白音の入会

「お~、これが白音ちゃんか~」


「は、はひ!」


 緊張のせいか縮こまる白音を観察するように顔を近づけている。 

 

 いや、その光景は観察というよりも十分に経験を積んだ質屋の主人のように値踏みをしているようで少し不愉快になった。


 それを受けてもともと気の強いほうではない小動物メンタルの白音はビクビクと怯えた瞳で魔の抜けた返事を返す。


「落ち着けよ」


 それだけでは無理なのでそっと彼女の横に立つ。 同時に芳樹さんにいい加減離れてくださいという無言の圧力の意味を込めて。


「はいはいわかりましたよ……そんな怖い顔しないで~」


 相変わらずの人を食ったような態度でヒラリと白音から離れ、ニコニコ顔の洋子さんと明さんの所へと戻る。


 この場所はいつも『緑友会』が使っている店ではない。 芳樹さん達が特別に用意してくれた場所だ。


 そしてこの場には俺と白音、そして芳樹さんら三人の五人しか居ない。


 これは俺が芳樹さんと交わした契約に関係がある。


 いつもの場所では退廃的過ぎて白音が驚いてしまうだろうと(意外なことに)芳樹さんが提案し、特別な場所を用意すると言われてここになった。 


「お前の出した条件を最大限に考慮してやった結果だ、まあ感謝してくれや」


 屈託無く笑うリーダーに俺は複雑な気持ちでありがとうございますと返事した。


 俺からの条件は『白音を緑友会に推薦させてもらうこと』だ。


 芳樹さんからの交換条件はまだ聞いていない。 


 準備が出来たらおいおい指示するそうだ。


 もちろん胡散臭い話ではあるが、俺を安心させるためだろうか?


 それは『とても簡単なこと』で『話を聞いてから断ってくれても構わない』という。


 その不可思議な条件と『但し書き』についてはその場に洋子さんと明さんが居て、この二人が保障してくれるのならとそれに乗っかることにした。


 仮に芳樹さん単独の約束であったなら俺も断っていただろう。


 駒形芳樹という男は悪い人間に見えないようで善人にも見えない、なんとも胡散臭く、でも妙に人を懐かせる良くわからない人間だった。


 麻輸とはまた違う毛色の人間で信じきるには不安の残る人だ。


 なんというかアニメや映画の登場人物のような存在感というんだろうか。


 こんな人間居るはずが無いと思えてもそれは実際に目の前で動き、喋り、そしていつの間にか良くも悪くも忘れらなくなる存在。 


 そう表現するのが一番合っているような男だ。


「それじゃ準備を始めるわけなんだけれどよ?その前にそんなに緊張しないでとりあえずそこに座ってお菓子でも食べててくれよ」


 妙に人懐こい笑顔で彼は奥へと行ってしまう。

 

 普段集まっている店とは違い、やや背徳的なムードをかもし出す間接照明は無く、センスの良いソファ、小奇麗なテーブルに窓から見える夜景がキラキラと輝いている。


 俺が電話で指定された待ち合わせから例のフルスモークカーに乗せられてつれて来られたここは一等地では無いが、それなりの収入が無ければ済めないような高層マンションの一室で、その外観だけで白音は腰が引けてしまうほどだった。


「気に入ってくれた?久し振りにお客さんが来たから掃除が大変だったよ」


 緊張する白音と彼女とは別の意味で緊張しているのをほぐすような笑顔の明さんが俺達をソファに促す。


「ここ……明さんの自宅なんですか?」


「うん、まあね……最近住み始めたんだけどミドリの栽培も含めるとちょっと広い  ところが必要だからさ」


「す、凄い広いですね……まるで体育館みたいです」

 

「……えっ」


「面白い感想だね、その子」


 予想外の白音の言葉に一瞬呆気に取られた明さんをフォローするように洋子さんがフワリと彼の隣に座る。


 手には様々な色合いのお菓子を持って。


「うわ~凄い綺麗!」


 銀色のふちをした皿を白いテーブルに慎重に置くと、その中の一つを手にとって差し出す。


「はい、召しあがれ~」


 今日は見た目相応な態度で俺達と相対している。 明さんも絶句してしまったことを誤魔化すように素早く取って口に運んでいく。


「うん、美味いね……サクサクしててさ」


「ふふ、ありがとう、最近お菓子作りにはまってて、ちょうどそれを発揮できて嬉しいわ」


 ニッコリとした顔の洋子さんが明さんに笑いかけた後で俺達に向き直る。


「さっ、貴方達も食べてね、冷めてしまうから」


「「は、はい……」」


 ハモルように返事をしてしまったことでハッとお互いに顔を見合わせてしまう。


 白音はその白い肌を少し紅潮させてしまうが、先輩である俺は何とかそれを耐え、代わりに苦笑いに昇華して誤魔化す。


「あら、口元が少し汚れてしまってるわね」

  

「す、すいません」


 先ほどのハモリのせいなのかそれとも綺麗(少なくとも美人な方ではある)な女性に照れているのか耳まで赤くして彼女は恐縮してされるがままになっている。


「でもこれ本当に美味しいです。とくにこの赤いジャム?ペーストの乗ったクッキーが……」


「あら、ありがとう。 それはね……」


 洋子さんがこの場に来てくれたのは本当に良かった。 芳樹さんは言うまでも無いが明さんでもここまで彼女の緊張がほぐれることは無かっただろう。


 あとはどうにか儀式を乗り越えれば……。


「ハロハロ~?サクサクやってるみたいだな……こっちも準備いいぜ?」


 そう言いながら台所から芳樹さんがやってくる。 例の『壺』を持って。 可愛らしいエプロンをして。


「な、なんですか……それ」


 俺の問いかけに芳樹さんはキョトンとした顔をする。 質問の意味が理解できないようだった。


「何って儀式に使うんだ。……お前も前にやっただろ?」


「い、いや……そうじゃなくて」


「ちなみにそのエプロンを選んだのは私だけどね、似合ってるでしょ?」


「え、ええ……」


「はい!凄く可愛いですね」


 苦りきった顔をして濁す俺とは対照的に白音が今日始めてみる顔で賛同してしまう。

 

 本当にそう思うのか? 本当にか?


 横にいるこのホンワカした女を問い詰めたくなる衝動に駆られた。

 

 明さんは俺が言いたいことを理解しているのか「ははは」とわかりやすい愛想笑いをしてそれを流す。


「だろう?やっぱり俺のマイハニーのセンスは最高だぜ」


「イヤン 芳樹君たら、白音ちゃんの前で恥ずかしいわ」


 そう言いながら洋子さんは幼児がするように恥ずかしげも無く芳樹さんにキスをする。 そして芳樹さんも同じように彼女にキスをする。 

 

 それをお返しとばかりに洋子さんが、またまた芳樹さんが…………。


「二人ともその辺にしておこうか、城岡さんの前だよ」


 いつかのようにイチャイチャモードが発動されつつあるのを明さんが冷静にツッコミを入れて止めてくれる。 


 そこではじめて二人ははっとした顔をして、キスの応酬を止めてくれた。 


 内心ホッとする。 目の前に置かれたお菓子以上に甘い光景をまた見せられるのなんてこりごりだからだ。


 それに白音の前でそれをやられると……なんというか色々と気まずい。


「ごめんなさいね……よくバカップルって言われちゃうのよ、私達」


 さすがに初対面の人間の前でラブラブってしまったのは洋子さんも恥ずかしいのか少しだけ照れたような感情をみせた。


「いいえ! 素敵だと思います!」


 だが白音は目前で見せられたあの光景に対してうざったいとは思わなかったようでキラキラとした瞳と普段より大きめの声で芳樹さんたちを肯定した。


「わ、私も……そ、そういう……のって……素敵……っていうか……羨ましいっていうか……」

 

 モジモジと身体をくねらせて顔を紅潮させながらチラリとこちらを見る。


 気まずくなった俺は皿の上のお菓子を無造作に一枚食ってバリバリと噛み砕いてそれに気づかないフリをした。


「……は~ん」


 それだけで察してくれたのか洋子さんも明さんも気まずそうに黙りこんでくれたが、もう一人はそんな気遣いなどしてくれるはずが無く、


「そういえば二人ってどんな関係なんだ? 確か同郷だとは聞いていたんだけどな」


 顔は普通だが、瞳にはからかいの感情を込めて芳樹さんが質問を投げかける。


「え……ええと……い、いちおう、こ、恋人……同士……です?」


 こちらをまたチラリと見ながら語尾はどんどん小さくなっていく。


 反面、皮膚は燃え上がるように真っ赤になっていた。


「あらそうなの?それじゃ彼氏を追いかけて東京まで来たのかしら……純愛ね」


 最後の一言の前に洋子さんがチラリとこちらを見てくる。


 明さんは何も言わず無表情で用意されたカップの中のお茶を飲み、芳樹さんはすでにニヤニヤ顔をして俺をずっと見ていやがる。


「え、ええ……ですから白音を緑遊会に……推薦した……くて」


 言葉を紡ぐほどに喉がひりついてくる。


 耐え切れずお茶を一口飲むが、口内の水分はすぐに乾いてしまうので立て続けにもう一口、また一口と流しこむ。


「そうか~、そんなに『彼女』の白音ちゃんを仲間にしたいんだな~、友和くんは」


「……緑遊会?」


「サークルみたいなものよ、それで名前が緑遊会ってことなの」


「ああっ!そういうことなんですね」


「友和君からは詳しいことは聞いてないのかな?」


「はい……自分が入ってる同好会?というかそういう仲間達に紹介したいからって言われてついてきました」


「ああ、そうそう……俺達と友和くんは友達だからな~、そうだよな?」


「……そうですね」


 緊張で心臓がバクバクする。 落ち着くためにカップを傾けるがちょうど一口分で空になってしまう。


「よっしゃ!それじゃ白音ちゃんを仲間にするための儀式を始めるとするか」


 その一言でさらに俺の心音は早くなった。 が、しかしある意味そうしてもらったことに矛盾しているようだが安堵してしまう。


 芳樹さんはすでに例の小箱を用意して『ミドリ』を『壺』にセットする。

 

 そこで初めて白音がビクリとした反応をする。


「こ、これって」


 まずい……やはりこの異常な状況に対して気後れしてしまったのか?


「本格的なんですね……なんかドキドキします!」


 ドキドキするとは言うがまるで子供が遊園地のアトラクションに乗り込む前のような表情をしている。 

 

 こ、これは好都合なんだろうか?


 白音は『ミドリ』が何なのかを知らない。 そしてこれを使用する意味に気づいていない。


 このまま黙っていれば『儀式』は滞りなく終了するだろう。


 新しい会員の誕生と共に……。

 

 何も問題は無い。 あとは白音に軽々しく『緑遊会』のことを他人に話さないように注意しておけばいい。


 『ミドリ』の力は偉大だ。


 アルコールのように飲み過ぎなければ強烈な中毒になることもない。


 麻薬取り締まり法で禁止されているようなドラッグのように強烈に身体と心を蝕む程ではない。


 向精神薬のようにケミカル成分で無理やり精神を弄るものでもなく、苛烈な依存症を植えつけるものでもない。 


 あくまで自然に存在しているものだ。 いま上げたどれよりも依存性は少ない。


 ただ沈黙していればいい。 


 別に騙していたわけではないのだから。 そう、ただ言わないでいただけなのだ。


 興味深そうに『ミドリ』と『壺』を見ている白音をその場にいた全員が、この場では不必要な言葉を話さずに彼女が儀式を完了させようとしている。


 それが正しい。 そのはずだ。 きっと……いや多分……だがしかし……。


「それじゃ始めるぜ~」


「ちょ、ちょっと待って……」


「えっ?」


 儀式の始まるその瞬間、思わず言葉が出てそれを制止してしまった。


「おいおい友和君よ~ここまで来て止めるなんてそりゃ無しだろうよ……これじゃ入れる前にストップかけてくる女みたいなもんだぜ~」


 さすがの芳樹さんもあきれたような顔でいつもの下卑たジョークを交えて俺を非難する。


「どうしたの?白音ちゃんびっくりしてるわよ?」


「そうだよ、邪魔しちゃいけないよ?」


 他の二人も芳樹さん程ではないが同じような意味を込めて問いかける。


「ええ……すいません」


 一体何をしているんだろうか? ここまで来て止めるのは確かに芳樹さん達からしてみればいまさらと思われるのは当然だろう。


 だが……なにかよくわからないが制止する言葉が出てしまった。 

 

 ことここに至って煮え切らない自分自身に嫌気が差す。 だが同時にそれが大事なことだと思えてしまう。


 いったいぜんたい俺はどうしたんだろうか?


「大丈夫ですよ……これを思いっきり吸い上げればいいんですよね?」


 迷いは白音自身によって断ち切られた。 少し顔を青くしながらも彼女は吸い口に唇をつけている。


「ほれ……男がマゴマゴしてるなんて格好悪いぜ」


「こういうときは女の子の方が度胸あるのよね~」


 軽口を叩き合うカップルと白音を見てしばし逡巡する。 しかし俺はライターを手に持って『ミドリ』に近づける。


 そして麻由のときとは違って火は一回で点いた。 


 白音は俺が驚いてしまうくらいにためらい無く壺の中の空気を肺に入れた。


 くすんだミドリ色の植物がオレンジ色に染まり焼き尽くされていく。

 

 そして紫色の煙がブクブクと言う聞きなれた音を立てて白音に吸収されていく。


 その瞬間にも喜びとも後悔とも知れない不思議な感情が心に満ちた。


 たっぷりと『ミドリ』の煙を飲みこんだあと、一拍置いて彼女はそれを排出する。


 肺の中の空気と混合されたはずのそれは少しも薄れることなく空気中に昇り、そして消えていく。


 とたんに嗅ぎ慣れた青臭い香りが周囲に広まった。


 小さく「お~」という誰かが漏らした歓声が部屋の中に響く。 俺は声もあげれず呆けたように幻のような煙を見ていた。


 ふと左肩に掛けられたぬくもりと重みに正気を取り戻す。


 白音を見なおすと、彼女は上気した顔と色っぽい呼気を吐いて俺を見上げている。


 初めて『ミドリ』を体験した白音はアルコールとは違う酔いに戸惑っているようにも見えたが、すぐに「フフフ……フフフ……」と心地良さそうに笑いはじめ、


「友和さん……フフフ」

 

 そう言って頭を乗せたままぎゅっとしがみついてくる。 俺も何も言えず彼女の頭をかき抱き、目を瞑りながら耳元の彼女の穏やかな声にしがみつく。


「コングラシッチュエショーン!ようこそ緑遊会へ!城崎白音、俺達はお前を歓迎するぜ!真田友和の次にな」


 何故か遠く聞こえる芳樹さんの言葉が寒々しく聞こえて心細くなった俺はますます彼女を強く抱きしめていた。

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