#027:嘘だと言ってよ
昨夜の晩ご飯はとてもおいしかった。あんなにお肉を食べたのは夏祭り以来ではないかな。
精肉屋さんに解体を頼んだので手間賃として何割か持っていかれたけれど、私もお母さんもお腹がいっぱいになってもまだ大量に残っていたし、エクレアに至っては風船みたいにまん丸になっていたよ。
そんな幸せな
石を敷き詰めた床の上で、とろけるように身体を伸ばして寝転がるエクレアを眺めながら暇な店番をしていると、扉をぶち破るような勢いでパン屋さんの売り子ちゃんが飛び込んできた。
「――サラ! 大変!」
「ちょっとぉ。いくらエミリーでも扉を壊したら弁償してもらうよ?」
「そんなことどうでもいいから大変なのよ!」
「今まさに扉が大変だよ」
既に端のほうが歪んでいるのに、これ以上酷くなると冬場のすきま風が身体に痛い。それに、扉を開けっ放しにしていて泥棒でも入ろうものならお店が潰れてしまうからね。うちみたいな弱小商店だと万引き一つでも経営が危ういのだよ。
「いいから聞いて!」
「わかったよ。なに? 麦茶かマヨネーズの注文でも大量に受けてきたの?」
「ちがっ、もう! 乗れる荷車作ってたでしょ? あれのせいでお貴族様が
「……どういうこと?」
カウンターに身を乗り出して叫ぶように言い放ったエミリーに詳しく尋ねてみても、当の本人が売り子の最中に噂を耳にしただけらしく、事の
「
「その
「……うっわぁ……まっじで?」
「冗談で言うわけないでしょ!」
この町を治める貴族の評判は極めて悪い。
ほんの三年くらい前までの先代守護は、私財をなげうってでも民を助けようとする聖人のごとき偉人だった。しかし、当代守護はろくに仕事をこなさないくせに、税金だけは上げてくるからその落差がすごく激しい。
この前のハーブを採りにいった時に見かけた騎士団だって、お母さんがもたらしたと思われるベヒモス情報からは随分と日が経ってからの出発だった。災害級の魔獣が付近にいるかもしれない――なんて言われたら、取るものも取りあえず駆けつけるべき事態なのに、あまりにも遅すぎる対応だったと思う。
きっと、領主から何か言われたか、他の町を治める貴族からせっつかれでもしたのだろうね。
そんなお貴族様――私たち平民は
大金持ちな貴族に自転車を売りつけるつもりではいるけれど、あの守護は評判が悪すぎて私のお株が下がりそうだから興味がもてず、自慢の脳内メモにすらまともな情報が残っていないくらいにあやふやなのだ。
それでも、平民への接し方が劣悪であることだけは覚えている。
負傷したらしいお貴族様のことを懸念していると、閉まりきっていなかった扉がゆっくりと開かれて見知ったおばさんが顔をのぞかせた。
散々騒ぎ立てていたエミリーは、たまたま外に出ていたミンナさんにその声を拾われて『遊んでるなら手伝いな!』と家に連れ帰られ、私は一人で悶々とした時を過ごすことになった。
昨日あれほど歩き回ったにもかかわらず、いつものお出かけをしていたお母さんが帰ってきたので、事情を話して午後はお休みにしてもらった。
その後は、せっかくのおいしいお肉がたっぷり入ったスープを味わう余裕もないままに食事を終えて、午後の仕事が始まる昼三つの鐘が鳴るより先にお店を飛び出し、事の経緯を詳しく知っていそうな人物を求めて無我夢中で通りを駆けた。
空回りする足にイラつきながらも息を切らせてひた走り、木工工房へ駆け込んだ。
「はぁはぁ……親方さん! ろこれすか! 雑貨屋のサラれす! はぁはぁ……親方さん!」
「なんだなんだ、どこの子供だ?」
「いつもの娘だろ。お~い、親方ならまだ奥に――」
既に幾人かが仕事を始めていた工房内で騒いでいると、何度か見たことのあるお弟子さんから話し掛けられたところで、奥の方から疲れた顔つきの親方さんが姿を見せた。
「――嬢ちゃんか。その様子だともう話は聞いたのか?」
「聞いてますん!」
私の慌てっぷりを見た親方さんが事情を知っていると判断したのなら、ある程度の事柄を把握しているに違いない。昨日の疲れがまだ残っているのに全力疾走したせいで、足だけでなく舌までが回らなかったから、いろいろと聞き出す前に心を落ち着かせておかなければ。
「あ~、その、なんだ。聞いてないってことでいいのか?」
「はい、そうです。何もわからないんで聞きにきました」
「そうか……。簡単に言うとだな、うちの見習いが嬢ちゃんの荷車をお貴族様に渡したんだ」
「えっ! 売れた!?」
まさかまさかの展開か――。
いつかは売ろうと思っていたけれど、早くも買い手が付いたとは予想外だよ。
それがあの無能守護なのが気にかかるものの、大金が転がり込むことは約束されたも同然だ。
町中を美少女に乗り回してもらうという、漠然とした宣伝方法しか考えていなかったからまだ売値すら決めていなかったけれど、親方さんが原価を割らせるわけがないはずだ。ただでさえ激安価格で請け負ってくれたのだから、その思いは私以上ではないのかな。
それに、ここで契約を結んだのなら仲介料として多少のマージンが発生するからね。
「いや、そうじゃねえ。違うんだよ、嬢ちゃん」
「違うというと……」
「金なんざ
「……は?」
親方さんは何を言っているのかな。約一円相当の
冗談にしても
状況が読み込めず黙りこくっていると、工房の隅っこで縮こまっていた一人の見習いくんが突然立ち上がった。
「お、おれは悪くねえ!」
「おめえは黙ってろ!」
すかさず睨み付けた親方さんから怒鳴られたにもかかわらず、その見習いくんは私の前まで勢いよく走ってきた。
「なぁ、違うんだ、聞いてくれ――」
「黙れっつってんだろ!」
その言葉と同時に親方さんの逞しい腕が振り抜かれ、何かを言おうとしていた見習いくんが吹き飛んで作業机に激突した。
どうやら当たり所が悪かったようで、起き上がる気配がない。
「あのな、嬢ちゃん。守護んとこの次男坊がどこかであの荷車を見たらしくてよ、それを使用人に探させてたみたいなんだわ」
「……そ、そうなんですか」
「そんで、最近請け負った仕事に守護んとこからのがあってな、それの引き渡しの時に預かってた荷車を見られちまったみたいでよ、それからすぐに次男坊がやってきて持ってっちまったんだとよ」
お弟子さん達がやっていた急ぎの仕事って、これの事だったのか。前回の夏祭りで羊飼いの隠れ家亭から注文を受けた実績を買われたのかもしれないね。名を馳せた弊害……ってやつなのかな。私からしてみれば、だけれど。
「すまんな、嬢ちゃん。落ち度は勝手に渡したこっちにある。同じ物を作るからしばらく待っててくれないか?」
「……いいんですか?」
私なんかに頭を下げた親方さんはそう言ってくれたけれど、残念なことに『……あれに使ってた車軸と軸受けが特別製でな、それを作れる爺さまはとっくにくたばっちまってるんだわ』とのことで、完成の目処はまったく立っていないようだった。
親方さんのありがたい気遣いを胸に、とぼとぼと家路を歩く。
お貴族様は本当に困ったものだよ。どうしてもと言うのなら売ったのにさ。どうせ
もしも何か言われても、お金を払っていないのだから文句を付けられる筋合いはないしね。
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