第五条 接吻

注!:少々のBL要素を含みます。主人公、男装しておりますことですし……グレーゾーンですが、ご理解の程を。



******



 ある年末の夜、いつもの様にニッキーが店でピアノを弾いているときだった。虫の居所が悪かったのかどうか、酔いのせいで大胆になっていたのか、その客はニッキーに絡んできた。


「辛気臭い曲ばっかり弾きやがって。年も終わりだって言うのにさぁ」


「では何か他の曲を演奏いたします。ご希望はございますか?」


「別に希望って言われても……ああ、要望っつったらな、アンタみたいな美少年もイイなぁ?」


 そしてその客はニッキーの耳元でこう囁きながらお尻を触ってきたのである。演奏曲目の希望を聞いたはずなのに、これだから酔っ払いは……何故かオヤジの嗜好の話になっている。ニッキーは思わず手が止まり立ち上がった。


「お、お止め下さい!」


「何を生意気に、たかがピアノ弾きが!」


 なんとその客は飲んでいた蒸留酒をニッキーの顔にぶちまけた。すぐにかつらがずれていないかとりあえず確認したものの、ニッキーはショックのため何も言えず、ただ立ちすくんでいた。


「オイ、そこのオヤジ、いい加減にしろよ。店からつまみ出されたいのか?」


 それはニッキーの救済に来てくれた、近衛騎士の白い制服姿のあの彼だった。今日は王宮で何かの行事でもあったのだろう、他の騎士達も制服のままで来店していた。


 すると酔っ払いオヤジはコロッと態度が変わった。


「ハッ、いえ、近衛の旦那、申し訳ありません」


 そしてコソコソと自分の席に戻って行く。その時には騒ぎに気付いたイザベルも駆けつけてきた。


「ニッキーお前、大丈夫か?」


 初めて名前を呼ばれ緑色の瞳に覗き込まれたニッキーは、今度は別の意味で驚いた。動揺している時にも関わらず、一番好きな制服姿の憧れの彼がこんな至近距離にいることに大いにときめいてしまった。


(ああ、相変わらずお美しい方だわ)


「あ、ありがとうございました。あの、少しお尻を触られて、卑猥なことを言われただけですので……少し大げさに反応しすぎました」


 イザベルから手拭きを渡され、それで顔をぬぐったニッキーはこんなことも一人で対処できない自分が情けなくなってきた。今この仕事まで首になったら大変だ、という思いでいっぱいだった。涙が出そうになるのを必死でこらえた。


「ニッキー、あなたね、少し触られただけって言っても手が震えているわよ。今日はもう上がりなさい」


「いいえ、イザベルさん、別に減るものでもありませんし……」


「お前何強がってんの?」


 ニッキーは彼とイザベルに無理やり店の奥の控室兼倉庫に連れていかれた。そこの長椅子に座らされ、イザベルが持ってきてくれた水を少し飲み、改めて濡れた手拭きで顔を拭いた。


 ニッキーの気分は少々落ち着いてきた。気づいた時にはイザベルは他の従業員に呼ばれたのか、店に戻ってしまっていた。そして近衛騎士の彼と二人きりになったので、今度はこの状況に落ち着かなくなってきた。


「あの、ありがとうございました。お陰様で助かりました」


「ニッキー、着替えはあるのか?」


「いえ、ないです。そう濡れてはおりませんので、帰ってから着替えます」


 あったとしてもこの人の前で着替えられるはずもない。壁にもたれて腕を組んでいる彼はニッキーのことを見つめている。目のやり場に困ったニッキーは彼の足元を見ていた。


「ところでお前、さっきから見てて思ったんだけどな。何か女みたいだな、仕草とか?」


 その質問にニッキーは顔をハッと上げ、固まってしまった。近衛騎士の彼はいつの間にかニッキーの目の前に近付いてきている。


(女だって、ば、ばれた? どうしよう、何て言えばいいの?)


 まるで蛇に睨まれた蛙状態だった。


「ま、俺はどっちでもいいけど」


 平然と言いのけた彼は更に近付き、座っている彼女の前に屈みこむと軽く頬を撫で唇にキスをした。思わずニッキーは長椅子に座ったまま後ずさりした。


(男でも女でもいいっておっしゃったの?  し、しかも……今、く、唇が……)


「……あ、あ……」


 飲み屋で夜働いているくせに、ニッキーは超純情である。何もかもが彼女の限界を超えていた。


「減るもんじゃないんだろ、ちょっとくらい」


 彼はニヤっと不敵に笑っている。正に舌なめずりをしている蛇だった。


「家、何処だ? 送って行く」


「い、いえ、と、とんでもないです、お客さま。個人的にお店の外でお付き合いは、その……よろしくないですし……」


 飲み屋の従業員はイザベルに客との付き合いを特に禁止されているわけではなかった。


「別にそんなに身構えなくってもさぁ、いきなりお持ち帰りもしないし、送り狼にもならないけど?」


(オ、オモチカエリ? オクリ狼? ど、どういうことなの? もしかしてニッキー、貞操の危機? そうだとしたら非常によろしくないです! あ、でもそのオモチカエリも狼もしないっておっしゃったのですよね!)


 そして恋愛経験のない初心うぶなニッキーはその言葉の意味が分からなかったのだ。しかし、彼のその表情から自分の身に危険なことだとは察した。益々パニックに陥ってしまった。


(今この方と馬車の中に二人っきりになるというのも、よろしくないです! それはその、彼と一緒に居られる、のは嬉しいですけども……)


 あわあわと慌てふためくニッキーを楽しそうに眺めていた彼は、今日のところはまあいいやと、飲み屋の従業員に辻馬車を呼ばせた。そして一緒に外に出た彼は、有無を言わさず御者に運賃を払うと、ニッキーを馬車に押し込んだ。


「あ、あの、お客さま……ありがとうございます」


「ジェレミー、ジェレミー・ルクレールだ。じゃあな」



***ひとこと***

前作からお読みくださっている皆さまお待たせしました! 相手役の彼はやはり?あのジェレミーさまでした。

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