視察
翌日、山賊討伐の際にあったという被害の様子を見に行くことにしたウィンドリー侯爵。
「彼女を?」
上着を身につけ剣を提げ、準備を終えていざ出発、と、手袋をはめながら廊下を歩いているときに間抜けな声を出すことになった。
なんと従者がディアナを連れて行ってはどうかと提案したのだ。
「駄目だろ危ない」
で、それを首を振って退ける。
「平気ですよ。山賊は討伐済み、もしもの可能性でいたとしてもリューク様が瞬殺。そして山賊がいなければこの領地は普通平和なものですから。奥様に領地をご覧になって頂くいい機会です。ご存じですか? 奥様は邸にいらっしゃってから一度も邸の外に出られておりません」
「そうなのか?」
「ミアから聞く限りでは」
リュークはちょっと考えた。
それはよくない。領地のことは知ってもらいたいし、外に出ていないのも健康上よくない。領地内を見回るには、確かにいい機会かもしれない。
すぐ傍の窓から外を窺う。正確には、空を。
「今日は天気がよくないか?」
「何を言ってらっしゃるのですか? 天気が悪い日に連れ出してどうなさるおつも……」
「日焼けするだろ」
彼女の肌は透明感ある白。日焼けしたら赤くなってしまいそうだ。
「ミアが全て心得ておりますよ」
「……でもな、俺と一緒に行かなくてもいいだろ。様子を見に行くだけで面白くもないし、周辺というわけでもないから彼女は畑ではなく町の辺りを案内してやっては……」
「リューク様と行くことに意味があるのですよ」
そう言われてしまい、少し黙る。
実は気がかりは他にもあった。
「ティム、ひとつ約束しろ」
「何でしょうか」
「いざとなったら助けろ」
「『いざ』とはいつです」
「気まずくなる前」
食事のときでさえもたないのに、会話がもつとは思えなかった。
「承知いたしました」
(じゃあ今から声をかけに行って……いやティムにやってもらおうか、それより馬車を用意した方がいいんじゃないか…………ん?)
気がかりは一旦解決し、顎に手をかけ悩んでいたリュークは視界の端に映ったものに反応し、顔を上げる。
ばったり不意打ちで顔を合わせたのは、妻その人。
「お、おはようございますリューク様」
橙の鮮やかなドレスはぴったりサイズが合っていることから、採寸して届いたものだろう。肌寒い季節であるので、分厚めの生地に覆われた先に現れる手はやはり抜けるような白さ。
そしてその両手で、日差しを遮る役目を大いに担ってくれそうなつばの広い帽子を持っている。
さっきまでの懸念事項を踏まえたようないわゆる、準備済みの様子のように見えた。
「おはよう…………え、準備良くないか?」
「馬車もご用意しておりますが、馬で行かれますか? どうされます?」
従者は側近らしく、控えめににこりと微笑んだだけだった。
(昨日、今日のことを確認していても何も言わなかっただろ!)
計画されていたことを知った。
「領主様!」
ディアナを乗せた馬車を伴って領地に繰り出すと、濃厚な葡萄の匂いがする場には多くの領民が集まっており、その中の一人が声をあげると瞬く間にリュークは彼らに囲まれる。
「おはようございます! どうされましたか!?」
「おはよう。今日は先だって行われたはずの……」
「あ、奥様だ、奥様がいらっしゃる!」
「本当だ! 皆! 侯爵様が奥様を連れてらっしゃるぞ!」
リュークが馬から降りて用件を言い切る前に領民たちは目ざとく、馬車の窓から外を覗いているディアナを見つけて騒ぎ出す。
いずれも嬉々としている。かなり。とても。大いに。
「そうだ! ご結婚なされたんだ!」
「ご結婚おめでとうございますううう!」
「直接お祝いを申し上げられて嬉しい限りです!」
「あのリューク様がなあ、嫁さまをなあ、」
「じっさま泣くなよ、気持ちはわかるけどさあ」
リュークの手を握る者あり。地に伏す者あり。嬉しさのあまり笑う者あり。むせび泣く者あり。
一言で表すとどの者にしても狂喜乱舞。
到着して一分。
収拾がつかない有様になり、さすがのリュークも、急に繰り広げられたそれにあっけにとられる。
「彼女が驚くだろう、馬車から離れろ」
だが、馬車に向かって叫んでいるのはよろしくない、と我に返ることに成功した。馬車に群がる(そのように見ざるを得ない)領民たちを制する。
そうすると意外にも素直に領民たちは離れた。が、収まったわけではなかった。
「奥様ああ、ぶっきらぼうなところありますが侯爵様はお優しくていらっしゃいますので、きっとお幸せになれますよ!」
「いい人なんですよぉ!」
「領主様、あんな可愛らしい奥様を……お幸せにいいぃ。奥様をどうぞお大事になさってくださいませえええ」
「余計なお世話だ! おまえたち俺の何だ!」
「領民です!」
「分かってるじゃないか!」
まずい、はじめて領地に出て領民を見て、これでは色んな意味でまずい。
普段は陽気すぎる領民たちであるが、こんなににわかに叫んだりするような領民たちではないのだ、なかったはずなのだ。本当は仕事熱心なんだとか弁解の言葉はあるのに広がっている光景がこれでは――
おそるおそるリュークが馬車を窺うと、ディアナは目を丸くしている。
そして、大音量の声が重なりに重なる言葉を聞いたかどうかはさておき、様子がおかしく見えたのか笑った。
リュークはどういう状況か頭からすっ飛び、目を奪われる。妖精の笑顔。はじめて見る笑顔は微笑の類ではあるが、もう、何というか。
(やばい、威力が、)
顔が熱くなってくることを感じ、自動的に自己防衛が働いた。動かなかったはずの顔が弾かれたように背く。
「奥様がお笑いになったぞおおお!」
「領主様が照れてらっしゃるぞ!」
その先には領民がいた。
「うるさい、おまえたちとりあえず離れろ見るな」
にやにやしていつもの倍増しで、というより今日は陽気一色でなく悪ノリが混ざりつつある領民を八つ当たり気味に馬車から本格的に遠ざける。
独り占めにしたいとか直視できないので無理なため、自分が見れないなら誰も見るな、である。
「心狭い領主様だあ」
「可愛らしい奥様を娶られて過保護になってらっしゃるのさ、仕方ない」
「そんな侯爵様も新鮮でいいなあ」
「微笑ましいのお」
「結婚なされないと思ってた領主様が結婚なされたんだもんなぁ、よっぽど惚れてらっしゃるんだよ」
危うく領民を殴りそうになった。
領民が少し落ち着き収集がついたのはそれから十五分後のことだった。
「いいから山賊討伐の際に荒れたという畑は」
「問題ありません。すべて収穫物は穫った後でしたので。討伐隊の方も必要最小限に留めてくださったのに、お謝りになってくださいました」
「すっかり元通りにできておりますよ」
「そうか。他に、怪我人などは」
「おりません」
「それならいい、確認までだ。収穫が終わったからといってまだ忙しいだろう、仕事に戻れ」
「わざわざご確認しに来てくださりありがとうございます」
「領主として当たり前のことだ。一々感謝する必要はない」
「うへへへ、嫁様がいらっしゃってもいつも通りの領主様だ」
一連の受け答えが終わったかと思えば、生真面目な顔が崩れ、満面の笑みになる領民。
「ついでに領主様も今からご一緒にどうですか」
ひと汗かきませんかの誘い。
「仕事してる男の姿に女房ってのは弱いものですよ」
「いや、俺はこれで仕事中なんだが」
それに余計なお世話だ。
ディアナは馬車の中から子どもたちと何やら身振り手振りで話している。おかしそうに笑う。
眩しい。
「後日来るから、今日はなしだ」
「約束ですよ領主様」
「また奥様を連れて来てくださいいい!」
「今度は、今度は歓迎できますようにします!!」
「いつもより元気すぎやしないか」
うちの領民は。
これ以上があるというのか、とリュークは静かに戦慄した。
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