夢見る商人 ~遊んで暮らせるお金が欲しくて目指した先は大富豪!~

丸永悠希☃

第一章:貧乏商店の看板娘

#001:私の夢は

 世の中には、仕事に行くことを死にたくなるほど嫌がる人がいると聞く。

 私にはそれが理解できない。


 自分が持つ技術や能力と業務内容が噛み合わないことはなく。

 必要以上の残業を課せられたり飲み会を強要されることもなく。

 人間関係も円滑でハラスメントやイジメにあっているわけもなく。

 いつ倒産しても不思議でないような給料の未払いや険悪な空気もなく。

 上を見れば切りがないけれど、今の収入に大きな不満があるわけでもない。


 それでも、仕事に行きたくないという人がいるらしい。

 私は本当に理解できない。


 なぜならば、働けばお金が手に入るからだ。


 お金があれば欲しい物を買える。行きたい所へ行ける。やりたいことを何だってできる。

 何でもは言いすぎかもしれないけれど、大抵のことはできるでしょう。

 少なくとも、今の私よりは自由が手に入る。




 私の両親はどこかおかしい。


 例えば、その日にあった事をすべて報告しなければならない。

 いつ、どこで、誰と、何を、どういう理由でやったのか。その後どうなったのかまでも。

 それらの事柄を毎日の夕食時に両親へ包み隠さず伝えなければならない。

 その時に、口先だけの嘘や適当な誤魔化ごまかしではすぐにバレてしまう。

 聞き手の両親は私が中高時代に通わされていた私立校の関係者だったから。


 それに、欲しい物なんて何も買ってもらえない。

 もちろん、お小遣いなんて一度も貰ったことがない。

 親戚付き合いをしていないから、お年玉をこの目で見たこともない。

 お洒落しゃれな服やかわいい靴なんてひとつも持っていないし、髪型も流行とは懸け離れている。

 勉強で使うための参考書すらも気に入った物を選べない。

 携帯電話だって、電話帳に登録した人としか話せない子供向けの物を持たされている。


 それだけでなく、娯楽品だってきつく制限されている。

 テレビは決まった放送局のニュースとドキュメンタリーだけ。

 新聞は読んでもいい記事のみを切り取ってから渡される。

 マンガは小学生のころに学校の図書室で読んだものが最後だった。

 小説は教科書に載っているものか、学級文庫に入っている本しか読んだことがない。

 ゲームなんてもう記憶にない。ブロックを穴に嵌めて遊ぶ幼児向けのおもちゃだったと思う。

 こんな家庭では、サンタクロースとは空想上の生き物であることを幼いうちから学んでいた。


 ほかにも、行きたい所へ連れて行ってもらったことがない。

 遊園地、水族館、動物園、海水浴場、温泉旅館、プラネタリウム、コンサート会場などなど。

 何一つ行ったことのない人なんて滅多めったにいないと思う。

 学校の遠足で行った科学館すら『楽しかったからまた行きたい』と言ったら激怒した。


 さらには、親が自分で付き合うわけでもないのに私の友達も選ばれる。

 あの子とは遊んでもいい。この子はダメ。その子もダメ。

 でも、遊んでいいと言われた子を私は知らない。


 記憶も覚束ない幼いころは比較対象もいなくてそれほど変に思わなかったけれど、私自身が成長したことで視野が広がり始め、どこかおかしいと思うことが増えてきた。


 それで一度だけ、高校生のころに一度だけアルバイトをしたことがあった。

 ところが、次の日には親が乗り込んできてその場で辞めさせられた。

 私が手に入れたのはお金ではなく鬼の形相をした両親からの罵倒だった。




 だから、私は早く働きたい。

 できるなら、どこか遠くに勤めたい。

 そしてお金を得て、欲しかった物を買い集めたい。

 友達も作って、今まで出来なかったことも目一杯やりたい。

 私はそのためだけに勉強をしてきた。時間だけはたっぷりとあったのだから。


 そのおかげもあり、大して出来の良くない頭でも留年することなく大学を卒業できそうで、就職活動は他の誰よりもがんばっていると断言できる。

 もしも、どこからも内定をもらえなかったら私の未来は閉ざされるに違いない。

 見たこともないような顔で、聞いたこともないような声で、今まで味わってきた以上の苦痛を両親から与えられることでしょう。

 そこで私の想いはボコボコにへし折れて、めでたく洗脳されるのだ。




 今日もまた面接のために、古ぼけたリクルートスーツに身を包んで最寄り駅へと向かう。

 狙う的は勤務先が海外か、早期から海外への転勤があるような会社だけだ。一般的には嫌がるような部門かもしれないけれど、ここだと早い段階からお金を稼げるので意外とライバルが多くて困ってしまう。若い間に経験を積みながらお金を稼いで起業するという人ばかりだよ。これがただの意識高い系だったら何とかなったのに、会う人みんなが有能そうだった。

 そのたびに、何かの弾みで私が路頭に迷ったら雇ってくれないかなって保険を込めて、印象よく接しておくことを心掛けてきた。打算でも何でもいい。あの家から遠く離れられるのなら何と言われても構わない。


『まもなく四番線を列車が通過いたします。危ないですから黄色い線までお下がりください』


 通勤ラッシュが落ち着いても未だに人でごった返す駅のホームに着いた。その多くは私と同じような服装だけれど、なかにはカジュアルな恰好をしている人も見える。

 和気藹々わきあいあいと談笑に耽る人もいれば、無表情でスマホをいじっている人もおり、派手な洋服でめかし込んだおばさん達や、これから旅行に向かうような大荷物を背負う人がいた。少し離れた所では、書類を片手に電話で話し込むスーツ姿の人もいるようだ。


 そんな彼らを見ていると、そろそろ提出期限が近付いているレポートの存在を思い出した。

 時間に余裕があれば面接の後で大学へ寄っていこうとかばんに入れたはずだ。それを忘れていないか確認するために年季の入ったショルダーバッグに手を掛けて、その中から何年か前に学校で配られた記念品のフォルダーを取り出した。


 今日に備えて支度をしたのは寝る直前だったから、もしかしたら……という不安があったのに、忘れずに持ってきていて何よりだ。ところが、ホッと息をついたまではよかったけれど、フォルダーから透けて見える表紙には名前が書かれていなかった。きっと、修正作業中に操作を誤って名前まで範囲に入れて消去したのだろう。


 大学に入ってからはパソコンがどうしても必要になるのに買ってくれなくて困っていたら、研究室に置かれている物は無料で使えると教えてもらえたおかげでいろいろと助かった。あれがなければ要領が悪い私では卒業も危うかったかもしれない。皆で作る百科事典や、誰でも投稿できる動画サイトを見すぎたせいと言えなくもないけれど。

 それでも、門限が早くてあまり長い時間は使えなかったことが皮肉な救いかな。


 立ち止まっては邪魔になるだろうから、ゆっくりと歩きながら何かのアンケートに答えてお礼に貰ったボールペンを取り出して名前を書き終えたころ、すぐ近くで突然叫び声が上がった。


「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」


 何事かと顔を上げるよりも先にかばんを強く引かれ、体勢を崩したところで横手から押されたような勢いそのままに私の足が空を切った。




 目の前には宙を舞う携帯端末。


 急激に落ち込んだグラフが見える。


 大口を開けてホームに転がっている人。


 目玉がこぼれ出そうなほどに目も見開いている。


 視界の端にはゆっくりと迫り来る四角い電車が映った。


 そして粘つくような空気の中を沈んでいき、腕と脇腹に強い衝撃を受けて息が詰まる。


 次の瞬間には――






 整った筆致で古風な姓名の記された紙切れが、風に吹かれて泳いでいた。

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