どうしてこうなる



 それなのに、どうしてこんなことが起こるのか。


「――騒がしいな」


 耳のいいリュークは、普通でない音と声の様子を拾い上げて言った。


「見て参ります。リューク様はここに」

「その前に来るぞ」


 従者が退室しようとする前に、リュークの言葉通りに荒々しくドアが叩かれ返事も待たずに開けられる。


「リューク様大変です!」

「どうした」

「旦那様申し訳ございません……!」

「母さん!? どうしたの」


 入ってきて緊急事態を知らせる形相で言ったのは邸の使用人。それから、マーサが後ろから現れ、床に膝をつきいきなり謝罪する。

 リュークもこればかりは驚き、立ち上がって足早に出入り口に移動する。


「マーサどうした、落ち着け」

「お、奥様が」

「何があった。彼女が何だ、一緒ではないのか」

「町で襲われたそうです」

「なに」

「リューク様! 申し訳ありません!」

「おい、おまえ怪我をしているだろ」


 また一人、勢いよくやって来て両膝をつき叫ばんばかりに謝った者がいた。御者だ。その足元に血が落ちたことにリュークは気がつき顔を険しくする。

 尋常ではない事態だ。

 すぐにあとを追ってきたのは御者の手当てをしようとしているような他の使用人。手には布など持ち、必死に手当てを受けるように説得している。

 一気に騒がしくなった部屋の入り口近辺。

 マーサは泣いており従者はそれを宥めて、御者は謝っており他の使用人が怪我を心配し宥める。

 リュークは口を開いた。


「おまえたち一度口を閉じろ」


 一番通る声の出し方を知っているリュークはあまり大きく声を出すことなく言った。すると、気配も相まってか全員が口を閉じるどころか動きを止めた。

 リュークは満足げに一度頷く。これでよし。


「グラン、おまえは手当てを受けろ。マーサは泣くな。まず、話を聞く」


 いるはずの、彼女はどこだ。

 ――『奥様が』

 ――『町で襲われたそうです』

 感情的になってはいけない、状況を把握せねばならない。頭の中ではそう何度も唱える。


「町で襲われたとは何だ。彼女はどこにいる」

「町で買い物を済ませ、邸に帰ろうとしたときに、襲われました!」

「それで、お、奥様だけを拐って逃げていきました……旦那様申し訳ございません……! どうかこのマーサを罰してくださいませ!」

「申し訳ありません! みすみす奥様を……!」


 ディアナが拐われた。その事実だけが頭に入る。


「一体どこのどいつが」

「おそらくあの格好は山賊です……!」

「山賊――討ちもらしか」


 邸の御者は最低限のみならず戦う術を身につけている。それが奇襲により剣かどうかは不明だが刃物で切られ、隙を作らざるを得なくなったのだ。

 山賊。この領地にいたそれらは国軍に要請し討伐してもらったはずだ。報告書も読んだ。

 だが、討ち洩らしがいたのだ。

 そう推測する。

 そして、ディアナだけを拐った。

 侯爵の夫人を。

 この領地の主の妻を。

 これは、偶然ではないと考えるべきだ。


「ディアナと一緒にいるところを見ていたのかもしれんな」

「では、リューク様の奥様だと知っていて拐ったという可能性が高いというわけですね」


 従者の言葉でそれが改めて耳から頭に入れ込まれ、認識する。

 そこで耐えきれず感情が瞬時に沸騰した。


「リューク様、顔から表情が抜け落ちていつもとは異なった意味で怖いです」


 マーサの背を撫でていた従者が妹にそれを任せて立ち上がる。侍女も泣きべそをかいている。

 うちひしがれている小集団に背を向けリュークは部屋の奥に進む。


「リューク様のことですから落ち着いてはいらっしゃると思われますが、あえて言います。落ち着いてください」

「落ち着いている。どこが慌てているように見える」

「どこも。ただ、持とうとしている剣が禍々しいです」


 そういう意味での落ち着いてください、です。と言われ、壁にかかっている内のひとつの剣から手を離す。

 無意識だった。


「奴らの目的は、金でしょうか」

「捕らえられた仲間の一部かもしれん」


 どれほどの人数が討ちもらされているのか。多くはないだろうと思うが、彼女一人に対して一人でも二人でも多すぎる。

 今、どんな恐怖に蝕まれているだろう。

 彼女に何かあったら。今まさに何か起きているかもしれない。

 叫びそうだとかいう自覚はなかったが何かしてしまいそうで、すぐにでも怒りに身を任せてしまいそうで奥歯を噛み締める。

 ――殺す

 残忍な考えが首をもたげてくる。抑える。それが第一ではない。彼女を、無事に、取り戻す。言い聞かせる。

 執務机の横にかけている剣を慣れた外し方で取る手に力が入る。腰に穿き、ドアへと戻る。

 未だ密集している者たちをかき分け廊下に出てから彼らを振り返る。

 使用人たちは不安げに泣きそうに、また泣いてリュークを見上げてくる。


「おまえたちは通常通りに仕事をしていろ」

「ですが……!」

「いい加減泣くな悲壮な面をするな」


 何も出来なかったと後悔に浸る者、何かしたいが何もしようがないと不安げな者。

 それをあえて一蹴する。


「山賊が、誰に手を出したと思う」


 こんなときであれ、気遣いに隙がない従者が持ってきたコートに腕を通す。


「俺が彼女を取り戻せないとでもおまえたちは思うのか?」


 必ず山賊の残党を討ち、彼女を取り戻す。

 それは他ならぬリュークのすることである。

 対して彼らがするべきことは彼らに求めることは通常通りの動きだ。

 邸を整え、出迎えてくれればいい。


「俺は少し出るが、すぐに戻る。――ティム、出る」

「お供致します」


 言いたいことを言い捨るやいなや使用人たちを背後に、従者を伴い廊下を進み出す。


「――リューク様、お早いお戻りを!」


 外には雨が降り始めていた。





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