アメリカ人男性とねこ
アメリカ人男性は「男らしくなければならない」という呪縛にかかっている気がする。ムキムキでごつごつがもてはやされる。
夫の友人でスティーブマーチンをごつくしたような人がいる。元軍人の60代の人で、奥さんが猫大好きなのだが
「猫はどうもなあ、俺はドーベルマンとかデッカイ犬が飼いたいんだよ、男らしいだろう!」と常に言っている。
自宅の猫はやはり懐いていないらしい。
すなわち(人間)の都合の良い時に触ったりすること。ねこは(ねこ)の都合の良い時でないと触ってはいけないのだ。
この友人がうちに泊まりに来たことがある。チャチャはドアが開く瞬間にシャーと逃げて2度と出てこなかったが、コタローは「おぢちゃんはどなた?」と小首をかしげながら出迎えた。
「猫はどうもなあ」のスティーブおぢちゃんも一瞬で恋に落ちた。
「オ~かわいいなあ、こっちに来たぞ、ほほ~名前は何と言うんだい?」
「日本の名前を付けたのよ、コタローっていうの。難しいよね?コタって呼んで?」
「OK OK カトー!」
カトーじゃねえ。
アメリカ人が良く間違えるコタとカトー。Kが付く名前はカトーだと思い込んでいる年齢だ。苗字だということもわかっていない。ちなみに夫の母は私たちの子供にミフネと名前をつけたがった。三船敏郎のファンだったからだ。
さて、スティーブさん。目上の方だ、プライドを傷つけてはいけない。そっと間違いを正そうと
「コタ~こっちおいで」と言ってみた。スティーブすかさず
「イエス カモン カトー」
もういいや。
カトーさんは気にもせず、とことことやってきた。人見知りをあまりしないカトーさんはお客さんに好かれる。かわいがられている姿を見るととても嬉しい。
チャチャはドアの外に誰か来ただけで、低い声で唸りまくり、フシャーフシャーと威嚇をして走って逃げていく。お客さんがいる間は絶対に出てこない。
帰ったとたん「にゃーん」と子猫のような声で出てくる。そのギャップもまた家族にはたまらないのであった。
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