和弥の攻勢
煙を吐き捨てるように長いため息が出てしまう。
大学構内のベンチに座り、薄暗い空を見上げた。
ああ、雨振りそうだな。
やや蒸し暑い空気のせいなのか、それとも雨振る前の湿気なのかわからないが身体がべとつく。
その不快感もあるのか気持ちは悪い意味で沈んでいる。
白音と麻愉の初顔合わせからもう二週間がたった。
あの新入生向けのクラブイベントでの二人……特に麻愉の白音に対する印象は最悪だったと認めざるを得ない。
特に成り行きで行くことになってしまったVIP席での一幕は彼女の白音に対する感情をはっきり嫌いだと思わせるのに十分な事件だった。
そりゃ俺もあれは大失態だと思うけどさ……。
何があったかはスピンオフ『瞬間スピーチ、出ず』参照
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885753422
あの後、酔いつぶれて廊下に寝ていた白音を介抱してくれたのはあのイベントの主催者だった。
確か名前は白石和哉という名前。
俺達とは別の大学に通っていて大きなものから小さいイベントまで取り仕切っているイベントサークルの主催者をやりつつ、自身も雑誌のモデルもこなしているような人間で話をしたことは無かったが、顔は知っていた。
端正な顔立ちと朗らかな性格でも評判であり、あの基本的に人を社交辞令以外では褒めない麻由がはっきりと凄い人間よと言ってしまうほどの人だ。
もっともその後に「でも私とは絶対に合わないけどね」とは言っていたけれど。
そのときに確かもう少し言っていたような……たしか……ええっと。
「あ、ちょっといいかな?」
急に声をかけられて思考が遮られた。
「は、はい……って、えっ?」
「城岡白音さんって知ってる……うん?君は……」
驚いて声も上げられない。 目の前に居るのちょうどいま考えていた当人がそこにに立っている。
いや驚いたのはそこだけじゃない。
彼が言った。 わざわざ他大学のキャンバスに来てまで探しているらしい人間の名を……俺がよく知っている女性の名前を言ったからだ。
「こ、こんにち……わ」
「うん、こんにちわ!」
まるでいつか見たような光景が見れる。
大学の校門前に止めた新品の赤いスポーツカーの前で戸惑い顔の白音と無邪気な笑顔の和哉さん……そしてどういう顔をしていいかわからない俺と珍しい光景に騒ぎ立てている同級生達。
「あ、あの……このたびは……どういったご用件で?」
おそるおそる来訪の理由を聞く白音に和哉さんはコクリと一瞬うなづいた後に車の助手席から花束を取り出して彼女に差し出してくる。 そして……、
「今日はデートの誘いに来ました。受けてくれますよね?」
「なっ……」
「ちょっ……」
俺と白音が同時に驚きの声を上げるが、見物者たちのかん高い嬌声がそれを遮った。
「うそ~、ドラマみた~い」
「相手の男の人、凄いイケメ~ン」
「女の方は……城岡さんじゃね?」
「あ~、あのちょっと地味だけどおっぱいでかいあの娘か」
口々に騒ぎ立てる周囲に大人しい白音が羞恥のあまりパニックになりかける。
それを察した和哉さんが強引に、でも優しく彼女を助手席へと誘う。
「それじゃ……少しだけ付き合ってもらいますよ、いいよね?」
その言葉は白音に言ったのかそれとも別の誰かに言ったかはわからない。
しかしそのまま和哉さんの車に乗って白音はその場から走り去ってしまった。
俺を置いて……。
二人が去ると野次馬達は思い思いに好き勝手な感想を呟きながら解散していく。
後に残された俺は呆然と立ち尽くすだけだ。
その後、どれくらい立ったのだろうか?
ブゥゥゥゥゥウン。 ブゥゥゥゥゥウウン。
胸ポケットの中で震える携帯に気づき、二人が走り去っていった道を見ながら電話に出ると、聞きなれた怒声が受話器から聞こえてくる。
「遅い!何回鳴らしたと思ってんの!大事な知らせがあってわざわざ連絡してあげてるんだからすぐに出なさいよ」
「ど、どうした……んだ」
麻愉の声がビリビリと耳に響くが、反応できず気の抜けた返事を返す。
「もしもし?あんたの友達の城岡白音だっけ?つい最近会った白石和哉が狙ってるって噂が私の耳に入ってきてんの!ちゃんと聞こえてる?」
「……ちょうどいま来たよ」
その返しに予想の範囲内だったのか、
「あらそう、それであの子どうしたのよ?」
「な、なんかあれよあれよという間に車に乗って行っちまったよ」
「なんだそれなら余計なおせっかいだったかもしれないわね」
「ど、どういうことだ?」
「単純にあの子も和哉に気があったってことでしょ?車に乗ったんだからそういうことなんじゃない?」
あっさりと衝撃的なことを言われて一瞬思考が止まる。
「そ、そんなわけないだろうが!」
「お、大きな声ださないでよ…… びっくりするじゃない」
「す、すまん……いや、ごめん」
どうやら自分が思っていたよりもでかい声が出ていたようで珍しく麻愉が戸惑ったような声を出してくる。
い、いかん……他人に当たるなんてしててもしょうがないじゃねえか。
い、いくら衝撃が大きかったからって……うん? 俺は一体何がショックだったんだ?
そ、それはやはり……。
自分自身から沸いてきた自問に自答が帰ってくる前に急かすように麻愉が電話越しに早口でこちらの場所を聞いてくる。
「それで一体あんたはいまどこにいるの?」
「正門だよ、正門……大学のな!」
急かすような物言いにこちらも自然とあせったような口調になってしまう。
そしていま自分が何を考えていたかを忘れてしまっていた。
「ビンゴ~!今から行くからそこで待ってなさい」
「はっ?今からって何分後だよ?」
「そうね~だ・い・た・い」
『十秒後かしら?』
ステレオで聞こえてきた麻愉の声に後ろを振り向くと、彼女はすでにそこに立ち携帯を耳に当てながらいつものような少し不機嫌な素振りで俺と対峙していた。
そしてまるで舞台演劇の女優のように、
「それじゃこれからのことを考えようかしらね」
不思議によく通る声でパニックになりかけていた俺の思考を断ち切ってくれた。
夕方とはまだいえない微妙な時間帯のせいか大学近くのカフェテリアは比較的空いていた。
店の奥、そこに設置されている二人席に座り込むと麻愉はカフェモカ、俺はカフェオレを頼んだ。
やがて注文番号を呼ばれたので俺が飲み物を運び、それをテーブルに置いたところで麻愉が会話の蓋を開く。
「さっきも言ったと思うけど、他人の恋路に口出すのは野暮と思うのよね」
「べつにまだそう決まったわけじゃないだろ」
そうだ。 もし白音が白石和哉と付き合うというのなら俺には止める権利など無い……当然。
「あら、だって彼女、和哉の車に乗ったんでしょ?あなたの前で……完全に決まりでしょ~、それは」
形の良い柳眉を下げながら、琥珀色にくすんだストローの先をこちらに向けてくる。
確かにあの場に居なければそう思えてしまうのも無理の無いことかもしれない。
だが俺にはそうは見えなかった。
「それこそあなたの思い込みじゃないの?」
ピシャリと言いきられてしまうと自分でも自信が無くなってしまうのだが……、
「ここで議論しあってても意味が無いよ、白音に聞いてみないと」
そういいながら俺は彼女と離れてから二通目のメールを作成して送信する。
ちなみに一通目はこのカフェテリアに向かう途中に送った。
残念ながら返信はまだこないけれど……。
「だからそれが答えでしょ?デート中にメールするなんて非常識を通り越してキモ過ぎるわよ?」
「うっ……そ、そうなのか……な?」
思わず携帯をテーブルに落としてしまう。 動揺しすぎだろ……我ながら。
その姿を見て麻愉は大きく溜息をついてストローをサクリとコーヒーのカップに突き刺し、また溜息をつく。
「一体どうしたってのよ……最近のあなたおかしいわよ?確かに初対面から変な人だとは思ったけど、最近はハッキリそんなレベルじゃないわ……そう、あの子がこっちに来てからね!」
最後の言葉は強かった。 鋭利なナイフを真っ直ぐ突きつけるかのように。
「い、色々と心配なんだよ……あ、あいつ……騙されやすいし、ボーっとしてるし」
しどろもどろな言い訳を麻愉は片眉吊り上げてポカンと口を開きつつ聞いている。
「バカじゃないの?」
スッパリと切り捨てられ、むしろ清清しい。
だが不安は消えてくれない。
「あんたはあの子の保護者?それともお父さん?それとも……」
そこまで言ったところで黙り込む。
俺は彼女を見る。 なんだか渋い顔をしている。
そんな俺の視線に気づいたのか、
「まっ、いいわ。あなたがあの子のことを大事にしてるってのは理解したわよ。確かに緑遊会のメンバーに推薦したのはあなたなのだから面倒を見てあげる義務はあると思うわ……でもね?」
そこで一度言葉を切り、ストローに口をつけ、カフェモカを一口吸い上げてコクリと飲みあげる。
「そもそもあんな真面目でポヤンとした子が本当に緑遊会でやっていけると思うの?」
「そ、それは……」
口ごもる。 それは白音がメンバーになった今でも、内心では常に考え続けていることだ。
確かに彼女は俺の推薦により緑友会の一員となった。 しかしそれがはたして彼女にとって幸いだったのかという問いに俺自身がハッキリと答えを出していなかった。
彼女をメンバーにしたことも芳樹さんとの胡散臭い条件を受けたこと自体には後悔はしていない。
だがそのこと自体は俺自身のエゴでしかないということも理解している。
決して健全とは言えない会の中で紫の煙に塗れて笑っていることが彼女にとってそれが幸いとはたして言えるんだろうか?
自ら勧誘しておいてなんて無責任なのだろう。
そんな自身の優柔不断さとエゴっぷりに俺は嫌悪感を抱くのを禁じえない。
だがそれこそ口に出してしまえば本当に卑怯者となってしまう。
だからこそ誰かに言ったことも態度に出したことさえなかった。
本来なら麻愉の問いかけに笑いながら大丈夫だよと心中の不安と嫌悪を閉じ込めて表層は『楽』の感情で見た目を塗り固めなければならないというのに。
それを出来ずに口ごもる自分を殺したくなるほどの羞恥が湧き上がる。
「会の人間達との縁は秘密を守り抜く気高さと強固な価値観の共有が無ければ維持していくことが出来ない……あなたも知っているはずでしょ?こんな不健全な会にあの子のような健全で純粋な女の子が居ては駄目なことくらい」
「た、確かに……そ、そうかもしれないけど」
「少なくとも和哉の人柄は保障するわよ。なんでまたあの子を気に入ったのか知らないけれど、不誠実な男ではないし、父も兄も弁護士で本人も法学部。なによりここが一番だと思うけれど健全だしとてもピュアよ……私達とは違ってね」
そう言うとテーブル上の俺の拳にそっと両指をかける。
自分でも気づかなかったが、力強く握り締めすぎてややうっ血しているように見え、それを手当てするように彼女の指が表面をスルリと滑っていく。
「で、でも……」
否定の言葉を何とか紡ごうとはするが次の語句が出てこない。
頭では理解しているし、きっとそれが白音にとっても幸せなことだろうとは解っている。
だが理性とは反比例するように感情は激しく波立ってしまう。
ピリリリリ! ピリリッリリリリ!
その瞬間、テーブル上に転がっている携帯が鳴り出す。
液晶の画面に映った文字に思わず手が出てしまうが無常にも携帯は指先にぶつかって白い床の上を転がり、更に下段の木目調のオレンジの床を回転しながら滑っていく。
慌てて拾い上げて通話ボタンを押す。
同時に店内であることを思い出して、店外へと走り出す。
入り口の自動扉が開いた瞬間、バツが悪くなってチラリと振り返ると麻愉は俯きながら薄泥炭色の飲み物を所在投げに覗き込んでいた。
それは不思議に胸が痛くなる光景だったが、呼び続ける着信音に促されて俺は屋外へと出て行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます