【三男と侯爵になった日】



 ――10年ほど前


 春が、近づいているところだった。

 冬を越え、雪は溶け植物がそれぞれ差はあれど地から出ようと準備をしている頃。

 もたらされた報せにより、リュークは馬を駆って故郷に帰ってきたところだった。

 息が上がり白い息を吐きながら、門を駆け抜け邸の前で馬から飛び降りるやいなや走る。

 邸の扉を乱暴に開けると、その場をちょうど通り過ぎた青年が音に反応してそちらを見た。そして、リュークの姿を認め目を驚きに染めて駆け寄ってくる。


「リューク様お早かったですねお帰りなさいませ……うわ、背高っ」

「ああ伸びたこの一年で十六センチ伸びた。ティム、親父と兄貴はどこだ」

「リューク坊っちゃま!」

「マーサ、親父と兄貴の具合は」

「それが……ジェイク様が……」


 一番上の兄の名前が悲壮な声で出された。目に影を落とし絞り出しているような声を出したマーサだけでなく、一年間で成長したリュークに驚いていたティムも然り。沈鬱な表情。

 みなまで言われることはなかったが十分だった。それで、悟った。

 上の兄は駄目だった。


「親父とディランは」


 次いで侯爵である父、二番目の兄の様子を尋ねる。


「今、お医者様が……」


 言葉の途中で当の医者である、父ほどの年齢の男性が階段を降りてくるところだった。

 彼もまた、邸の三男坊の帰りに気がついた。


「リューク坊っちゃんお帰りになっていましたか」

「ああ、それより容態は」


 今度は階段を降りきった医者に歩みより、リュークは単刀直入に尋ねる。

 医者の目が来たばかりの階段を振り向く。伏せられ、告げられる。


「思わしく、ありませんな」


 重い、一言であった。


「リューク坊っちゃんも移らないよう十分にお気をつけになってください。極端にあの病気に弱いご家系である可能性があります」

「――そうか」


 医者は間を開けてそう言葉を受けたリュークを何とも言えない顔で見つめ、会釈して彼の前から退いた。

 医者が使用人に何か言っている声がする。


 そんな中、リュークは動きを止めていた。止まっていた。

 休みなしに飛ばしてきた。体力はあると言えど、あがっていた息は無意識の内に整ってきていた。

 手紙を受け取り、目を走らせ、事態を噛み砕き、王都を出、最短時間で帰って来た。

 だが、帰ってきて、数分の間に仕入れた情報は最低限のものだったがさすがに重いものだった。

 遅かった。

 一番上の兄が死んだ。

 じわ、とある感情が薄く広がりはじめる。

 それは悲しみなのか、どうか。

 実際に見て確かめていない限り、その感情の明確な名前は分からないだろうと思う。道中、馬上にいる間に事態を考えていたがまさか、という考えがあったのだ。上手く飲み込むことが出来ない。

 そして一番上の兄だけでなく父も二番目の兄も病に侵されているという。

 ――『思わしく、ありませんな』

 このままではおそらく、ということが窺える。

 そんなことがあるのか。

 いや死なれては敵わない。

 リュークは勢いよく顔をあげた。

 そうすると、前にいつの間にやらティムが立っていた。

 そして近づき目が会うと、言う。


「いけませんよリューク様」

「様子を見て一喝してやる」

「失礼ながら、顔を合わせることはなりません」

「通せティム」


 真ん前に立とうとも両腕を水平に上げ、頑として動こうとしない様子のティムにリュークは早くも痺れを切らせ低く言う。

 だが、ティムは首を振りますますそれをはね除けようとする。


「いけません。リューク様にも病が移ってしまいます……!」

「移るか!」

「普通の風邪などではないのですから、気合いでどうこうなるものではありません!」

「だからどうした!」

「リューク様にも移れば、どうするんです!」

「どうす――――」


 理解した。

 どうしてこうも彼が頑固に折れずに怖じけずかずに立ちはだかっているのか。そこまで言われて、ようやく。

 頭が冷静に働いていない、ということに気がつかされる。


「もしもリューク様にまで病が及んだならば……」


 そこではじめてはっきりと認識したようなティムの声が震え、唇を噛んでいることも気がつく。


「とにかくここはお通しできません――恨まれたとしても」

「私もでございますリューク坊っちゃま」

「マーサ……」


 マーサも出てくる。二人ともが通すまいと毅然と立っているはずなのに悲しそうな顔をしている。


「……恨むはずないだろう」


 その様子に、行動がリュークを思ってゆえのことであると分かっており首を振る。

 なぜそう辛そうにする。家族の元へ行かせまいとする、その行動を苦しめているのは何もリューク一人ではないのだ。

 ひとつ息を吸い、目を閉じすぐ開き見る。

 行こうと思えば、押し退けて行ける。それは造作もないことだ。


「ティム、俺は病にかからない」

「いいえ、こればかりはリューク様の言葉でどうにかなるものでは――」

「俺はここで何もすることなければおまえを、おまえたちを恨む恨まないではなく後悔をする。そして……親父たちにもしものことがあった場合、きっと一生その後悔に苛まれ続ける」

「それは……」

「通せ。約束する、俺は絶対に病にかからない」

「……だから気合いで、どうこうなるものではありませんと……」

「ティム」


 言うことを言い目に力を込めてティムを見続ければ、揺れたことを感じる。

 頼む、と無言で目に込める。それが通じたのか否か。

 ティムがゆっくりと、腕を下げた。


「……必ず顔の目以外の部分に覆いをしてください。それから直接はお触れにならないことを約束してください。これだけは、申し訳ありませんが譲れません」

「ああ分かった約束する」

「移ったりなどなさりましたら恨みますから」

「そういうことにはならない」

「本当にお願いしますよ……」


 実家に帰って来たばかりの三男坊は、止める医者も言葉でねじ伏せ「遠慮なくこき使え」と言ってそれこそ他の者よりも疲れ知らずで看病にあたったという。






 葬儀の日、雨など降らず天気には恵まれていた。ひんやりとした空気が漂う中、葬儀は無事終えられた。

 結局、三人いっぺんに見送ることになってしまった。

 全身真っ黒な衣服に身を包んだリュークは新しく並んだ真っ白な墓三つを前にしてぼんやりとしていた。帰ってきてから結局一睡もしなかったということもあるか。

 皆の懸命な看病にも関わらず、父親も二番目の兄も旅立ったのだ。

 その結果、家族で生きているのはリュークだけになってしまった。

 そして、ぼやぼやしている暇は今だって本当はない。

 無理を通し即日出てきた士官学校に戻ることはあっても、それはたいしてない荷物を取りに戻ることくらいだろう。

 侯爵が亡くなり、跡継ぎであったはずの兄も二人とも。

 この領地は――


「リューク様、お身体が冷えますからそろそろ……」

「俺はこれくらいで身体は壊さない」


 一時間、ここに立っている。

 ずっとティムも少し離れたところに立っている。


「病にも移らなかっただろう」

「それは……」


 ティムは黙った。

 再び、風の微かな音だけの静かな空気に逆戻りする。

 墓の前からどうにも離れる気がしなかった。

 悲しみに暮れているわけではない。涙は出なかった。悲しくない、というわけではもちろんないのだが、がらではないので違和感はない。

 ただ、呆気なくて急すぎた。

 新しい墓には刻まれている、先日まで生きていたはずの家族の名前に違和感がある。

 どうも、置かれた現状を分かっていることと、頭を整理できているかは別のようだ。

 何気なく見上げた空は、冬の空気がまだ残っていることを示しよく澄んでいる。見すぎてこびりついた白い残像と見比べると鮮やかすぎる。

 吐いた息と一緒に、声をかける。


「ティム、」

「……はい」

「まさかこうなるとはな」

「リューク様……」


 その言葉は、区切りをつけるための一言だった。

 おもむろに目を閉じ、墓に一礼、上着を翻しようやくリュークは墓に背を向けた。


「親父も兄貴も……俺は侯爵なんて柄じゃないのにな」


 声は、微かな呟きを形取るやまだ少し冷たい風にさらわれ本人以外の耳には届くことなかった。



 斯くして、リューク・ウィンドリーは若くして侯爵となった。




  ◇◇◇◇◇




 ――そして、今


 リュークがディアナと共に墓に来るのはこれで二度目。

 時を経ても掃除の行き届いた真っ白な墓のひとつひとつの前で、ディアナは両手を組み目を閉じ数分黙している。

 花を置くところまで一緒にしていたリュークは、少しだけ離れたところで様子を見守っていた。

 遥か頭上にある空は雲ひとつないもので、妻が日に焼けないかとか心配である。

 何しろ今、彼女の頭に日焼け対策の帽子はない。日傘が差されているが、どうだろう。


「しかし俺が結婚するなんて思ってもいなかっただろうから、反応があるとすれば驚いているだろうな」

「驚くのは、もうそれだけではないでしょうね。……なぜかうちの母が大喜びですよ」

「マーサには幼い頃から世話になったからな、抱いてもらわなければならないな」

「それは大喜びを飛び越えて寿命が伸びるでしょうね。……奥様に似るといいですね」

「おまえには抱かせん」

「なぜですか!?」

「ディアナに似ると可愛すぎるからに決まってるだろ!」

「それが理由ですか!」

「ああ悪いか――」


 傍らにいる従者と話していると、視線の先ではディアナが最後のひとつの前で目を開くところだった。何事か口が動き挨拶の動作をする。律儀だ。

 そうして、こちらを向いて微笑む。

 この妻に出会えて良かったなとしみじみ思いながら従者との会話を切って歩み寄る。

 後ろからついてくる従者から不服そうな雰囲気が伝わってくるが、気にしない。


「リューク様、お待たせしてしまいすみません」

「言いたいことは言えたか?」

「はい、ありがとうございます」


 彼女は嬉しそうに笑う。

 今日の墓参りは珍しくディアナからの提案だった。基本的に一年に一度しか墓に訪れないリュークがここにいるのには、そういう経緯がある。


「では帰ろう」

「はい」


 手を差しのべると、自然と重なる手。

 墓に一礼し、リュークは真っ白な石をじっと見てから背を向ける。







 ウィンドリー侯爵家に家族が新たに増えるのは、まだ少し先のこと。

 侯爵と夫人は本日も寄り添い合い、歩く。






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