二人道中は緊張の素


 リュークは後悔していた。

 滅多に緊張しないのに、今さらながらに自分で勢いで作ってしまった状態に緊張する。


(俺は誘拐犯か……! そして何だこの体勢は、やっぱり近いだろ!)


 衝動的に動くと後悔する。教訓として身に刻まれそうだ。

 前にいる妻は背筋を伸ばせと言ったばかりに密着しているし、そのせいで(おかげで?)何かいい香りもするし、これは本気で五感の内四感を閉じなければならないかもしれない。


(落ち着け、邸までのことだ。落ち着け、だがその邸がいつもより遠い……!)


 考えてみると納得が行く。いつもは馬をかっ飛ばしているが、今はゆっくりもゆっくり馬の散歩程度だ。

 冷ためのそよ風が前から二人を撫でていく。自然の音以外は静けさしかない。

 邸での、二の舞。


「あの、」

「……どうした」


 邸においての一番はじめの印象付け失敗のあとに練った、会話の順番付け。今こそそれを……と思っている内にディアナがためらいがちに話しかけてきた。

 リュークが出した声は案の定平淡で冷淡に聞こえるそれだった。


「わたし、」


 前を向いて、言葉を一生懸命に紡ぐ彼女を見て、首が細いなと状況違いにも思う。


「改めてお礼を、言いたいと思っていて……」

「お礼?」


 一気に自らの冷淡男仕様から現実逃避していたリュークは思いもよらない言葉を復唱する。

 何の? である。


「ぶ、舞踏会で、助けてくださり……あの、本当にありがとうございました」


 それか。


(律儀だな……。そのあとの結婚命令とかあっただろうに……あのときのお礼を)


 何か一気に気が抜けた。というか、頭を抱えたくなった。

 あのときのことを、自分は失礼にも「ディアナと出会った衝撃」しか覚えていなかったのだ。不埒にも手を出そうとしたどこぞの男など。


「いや、そんなに気にすることじゃない」


 会話終了――は男が廃る。


「――こっちに来てから、何か不都合なことや不自由なことはないだろうか」


 ここでようやくリュークは頑張れた。


「ふ、不自由なんて、ありません。皆さんよくしてくださって」


 ふるふると前で首が横に振られる。


「皆さんは、とてもお優しいのですね」


 ぽつ、と彼女は言った。

 ミアたちはどうも彼女に尽くしてくれているようだ。


「あの、ひとつだけお聞きしても、いいですか?」

「あなたの聞きたいことを、何でも」

「リューク様は、あの、け、結婚は一度もされてなかったとお聞きしました」

「ああ」


 しないつもりでもあった。腕の中にいると言っても過言でもない彼女に会うまでは。

 そう考えるとやはりあの日舞踏会に行って良かった。

 そうでなければ、出会うことがないばかりか他の男のものになっていたかもしれないのだ。


「ご婚約者様は、いらっしゃらなかったのでしょうか……?」


 なぜこんな質問をと思ったが、そうかそう思いもするかと思い当たったことがあった。


「俺は元々三男坊だったからな」


 こんなところにまで弊害が、と即結婚で生じたそれを実感する。

 詳しいことは耳に入っていないのだ。

 まったく至らない。自分は何も話していない。


「俺の両親が死んでいることは耳に入っているかと思うが、元々上に二人兄がいた。これは別に気にすることはない。昔の話だ」


 こちらを見上げたディアナが顔を曇らせたので、慌てて付け加える。それでもって首を痛めるからと前に向き直させる。


「三男坊が家督を継ぐなど思わないだろう? 俺もそう考え、実は軍に入るつもりで家を出ていた」

「あ……だからなのですね」

「だから?」

「ミアに聞きました。邸には前はいっぱい剣が飾ってあって、リューク様はとてもお強いのだと」

「……」

「いつ外してしまわれたのかは聞かなかったのですが、どうしてしまってしまったのですか?」

「いや、まあ、色々……模様替えのときに。何年か前のことだ」


(ミアあああぁ!)


 侍女に何をしてくれているんだと怒鳴りたくなった。ここにいたら確実に睨んでいた。兄である従者の頑張りを無駄にしたのは、妹。


「それはさておき、俺のおやじ……先代は婚約者はいなくても構わないだろうと思ったらしい」


 何年も前のことどころか一ヶ月も経っていない。が、何とかごまかして話を強引に戻して終わらせた。


「リューク様は、どうして軍にお入りになろうとなさったのですか?」


 互いに顔が見えないからか、外にいるからか、ディアナは今までになく質問を投げかけてきた。

 リュークもまた自らが話題となっているので話すことには困らない。


 ――歳をそれほどとっているわけではないが、それは確かに昔の話と言える。


「どうしてか」


 馬が歩いているのは、見慣れた土地。風景。

 ぶわっと風が吹き、どこからか運ばれてきた赤い葉がリュークたちの横を飛んでいく。その葉が宙を運ばれていくのはウィンドリー領。

 リュークは余すところなくこの土地を知っている。

 ――リュークはこの故郷が好きだ。

 それはそうだ、ここで生まれここで育ち子どもの頃には領民の子どもと一緒に駆け回った。

 家を出ようとしたのは、決して嫌いだからではない。

 この国は今こそ平和そのものであるが、二十数年ほど前までは近隣国との諍いが数年に一度は起こり、地方の領地は馬賊や山賊など無法者に荒らされていたという。

 ウィンドリー領はその限りではなかったようで、今の王の治世では長く平和が続いている。

 けれど、当時のリュークは考えた。

 いつ戦が起こるか分からない。それはいつだって思うようにはいかないものだ、と父の知り合いが言っていることを耳にしたことがある。

 リュークは三男坊だ。余程のことがなければまず爵位を継ぐことにはならない。また、脛齧りするつもりは毛頭なかったのでいつか独立せねばならない。

 決めるのは、早かった。

 元々剣術・弓術・馬術・体術……つまり軍人になるための能力の筋は良かった。それゆえに結構真面目に軍人にと誘われていたこともある。あとは、動機のみ。動機なければ道を無理矢理決めても停滞するだけ。

 だから、この領地を守るために軍に入るのだと、彼は決めた。

 それは家族が死んで、侯爵になった今も目的は根本的には変わらない。


「……取り柄が、それだけだったからだろうな」

「え!? でも、リューク様はとても領民の方に慕われていらっしゃるご様子です!」

「そうか? まあ嫌われていては領主の仕事が滞る可能性があるからな、嫌われてはないだろうな」

「い、いえとても、イメージと違っていてとても仲がよろしいのだと……」


 会話、終了。

 しかしそのとき、ちょうど右手に目に鮮やかな色彩が現れた。秋に咲く、赤い花。花畑、だ。

 見頃は過ぎてしまっているな、と毎年見る花なので収穫期が見頃であることを知っているリューク。

 ふい、と何気なく彼女に目を落とすと、彼女はきらきらとその花畑に目を奪われているではないか。

 花。花を、彼女に贈ったことがあることを思い出す。


「……降りてみるか?」

「よ、よろしいのですか?」

「もちろんだ」


 馬を止めて、手近な棒に手綱をくくりつける。それから、ディアナを下ろす。

 すると彼女はそろそろと遠慮がちに花畑に近づいて低いところで咲いている花にしゃがみこんだ。

 その様子を背後からついていって立ち止まりながら、彼女には赤い花より純白の花の方が似合うな、と感じる。


「これも領民の方が育てていらっしゃるのですか?」

「――ああ、早めに収穫する作物のあとに植えているようだ」


 種をまくとほとんど手がかからず咲いてくれる花であるらしい。生命力高いがゆえにこの時期にもこんなに赤々と咲き誇っているのかもしれない。

 それにしても花は偉大である。


「きれいですね」


 嬉しそうな様子が手に取るように分かる。

 しばらく、花畑の側でそうしていた。ディアナは花を愛で、リュークはそんな彼女を見守る。

 けれどその彼女が動きを少しの間止めたな、と思った頃、立ち上がり振り向いた。見てきた中でも真っ直ぐにこちらを見る目。意を、決したような。


「リューク様、」


 彼女の声は最後には風にさらわれていった。

 少し、風が強くなってきたかもしれない。やはり早く帰る道を選ぶべきだったか。

 リュークはディアナに歩み寄る。


「寒くはないか」

「平気です……」


 彼女の小さな肩にかかっているショールを直し、


「帰ろう」


 癖で手を差し出すと、ディアナは大きな翡翠の瞳を瞬く。

 一回り以上も小さな手を重ねられ、馬の方へ行く。行こうとした。……きゅ、と乗せられた手がリュークの指を握った。

 リュークは震えそうになったが寸前で堪える。びっくりした。わずかには見開いてしまった目で反射的に彼女を見ると、少し俯いている。

 どうしたのか。とそのまま口に出そうとした。


「あの、お聞きしたいことがあるんです」

「なんだ」

「リューク様は、なぜ…………わたしとの結婚をなさろうと思われたのですか?」


 好きだから。

 そう言えるなら、苦労はしていない。

 そして、ディアナの口調でそれまでの質問が遠回しなそれであったことを悟る。

 急な結婚。

 今まで結婚の気配なかった侯爵。

 相手に選ばれたのは、没落の一途を待つのみの貴族の令嬢。

 彼女はどう思ったのだろうか。


「それは……」


 リュークは言い淀んだ。

 けれども同時にここで想いを伝えるチャンスではないか? と思いもした。

 でもここで? まだ距離は近くなっていないだろう。取り返しのつかないことにならないか? 時間はたっぷりかけられるのだから、急かなくても……


「ぁ、へ、変なことを聞いてすみません……。さっきのことは、聞かなかったことに、してください」


 ディアナは笑った。無理に笑ったと分かるそれは、一生懸命にさっきのことをなかったことにしようとしている。


(ティム、俺を殴ってくれ……)


 こんなに情けないと思ったことがあったろうか。情けなさに身を苛まれながら、再びディアナと共に馬に乗り出発し始めた。




 そうして馬は少しずつ進むため十数分。邸にそろそろ着くかな、というとき。

 花畑の折から少し元気のない様子になったディアナと沈黙の道中をしていたリュークは、おもむろに口を開く。


「あなたは、俺との結婚に急であったのに応じてくれたな」

「……はぃ、」

「なぜ、あなたが俺との急な結婚に応じてくれたか分かっているつもりだ」


 結婚式の折、彼女の両親に会ったがずる賢い貴族のそれが見え隠れしていたもので本当に親子かと思ったものだった。

 あちらが急すぎる結婚に少しも一日もまごつかなかったことはおかしかった。ちょっとはまごつかないか。

 そういうことだったのだ。

 没落貴族の最後の希望。舞踏会の日、ディアナは親のつてのつてのつてでようやくこぎつけた貴族に連れてきてもらっていた。

 彼女だけ先にウィンドリー領に来ることになったのは、両親の言いつけに違いない。

 それは、彼女を望むリュークにとって幸運だったのか不幸だったのか。ディアナにとっては不幸だったに間違いないだろう。

 リュークは、普通話題にするのには一番楽でスムーズにいくはずのディアナのことについて話題にしようとは思わなかった。


「あなたと邸ではじめて顔を合わせたとき、俺は言った。ただ健やかに過ごしてくれればいいと」

「はぃ」

「それは本当だ。あなたは何も気負う必要はない」


 きっと彼女が幸せであれるようにする。

 無論、無理強いはしない。

 自己満足の塊のような結婚であると言われても仕方のないことだとは、自覚した。彼女が無理をせずに、どうして結婚に応じられようか。


「リューク様は、やっぱりお優しいですね」

「……俺が? 人並みだろう」

「いいえ。助けてくださったときもとてもお優しかった」


 ディアナがどこを見ているのか分からなかったが、その背筋は伸びて顔は前に向いている。


「わたしは、ここに来てよかったと思います」


 ぽつ、と呟かれた言葉をリュークは拾ったが、彼女のことをまだ知らないと実感した彼はそれが何に対することか、分からなかった。







「え、あ、リューク様もしや違う道を?」

「ティム、早くないかおまえたち」


 行きと同じ道を通るのも何だと思い、少し遠回りになるが馬でしか通れない道を通って帰ってきたのだが、邸には馬車が先に着いていた。


「前に全く見えないから油断したぁ……」


 従者が心底しまったという顔をし、全員が顔を見合わせている様子に、察しのいい方であるリュークは察した。

 仕組まれていた。


「ティム、後で話がある」


 結構感謝した。

 で、落ち込みもした。





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