#137:リンコちゃんプロジェクト始動
数日がかりとなった素材集めを終えてケルシーの町まで帰り着き、久々の野宿続きで疲れた身体をベッドでゆっくりと休めておく。
私はコロッケの搬入で毎日戻っていたけれど、他の三人を差し置いて家で眠るわけにもいかないでしょう。初日以降はベッドを運んでしまおうかと何度悩んだことか。大きな布袋の中に鳥の羽や獣の毛が入っている程度のマットレスでも、腰への負担が大違いだからね。
さらに楽な姿勢で眠るためにも、鉄工細工工房に暇ができればインナースプリングのマットレスを作ってもらおうかな。
もしも素材が気に入らなかったらまた採集旅行なので、エミリーとシャノンにはゆっくりしておいてもらい、私は朝の仕事に取り掛かる。それも恙なく終えて皆で昼食を摂っていると、執事が『楽器職人の方々がご到着されました』と告げにきた。
この執事には事務作業などをほぼ押し付けている。主にお金の管理だ。保管は私の役割だけれど代行として会議にも出てもらい、必要分を渡す形式にしてある。
正直、皆は褒めてくれているものの、子供扱いしているのは事実だろう。折り紙付きの実力者である彼に任せておいたほうがいいに決まっている。この町の住人は、羊飼いの隠れ家亭と伝手を持つ人が大半なのだから、筆頭執事として勤しんでいた姿を知っているはずだしね。
そんな執事には、予定どおりに頑固オヤジ達を工房へ案内するよう頼んでおくと、既に通した後だった。……さすがプロ。仕事が速い。
お昼ご飯と食後の休憩が終われば店番をミランダ達に任せ、私は意気揚々と工房に乗り込んだ。そこで挨拶もそこそこに素材を並べてみたけれど、頑固オヤジ達は渋面を浮かべてそれらを見比べ、厳しい口調で話し合っている。
「採り方が酷いな……木こりから買えばいいものを。自分で行ってきたのか」
「その割りには欲しい素材ばかりだぞ? だが、老木が多いな。加工中に割れそうだ」
「若い木ならこっちにある。おっ、これとか使えそうじゃないか?」
「そういえば、弦はどうした?」
「まだ生きたままなんで出せませんよ」
表板、側板や裏板など、別の木材を使うことには『当たり前だ』と言って同意するものの、頑固オヤジ達のお眼鏡にかなう素材は僅かしかなく、他も我慢すればというレベルらしい。
それでも、ヴァイオリンを作る方向で話が進み、私が描いた設計図に見入る彼らからいくつも質問が飛んできた。
「黒い縁取りのパーフリングがただの飾りでないことはわかったが、f字孔とは何だ? 他の形じゃダメなのか? たとえば、半月型のCとか。嵌め込むロゼッタの図案もないようだが」
「別に構わないと思いますけど、fの形が最も適しているはずです。とりあえずはそれで作ってみてください。横棒は本体に音を伝えるためのブリッジを置く目安になりますから必ず付けてくださいね。リュートとは違うので、網みたいなロゼッタ模様は不要ですよ」
「……どうも想像とは違うようだな」
「まったくの別物だと思ってください。よろしくお願いします」
これと併せて、もしも設計図が流出した場合には――と続けたら、頑固オヤジ全員から鋭い睨みが飛んできた。なんでも、この業界は秘密主義らしく、今までも漏れたことがないそうだ。発売後に解析されたらどうしようもないけれど、自分たちが楽しんでいるものを他人に教える趣味はないのだとか。
ある意味では誇り高い職人さんだと見直していたら、片方の眉を上げて『大した数を作らなくても大きく稼げるから』と台無しなひと言を発していたよ。私が商人だからジョークのつもりなのかもしれない。
そんな彼らは作ることに対しては乗り気なのに、素材については文句ばかり言ってきたね。より良い物を作りたいのだろうけれど、木材は乾燥させる期間も必要だろうし、今後は木こりに頼まないと大変そうだ。まだ手元にない膠やワニスを買うついでに木工工房から正式に紹介してもらおう。
楽器工房からの帰り道はお肉屋さんに立ち寄り、八本足の馬は尻尾の毛さえあればいいので売り飛ばし、目つきの悪い羊も腸だけが欲しいので同じく売りに出す。それぞれの部位は楽器工房へ届けてもらうよう手配しておき、次の目的地を目指して歩を進めた。
木工工房は明日に回し、鉄工細工工房にやってきた。インナースプリングのマットレス作りではなく、リンコちゃんの製作を始めてもらいたいからだ。そのためには、ここで預かってもらっている軸受け作りの弟――ウェインくんを回収しておきたい。
工房で件の彼を呼び出してもらい、懐中時計のお礼と労いを述べて合格を言い渡した。
「力量は十分だから、約束どおり工房をあげるね。ギルドで手続きしたらもう工房主だよ! 歳は平気なんだよね?」
「はい。成人してますけど、冗談じゃなかったんですか」
「そのほうがよければ冗談にするよ?」
「え、いや、その……」
いらないなら無理にとは言わないけれど、受け取るなら今の工房を抜けなければならない。それによって定期収入は落ちると思うし、生活の安定性も損なわれるだろう。しかし、私の元で働いてくれる限りは仕事に困らないことを保証するよ。
この話を承諾するなら、私が営むヱビス商会の傘下に入ることになるでしょう。この辺りも家族と相談の上で決めてもらいたくて、一晩考えるよう促して帰宅した。……頑固オヤジ達の話が長くて、もう終業の鐘が鳴りそうだったのよ。
翌朝は早くからベアトリスに起こされ、寝ぼけ眼で階下へ向かうと押しかけの来客があった。申し訳なさそうな執事が言うには、ウェインくんに話を聞いたカーラさんらしい。妙に興奮していて騒がしいので『話だけでも聞いてあげてはいかがでしょう』とのことだった。
「工房!」
「あぁ、うん」
「どこ!」
「あとで案内するよ」
興奮しすぎて単語しか出てこない彼女を落ち着かせ、ウェインくんと話し合った結果を聞いてみる。すると、迷う暇もなく工房を受け取ることが決まったそうだ。既に引っ越しの荷造りも終えており、朝一番からそのつもりで一号店に来たら、私はまだお休み中だから出直してこいと執事に言われて困っていたらしい。
ここまで喜んでくれたら私としても嬉しいよ。執事には昨夜のうちに話を伝えてあるので、あとの事は丸投げだ。立地さえ問わなければまだ空きがあるけれど、ちゃんと確保してあるからそこへの案内を頼んでおいた。完成間近の鉄工所から水路一本で辿り着ける場所だよ。
もしかしたら、カーラさんは徹夜だったのでは……と心配になり、昼食後のお昼休みには彼女が勤める二号店へ行ってみた。裏口からそっと様子を窺うと、そこでは瞳を蘭々に輝かせてお客さんに愛嬌を振りまく姿があり、私の不安――サボりは杞憂に終わった。
その姿を横目にして、先にお昼の休憩に入っていた料理人のおばさんから話を聞いていたら、件の彼女はお昼休憩が始まると共に自宅兼工房へ走って帰った。
おそらく、今夜は早いうちから眠りこけることでしょう。その前に話をしておきたいので、私も姉弟の工房へと向かう。
「もうこんなに家具運んだんだね」
「あ、どうも。この度はありがとうございます」
「いえいえ。落ち着いたらギルドで申請して、ここで軸受け作ってね」
「あっ、会長さん来てたんだ。工房、いいね!」
まだ機材は何もないので王都か領都で調達するのだろうね。私もそれの運搬くらいは手伝うつもりだ。その話と共に、完成した軸受け一個あたりの値段やその納入数、納期を決めていき、買い物の日取りも相談していった。
後日知ったことで、軸受けの中身はボールベアリングだった。私からしたら珍しいものではないけれど、すべてのボールを均等に仕上げるのは至難の業らしい。機械を使わなくても魔術でまかなえる分、同一規格の大量生産には向かない短所があった。ほとんどの工程は手作業で出来てしまうために機械の発達が遅れているのだ。
ウェインくんは魔術なしのガチンコ勝負だから作業が遅いだけだったようだね。誰もが適した魔術を使えるわけでもないし、生来の性格なのかもしれないけれど。
カーラさんのお昼休憩が終わりそうなので私も自分の仕事に戻る。次は、昨日行けなかった木工工房へお邪魔しよう。
「木こりの紹介をお願いします。それと、先の話ですけど固定で仕事の依頼があります」
「あぁ、乗荷車か。前に親方が作ってたアレだろ?」
ここではハンドルとフレーム、前後の車輪をお願いした。基本はこれらをセットの製造で、こちらでも単価や納期を決めていく。そして、木こりを紹介してもらおうと思ったら、彼らは早朝から昼過ぎまで山にいるそうで、もうそろそろ帰ってくるはずだから紹介はその時にしてもらえるようだ。
それを待つ間に隣の木工細工工房へ行き、歯車のギアとブレーキキット、前の荷籠と後ろの荷台を。町外れの皮革細工工房では革紐のリングチェーンとブレーキ用の紐を発注する。
そうやって四箇所に分散したつけなのか、軸受け製作に関わる機材の買い物を終えたころには時間がなくなってしまい、そろそろ物産展に赴かねばならなくなった。それでも、各パーツ一式の試作だけは頼んでおいたよ。
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