ではなく、なんと先輩、つまり三年生にあたる。しかも、まさかの、生徒会長。
小鳥遊來夢は、その細く高い鼻筋などから見ればわかるように、アメリカ人とのハーフである。将来の為、親バカな──失礼。大真面目な両親から清く正しい日本語と英語を聴き続けてきたおかげで、誰に対しても丁寧な言葉遣いを用いるようになったのだ。言わば、ちょっとした癖のようなものであって、深い意味はない。
対する天華の、彼女へのフランクさは──これこそ単純な理由なのだが──実は二人は従姉妹同士でもあるので、こんな風に打ち解けているのは昔からというだけなのだ。はい、本当に、以上。
「そうね、それがいいわ。もう随分暖かくなってきたけど、油断したらすぐ風邪引くものね、來夢は」
「わかってますよ。だからこうしてすんなり帰って来たんじゃないですか」
「どうせ、居残ろうとしたら“ミヤさん”からあんまり無茶しないでねとかメッセでも入ったんでしょ」
「……!」
途端、サッと顔を赤らめ着替えに逃げた來夢の背中に、図星を確信した。“ミヤさん”と言うのは、來夢の大切な大切な恋人である。何度か顔を合わせた事がある程度でそこまで詳しく知らないのだが、確か本当の下の名前は“ミヤコ”だったはずだ。とにかく、ひとたび彼女が絡むとたちまち來夢はおかしくなるのだ。まるで人が変わったようで、それが天華には可愛くて、面白くて。
「……何笑ってるんですか、天華」
「別に」
刺さるジト目を難なく躱し、天華はペンを持ち直す。と、傍らのスマートフォンがピコンと震えた。他県で一人暮らしをしている歳の離れた兄からだ。
「……ねぇ、まだ外出届、間に合うかしら?」
「今週末ですか?どうでしょう……ギリギリ、いや、普通なら……ちょっと……」
「そうよね……。今兄さんがね、仕事で近くまで寄るから日曜辺りケーキでも食べに行かないかって」
「へぇ、よかったじゃないですか」
今し方からかわれかけた事などコロッと忘れ、素直に祝福の言葉を紡ぐ來夢。こういうどこか抜けている性格と、童顔なのに欧米譲りの高身長でNice Bodyな身体つきは、言わせて貰えば滅法ズルイと思う。しかもそれを自覚せず、本人は一途に彼女に夢中なものだから……ってまあ、その話はいい。
「ありがとう。でも、急に言っても受理してもらえるかどうか……」
「その時は私も一緒に掛け合いますよ」
「え、本当?」
「ええ。まぁ、天華ならきっと許して貰えると思いますが、念の為。いつもお世話になってますからね。せっかくの機会なんですから、どうぞ好きなだけスイーツを食べて来てください」
「來夢……!ありがとう、貴女が一緒に頼んでくれれば百人力ね」
さすが生徒会長と付け加えると、恥ずかしそうに「それとこれとは関係ありません」と返された。それを見て、天華の口角がまた上がる。
家族、一部の親しい人達しか知らないが、天華はこう見えて大の甘いもの好きだ。隠れ愛読書は世界のチョコレート図鑑。別腹どころか毎食スイーツでもいいと何時ぞやに言い放ったが、まさか本気じゃあるまいなと疑わざるを得ないレベルで彼女は甘味を愛している。それは、見ているこっちが胸焼けしてくるくらいだ。キーホルダーやペンケースなど、探そうと思えば結構至る所からさりげないデザートモチーフの私物が出てくる幼馴染の事をよく理解している來夢としては、是非とも背中を押してあげたいと、そう強く思ったのだった。
そんな天華は喜び勇み、早くも了承の意をスマホに打ち込みながら、上機嫌で問いかけた。
「來夢はチョコケーキ派だったわよね?」
「え?そうですけど……いいですよ、そんな」
「ううん、いいのよ」
何故そんな事を聞いたのか。雰囲気で察した來夢は遠慮がちに微笑んだが、それでは天華の気が収まらない。
「……本当にいいんですか?私の分まで」
「いいも何も、貴女だけとは言ってないでしょ」
「え?」
「日曜までに聞いといて、彼女が何派なのかって」
「……天華!You are amazing!」
これである。“ミヤさん”にもお土産を用意する事を仄めかしただけで、この目の輝き様。やれやれ、と呆れ笑いを浮かべた天華だったがしかし、何やら感じた嫌な予感に眉根を引きつらせた。
そうだ、普段控えているはずの英語まで流暢に飛び出したとあっては……。出来うる限りのお礼がしたかったからとは言え、今までの経験上、この展開はマズイ。と、ようやく気付いた天華は露骨に目を逸らし、強引に話題を終わらせようとした……が…………時既に遅し。
「どういたしまして……それじゃあ私、そろそろ数Ⅱの復習を……」
「苺のショートケーキです」
「え?」
「それとフルーツタルト……苺もですが、桃も入っていれば最高ですね。オレンジも好きです。ああ!チーズケーキかレアチーズかなら、レアチーズの方でお願いします」
「ん、ああ、そう、わかった……」
聞かずとも把握しているその詳しさに、天華、ドン引き。
「あ、そうです!私の分は、砂糖菓子付きのケーキにしてもらえませんか?」
「砂糖菓子って……もしかしてメレンゲドールの事?クリスマスケーキに乗ってるサンタクロースの人形とか、そういう?」
「Yes!前に、ミヤさんが喜ぶと思って買っていった事があるのですが……ミヤさんたら、可愛すぎて食べられないって……ああ、あの困ったようなミヤさんの笑顔……!むしろミヤさんの方が可愛すぎて食べたくなりました───」
「ミヤミヤうるさい。猫には買ってこないわよ」
結局、砂糖を吐く程甘ったるいそのノロケ話は、夕飯を告げるチャイムが鳴るまで続いたのであった……。
──この甘さだけは金輪際、遠慮願いたいわ、ホント。
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