第171頁目 ヤル気の使い時って知りたくない?

「お、おい。どうしたルウィア。まさか出るってんじゃ……。」

「いや、その、出るとはまだ決めてませんよ?」

「危ないよ?」

「わかってる。取り敢えず話を聞こうよ。」


 どうしたことなのか。先程まであんなに嫌がっていたルウィアが明らかに落ち着いた様子で話を聞こうとしている。俺も戸惑いつつ黙って話を聞く姿勢をとる。


「そうでさぁ。勝っていただかなくて構いやせん。ただ、本気で望んで欲しい。それだけでさぁ。」

「その、それを受けるだけというのは僕達にあまりにも益が無さ過ぎると思います。」

「あぁ! 勿論ただでだなんて思っていやせんよ! 受けて下されば二十万ラブラ出しやす。」

「「二十万!?」」


 俺とルウィアが口を揃えて驚く。


「それって凄いの?」

「す、凄いよ……! 貧民街じゃ人の命を簡単に幾つも奪える額だ……。」


 例えがおかしいだろ! でも、ミザリーのボッタクリだって十五万とかだったんだぜ? それを払ってもお釣りが来る値段って……俺が一日働いて異常な成果を叩き出した時の金額が六万くらいだった。マレフィムが効率良く稼げたって自慢してたのが二万。それがたった一つの仕事で二十万? 拘束される期間を考えると美味しい仕事だと思える。だが、金額ってのにはその数字に至る道筋ってもんがあるよな。


「そ、それってどういう契約なんです?」

「前金に半分、レースが終わったらもう半分ですなぁ。」

「なる、ほど……。」

「当然亡くなってから文句なんて受け付けられやせん。」

「そりゃあそうだよな。」

「ですが、もし、優勝したとしてもその賞金は九割差し上げやしょう。」

「全部じゃねえのかよ!」

「それはそうでさぁ。あっしが許可しなければ出場すら出来ないのですよ? アニバーサリーレースの応募権も審査も免除なんですから。」

「応募に審査? そんな事やってるから騎手が足りないんじゃねえか?」

「なぁに言ってんでさぁ。賞金百万ラブラですぜぃ? どんな不正をしてでも勝ちたい輩がこぞって集まるんでさぁ。ウチは正々堂々! 真っ向勝負! ズルを許容してたらレースそのものが廃れちまう。結局は場外勝負になりやすからな。」

「お、おぉう。なるほどな。」


 意外とちゃんとした理由があってイチャモンみたいになってしまった。


「んーでも、二十万かぁ……。」


 前世も今生も変わらない価値観が俺を否定的にする。金なんて幾らあろうが命あってこそ、って事だ。だが……。


「……やります。」


 俺の思考を閉ざす様にルウィアが答えた。その言葉はまさかの内容だ。


「おぉ!」

「へ? 本気か!?」

「や、やめようよ。怪我しちゃうよ?」

「えっと、金額等の条件はそれでいいんですけど、最初の口上で僕のお店の事……宣伝とかしてくれたりします?」

「紹介ですかい? それならお安い御用ですぜ!」

「宣伝にするってのか?」

「は、はい。」

「…………そうか。」


 挑戦だって言うんなら軽率に”やめろ”だなんて言えねえじゃねえか。……俺はな。


「宣伝でも危ないよ。もう怪我して欲しくないのに……。」

「大丈夫……とは言えないけど、あっ、レースで勝つ為の練習とかはさせてくれるんですよね?」

「やる気ですなぁ! いいでしょう! どうせ後一週間しかないんでさぁ。特別にレース場での練習は許可しやしょう。触れ込みではぶっつけ本番と言わせて貰いやすがね。」

「あ、ありがとうございます。」

「いやぁ、助かりまさぁ!」

「ま、まだです。」

「はい?」

「その、契約書を書くんですよ。別に騙そうとしてるだなんて思ってないですけど、お互い条件を明確にした方が、ね。」


 慣れない引き攣り混じりな営業スマイルで話を続けるルウィア。まさかの食い付き具合だ。ルウィアは確実に今迄通りのルウィアじゃない。元々、何年も家族と商売をして悪辣あくらつな環境である貧民街を生き抜いてきた実績があるんだ。それにルウィアは旅をしていていつもここぞって時に一歩を踏み出していたじゃないか。きっとコイツには俺にない鼻がある。チャンスを嗅ぎつける鼻が。


「はいはいはい。それはそうでさぁ!」

「それと纏める上で、その、もう少し提案があるんですけど……。」


 まだ何か言うつもりなのか? そう思ったのはディニーではなく俺だ。既に結構好条件だと言うのにこれ以上何を変えようというのか。それに希望を言ったとして条件を呑んでくれるかなんて……そうか、わからないのか。言える分だけ言っておけって事か? 印象が悪くなっても? もしそうならルウィアはマレフィム程とは言えなくとも確実に図太くなってきている。


「も、もし、僕が優勝出来たらの話です。」

「……はぁ。」

「その賞金は半分お返しします。」

「むっ?」

「何!?」


 おいおいおい、何言ってんだルウィア。ってなるほど! 選手じゃなくルールそのものである運営に不正させようってんだな?


「なので、情報を下さい。どんな選手が出て、コース内でどう走れば勝てるかっていう助言を……下さい。」


 情報を……? 他にもっとあるだろ。道具に細工させるとかさぁ。


「い、いやいやいや! それじゃあ――。」

「八百長なんかじゃありませんよ? 誰も貶める気は無いんですから。僕がやる事は一つ。だ、出し抜く事です。」

「…………むぅ。」

「なぁ、選手の発表ってのはもうされてんのか?」

「それはレースの前日です。」

「前日!? じゃあ出場選手ってのはレース直前になってやっと自分がレースに出れるってわかるのかよ!?」

「その発表も集客出来る良いイベントになるんでさぁ。それに発表からレースまでの期間は短ければ短い程不正し難くなりやす。」

「あぁ、なるほど。」


 それをレース前に知っておいて更に対策出来るっていうならかなりアドバンテージになるな。でも、その程度かぁ。どちらの体裁も保とうとする綺麗なやり方と言える。その分此方の要求に対するハードルはグッと下がるだろう。ただ、交渉が上手くいったとしてもその後のレースがな……。


「その、今騎手が足りないと言っているという事は、僕以外の選手はもう決まっているって事ですよね?」

「ま、まぁ……候補者の後ろを洗っているとこですがね。ほぼ決まっていると言って差し支えないでさぁ。」

「ここのやり取りは漏れてないですよね?」

「そう、でさぁ。」

「契約書にその件については絶対に口外しないとも記述します。ど、どうでしょうか。」

「うぅむ……。」

「これは所謂、その、ズルではないはずです。ルールブックみたいなのはあると思うんですけど、それに違反していますか?」

「いやぁ……あくまで不正を防ぐのと客の足止め用だったもんで、賄賂で出場しようとした輩はいましても他の出場者を知りたいってのは多分初めてでさぁ。ルールも破っちゃおりやせん。」

「なら、是非、どうでしょう……? 僕が望むのはそこまでです。それ以上は特にありません。」


 こ、こんなグイグイ行く奴だったかお前? ディニーはここまでハードルを下げても迷っている様だ。それ程レースに矜持きょうじがあるって訳なんだろう。そういう意味でルウィアのやり方は正解だった。もっとあからさまに不正を匂わせて交渉に挑もうものなら門前払いを食らっていたはずだ。


「……本当にそれ以上は無いんでしょうねぇ?」

「勿論、です。内容は全て契約書に書く項目だけ。それ以外はありません。」

「ふぅむ……。」

「な、なら、これでどうです? 優勝できなかったら完了報酬の十万ラブラも不要です。前金だけで結構、です。」

「なんと!?」

「いや! おい、ルウィア! それじゃあ殆ど優勝宣言と変わんねえぞ!」

「そ、そうですよ。」

「ほぉ……!」

「馬鹿! どうしたんだお前! いつもの弱気はどうした! そんな不利な契約――。」

「い、今は僕が商談をしてるんです。文句なら後で聞きます。」

「……ぐぅッ!」


  ぐぬぬ……確かにルウィアの言う通りだ。交渉をしてるのはルウィア、出るのもルウィア、利益を得るのもルウィアだ。でも、友達の心配くらいしたっていいじゃねえか!


「まぁまぁ抑えて! 感動しやしたよ! イベンターでもあるあっしですが、こういった生物なまものの時点で輝きを放つ素材というのはそうお目に掛かれない!」


 割り込んで俺等の仲裁を始めるディニー。そりゃあカモが近づいてきたというなら呼び込もうとするよな。だが、ルウィアを餌にさせて堪るか。


「ルウィアさん! 先程の条件ですが、飲みやしょう!」

「あ、ありが――。」

「待っ――。」

「そして、完了報酬十万ラブラはしっかりとお渡ししやす!」

「えっ?」

「……何?」

「ルウィアさんはちゃんと仕事の手柄として二十万ラブラを受け取れるという事でさぁ。」

「い、いいんですか?」

「勿論でさぁ! あっしはエカゴットを叩くより餌で釣って走らせる主義でしてね。ですが、優勝したら約束通り賞金の半分受け取りやすよ?」

「は、はいっ! でもなんで急に?」

「まずですが、出場経験の一度も無い騎手がいきなりこういったイベントレースに出られるなんてあまり例が無いんでさぁ。」

「理由は実力不足というより、楽しいという信頼性が落ちるからなんですな。出場する騎手にさえ『負けても仕方ない』なんて考えてる輩もいて、そんなのに出られちゃ興冷めでさぁ。ですが、あっしは今ルウィアさんからしかと優勝するという志しを感じやした。そんな騎手を拒んでいるなんて思われたくないでやすし、ぽっと出が優勝っていうのはそらぁ盛り上がるんでさぁ。」

「なるほどなぁ。」

「それに、渋りはしたんでやすが他の騎手の情報を手に入れた所でそう簡単に上手くいかないのがレースの面白い所なんでさぁ。目安があるから賭けができ、当たらないから勝負になる。わかりやすか?」

「は、はい。」


 確かに。最初俺が”その程度”と評した通り、こちらのアドバンテージはその他の騎手の情報というものだけ。それにルウィアとの実力差を埋められる程のカードになるんだろうか。俺はそう思えない。


「それじゃあ契約書を作りやしょう。待っててくだせぇ。」

「は、はい!」


 ディニーは部屋の奥にあるデスクに何かを取りに行く。しかし、不安だ。


「やったね、ルウィア。でも、本当に大丈夫? 怪我したら駄目だよ?」

「あぁ、今回の件はちょっと無理難題が過ぎるぞ。」

「あ、安心……は僕も出来てないんですけど、考えはちゃんとあります。通用するかわからないですけど……。」

「へへっ、不正以外ならどんなやり方でも楽しみにしておりやすぜっ! さっ! それじゃあ契約を纏めやしょう!」


 レースに騎手として参加すれば報酬として二十万ラブラを貰う。優勝したら賞金の半分を返上するという約束を取り決める代わりに他の選手の情報を貰う。ルウィアの店の宣伝もする。契約はこの三つ。一見、此方側の利益が盛り沢山な契約に思えるが……レース内容がアレな上、ルウィアは優勝を狙うと言っている。不安だ。この上なく不安だ。もし、眼の前でまた友達を失うなんて事になったなら俺は……。


「ありがとうございやす!」

「こ、こちらこそ。」


 モヤモヤと考えている内にルウィアは契約を結んでしまった。木紙に書かれたルウィア直筆の名前。


「ルールは受付にある壁に刻まれておりやすんで必ずご一読を。それじゃあ、決まっている出場が確定となっている騎手とその特徴をお教えしやしょう。」

「お願い、します。」


 後で俺をしっかり納得させられなきゃ契約は破棄して貰うからな……!

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