時間を正確に測るために時計が存在するのだとしたら、砂時計は「時計にあって時計にあらず」。でも、その曖昧なところがいいのかもしれません。
砂時計を見ていると、1分・1秒の時間に縛られて生かされている自分が滑稽に思えてきます――生かされるんじゃなくて生きないとね。
桜の花が散る瞬間、木の下にいると、なぜか「等身大の砂時計」という言葉が浮かびます。花びらといっしょに時間(とき)が流れていく気がするからでしょうか。
作者からの返信
なるほど……!勉強になります!
「時計にあって時計あらず」だから、砂時計はいつまでも眺めていられるし、桜の花びらが散る姿は切ないはずなのに心が安らぐのは、砂時計と同じ性質を持っているからだったのですね……
「等身大の砂時計」という言葉を胸に観る桜は、この上なく美しいのでしょう…… 次に桜の花と会う日が楽しみです。
素敵なコメント、ありがとうございました!
詩として素晴らしいし、なぞなぞみたいで楽しい。
読んで面白いし、作品として可愛らしい。
この先も拝読します。
作者からの返信
森緒 源さん、ありがとうございます♪
お褒めの言葉、大変嬉しいです…!!
この先も読んでいただけると私も物たちも大喜びします!(笑)
お時間のある際に、ぜひいらしてください✨