7. 違和感

 工場を出て、隣の建物に向かう。レンガが詰まれたように見える同じ外装をしているが、壁一面の大部分がガラスになっており、そこから海が見える。美術館といわれても納得してしまいそうな造りである。

 中にはたくさんの机と椅子が並べられていた。ガラス張りの壁の反対側にはカウンターがあり、カレーやラーメンの写真が貼り付けられている。食堂――というよりも、フードコートという言葉が近いだろうか。昼飯や夕飯を食べられる施設のようだった。

 建物の端っこに、ただでさえも目立ちそうな体格のいい男が一人で腰掛けていた。薄い紫色の色眼鏡をかけており、怖そうな印象を受ける。

「葛西さんですね」

 石島が物怖じせずに近づいて尋ねると、色眼鏡の男、葛西が頷いた。

「突然のことで戸惑われているかと思いますが、ご協力をお願いします。静岡県警の石島と、彼は参考人の中川です」

「ご苦労様です」

 金色の短髪に覆われた頭が傾いた。

「葛西さんは、伊藤さんと同じ工程のオペレーターだったと聞いていますが」

 葛西が頷いて肯定する。無口な人のようだった。

「伊藤さんは、どんな人でしたか」

「明るい人でした。こう見えて僕って小心者なんですけど、伊藤さんは遠慮なく話しかけてきてくれました」

 葛西が眼鏡をずらして、手の甲で目の下を拭う。見た目とのギャップを目の当たりにして、私は呆気に取られた。

「人から恨まれるようなことがあったか、ご存知ですか」

「どうでしょう、分からないです。遊び慣れていたようなので、他所ではいろいろあったのかもしれませんが」

「ほう、仕事もプライベートも楽しまれていたんですね」

「仕事はどうでしょう、今週で辞めると話していましたから。贅沢できるって嬉しそうに話していたので、こんなことになって残念です」

 石島が目を鋭くして、手帳に書き込む。

「そうでしたか。次の仕事について、何か聞いていますか」

「いえ。聞いたんですけど、はぐらかされてしまいました」

 当時のやり取りを思い出したのか、葛西は口端にほのかな笑みを浮かべた。

「では遺体発見時のことですが、どのような状況だったのでしょう」

 葛西はすぐに答えることができず、きらきらと光を反射している海を眺めていた。石島と私は、静かに彼の心の準備が整うのを待っていた。やがて葛西は決心したように口を開いた。

「伊藤さんは夜勤で、今日の六時に僕が交代する予定だったんです。それで更衣室に寄ってから十分前くらいに工場に着いたんですが、加工音が聞こえなかったので、不思議に思って駆け寄りました。そしたらあんなことに……」

 凄惨な現場の光景を思い出したのだろう、レンズの向こうで目が見開き、額に汗がにじんでいた。

「葛西さんが見たときには、既に伊藤さんは亡くなっていたのでしょうか」

「脈を診る余裕は無かったので分かりません。工作機械の中で血まみれになっていましたから、慌てて工場の電話で警察を呼びました」

「辛いことを思い出させてしまい、すみませんでした。中川さんからは何かありますか」

 石島が私の方を振り向いた。葛西は目に見えて体力を消耗しており、細かいところは聞かずに早めに切り上げたようだった。

「はい。葛西さんが到着されたとき、安全柵は開いていましたか」

「開いていたと思います。だから作業をしていると思って、少しだけ中に入ったんです」

 私が現場を見たとき、安全柵の外からはマシニングセンタの中の様子を確認できなかった。葛西の行動は現場の状況と一致する。

「では、真ん中のマシニングセンタが、ドアの開いた状態で運転できることはご存知でしたか」

「そうなんですか、知りませんでした。安全柵を閉じて運転していたので、気付かなかっただけかもしれないですけど」

 予想通りの回答だった。マシニングセンタを単体で動かしていたなら、まだ判明する機会はあったのかもしれないが、システムとして安全柵の中で動作していたら、まず気付くことはできないだろう。

「そうですよね。私も同じ状況だったら分からなかったと思います。最後になりますが、システムを担当しているシステムアップメーカーはご存知ですか」

 最後の質問が、一番私の知りたかったことである。

「ガンマエンジニアリングというところだったと思います。工場のシステムは基本的にそこに依頼していますから」

「ありがとうございました」

 まさかと思っていたが、三島重工と同じシステムアップメーカーの名前が挙がった。ジャードのロボット以外で繋がりができたことになる。石島と共に席を立ち、食堂を後にする。


 葛西と別れ、私達は食堂の廊下を歩いていた。

「なかなかいい質問をするじゃないですか。仕事を変えたくなったら、刑事なんてどうでしょう」

「石島さんのお墨付きは嬉しいですけど、不本意に首を切られないことを願うばかりですよ」

 ロボットの関係する事件が立て続けに二件も起きたのだ、ジャードへの世間の風当たりは大きくなっているはずである。このまま何の収穫も無く会社に戻ることになったら、私は今までどおり開発チームに残ることはできないだろう。

「ここもガンマエンジニアリングに依頼しているそうですね」

「はい、もう少し踏み込んで調査する必要がありそうです」

 再び歩き出した石島は、食堂を出て工場とは逆方向に向かい始めた。不思議に思いながらも後を追う。

「工場に戻る前に、更衣室に寄っていきますね」

「私服を確認するんですか」

「私服もですけど、主に荷物ですね。工場の中には、カメラや携帯を持って入れないルールになっていたそうですから」

 石島は自分の携帯電話を掲げて言った。


 更衣室は、受付に近い事務棟の中にあった。若干の罪悪感を感じながら、石島に続いて女子更衣室に入る。中には、鍵の付いた縦長のロッカーが並んでいた。

「伊藤さんのロッカーは、三十六番です。ありました」

 三十六番のロッカーは、探すまでもなく入り口に近い場所にあった。石島が鍵を差し込んでひねると、甲高い金属音を立てて扉が開いた。私は石島から受け取った手袋をはめた。

 香水の甘い匂いが嗅覚を刺激する。ハンガーには白いニットと、花柄がアクセントになった水色のフレアスカートがかけられていた。視線を下げると、棚にブランド物のポシェットが置かれていた。

 石島が床に白いハンカチを敷いて、バッグの中の物を一つ一つ取り出していく。化粧セット、手帳、スマホを置いたところで石島の手が止まる。あまり物は入っていなかった。

 石島は手帳を手に取り、今月のスケジュールから遡ってページをめくり始めた。予定一件一件に目を通しているようで、時間がかかりそうだった。

 私はスマホを手に取り、電源ボタンを短く押した。パスワードはかかっておらず、待ち受け画面が表示されてしまった。いくつか不在着信の履歴やコミュニケーションアプリのメッセージが残っている。ディスプレイをタップし、着信履歴を開く。最新の履歴から、時間をさかのぼっていく。事件後だと思われる時刻に残された複数の女性からの不在着信に続き、昨日の二十一時頃には、柳という苗字だけが登録された番号から電話があり、受けた履歴が残っていた。

「死亡する前に、柳という人と電話をしていたようです」

「番号を控えておきましょう」

 柳の電話番号を表示し、石島が手帳にさらさらと番号を記した。

 バッグの中身を一通り確認した私達は、ロッカーを施錠して更衣室を後にした。


 工場に戻ると、現場のマシニングセンタの中から遺体が消えていた。代わりに人くらい大きい銀色の袋が地面に横たわっていた。

「ティーチングペンダントと操作盤の掃除、終わってるよ」

 生駒が血のついた雑巾を頭の上で振り回しながら近づいてくる。

「ご苦労。では中川さん、まずティーチングペンダントから確認をお願いします」

 頷いてティーチングペンダントを手に取る。例のごとく、背後からビデオカメラで撮影されていた。

 まずロボットのプログラムを確認することにした。マシニングセンタの加工が完了し、ワークの交換を要求する信号が出力されたら、ロボットは前のドアからマシニングセンタの中に入り、加工が終わったワークを取り外してコンベアの上に置く。続いて、未加工のワークが載ったコンベアの上に移動し、ハンドの横に取り付けられたカメラでワークを撮影する。画像計測でワークの傾きを計算して、角度を微調整しながらワークを持ち上げる。最後に、ロボットは未加工のワークをマシニングセンタの中に取り付けてから、ワーク交換が完了したことを示す信号を出力する。

 よくあるハンドシェイクタイプのプログラムだった。作業開始の信号と、作業終了の信号を使用し、異なるスケジュールで稼動している機械の間で同期を計る。

「プログラムは普通です。ワークを取り付ける動きが、機内に人を押さえ付ける動きと同じなのかまでは分かりませんけど」

 ロボットや工作機械のプログラムの書き方は、作る人間によって個性が出る。漠然と感じただけなので口にはしないが、このプログラムは三島重工のロボットのプログラムの書き方と似ているように感じた。このシステムも岡部が関わっているのかもしれない。

 引き続き、干渉防止機能やネットワークの設定を確認する。干渉防止機能は有効になっており、マシニングセンタのカバーと接触しないように設定されていた。また、この工場でもIPアドレスなどのネットワークの設定が行われていた。

「この工場でも、ロボットがネットワークに繋がっているようです。またデータを取らせてもらいますね」

「どうぞ。また同じものを我々にも提供してもらいますけど」

 石島の言葉に頷いて同意を示し、プログラムや設定をUSBメモリに出力した。被害者の伊藤が手にしていたUSBメモリも、ひょっとするとロボットに使う予定だったのかもしれないと思った。

「では、マシニングセンタの方もお願いします」

 ティーチングペンダントを元の場所に戻し、促されてマシニングセンタの前に移動する。

 マシニングセンタは機内を見ながら操作できるように、前面にディスプレイとキーボードが付いていることが多い。中を見ないように気をつけながら、血まみれのマシニングセンタの前に立った。

 マシニングセンタも加工プログラムから確認することにした。ロボットから、未加工のワークへの交換が完了した信号が入ったら、前側のドアを閉じる。エアーを使用した鉤状の治具でワークを固定し、貫通しない程度に大径工具で穴をあける。その後、何本か工具を使用して細かい箇所を仕上げたりネジ穴を空け、ワークの交換を要求する信号を出力する。

 ロボットのプログラムと対応した、同じくハンドシェイクタイプのプログラムだ。

「マシニングセンタの方も、プログラムはおかしくないと思います。加工のとき、一番最初に大きな工具を下げる動きをしているので、ひょっとするとその動きが殺害に繋がったのかもしれません」

 続いて、マシニングセンタの動作に関係するシーケンスプログラムを確認する。シーケンスプログラムは、一本の線上に、計算結果を代入する一つの信号と、計算のための複数の信号を配置することで設計する。そのため、運転を開始する信号を検索し、その計算条件を逆に辿っていくことで解読することができる。

 記載されていた信号を確認したが、ドアが開いていても運転を開始するような強引なプログラムは組まれていないように見えた。しかし今もドアを空けた状態で運転を開始できるようになっており、おそらくスタートボタンを押したら問題のドリルが回転しながら降りてくる。シーケンスプログラムを見比べていたところ、理由が分かった。

「ドアが閉まっている時だけオンすべき信号が、常にオンになっているみたいです。ドアのセンサが壊れているかもしれません」

「ドアの故障ですか……。それが無ければ、最低限マシニングセンタは動き始めなかったのですよね。なんともやるせない気持ちになります」

 シーケンスプログラムの全てに目を通す時間は無いので他の設定に目を通すが、問題は見つからなかった。マシニングセンタについても、プログラムや設定をUSBメモリに出力した。


 工場の外へ向かう途中、火曜サスペンスの主題曲が鳴り響いた。周りを見渡すが、私の他には生駒と石島しかいない。

 生駒がスーツのポケットからスマホを取り出して、通話ボタンを押すと音楽は鳴り止んだ。生駒の着信音だったようだ。彼女は背中を向けて電話を始めていた。

「警察の関係者が火サスの着信音って、どうなんですか」

「そ、そうですね。けしからんですよ」

 石島に尋ねるが、返事が不自然にどもっていた。

 待たされることなく電話はすぐに終わり、生駒がこちらを振り向いた。

「三島重工の事件で依頼してた、歯科法医学の結果が出たよ。治療痕から、加藤本人と断定されたって」

 被害者の顔は確認できなかったが、私達は最初から加藤だと仮定して捜査を進めてきた。今回の結果は、それが正しかったと証明されただけだ。決定的な犯人を追い詰める証拠にはならないが、こうして地道に絞られていくのだろう。


 再び歩き出そうとしたその時、今度はあぶない刑事の主題曲が鳴り響いた。周りを見渡すが、私の他には生駒と固まっている男しかいない。

「イシさん、電話取らないの?」

 生駒が名前を出したことでとうとう観念したようで、今度は石島が電話を始めた。

「結構いるよ。太陽にほえろとか、相棒とか」

「そうなんですね。悪いことをしました」

 私は石島の普通の人間らしいところを見れて少し嬉しく思いながら、彼の背中を眺めていた。

 待たされることなく電話はすぐに終わり、石島がこちらを振り向いた。

「すみません、お恥ずかしいところをお見せしました。それより、柳の電話番号について報告がありました」

「柳って、誰?」

「伊藤さんが亡くなる直前に、電話をしていた人です」

 生駒の質問に対して、私が答えた。

「PHSだったので連絡先が分からず、電源が切られているようでGPSも使えませんでした」

「かなり怪しいね」

 生駒の呟きに対して、今回ばかりは私達も同意した。


 工場を出ると、こちらを見つめている女の姿があった。四、五十台だろうか、目の鋭い気の強そうな人だった。石島が歩き寄り、私達も後を追った。

「ご協力頂き、ありがとうございました」

 石島が話しかける。

「いえ、当然のことをしたまでです。伊藤さんはここの工場にとって特別な方でした。駿河電工も全面的に協力しますので、絶対に真相を明らかにしてください」

 女がはきはきした口調で答える。

「分かりました。お任せください」

「ところで、そちらの方々は」

 女が私と生駒に視線を送った。

「紹介します。これは警察庁の生駒、彼は参考人の中川です」

「沼津工場の工場長をしております、村井です」

 いかにも仕事のできそうな人相をしていたが、女は工場長だった。三人で頭を下げた。

「工場の設計は、村井さんがされたんですか。綺麗な工場で驚きました」

 工場の中は、建物も食堂も、全てが工場とは思えないほどに綺麗だった。気になっていたので、私は尋ねてみた。

「ありがとうございます。工場は今まで三Kなどと呼ばれて嫌煙されがちでした。しかし私は自動化によってそんなイメージを払拭し、女性が働きやすい環境にしたいと思い、このような造りにしました」

「三Kって何?」

 工場長相手でも萎縮せず、生駒はいつも通りの調子で質問した。

「嫌われる労働環境のことです。『危険』『きつい』『汚い』の頭文字を取って三Kと呼んでいます」

「なるほどね。ロボットを使うことで『安全』『簡単』、工場自体もお洒落で『綺麗』ってわけだ」

「おっしゃるとおりです」

 村井が嬉しそうに頷いた。

「伊藤さんが辞めるという話はご存知でしたか」

 石島が尋ねる。

「はい。女性社員同士の結束は当初から固いものでしたので、真っ先に相談して下さいました」

「それでは、次の働き先はご存知でしたか?」

「まだ決まっていないようでしたけど。伊藤さんの退職がどうかなさいましたか」

 村井が不思議そうに眉をひそめた。

「いえ、気になったものですから」

「それでは失礼します」

 村井が頭を下げて歩き去った。私達はその場に残り、かみ合わない証言の違和感に悩まされていた。

 沈黙を破るため、私は口を開いた。

「葛西さんの話だと、贅沢できるなんて言っていたそうですけど、次の職は決まってなかったんですね」

「悲しまれているところ申し訳ないですが、岡部さんにも聞いてみましょう」

 石島が手帳に追記した。

「あたしはこのまま解剖に行くね」

 背後で男達が遺体収納袋を運び出しているのを指差し、生駒が踵を返す。

「分かった。今日のところは解散するか」

 石島が私の方を振り向いた。

「今回もマスコミが集まっていますが、どうされますか」

「まだ調査中ということを、正直にお話します」

「分かりました。では車を回しておきましょう」

 今も彼は、真面目にマスコミの対応をするのは損だと考えているのかもしれないが、陰ながら付き合ってくれるのが嬉しかった。


 二人と別れ、正門から退出する。マスコミのインタビュアーやカメラマンが顔を上げて、私の前に集まった。三島重工のときよりも人数が増えているようだった。

「またジャード製のロボットが関係した事件だと聞いていますが、本当ですか」

 たくさんのマイクが顔の前に差し出される。照明やフラッシュを浴びて、夜だというのに眩しいくらいに白い。

「はい。事件のあった加工システムで、弊社のロボットが使用されていました」

 シャッターの音は絶えず鳴っているが、私が喋ると言葉を掻き消すように大きくなり、耳障りに感じる。

「ジャード製ロボットの使用を取り止める会社もあると聞いていますが」

 別のインタビュアーから質問が飛ぶ。際どい内容を持ち出すことで感情に訴えかけ、回答を引き出すつもりなのだろう。

「私の方では存じ上げませんが、一刻も早く原因を突き止め、責任を果たして信用を取り戻したいと思います。判明次第お伝えしますので、ご容赦願います」

 頭を下げる。シャッターの音がより一層激しくなった。途絶えない質問を背中に浴びながら、私は石島の運転する車の後部座席へと滑り込んだ。

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