第2話 4歳児に論破される
5月10日(木)
ままかていいといた
(ママ、飼って良いと言った。)
すらたろうかわいい
(スラタロウかわいい。)
「ママっ! スラタロウが逃げたっ!」
いつもなら陽翔が起きるはずのない6時半に、けたたましい声が響く。
スラタロウ?
ああ、あの奇妙な生き物ね。
私にはどう見ても性別があるようには思えないけど。
「逃げたんじゃないわよ。お風呂場に行ってごらんなさい」
「う、うん」
「あんな鞄の中じゃ狭くて可哀想でしょう? だから、ママが移してあげたのよ」
「……、……」
って、最後まで聞きなさいよ。
まだパジャマのまま、勢い込んで走っちゃって。
「す、スラタロウ。大丈夫だった? ママに酷いことされなかった?」
こらこら、私が酷いことをするわけがないでしょう?
まったく。
誰に似たのか、思ったことをすぐに口に出すわね。
ところで、スラタロウのスラは、何の意味?
「ねえ、ママっ! ママっ!」
「はいはい。ちょっと待ってて。今、ハル君のお弁当を作っているんだから」
「そんなの良いから、早くっ!」
「何よ?」
「今、スラタロウが動いたよ、ぷよぷよって」
「……、……」
そりゃあ、動くでしょうよ、生きてるなら。
ただ、あれが生きているとはあまり思いたくないけど。
「ハル君、これは何処で拾ってきたの?」
「これじゃないよ、スラタロウだよっ!」
「お名前がスラタロウなの?」
「うんっ! スライムの男の子なのでスラタロウだよ」
「どうして男の子だって分かるの?」
「うーん、と。分からないけど、男の子なのっ!」
「それで、何処で拾ったの?」
「遠足に行って、そこにいた」
「子供の国に?」
「うんっ! おトイレの近くに座っていたの」
「……、……」
と、トイレの側にいたのかいっ!
それに、このなりでどうして座ってると思うのかね、ちみは。
「ハル君。スラタロウは、連れて来られて寂しい想いをしてないかな?」
「ううんっ! きっと僕といて楽しいよ」
「そうじゃなくて、スラタロウにもお父さんもいればお母さんもいるでしょう? 兄弟だっているかもしれないじゃない」
「いないよっ!」
「そうなの? ハル君が見かけなかっただけじゃないの?」
「いないもんっ!」
「仲間から離れちゃって、スラタロウは寂しいって思ってないのかな?」
「僕、ずっと見てたもんっ! スラタロウは大人しく一人でいたもんっ!」
ちょい待ちっ!
せっかく遠足に行ったのに、ちみはこれをずっと見張っていたのかね?
ああ、これは夫の血だな。
何にでも興味を持つクセに、すぐには手を出さないところなんて夫そっくりだ。
私と付き合い出したときも、知り合ってからかなり経ってコクられたし。
「ねえ、ママ……」
な、何よ。
急にしおらしい声を出しちゃって。
「スラタロウが、ずっと一緒にいたいって言うんだよ」
「スラタロウが喋ったの?」
「ううんっ! だけど、僕、分かるんだもんっ!」
「……、……」
それはちみが勝手に言っているだけでは?
大体、この生き物か物体か分からないものが、感情を備えてるとはとても思えないわ。
そ、それにしても、何か、昨日見たときより良く動くわね。
相変わらずその場でぷよぷよしてるだけなんだけど。
陽翔の言いたいことは分かっている。
どうせ、
「飼っても良い?」
って言いたいんでしょう?
でもね。
母は、スラタロウ君に良い気持ちを持っていません。
だから、陽翔には諦めてもらいたいと思っていますよ。
いくら大人しくても、バッチい生き物の可能性がありますからね。
昨日、あれからネットで一生懸命調べたのよ。
でも、スラタロウ君が何者かは分からなかったの。
四時間も調べたんだから。
そんな不気味な生き物を飼うわけにはいかないわよね?
分かるわね、陽翔。
「ママ……、スラタロウを飼っても良いでしょう?」
そら来たっ!
「ハル君? スラタロウが何を食べるのか分かっているのかな? お家に帰らないと、お母さんが心配すると思うわよ」
「僕がお世話するから大丈夫っ!」
「お世話って、どうするの?」
「一緒に寝るっ!」
「お食事は?」
「スラタロウは食べないよ。昨日もずっとそうだったもんっ!」
ふむ。
なかなか決意は固そうですな。
だが、母はそんなことで許したりしませんぞ。
「ママはニャンタロウのときに言ったよね。毛が生えてなければ良いって!」
「たしかにそう言ったけど」
うっ。
覚えていたか。
子猫を拾ってきたときに、あまりにも粘るので、
「毛が生えてなければ、ゴジラでも良いのよ」
って言っちゃったのよね。
動物なんて、大きい物は大抵毛が生えてるから。
ゴジラなんて、実際にはいないし。
それなのに、よりによってスライムとは。
こんなものがいるなんて想定外も良いところよ。
「でもさあ、ハル君。スラタロウがバッチい生き物だったら困るでしょう?」
「じゃあ、ママっ! ゴジラはバッチくないの?」
「うっ……」
「パパはいつも言ってるよ。うそはいけないって」
「……、……」
「ねえ、飼っても良いでしょう? 僕、一生懸命お世話するから~っ!」
こ、この子、いつの間にこんなディべート術を覚えたのだろう?
夫も夫だ。
大人には大人の事情があるのに、うそはいけないとか正論ばかり言って。
これでは飼うことを認めざるを得ないではないか。
「しょうがないわね。じゃあ、ハル君がちゃんとお世話するのよ」
「うんっ!」
「それと、バッチいかもしれないから、あまり触ってはダメよ」
「はいっ!」
「触ったら必ず手を洗うようにね」
「は~いっ!」
「あと、一緒に寝るのは禁止します」
「はいっ!」
ったく、こんなときばかり良い声でお返事しちゃって。
こうして、私は四歳の我が息子に論破され、スラタロウは我が家の一員(?)となったのだった。
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