辺獄の空中庭園
くりふぉと
第1話 白亜の塔での最期
カツカツカツ、と薄暗い空間に足音が響き渡る。
床を敷きつめられた、白亜の大理石を踏む音。
両脇には、等間隔に聳そびえ立つ大理石の柱。
そこで出来ることは、ひたすら走ることだ。
ふと、後ろを振り返ってみると恐怖の念が強くなっていく。
今まで足音を鳴らした一線上に伸びる廊下は、奥の方から空間ごと一定の距離、そして時間ごとに照明が消されていくように────黒く押しつぶされていく。
その不可思議な光景を目の当たりにすれば、絶句する他ない。
それは、もうそこまで近づいている。
横直線上で迫るそれの最前線には、人を形どったような黒い存在が姿を見せている。
とはいえ、人型と呼ぶには太い。
化け物らしい声を上げることはなく、ただ無言で迫る。
その様子がより一層、不気味だ。
それから発せられる恐怖は、肌・血管・心臓を悪寒で侵食している。
もし彼らとの『鬼ごっこ』で追いつかれてしまったら。
自分の存在を掻き消されてしまうということを直感的に理解する。
いわば、風前の灯火だ。
通常、誰かに助けを求めるために声を上げるものなのだろう。
しかしこの期に及んで”助けて”の一言は出てこない。
そもそも、この約15年間の人生の中で助けを求めることは、自身の記憶の中では一度もない。
自分の人生にまともに向き合わず、一人でただ怠惰に流されるだけの時を過ごしてきてしまった者の、末路というやつか。
「は────ぁ」
そんな自分に、ただ出来たことは。息を切らしそうになりながら走ることだけだ。
しかし白亜の柱に挟まれた廊下は、永遠に続くことはない。
バァン、と目の前の鋼鉄の扉を両手で勢いよく開く。
新たに踏み入れた部屋も、窓からうっすらと光が差し込むだけで、薄暗い。
その暗さに躊躇せずに全身で動かし、前へ進む。
その時。
天井の方から新たな光が差し込んだ。
吹き抜けの構造のためなのか、雲の動きにより陽の光が顕現したのか。
直線上に新たな部屋に差し込んだそれが、眼前の領域を明るくする。
────眩しい。
「!?」
光により新たな存在を知覚する。
目の前に見えたのは、先ほどから迫る人型の「影」ではなく、文字通りのヒト……?
走りによる勢いは止まらない。衝突する────
そんな思考に至った瞬間。強い衝撃が脳を揺らした。
痛い、重い、鉄、棒……?
鉄の棒で首元を強打されたことを飛びかかった意識の元で認知し、上半身からバランスを崩す。
「─────ッあ!!」
背中が痛い。
両目を瞑つむらずにはいられないほどの衝撃と痛みが襲った。
が。気を失うほどではなかったみたいだ。
ハッと両目を開いたタイミングは、恐らく鉄の塊かたまりを己の首元に添そえられたのと同じタイミングだっただろう。
強い衝撃を与えた鉄の塊の正体は、日常では滅多にお目にかかることが出来ないであろう、中世の西洋世界に登場する西洋剣ロングソード。
峰打ちだったのか、身体は斬られていない。
その重厚感ある剣を突き立てていたのは、自分と同い年ぐらいの───女……女子だった。
肩まで微かすかに届かない、白とも銀とも形容出来るショートヘアは現実の世界の基準で捉えるのであれば、あまりに幻想的であり、黒い凛りんとした瞳とのコントラストがくっきり目立つ。
「…………」
その沈黙を守る薄い唇と精神的な強さが垣間見える眼差しは、品の良さと理知的であることを証明しているかのよう。
そこには驚嘆が同居しているような気がしたが、気のせいだろう。
首元にはレースの……チョーカーというのだろうか?──が巻かれている。
すらりとした輪郭の肢体を包むその衣は、肌の白をこれでもかと対比するほどの漆黒。
目を奪われるほどの魅力を持つその目の前の少女から自分に向けられるのは、殺意以外ないだろう。
「──ッ!!」
その殺意に対し、声が漏れるも言葉は失われたまま。
抵抗の余地もなく、対峙してからいきなり詰み。
自分は虐たげられる弱者以外であることには許さない。
──そう宣告しているかのような、この構図。
それは自分にとっては、男として屈辱的であるし互いの位置関係のためか彼女の瞳は自分の存在を見下す──ように見える。
彼女が自分に剣を向けた理由は大体予想がつく。薄暗い空間の中、恐怖に満ちた表情で突進しようとしてきた俺が危険な存在と判断したからだろう。あんな化け物が闊歩する世界だったら、勘違いしても仕方ないことなのかもしれない。
彼女だって自身のことを考えれば、そのくらいの警戒は当然というべきか。むしろ、とどめを刺す前に手を止めた冷静さを讃えるべきかもしれない。
だからまずは、誤解を解くために謝って、化け物退治を手伝ってもらてここを脱出することこそ、自分が取るべき行動なのだ。
それを切り出す為の一言を探すのに時間がかかる。
言葉を慎重に選ばなければ。
ひと時の静寂を経て喉のどから言葉を吐き出す。
「殺せよ」
────あれ?
自分はいったい何を言っているのだろう。
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