【ウィンドリー侯爵令嬢の婚活】
※リュークの娘のお話です、ご注意を
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気候、領民共に穏やかである平和のどかな土地の名前はウィンドリー領。その土地で一番に立派な建物はウィンドリー侯爵邸である。
現在、その邸では一人の侯爵令嬢が少しばかり荒んでいた。
「わたし、このままでは行き遅れてしまうわ!」
突然、貴族の令嬢としては行儀悪くテーブルを揺らし音を立てリリアンナは立ち上がった。
一家団らんの時間。
リリアンナの両親は向かいに、弟の一人がリリアンナの横に腰を落ち着けていた。
一瞬で集まった視線を受けても関係ないとばかりに彼女は思いを込めて抑えめの声ではあるが、叫んだ。
事の発端はもうすぐ王都、王城で催される舞踏会が近づいてきたこと。
「リリー、急にどうした」
愛娘の突然の叫びにいち早く反応したのは父たる侯爵であった。
「お父さま、どうしてわたしにはひとつも結婚の話がないの!? ……いいえ違うわ」
きゅっと拳を握りしめ、身を乗り出したリリアンナは父に言う。
「どうしてわたしを社交界デビューさせてくれないの!」
もう十八になるリリアンナは悲鳴混じりの声をあげた。遅くとも十六の頃には社交界デビューするはずだったのに、少なくとも彼女の中ではその予定だったのにまだ、そうできていないのだ。
原因はひとつ。否、一人。
父だ。
一昨年は「まだ早い」と言われ、外に出ても恥ずかしくないように礼儀作法も身に付けていたはずのリリアンナはショックを受けた。
けれど来年こそはとより一層自身に磨きをかけること去年。父はその話さえ出さなかった。呆然としたことを覚えている。
今年は自分から切り出さねば、とリリアンナは意気込んでいて本日このときがやって来たのだった。
「それは」
「このままじゃわたし、行き遅れだと笑われてしまうわ……」
「そんなことあるはずないだろう。そもそもまだ十八――」
即座に否定したのはまた侯爵。
その口で何を言うか、とリリアンナは間髪入れず返す。
「あるのよ! このままだと!」
「姉さん落ち着いたらどう」
「なによ落ち着いてるわよ、それよりあなたも少しは焦りなさいよ!」
「……姉さんと違ってまだ若いから」
言うと、横に座っている弟はこちらに飛び火させるなとばかりにすぐに顔を余所へ向けてしまう。
失礼なことを言うし、昔から可愛くない弟だ。自分は跡取りのくせに婚約者も決まっていないのに、悠長すぎる。貴族とは幼いときから婚約者がいてもおかしくないのに。
藍色の目はあろうことか面倒そうな色を濃く反映させていさえするのだ。
父が本人の意思を尊重と言って甘やかすから悪いのだ。このままでは弟だって、社交界に出ないただの筋肉馬鹿跡取りになってしまう。その未来が目に見えるようだ。
リリアンナは母親そっくりの色の翠の瞳をきっと鋭くさせ、睨む。
「そんなに急がなくてもいいだろう」
「お父さまにはよくても、わたしには良くないのよ!」
また間髪入れず返すと父は言葉に詰まった。
「お父さま、どうしてわたしを社交界に出してくださらないの? わたしを見られては恥ずかしい?」
「恥ずかしい? 恥ずかしいはずがないだろう、お前は自慢の娘だ」
「それならどうして!」
「強いて言うのなら、しょうもない男が寄ってこないようにだな……」
「『しょうもない男』が混ざってたっていいわよ出会うことが大事なんだからわたしはそこにすら至れていないのよ!?」
リリアンナは一思いに言い切って、大きく息を吸う。そして、娘の勢いに口を閉じてしまった父を据わった目で見据える。
「だいたい、お父さまだってお母さまと出会ったのはお城の舞踏会でだったのでしょう?」
「なぜそれを」
「証言は上がっているのよ」
母つきの侍女や父の側近に聞いたのは別に最近ではない。幼い頃に聞き、舞踏会に憧れを持ったのはそれゆえだった。ずっと。そうだというのに。
父は心当たりがあったのか後方に首を巡らせた。
後ろには一人、当の側近が控えており父がどんな顔をしたのかは知りようがないが、彼の表情は微笑みから変わらなかった。
さすが長い付き合いだけある。目で何かを言っているように見えないこともないが。
会話は聞こえてこないし背を向けてしまった父からその隣に目を移すと、隣に座っている母はというとおっとりと微笑んで先ほどからやり取りを見守っているのみだ。
「姉さん、そんなに声を荒げているとそれこそお嫁にもらってくれる人がいなくなるよ」
「うるさいわね」
「それにそんなにガツガツしているともっとお嫁のなり手が見つからないかも」
「あんたは黙ってなさい」
一方、いらないことしか言わない弟を一睨み。弟は口を閉じた。
「お父さま」
呼び掛けると、父はすぐさまリリアンナに向き直った。
今度はゆっくりと、落ち着いて声を出す。別に弟に指摘されたからではない。
「娘が売れ残りだって笑われてもいいの?」
「そんなことさせるはずないだろう」
「されるのよ、このままだと」
「リリー、とにかく今度の――」
「今度は、連れて行ってくれるんでしょう? お父さま?」
丁寧に、明確に暗に要求するも、父はすぐには答えを返してくれなかった。
「――もうお父様にはうんざり!」
結局再び悲鳴混じりの声をあげることとなり率直にリリアンナが叫ぶと、父たるウィンドリー侯爵は絶望的な顔をしたとかしなかったとか。
「お母さま!」
とにかくリリアンナが諦めることなどあるはずなく、次には助けを求めることになった。
父の隣に座る母だ。
母は娘の呼び掛けに、娘と同じ色の目をしかし正反対の雰囲気で驚いたように瞬いた。
そして、やり取りを見守っていたこともあり、話の内容はよく分かっている侯爵夫人は夫を見上げる。
「リリーの言うことは無視できません」
「だが、やはりもう少し待った方が」
なおも言う侯爵に娘が憤慨する前に夫人が緩やかに横に首を振る。
「リリーも年頃です。それに、自分で将来を考えて言っていますし、リリーがいい人と出会えるのであれば何の問題もないとわたしは思っています」
そうして見上げたまま、彼女は手を夫の腕にそっと触れる。
「それに、わたしも舞踏会でリューク様と出会えました」
母が頬を染めた。
父は端から見ても分かるほど愛しげに妻に優しい眼差しを送る。
いつまで経っても仲が良いと子どもからも見てとれることはいいことではあるが、今はやめて欲しい、と一気にまるで部外者のようになったリリアンナは思った。
横では弟が「げぇ」と言った。
最終的に父は首を縦に振り、母親はリリアンナの救世主となったのだった。
◇◇◇
舞踏会当日、リリアンナは緑色のドレスに身を包み無事王城の大広間に立っていた。
ドレスの準備はギリギリになるかと思われたとき、父はすでに素敵なドレスを用意していたことが発覚した。
用意してくれていたということは連れて行ってくれる予定だったのだろうか。けれどあれだけ渋っていた。
照れ隠し? 父が? リリアンナは色々考えたけれど答えは出ず、未だに完全には仲直りしていないので父に直接尋ねるわけにはいかず母に尋ねると、少しだけ眉を下げた表情で「毎年、用意はしていたのよ」ともっと理解不能な答えが返ってきただけだった。
なぜか会場の端を好む侯爵である父と一緒にいると、それでも色々な人に声をかけられリリアンナも挨拶をすることになっていた。
その合間にそっと父を見上げる。
外面である笑みは普段目にする笑顔ではない。精工なので身内だから分かるが「作られた」もので、家ではまず見ることないもの。別人のようだと今夜で何度思ったか。
貴族としての面を垣間見たようだ。
手に持っていた扇で口許を隠したリリアンナは父に呼び掛ける。
「お父さま」
「なんだ? もしかして疲れたか、帰るか」
「いいえ」
決めつけるのは止めて欲しい。
「わたし、」
「リューク、来ていたのか」
「──ああ、久しぶりだな」
「相変わらず領地に籠りっぱなしだと聞くが?」
「そっちこそ」
新たに声をかけてきたのは父の友人だとリリアンナはすぐに分かった。
リリアンナにも気がついた男性に挨拶をすると、父とその友人は互いによそ行きの言葉使いながらいくらか砕けた雰囲気で会話に咲かせはじめた。
先ほどからも話には入れず、かといって壮年の貴族紳士の後ろにときどきいる子息もなぜかリリアンナに話しかけてこず会話に入っているものだから、一人仲間外れのような気分に陥っていた。
広げ直した扇の裏で、とうとうリリアンナは小さくため息をついた。
舞踏会とはなんとつまらないところなのだろう。
思い描いていたよりもきらびやかな場だった。女性が身につける流行が取り入れられたドレスの華やかな色が溢れた場だった。笑顔溢れる場だった。
そのはずなのに、どうしてリリアンナは退屈しているのだろう。
確かに周りを見ているだけで心踊るものなのだが、誰にも声をかけられないとなると不安になる。これでは本当に売れ残りになるのでは?
舞踏会なのに誰にも誘われず?
「……お父さま、わたし外の空気を吸ってくるわね」
大広間の端を陣取った侯爵により、外はすぐそこだ。届けるつもりもなく出てきにくかった小さな声で言い置き、リリアンナは暗い外に肩を落として出ていった。
母は父と舞踏会の夜に出会ったのだという。王城の庭で出会ったのだと。
「この庭なら、わたしにも出会いを与えてくれるのかしら……」
父の言った通り早すぎたのかもしれないと、大広間の熱気が薄れる庭から中を見つめて思わず呟く。
母と父は庭のどこで出会ったのだろう。こんなことなら聞いておけば良かったかもしれない。
「リリー?」
誰かに。
父や母や弟――はそもそも来ていない――のものではない声にリリアンナは愛称を呼ばれた。
開き直って庭散策をしようとしていた足を止めると、その人はいた。
「……殿下」
王都に行く父や母に連れられて、しばらく王都の屋敷で過ごす時期がある。
その麗しすぎる少年に出会ったのは、幼き頃。
なぜか父が陛下と仲が良く、彼が連れられてきたのは一度、リリアンナが王城に連れられて行ったのは何度か。小さな少年と小さな少女であった彼らは出会い共に遊んだときがある。
それもどの年が境だったか定かではないが、会わなくなった。彼の身分を考えると会えなくなったと言うのかもしれない。
「お久しぶりでございます」
互いが小さなときに会ったっきりだが、リリアンナはもちろん覚えていたが相手に名前が呼ばれたということは覚えている、ということなのでそう挨拶した。
ドレスをつまみお辞儀したあと前まで来た人と改めて顔を合わせると、リリアンナより年上の彼もまた、小さな少女が成長したように成長していた。
子どものときの面影は、王の色彩をそのまま継いでいる涼やかな色彩と雰囲気に表れているだけで、顔つきは大人になり背もぐんと高くなっていてすれ違っただけでは別人と認識してもおかしくない。
「きみに殿下と呼ばれると少し寂しいな。昔のように、呼んでくれるかい?」
王族に相応しい、王太子に相応しい服装をしている彼は微笑み自然に言ってリリアンナを待つように首をわずかにかしげる。
リリアンナはどうしたものかと困って、周りを目だけで確認し彼の背後に侍従がいるが素知らぬ顔をしていることに気がつく。
それでも少し迷いながらも唇を開く。
「レオ、さま」
レオナルド、という名前をリリアンナは縮めて「レオ」と呼んでいた。
リリアンナ、という名前をレオナルドは「リリー」と呼んでいた。
今ではとても許されないはずの呼び名を小さく声に乗せると、王太子は心なしか嬉しそうに微笑んだ。
「懐かしいな。リリーに会うこと自体も久しぶりだしね」
本当にそう思ってくれているように。
「それより、一人でいるのは少し無用心だよ。どうしてここに?」
「す、少し外の空気を吸いたくなっただけです」
誰にも誘われず暇をもて余したとは言えずありきたりな答えを返すと、王太子は「そうなんだね」とすぐに信じてしまう。
それどころか、こんなことを言う。
「私も外の空気を吸いに出てきたのだけれど少し付き合ってくれるかな」
「でも、レオさまは」
ここにいてもいいのだろうか。
目線を大広間の方に向けて戻すと、
「駄目かな。少しだけ」
この笑顔には、昔から強く言えない。
「少しだけ、です」
「ありがとうリリー」
かつてと同じように、彼は笑い同じ言葉をリリアンナに向けた。
散歩しよう、と彼に促されて本格的に庭へと足を向ける。自然と手を差し出されて顔を見上げると、「転ぶといけない」と言われて手を取った。
色んなことを話した。
小さなときの思い出話だけでなく、目の前の庭のことも。
話題を自然な形で繋げ変えるのは全部レオナルドで、リリアンナは控えめに応じつつも時おり王太子のことを盗み見てはその大人びた顔に少し目を逸らしてしまうことを繰り返す。
「きみは変わっていないね」
ふいに脈絡なく届いた言葉。
隣の王太子を見ると、心底そう思っている笑み――変わらずふんわりとしたいかにも癒される笑みだが――が向けられていた。
リリアンナはむっとした。子どもだとでも言いたいのだろうか。
少しときめいてしまっていたことをひた隠しにして、つんと「殿下こそ変わっておられませんわ」言ってやろうとした。
手を差し出されてどきりとした。彼はこんなことを自然にできるようになっていたのだと。でも、「転ぶといけない」の言葉で昔もそういう言葉で手を繋いだことを思い出した。
つまり、彼こそ変わっていないのだ。
「でも、きれいになったね」
「……え」
「小さな頃は可愛いかったけれど、今はきれいだ」
本当は、ずっとこれが言いたかったんだ、とリリアンナが憎まれ口を叩くより早く言ったレオナルドは微笑んだ。今度は照れ混じりに。
その威力たるや、リリアンナは言われたことを理解するやいなや一気に頬を赤く染めた。
「大人びて……けれど変わっていない。私はすぐにきみだと分かったから」
子どものときとは異なる魅力を持った微笑みに、言われた内容にリリアンナは顔が仕方ないくらい火照っているのを感じる。せめて、彼には分かりませんように。
吹いてもいない風に意識を集中させ火照りを冷まそうとするけれど、上手くいっていない。
「きゅ、急にどうなさったのですか殿下」
詰まった。恥ずかしい。
動揺が出てしまったようだ。
自分に焦るリリアンナに気づいてか気づいておらずか、当の王太子は「うん」と言った。なぜ相づち。
「リリー」
「は、はい」
「約束を覚えている?」
「約、束……ですか?」
「うん」とレオナルドの肯定の声が緊張気味のそれだと気がついたのは、偶然ではない。彼が緊張したときの小さな癖、ことさらゆっくり深く頷いてことさらこちらをしっかり見るという癖には見えない癖。
リリアンナは少し落ち着いて彼を見た。
「私たちは互いに幼くて、子どもだったときの約束だけれど……」
約束をした。何度か約束をした。
子どもらしい約束を。
別れ際に、次も遊ぼうと。
何度か。
それらはほとんど破られることなく、叶えられた。
たった一度を除き。もうひとつ異なる約束を除いて。
――「また遊ぼう」
という約束は今思えば、いつかは途切れる約束だった。王太子と、侯爵の娘という関係だったから。
けれどその約束の真意は「また会おう」ということだった。ゆえに今、時経ったとはいえ叶ったことになる。
問題はもうひとつ。
――「大きくなったら僕のお嫁さんになってくれる?」
――「大きくなったらお嫁さんにしてくださる?」
互いに大真面目に。
出来るだけ背伸びはしたけれど。
子どもらしく。
無邪気に。
子どものときだったからこそ簡単に口にすることができたことでもあった。
――レオナルドはリリアンナの初恋の人だ。
さきほど自然に手を取ったと思われただろうリリアンナだが、その平静を装われたものだった。心臓は落ち着けという意思を反映せずどきどきして、手を意識せずにはいられなかった。
それは今も。
小さな頃の「恋」のはずだった。子どものときの「小さな恋」なんてきっと大人のそれではないと思っていた。会えなくなってから、ずっと。
けれど
「私の妻になってくれないか」
「……え」
甦った約束と同じ内容を、違う言い方で。
大人びた顔つきで変わらない微笑みを携えて。
低くなった声で、真剣な声音で。
彼は言った。
リリアンナは瞬時に理解できなかった証を口から落とす。
「去年も一昨年も、きみは来なかった」
それは、父が。という言葉は口の中で消えた。
「今夜来ている姿を見て、駆け出したくなった」
さすがに無理だったけれどね、と立場上のことを苦笑混じりに明かす。
「だから、実はきみが出ていくところが見えて私も出てきたんだ」
「わたしが見えて……?」
「聞き返されると恥ずかしいのだけれど、そうなんだ。……どうしても機会が欲しくて」
どの機会だろう。
さっきの言葉は、リリアンナが聞いた通りでリリアンナの理解した通りなのだろうか。
すべてが突然のように思えて、思考が追いついていないようだ。
「子どものときの約束で、きみは覚えていないかもしれない。覚えていても本気だったのかと思うかもしれない。
子どものときは間違いなく本気だっただろうね、何も気にしなくて良かったから」
さっきからは相づちと聞き返すことしかできていないリリアンナに何を思ったのか、レオナルドは少し不安そうにした。
手を包んであげたくなる。その前に反対に包まれる。その手も会わなかった時を物語る、リリアンナより一回りも大きな手。
「でも互いに成長した。私も成長した。色々なことが分かるようになった。けれど会えなくなったきみを忘れられなかった」
「……うそ」
「嘘じゃないよ。
きみを改めて前にして確信したんだ。好きだってね」
臆面もなく告げられた「好き」という甘美な言葉。
子どものときは顔を赤くして一生懸命に言っていたのに。今も顔が少しだけ赤いことに気がついたけれど、リリアンナほどではないに違いない。
「わたしで、いいのですか?」
「リリーだから言っているんだよ」
何を言っているのか、と聞こえてきそうな即答。
「約束……」
「本気だったとは思っていなかった?」
「いえ……」
リリアンナもそのときは本気だったろう。そうなれると信じていたのではないだろうか。
「覚えていました。……わたしも、あの……レオさまのことが好きです」
でも。
「わたしより殿下に相応しい人がいるはずです」
リリアンナも大人になった。
見えた現実がたくさんある。
王太子の結婚相手候補には力ある貴族令嬢の名前が連なっているはず。他の国から迎えるのではという噂も耳にしたくらいだ。
リリアンナの父は政治的な力に興味がないようだから、そのような話に加わるのは論外だ。
もしもリリアンナの名前が上がっていたとしても、その中にはリリアンナより相応しい人が複数いる。
「リリー、私が側にいてほしいのはきみだ」
「でも、それは殿下の」
「久しぶりなのにさっきから『殿下』が出てきていて寂しいな」
「今そういう話では……それに『殿下』は事実です」
なんてマイペースなのだろうか。とつい突き放した言い方をすると謝られる。
「もう父上に……いや陛下の許可はとってあるんだ。その代わり自分で返事はもらって来るようにと言われてね。だから去年と一昨年待っていたのだけれどリリー、来なかっただろう?」
「それはお父さまが」
「ウィンドリー侯爵が? 参ったなあ反対されているということか」
「それより、陛下に許可をって」
「本当だよ。好きにするといい、とね。拍子抜けするほどだった、それよりその反応は良い方向に捉えてしまっても構わないということかな?」
「え……」
「さっき好きだって言ってくれたよね」
「それは」
「嘘?」
「嘘じゃ、ありません」
「良かった」とレオナルドが安心したように微笑みを深くする。
「きみと私は同じことを気にしていたようだけれど、どうも私たちが思っていたより世の中は優しかったようだよ?」
「……本当なのですか?」
「どれが?」
「全部です」
「全部とは酷いね。私はきみが好きだ。陛下はきみに結婚を申し込むことを許してくださった。リリーさえ頷いてくれれば、私はとても嬉しい……これが全部だよ」
麗しき王太子はそう言って、改めてリリアンナに向き直った。手を一旦離したかと思うと、その手をもう一度リリアンナの前に差し出す。
「改めて――私の隣にいてくれるかな」
リリアンナはレオナルドと見つめ合う。
この人の、隣に。
小さなときは夢見ていたことだった。
大きくなって現実を見て、予想もしていなかったことだった。
勝手に叶わぬものと思って忘れようとしていた初恋は、その必要がなかったらしいとようやく全て理解する。
リリアンナの世界は思ったより優しいものだったのだ。
初恋は簡単に再び顔を出し芽吹き、鮮やかに花を咲かせる。
「――はい」
リリアンナは夢の中ではないことを祈りつつ、レオナルドの手に自らの手を重ねた。
◇◇◇
当然と言うべきか、明確な記憶が残る夜は夢なんかではなかった。
後日、ウィンドリー侯爵令嬢と王太子殿下との結婚話が持ち上がり、まもなく正式に話が侯爵の元まで渡ってきた。
「リリー、もちろん気が進まないのなら少しでも嫌ならどうにかして断っ――」
「もちろんお受けするわ」
リリアンナはもう迷わなかった。悩まなかった。
「わたしはレオさまのことをお慕いしているの」
続けてそう告白する。
「お父さま、お受けして」
きっと彼の側にいるためには途方もない努力が必要になるのだろう。けれど、構わないと思える。彼の隣にいるために頑張るのだ。
そう決意を固め、リリアンナはきれいに微笑んだ。
母そっくりの顔立ちで、父より受け継いだ度胸たっぷりの言い様で。
父であるウィンドリー侯爵は「陛下の思惑に……」と呻き混じりの声をあげていたとかいなかったとか。
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