宇藤さんと置手紙

 体調が芳しくなかった俺は辻医院にいた。

「軽い風邪ですね。薬を出しておきます」

 診察を終えた辻が医者らしい笑顔を俺に向けたその時、診察室のドアが勢いよく開いた。走ってきたからだろうか、息が上がっている田居が俺たちを確認する。

「鷺巣くんも居たんだ、探したのよ」

「どうしたんだよ、慌てて」

 椅子をくるっと回転させる。こういうタイプは医院以外に見たことがない。

「宇藤さんが居なくなってるの!」

「え!?」

 田居の言葉に二人して驚く。

 しかし、先日の鵜飼と同じことが起きたとは限らない。

「お店がCLOSEの札を下げていてね」

 買い出しに行っている可能性も考えたが、営業時間内だから考えづらい。今まで臨時休業にしていたこともあったが、事前に話があるか貼り紙がしてあったはずだ。

 三人でいろいろと考えてみたが、現地を行ってみることで意見が一致した。ここで想像を働かせていても仕方がない。辻は待合室を覗いて他に待っている患者が居ないことを確認した上で、臨時休業の紙をドアに貼り付けた。


 いつもと変わらぬ瀟洒な喫茶店の入り口には、たしかに《CLOSE》の札がかかっている。

「鍵はかかっていないわ」

 どうやら医院に来る前、宇藤さんが居るかどうか中に入ったらしい。誰もドアに手を掛けようとしないので、俺が無造作に開ける。ドアベルがいつもの音を立てるものの、宇藤さんの笑顔はない。

 声を掛けても返事がなかったので、三人は思い思いに店内を捜し始める。

 暫くすると辻が二人を呼びつけた。どうやら冷蔵庫の中に置手紙があったらしい。そもそも何故冷蔵庫の中を確認したのだろうか。医者だからといって遺体安置という発想だったわけじゃないだろうな。


『三人へ』


 封筒に書かれていた文字は紛れもなく宇藤さんの筆跡だ。

 顔を見合わせる。彼が俺たち以外にこういった手紙を宛てる可能性があるかどうかという暗黙の確認だった。そして皆が頭を横に振る。

 俺は封を開けて中身を取り出した。どこにでもありそうな便箋には次のように書かれていた。


『この手紙を読んでいるということは、騒ぎになっているってことですね。

 突然驚かせるようなことになってすいません。

 田居さんはあのケーキの評判どうでした? 子供の口に合うように作ったつもりだったのですが、気にはなります。


 みんなは気付いていたかどうか判らないけど、そろそろ私の番ではないかという気がしていました。

 喫茶店を経営していればいろんな情報が入ってきます。この町にはテレビも新聞もインターネットもありません。情報源はすべて伝聞。人からの話だけです。


 テレビ、新聞、インターネット。知らない言葉でしょうね。でも初めてという感じもしない。

 不思議なお話です。

 他にもありますよ、こういった言葉たちが。

 店で転寝うたたねをしているお客さんの寝言に耳を澄ましているとね、ちょくちょくお目にかかるんです。だから興味を持ちました。この言葉の正体はなんだろうって。


 考察する時間はたっぷりありました。

 正解かどうかは不明ですが、自分なりの結論は出ています。そして《その時》に備えてこれをしたためているところです。書置きもなく急に居なくなったら、なんというか申し訳ないですから。


 もし、みんながこの手紙を読んでいるのであれば当たっていたということかな?

 それはそれで嬉しいような気がします。

 素直に伝えられたらいいのですが、それをすることができない事情があります。

 すいませんね。


 短い間ですがお世話になりました。

 みなさんと過ごした時間はとても楽しかったですよ。

 また、どこかでお会いできることを祈って。宇藤』


 俺たちは言葉を失っていた。宇藤さんが書いている不思議な言葉たちについては心当たりがあるものの、何故このようなことを記したのかが不明だ。

 おそらく彼は『自分の番』とも表現しているし、殺人や誘拐といった類でもなければ、自殺などのネガティブなものでもなさそうだ。むしろ待ち望んでいたかのような印象すらある。

 ヒントを遺そうとしたものの、何らかの事情で伝えきることができないといったところだろうか。どんな事情なんだ──


「とりあえず帰ろうか」

 無言のまま立ち尽くしていた俺たちに辻が言葉を発した。

 彼に促されるかのように店を出て、帰路につく。


 次に消えるのは誰なのだろうか。もしかしたら俺かもしれない。

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