タマゴ/8
浴室から出てくると、すでに正詠と遥香の姿はなかった。ついでに言うと愛華もいなかった。
「母さん、正詠とか遥香とか愛華は?」
「正詠君たちなら帰ったわよ。愛華ならあんたとデートする準備してるんじゃない?」
呆れたような口調に「なんだよ」と悪態をついて、自分の部屋に戻った。ドアを開けると、我が可愛らしい妹がいた。何故かベッドの下を漁っている。こういったシチュエーションというものは、こう健全的な男子と母親との心温まる親子のコミュニケーションであるべきなのでは。
「よう、愛華」
なるだけ平静を装って聞いてみる。愛華の表情に特に変化はない。道で野良猫に会ったような反応だ。こちらをじっと見つめるだけだ。僕の経験的にはもう少ししたらそろりそろりと逃げ出すはずだ。
「よ、にぃ」
おっと、これは予想外ですよ。我が家のDNAの奇跡でもある妹の愛華さん、逃げも隠れもせず、漁ることを続行しておりますよ。この行為をやめさせた上で如何にいつも通りの関係に戻すかに、僕の兄貴力が関わってきます。
「エロ本ってここら辺?」
「あほか。今の情報時代でなんでそんなわかりやすいところに隠さなあかんのだ」
とりあえず愛華の頭を引っ叩く。
「出かけるんじゃないのか、愛華」
「あ、そうだった。にぃが出てくるの遅いから忘れてた」
愛華は既に出掛ける準備は出来ているようだった。はぁと嘆息して、クローゼットに手を伸ばした。
あんまり変な恰好をしても愛華が可哀想だし、適度にこう……お洒落に見えた方がいいよな。
「ひゅーひゅー脱げ脱げー!」
「愛華、もう一度叩かれたくなかったら早く出ろ。すぐに行くから」
「はーい」
舌をちろりと出して、愛華は退散していった。
くそっ、DNAの奇跡は行動全てに可愛い補正プラスでもかかるの。有り得ない、不公平すぎる。
なんて馬鹿なことを考えながらちゃちゃっと着替えて玄関へと向かった。
「行くか、愛華」
「ううん、私も今来たとこ」
どうすればいいんだ。ちょっと見ない間になんかこいつおかしくなってないか。妹としての枠を外れてきている。なんか彼女みたいだ。
「今も何も同じ家なんだから待ったもへったくれもないだろ」
「こういう時は『それじゃ行こうか』ってイケメンの声で言うべきだよ、にぃ」
「ブヒィ! 愛華たん、行こうブヒィィィィィィ」
「うわっ……引くわ」
妹に引かれてしまった……どうしよう、このままじゃあ生きていけないかもしれない。
「るんるんポート行くけど、にぃは何か買うものある?」
そして何事もなかったかのように言いながら、愛華は玄関のドアを開けた。僕もそれに続いて外に出た。
良い天気だった。休みの日がここまで晴れると、それだけで得した気分になる。
「あーズボンかシャツが欲しいかな。今日は見るだけにしとくけど。愛華は?」
「私は帽子かなー。夏に向けてカンカン帽が欲しいの。ほら心をすませばのヒロインが被ってるようなの」
「確かに愛華に似合いそうだな」
僕と愛華は駅までのんびり歩き電車に乗る。自宅の最寄り駅からるんるんポートのある駅まで二駅なので、すぐに着いた。ここに来る度に車の免許が早く欲しいと思う。
「じゃあ僕はこっちだから」
メンズとレディースのショップは離れているのでそちらに行こうとしたが、愛華にがっちりと腕を掴まれた。
「まずは下着を見ましょう。私の」
「え、いやそれは本当に気持ち悪いからやめて」
「私も実の兄に下着選ばれるとかキモイ」
じゃあなんでそんなこと言うんだ。
「とにかく今日は私の買い物に付き合うって言ってくれたんだから、許可なくどこかに行かないでよ」
「あぁはいはい」
そんなやり取りを繰り返しながら、我ら兄妹は帽子を吟味し始めた。帽子専門店もあるこのショッピングモールでは、愛華が新しい帽子を被っては「どう?」と聞いてきては、僕の微妙な反応に舌打ちをするという流れがかなりの数続いた。店員も最初こそあわあわとしていたが、次第に慣れてしまったのか何もリアクションを見せなくなっていた。よく教育された店員だなぁと思いながら、もう何回目かもわからない「どう?」に「あぁ」と適当に返事をしていた。
「うーん。二つまで絞れた」
「よくあんなに気移りして二つに絞れるな、お前」
「どっちがいい?」
どっちもあんまり代わり映えしない。正直な気持ちはどうでもいい、なのだが僕の一言が鶴の一声になるかもしれないと思い、二つの帽子を見た。
大きな違いと言えばリボンの色で、一つが水色、一つがピンク色だった。
「ピンク色の方」
「あーじゃあ逆のにするー」
……え、ウソですよね。
「じゃあ会計してくるね」
ととと、と小走りでレジに向かう愛華。ウソでもなんでもなく、本気でレジでお金を払っていた。そしてまた小走りでこちらに戻ってきた。
「いい買い物でした」
ほくほく顔でそういう愛華は、やっぱり可愛らしかった。
目的の帽子購入は終わったはずなのに、愛華は僕をとことん連れ回した。その挙句、ハンバーガーショップで奢らされた。この妹、強い。
「もうにぃったら、そんなんじゃあ彼女できたとき嫌われちゃうよ」
「いやお前、いくら何でも四時間はないわ」
「気付いたら時間が経っちゃっただけだよ」
とりあえず彼女にするのなら買い物にあまり時間をかけない子にしようと、今日決めた。今のところ彼女ができる予定はないけども。
はぁとため息をつくと、テラスが何かのメッセージを表示した。
・高遠 正詠
同建物内
む。正詠の奴、もしかしたらデートでもしているのか。からかいにでも行ってやろうかな。
「どうしたの、にぃ」
「正詠がここにいるらしい。連絡してみようかなと」
「やめて」
「え」
あまりにも冷たい声に、僕は驚きを隠しきれなかった。一瞬愛華の声に聞こえなかった。
「いや、別にいいじゃん」
「いいから」
愛華の瞳は細い。明らかな不快を表している。こんな表情をすることがあるのかと、実の兄なのに初めて知った。
「……今日、おかしいぞお前。どうした?」
一度目を大きく見開くと、愛華は一目でわかる作り笑いを浮かべた。
「話してくれないのか、愛華」
「……にぃはさ」
その作り笑いをすぐに崩して、愛華は悲痛そうに顔を歪めた。
「小さいときのこと、覚えてる?」
「は?」
なぜ急に思い出話になるんだ。
「いや、覚えてるも何も……いつ頃の話?」
「五歳ぐらいのとき」
「何してたっけか。その時って一日が長かったからなぁ。覚えてないわ」
「AI研究所の近くで遊んでた時は、覚えてる?」
「え?」
AI研究所なんて近くにあったか。そもそも家の近くにそんな大層なものないはずだけど。
いや……AI研究所? そんなの、存在しているのか。待て、存在するはずだ。僕が持ってるこの端末は、何も天から降ってきたわけじゃない。日本で開発されて世界に広まったんだ。必ず、それを研究する場所があるはずじゃないか。
「痛っ……」
ずきりと頭が痛む。
なんだっけ、何を忘れているんだっけ。
――大丈夫だよ。
「うる……せぇ」
ずきりずきりと頭が痛む。耳の奥から悲鳴が聞こえる。人の声だ。
――だから貴方の笑顔を、もっと見せて。
ぴこん、と電子音がした。
「テラス……」
テラスの顔は心配そうだった。泣く一歩手前にも見える。顔の周りをあたふたあたふたと動き回る。少し鬱陶しい。
「じょぶじょぶ大丈夫。心配すんなって」
「ほら、やっぱり覚えてないんじゃん」
「え、なんて?」
「ううん、何でもない。それよりもそろそろ帰る?」
「んーそれでいいか、愛華? 頭痛くなってきた。昨日の正詠さん勉強会のせいかな」
「にぃは勉強嫌いだもんねー」
確かに勉強は好きじゃないけど。将来の夢はニートか主夫だけども。
「わりぃな、愛華」
「いいってことよ」
愛華は〝いつも通り〟だ。
まだ頭痛の余韻はあるが、電車に乗る頃にはそれは薄れていた。
家に着いて早々、僕はベッドに倒れこんだ。起きたときには夕食時で、もそもそとその時間を流した。再度自室に戻ると、テラスが出てきて机の上で正座をしていた。服装もいつもと違った。
白装束だ。ついでに白い鉢巻を巻いている。彼女の目の前には短刀が置かれていた。これはドラマとかでよく見る
「何してんの、お前」
くっ、とその短刀を手に取り抜き放った。白刃がきらりと煌く。
「はいストップー」
テラスはぴたりと手を止めた。
「何してんの」
ぴこん、と電子音がする。彼女の目の前のディスプレイには、何処かから拾ったであろう文章が並んでいる。
切腹:不始末が生じた場合にその責任を取る。
「テラスが何かしたのか?」
ぴこん。
健康管理。
「あぁ……ははは、なるほどな。あんときか。お前は悪くない。気にするな」
しょんぼりと肩を落とすテラスを見て、自然と笑みが零れた。
「お、そういや英語でわかんないところあるから、昨日の予習の続き頼むよ」
ぱぁっと笑顔に華を咲かせると、くるりと回って一瞬で容姿を元に戻した。そして、ディスプレイには構文やら間違えやすいような単語が羅列している。
すぐに休みたかったが、自分で言ったことだ。やらざるを得ないだろう。
そして僕は、あの頭痛の原因が大切な思い出だということを忘れていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます