第10話 舎弟

 日が沈み、辺りは暗くなりはじめていた。

 街灯がポツポツと灯りだす。

 時刻は午後6時を回っている。


 俺は糖分クレープを求めて駅前へと訪れた。

 相変わらず、この辺は人通りが多く賑やかだ。

 この町は都会ってほどではないが、駅の周辺は食事処や娯楽施設が集中している。

 この時間帯は、特に若者が多い。

 制服姿が多いし、学校帰りの学生が集中する時間帯なのだろう。

 砂糖の甘い香りに惹きつけられた蟻のように、クレープ屋の周りも人が溢れていた。


「バナァナエンチョォコレィトクレィプ一つ」

「……あいよ。バナナチョコクレープね」


 俺のネイティブな発音を意に介さず、若い兄ちゃんは手際良くクレープを作り始める。

 その手際を、感心しながら眺めていると、駅の方から馬鹿でかい声が聞こえてきた。


「ばいばーい!! ありがとーー!! 今日楽しかったぁ~!!」


 振り返ると赤髪の若い女が手をぶんぶん振っていた。

 ミニスカートでばっちりおしゃれしているところを見ると、おそらく彼氏とのデート帰りかなんかだろう。


 ったくうるせえな……

 街中で大声だしてんじゃねえよ。

 媚びたような高い声出しやがって。

 いるんだよなあ、こういうバカップル。

 相手の事しか考えないで周りが見えなくなるやつ。

 必死に媚びてんのはどんな馬鹿男だ?


 そう思い、彼氏のツラを拝もうと、女の先を目で追うと


「また遊ぼうねー!! おばあちゃーーん!!」


 そこにいたのは、柔らかい笑顔を浮かべた腰の曲がった老人だった。

 どうやら、デートの相手は馬鹿男ではなくおばあちゃんだったようだ。

 刹那世界は逆転した。

 彼女の背中には天使の羽が生え、俺は足をもがれ地獄へ落ちた。

 大声を出したのも、耳の遠くなったおばあちゃんへの配慮だろう。


 馬鹿男は俺だったな……。


 俺は一人でに彼女に強い罪悪感を覚えた。


 ていうかよく見ると中々可愛い女だ。

 長くて綺麗な赤い髪に、勝気そうだがまだ若干あどけなさの残る顔立ち

 そして抜群に整ったスタイル。

 エリと同等ぐらいに目を引く容姿をしている。

 年齢も俺たちと同じぐらいだろうか。


 彼女は未だにおばあちゃんに手をぶんぶん振っている。

 そして、そのまま後ろを見ずに後方に歩いていく。


 あー、こんな人通りが多い中で危ないぞあいつ。


どん

「キャッ!」


 あ……

 言わんこっちゃない。


 女は後ろに歩いていた大男にぶつかった。


「あん?」


 しかも相手は中々おっかない見た目の男だ。

 パンチパーマに派手な柄のシャツ。

 腕には刺青らしきものも見える。

 彼が正面から歩いて来れば、十人中九人は道を譲るであろう、そんな外見。

 いくら気が強そうな女でもあれはびびるだろうな。


「なにボサッと歩いてるのよ! 危ないわね!」


 しかし、女は謝りもせず、お前が悪いと言わんばかりに男を叱りつけていた。


 まじかよ……。


「んだと……? ぶつかってきたのは嬢ちゃんからだろ……?」

「はあ? あんたがぶつかってきたんじゃない! 人のせいにしないでくれる?」


 駄目だ。やっぱりあいつ馬鹿女だったわ。

 馬鹿でかい声もどうやらデフォルトらしい。


 辺りを見ると、周囲の人物達の視線が二人に集まっていた。

 屈強そうな大男と、容姿端麗な少女。二人とも只でさえ目を引く外見をしている。

 そのアンバランスな二人が、駅前のど真ん中で口論しているのだから当然だ。


「……随分度胸あるスケじゃあねえか……。今謝れば許してやるぞ、嬢ちゃん」

「謝るのはそっちよ! でかい図体のくせに器の小さい男ね!」


 雲行きが怪しくなってきた。

 ……にしてもあの女、胆が据わってやがるな。


「おい嬢ちゃん。あんまり大人舐めんじゃねえぞ。」


 しばらく、口論が続くにつれ、男は見るからにイラつきを増していった。

 一触即発の雰囲気に、周囲が騒めきはじめる。


「フン! 何が大人よ! だっさいシャツね!」


 おいおい……。

 

「髪型もなにそれだっさいわね。火で燃やしでもしたの?」

「……」


 その一言で、明らかに空気が変わった。

 男の顔に血が上っていき、プチッと血管がキレる音がした。ような気がする。

 どうやら逆鱗に触れてしまったようだ。


「っだとコラあ!!調子のんなよガキがあ!!」

「きゃあ!」


 激情した大男は女の腕を強く掴んだ。


「ちょっとこっち来いやてめえっ!!」

「やめて! 離して!!」


 女は人ごみの少ない建物の裏へと引きずられていく。

 必死に抵抗しているが、少女の細腕で大男の力を振りほどけるはずもない。


 ま、こうなるわな。

 挑発しすぎだあいつ。


 周囲に、事の顛末を見ていた人物は少なくない。 

 しかし、彼らの頭の中にあるのは自業自得の四文字だ。

 見て見ぬフリをしたからと言って、冷酷無残だと非難する人間はここにはいない。


「落とし前つけろやクソアマァ!!!」

「やめて! 痛い!!」


 警察じゃ間に合わないな。

 男は明らかに冷静さを失っている。


 女がおばあちゃんと言っていた人物の方を見るとオロオロと慌てふためいていた。

 しかし、やがて意を決したように叫んだ。


「だれか! 孫を助けてください! お願いします!」


 掠れた声で周囲に助けを求めている。

 ちらりと俺の方もみた。


「お願いします! 誰か、誰か!」


 しかし、その声は誰にも届かなかった。

 誰もその声に振り返らない。

 誰も止めに入らない。入れない。

 周囲の人間は、ただ現場を眺めている。

 当然だ。

 相手は見るからに屈強そうな大男。

 自分も巻き込まれるかもしれない。敵意がこちらに向くかもしれない。

 そんな中、飛び掛かり、静止する無謀な者などいない。

 まして今回は女の自業自得だ。

 他人が傷つけられようが、死のうが知ったことじゃない。

 それが現実。


 こっそり携帯で撮影するやつ。

 忙しいからと、無視して歩き続けるやつ。

 どうしようかと迷いながらも視線だけおくるやつ。

 これが正常。

 例え正義漢でも、いざこういう現場に遭遇すると、咄嗟に動けないものだ。

 その場では可哀想だと言いつくろってもやがて忘れる。

 あと数分もすれば、この場はいつもの穏やかな日常へと還るだろう。


 予め言っておこう。

 俺もこいつらと同類だ。

 決して偽善や愚かな正義感で動いたりはしない。



「やめろ」


 俺はその男の腕を掴んでいた。


「あぁ!? んだテメエ? 邪魔すんじゃねえよガキが!!」


 俺を突き動かしたもの。

 一つはさっきの罪悪感。


「やめろって言ってんだよ。聞こえなかったのか?」

「うるっせえっ!!」


 男の拳が振りかかってきた。

 明確に敵意がこちらに向いた。

 顔面めがけて、容赦の無い一撃。

 申し分無い速さだ。素人の拳じゃない。

 当たれば鼻の骨が砕けるだろう。


 しかし、俺はそれを片手で払いのける。


「!?」


 がら空きの鳩尾にまず一発。


「がはっ!」


 態勢が崩れ、よろめいたところにすかさずボディブロー。


「っ!!」


 男は声を出せずに胃液だけが飛び散る。

 普通のやつならここで意識が飛ぶはずなんだが、中々鍛えてあるな。

 まあ当然か。


 腹を殴られた男は、前かがみになった。

 そして次は頭を殴ってくれといわんばかりに後頭部を突き出す。


 まだまだうちの『組』の教育も甘いな。

 これでは実戦じゃ使い物にならねえぜ。


 最後の一撃。

 目の前の後頭部に肘を振り下ろした。

 ゴン!と大きな音を立てて、男はうつぶせに倒れた。



「カタギに手出してんじゃねえよ」



 もう一つの理由。

 こいつが俺の組の『舎弟』だったからだ。

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