#193:オペラ鑑賞
先日の一件で私への印象が変わったのか、今まであまり近寄ってこなかった新入りの人たちもお茶会の輪に加わっている。固形のチョコレートや糖衣を纏ったクリスピー・ドーナツなど、貴族の話題にも上っていたらしい商品は私が経営する商会のものだと知って驚いていたよ。
その中でも、特にシェイクをお気に召したようだった。王都では手に入らない不思議な飲料だから気を惹いたのかも。
しかし、パンケーキやドーナツとは違い、シェイク製造器はマンマ・ピッツァの本店に一機だけしか存在していない。増やしてもらおうにも通信アンテナを急ぎたかったのだ。
今後もアンテナのメンテナンスや他領への展開計画、他にも小型転移装置に空間圧縮袋――スタッシュの機能を持つ容器の開発と忙しいので、暇ができた時にでもシェイク製造器の追加をお願いしたいと思う。
商会の行く末を考えて、アナスタシアさんを何とかして取り込むべく仲良くお喋りしていると、キャンキャンの家は情報戦に長けていることがわかってきた。さすがに詳しい手段までは不明なものの、レヴィ帝国の実家やエマ王国の自領、それらに加えて王都には親族が経営する酒場もあることを教えてもらえたよ。
そのお店は大人のおじさん達が通うようなところなので、私とは縁がなさそうだった。
「さて、私はそろそろお暇いたしますね。繰り返しになりますけど、昨日は本当にありがとうございました。私にできる事があれば何なりとご連絡ください」
「もう十分に便宜を図ってくれているが……。そうだな、何かあれば文を飛ばそう」
「サラさま、また公演にも是非いらしてくださいませ」
「そうですわね。次回は以前の反省点を踏まえた趣向を凝らしておりますわ」
「話の逸れも酷かったが、先ほどの助言も使わせてもらうぞ」
「お力になれたようで何よりです。公演も楽しみにしていますね」
最終的にはお休みだった楽団員も参加するお茶会になったけれど、今後に向けた活動方針を話し合える有意義な場だった。私としてもアナスタシアさんと仲良くなれたと思うし、商会の宣伝にも繋がったはずだ。
それと、私に助言を求められたのは、いつか行う公演の話だよ。直前で相談するほど楽団の運営はヤバくない。皆がやりたい曲を主張しすぎて決めかねていただけだった。
やる気が漲る楽団員たちに別れを告げて、帰り際にはマンマ・ピッツァの王都店や買収したパン屋さんに寄り道し、もしかしたら貴族からの注文が入るかもしれないと伝えておく。そのままお母さんのお店でも注意を促し、チョコレート吐息を浴びて転移装置から帰宅した。
また通常業務に戻り、お祭りでの宣伝効果も薄れ始めたことで仕事に少しの余裕が生まれてきた。その一方で、王都での営業妨害は続いている。おっさん共が捕まった話が届いたのか、以前のような連日ではなくなったものの断続的に商売を邪魔されるのだ。
依然として売り上げが右肩下がりを続けているので、このままでは赤字に転落しそうだよ。
こんな日々ばかりでは気が滅入る。今日は気分転換も兼ねて定期公演を鑑賞するつもりだ。私はオーナー特権で無料招待チケットがあるからよく行っているよ。
「やっぱり、後ろにリボン付けたいなぁ」
「椅子に背もたれあるから痛くなるよ、ミランダ」
「ベアトリスは相変わらず気合いが入っていますね」
「ヴァレリアさまこそ、もう少しお召し物に気を回されても……」
護衛のヴァレリアは固定として、公演の日はお供にベアトリスが必ず付いてくるよ。かなり嵌まっているみたいで、早くケルシーの町にも呼んでほしいと何度も頼まれている。美人姉妹も一緒に行くことがあるけれど、エミリーとシャノンは迷宮のほうが楽しいみたいで、仕事の進捗次第ではミランダが参加する。
今回は三人を連れて王都の貴族街にあるコンサートホールに到着すると、客入りは上々だ。多少の増減はあれど開催されるたびに動員数が増えている。その売上金は私にもいくらか上納されるので、ヱビス商会でも公演が近付けば宣伝していた。
そして、今日の舞台は『芳春の恋煩い』と題される若者向けの愛憎劇らしい。私から見たら恋愛ファンタジーだね。話も曲も彼らが作った歌劇で、私はテンプレのひな形を教えただけだから内容までは知らないよ。
ちなみに、楽団の基本は交響曲や協奏曲だけれど、オペラ以外にバレエも練習中だ。くるみ割り人形や春の祭典とかやってほしくてね。もちろん、甘いお茶会で提案しておいた。ただし、私はバレエなんて踊れないので概要を説明しただけでしかない。……曲なら弾けるのに。
そういえば、この楽団にはグリゼルダさんが役者として所属している。通称ケルシー平原の魔物掃討が落ち着いてきたら、暇が増えたのかブラブラしていることが多かったのだ。
そこで、あの見た目や普段の仕草から歌劇団を勧めてみたら大当たり。特に、男役が嵌まり過ぎてヤバい。失神する令嬢がいる。冗談抜きでいるのだ。この前の公演でも、興奮して立ち上がった令嬢がスコーンと倒れていたからね。
その対策なのか、物販コーナーが設けられてクッションが売られていたよ。もしかしたら、これが趣向というやつなのかも。隣の人が倒れそうなら受け止めてやれってことかな。これでは詰めが甘いけれど、何かを売りつけて活動資金の足しにするという発想はよいと思う。最初は普通の貴族子女だったのに、このガメつさはいったい誰に似たのかしら。
そんな出入り口の広間を抜け、招待者用の特別席について暫くすると、客席の照明が落ちて舞台の幕が上がっていく。
開幕早々、フィロメナさまが扮する貴族のバカップルに、仲睦まじい姿を見せつけられた。ところが、その後訪れたパーティー会場では色ぼけ坊ちゃんが粗相をしてしまい、上級貴族の令息となったグリゼルダさんを怒らせたのだ。
その令息が坊ちゃんの彼女に近付く間男となり、ネトラレやらでドロドロした展開になった。……必要以上にドロドロしている。ミランダに見せても大丈夫なのだろうか。
次第に坊ちゃんから身も心も離れていく彼女。その跡をつけたら間男とよろしくやっている場面に遭遇した。もはや自分では太刀打ちできない相手であることを理由に、坊ちゃんは落ち込んだ。その後は仕事もしなくなり、酒に溺れる日々。魔術で物に当たる事も珍しくない。
そんな時、素朴な幼馴染みを演じるアナスタシアさんが現れて、健気にも坊ちゃんを慰めている。しかし、まさにキスする五秒前状態となった瞬間にそれを振り払い、俯いたままどこかへと走り去る坊ちゃん。
場面が移り、真っ暗な丘の上で絶望を抱え込み、一人のたうち回っていると闇の中から悪魔が現れた。苦しみと悲しみのあまり悪魔と契約を交わし、坊ちゃんは魔物へと変貌する。
全能感が憎しみを後押しして、間男の館に乗り込んで無惨にも殺害した。手足を引きちぎる惨殺だった。ご丁寧にも指を一本ずつやっていた。
そして、彼女を連れ去って逃避行するも、恐怖のあまり彼女が暴言を吐き捨てて途中で逃走する。その後、自我を失って暴れる魔物は駆けつけた騎士団によって討伐がなされ、町に平和が戻ったと喜ぶ人たちが歌い上げると、急速な暗転が訪れた。
賑わう町の喧噪から離れ、どこか見覚えのある丘の上では幼馴染みが黄昏れている。過去を振り返るようなことを歌いながら、魔物が坊ちゃんであること直感した幼馴染みも後を追って絶命。その瞬間、激しく悲痛な演奏と共に舞台は真っ赤な照明だけで満たされ、落ちるように幕が下ろされた。
なんとも後味の悪い内容だったけれど、最近はこういう悲恋ものが受けているらしい。
劇中の演出効果は魔術が使われているからすごく派手だ。あの魔物にしても、今回は本物の素材を使ったと聞いているよ。各シーンの曲目も内容と合っていたし、最終盤で長めの暗転が入った時に演奏された曲も印象深い。
なぜ魔物が町中を逃げ回っていたのか不思議だし、彼女はその後どうなったのか明言されていないけれど、見応えは十二分にあったと思う。それに、下級貴族が上級貴族に刃向かっても無駄であり、上級貴族は下級貴族を無下に扱うと命取りになるという戒めのようなメッセージを感じさせる舞台でもあった。
話の意味が伝わっていないらしいミランダ以外の二人には好評だったので、帰ってから感想を話し合おうと脳内メモに整理していたら、姦しい集団が前方を歩いていた。
「さすが人気沸騰中の歌劇団でしたわね」
「ええ。わたくし、最後は胸が締め付けられてしまいました」
「そうかしら。あの女はバカですわよ。わたくしならすべて手中に収めますのに。例えば……あら? そこにいるのは――」
「……何かご用でも?」
「まあ、覚えてらっしゃらないの? 以前、外通りでお会いしてますのに……そうですわ! これも何かの縁、近いうちにわたくしの店にいらっしゃい」
取り巻きに振り返ったキャンキャンの視界に入ったようで、お誘いを受けてしまった。これほど嬉しくない招待は何度目だろう。断りたくても相手が貴族だから諦めるしかないのよね。あとは、ただの冗談であることを願うばかりかな。
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