第13話 初対面での躾

「太郎、タオル二枚。大至急」

「……お、おう」

 両手で猫を吊り下げたまま、佳代が横に設置してある階段を使ってウッドデッキに上がった。その間に無表情で下された指示を聞いた俺は、開けっ放しだった窓から慌ててリビングに入り、言われた通りにした。


「持ってきたぞ」

「それで二匹を拭いておいて。間違っても、外に逃がすんじゃないわよ?」

「にゃぁ~」

「みゅぅ~」

 情けない声を上げているミミ達を突き出され、俺は自分の顔が強張るのが分かった。それと同時に視界の隅で、両親がそそくさと掃き出し窓とリビングのドアを閉めたのを認める。


「それは分かったが、どうしてだ?」

「ちょっと準備してくるからよ」

「準備って、何の?」

「にゃっ!」

「うみゃっ!」

 俺の問いには答えないまま佳代は両手を離し、必然的にミミとハナは床に落ちた。さすがにどちらも、危なげなく降り立ったが。


「太郎、後からスリッパを回収して、洗っておいて。すみません、少し台所をお借りしてもよろしいですか?」

「え、ええ。こっちよ。何か使いたい物があるのかしら?」

 母さんに声をかけ、連れ立って悠然とリビングを出て行く佳代。その様子を目の当たりにした父さんは、無言のまま俺からタオルを一枚受け取り、しゃがみ込んでミミの身体を拭き始めた。


「なかなか肝の据わった女性だな。あんな乱闘を目の当たりにしても、びくともしないとは」「まあ、確かに普段から、あまり動じないタイプだがな」

「ミミとハナが気迫負けして、固まるとはな。珍しいものを見せて貰った」

「笑い事じゃないぞ……」

「みゅぁ~」

「なぅぅ~」

 苦笑気味に手を動かす父さんに、ハナの身体を拭きながら愚痴っぽく返すと、ミミとハナも情けない鳴き声を上げた。

 それからものの五分位で、佳代達が戻って来た。


「太郎、お待たせ」

「『お待たせ』って、一体何だよ?」

「ミミ、ハナ、いらっしゃい」

「にゅあっ?」

「みゅう~」

 両手に皿を持っている佳代と一緒に入って来た母さんが、笑いを堪える表情でミミとハナを手招きする。それに応じるように、二匹は慎重に佳代と母さんの前に進み出た。

 すると後ろ脚を床に付き、背筋を伸ばして見上げてきたミミ達の前で佳代は正座をし、持っていた皿を二匹に向かって押し出す。


「初めまして。梅沢佳代です。ミミさん、ハナさん。お近づきの印に、お一つどうぞ」

「…………」

「…………」

 皿の上には、結構上物に見える鮪の切り身が存在していたが、普段なら脇目も振らずに食いつくミミ達は鳴き声も上げず、うろうろと視線を彷徨わせて戸惑っている。


「どうした。食べて良いんだぞ?」

「珍しいわね。この子達が遠慮するなんて」

 常には見られない光景に両親が半ば驚き、半ば感心していると、佳代が幾分低い声でミミ達に対して凄んでみせた。


「……私の持ってきた魚が、食べられないとでも?」

「にゃっ!」

「みゃっ!」

 言われた内容は理解できないまでも、佳代が醸し出す物騒なオーラは、感じ取れたらしい。二匹はピクッと反応し、慌てて皿の切り身に食い付いた。

 さすが獣……、危険察知能力はバッチリらしい。いやいや、そうじゃなくて!


「こら、佳代。猫相手に凄むなよ。どっちも完全にビビってるだろうが」

「凄んでなんかいないわ。勧めているだけじゃない」

「にゃっ、にゅあっ!」

「なうっ、のあっ!」

 佳代に軽く意見しているうちに、二匹が満足げな声を上げた。その声に反射的に顔を向けると、どちらの皿も空になっている。随分食べるのが速いな、おい。


「お前ら……、良い食いっぷりだな。それに俺の気のせいかもしれないが、随分良さそうな鮪に見えたが……」

「ええ。天然物の中トロよ。こういう物は、太郎が部屋に来た時にも食べさせた事は無いわね。普段の食事で出すには、ちょっと勿体ないレベルだもの」

 空の皿を引き寄せながら佳代がさり気なく口に出した内容を聞いて、俺は本気で腹を立てた。


「はぁあ!? 何だよ、それ! 俺にも食わせないレベルの物を、猫に食わせるなよ!?」

「普段食べるにはちょっと贅沢だけど、お土産にするには妥当な金額なのよ。デパートの鮮魚コーナーに頼んだから、物は確かだし。お父さんとお母さんの分もあるわ。ここら辺は海から離れているし、良いかなと思って」

「待て。父さん達の分はって……、俺の分は?」

「何を言っているのよ。お土産に持って来たんだから、私と太郎の物があるわけ無いでしょう?」

「あのな!?」

 あまりと言えばあまりの言い草に、俺は声を荒げたが、どうやら美味い物を貰ってすっかり警戒心を解いたらしいミミとハナが、佳代にすり寄った。


「にゃっ!」

「なぅ~」

「あ、満足した? それじゃあ、次はこれよ!」

 そこで佳代が持参したバッグの中から取り出した物をミミ達の前に出すと、鼠に似せてあるそれは不規則に動き出し、二匹は大興奮でそれを追い回し始めた。


「にゃにゃっ!」

「うにゃーん!」

「うおぅ、予想以上の食いつきっぷり。持って来た甲斐があったわね」

 満足そうにコメントする佳代を見て、俺は若干うんざりしながら声をかけた。


「……楽しそうだな」

「楽しませて貰っているわ。やっぱり猫も犬と同じで、一番最初にこちらの方が立場が上だと、分からせないと駄目よね」

「それは犬の場合だろう……。明らかに、何か違うと思うぞ」

 思わず頭を抱えた俺の横で、両親が能天気な会話を交わす。


「なかなか楽しそうな人だな」

「ミミ達とも相性が良いみたいで、良かったわ」

 そりゃあ、そうだろうさ。俺だってビックリだよ。俺の事なんか目もくれずに、遊びまくっているよな!?

 色々物申したい事はあったものの、和やかな空気を壊すわけにもいかず、俺は盛大に溜め息を吐いただけにすませた。

 夕食時に、佳代が土産に持って来た刺身を四人で分けて食べたが、文句なしに旨かった。……それで余計に腹が立った。

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