8人いる!
一視信乃
8人いる!
「あのっ、ちょっといいですかっ!」
とあるマンションの一室に響く、うら若き女性の声。
そこには彼女を含め五人の人間がいるが、うち三人は、ヘッドフォンで音楽を聞きながら、パソコン作業に没頭しており、それには少しも気付いていないようだ。
あるいは単に、聞こえぬふりをしてるのか。
ここは、都内某所にある、小さなデザイン事務所である。
五人は全員グラフィックデザイナーで、他にも、キャッチコピーとかを考えるライター、経理事務員などもいるが、それぞれみな別室で仕事している。
「どうかしましたか、
くるりと椅子の向きを変え、黒縁眼鏡をかけた若い男性が、傍らに立つ女性を見上げた。
普通大学を卒業し一般企業へ就職したが、やはり夢を捨てきれないと、美術系専門学校へ入り直し、今年4月に入社したばかりの、26歳の新人である。
そして、彼女──高須
特に、過ちを指摘するときなど、ものすごく気を遣うのだ。
そう、今も
「あのですねっ、わたしっ、宝船に乗った七福神のイラストを書いて下さいってお願いしたんですけど、なんでこれ、八人いるんですかっ?」
言わずと知れたことだろうが、七福神とは、福徳をもたらすとして人々の信仰を集める、神様たちのユニットだ。
恵の知る限り、そのメンバーは、恵比寿さまに大黒天、毘沙門天、弁財天、
なのに、彼の書いた下絵では、帆掛け船の乗員が、八人もとい八柱いる。
じいさん二柱におっさんが四柱、あとは紅一点の女神さまでおしまいのハズが、女性らしき姿がもう一柱。
「えっ? ああ、そうか、すみません、うっかりしてました」
恵の指摘に、彼は眼鏡のブリッジを右手の中指で押し上げながら、はにかんだ笑みを浮かべた。
「地元では、七福神といいながら実は八福神だったので、つい」
「八福神?」
「ええ、そうです。八王子なので、通常の七福神に
「え? ラクシュミー。ヴィシュヌ神の奥さん、でしたよね?」
「よくご存知ですね」
「いや、まあ……」
ゲームとかで得た知識ですけど。
恵は、内心そう付け加える。
「ヒンドゥー教では確かにそうですが、仏教では、毘沙門天の妻とも妹ともいわれ、福徳を授ける女神ですから、八人目には、ぴったりですよね。八は末広がりで、縁起のいい数ですし──」
「めーぐーみちゃんっ、何の話してんの?」
いきなり部屋の引き戸が開いて、派手な格好の若い男性が入ってきた。
今年25になる新人ライターで、一見ただのチャラ男だが、修士課程まで学んでいて、仕事も出来る。
だが、何かと構ってくるのが鬱陶しくて、恵は彼が苦手だった。
今度は、キリキリと胃が痛くなりそうだ。
「七福神の話ですよ。僕の地元では、吉祥天を加えた八福神だったって」
恵の代わりに耕平が答えると、守の眉間が、それとわからぬくらい微かに動いた。
「へー、それなら、うちの方もそうだぜ。横浜
「ほう、
「あっ、恵ちゃん、置物のダルマに手足がないのは、ダルマさんが長い間座禅を組んでたせいで、手足が腐って落ちたからだって知ってる?」
「えっ!?」
「ああ、そういう伝説もありますねぇ」
驚く恵に対し、耕平は平然と頷く。
「長い間、一つのことを辛抱強くやり抜くことのたとえである、
ちなみにダルマが赤いのは、中国のお寺で修行していた大師が、緋色の法衣を、頭からすっぽり被っていたからだそうですよ。彼は南インド、一説にはペルシャ出身だそうなので、中国はちょっと寒かったのかもしれませんね。
他にも、当時人々から怖れられていた
「ほうそう?」
「
「なんか、黒田さん、先生みたいですねぇ」
様々なことを、スラスラ丁寧に説く耕平へ、恵は感嘆の声を上げる。
「ホントホント。今すぐデザイナーやめて、先生にでもなればいいのに」
守も笑顔でそういったとき、再び、部屋の引き戸が開いた。
「あーもう、マモってば、いつまでサボってんのよ。二人の邪魔しちゃダメでしょ」
そういいながらやってきたのは、守の上司であるライターの
女性のような口調だが、長身痩躯でスッキリした顔立ちの、れっきとした男性である。
本人曰く、
「違いますよ。仕事の話してたんですって。七福神の」
「ああ、あのチラシのヤツね」
「鹿島サン、七福神が八福神のとこもあるって、知ってますぅ?」
守がちょっと得意げにいうと、崇史はフンと鼻を鳴らす。
「知ってるわよ。
「男弁天? 何です、それっ? 鹿島サンみたいなヤツですか?」
「なんか失礼な言い種ねぇ。どういう意味よ」
崇史が守に食って掛かろうとしたとき、「あのー」と耕平が手を挙げた。
「ひょっとして、男弁天というのは、
「さあねぇ。身体はとぐろを巻いた蛇で、人の頭が付いてたけど……」
顎に手を当て、嵩史は小首を傾げながら記憶を辿る。
「じゃあやっぱり、宇賀神ですよ。宇賀神というのは、人頭蛇身というちょっと異様な姿をしてますが、仏教における福の神で、
白蛇を祀ったものなので、白蛇を使いにしてる弁才天の別称だといわれたり、時には弁才天と
また、名前の音が似てることから、
きっと、男弁天というのは、蛇の身体にお爺さんの顔を持った宇賀神のことで、女弁天の方も、従来の弁才天像とは異なり、蛇の身体に若い女の頭を持った宇賀神ではないでしょうか」
また淀みなく答えた耕平を、崇史はうっとりと見つめた。
「スゴいわぁ。もの知りなのねぇ、耕平クン。今から、ライターに転向しない? 私が、手取り足取り教えてアゲル」
「あっ、そしたらオレ、デザイナーになるから、恵ちゃん、手取り足取り教えてよ」
「えっ」
とんだとばっちりを食らい、狼狽える恵とは対照的に、耕平はきっぱり、「結構です」と断りを入れる。
「グラフィックデザイナーは、中学の頃からの夢なので」
「あらそう、残念だわ」
崇史が心底からそう呟いたとき、またまた引き戸が開き、事務員の
溌剌とした雰囲気の24歳で、この会社では三人しかいない、貴重な女性社員の一人である。
ちなみに、あと一人の女性は、やはり事務員の
「昨日、写真撮影に使ったお菓子をいただいてきたので、おやつにしませんか。コーヒー欲しい人、手を上げて下さい」
早紀が尋ねたとたん、それまで素知らぬ顔で作業していた面々が、一斉に挙手した。
恵たちも、慌てて手を挙げる。
「鹿島さんたちも、こちらで召し上がります?」
「もちろん」
答えたのは、守だ。
「わかりました。じゃあ、八人分持ってきますね」
「え? 八人?」
早紀の
最初部屋にいたのは、五人。
そこへ、守が来て、崇史が来たのだから、全部で七人なのでは?
ひょっとして、早紀の分?
「どうしました、センパイ?」
悩み始めた恵の顔を、耕平が覗き込む。
疑問をそのまま投げかけると、耕平は「ああ、それなら」と口を開きかけたが、それを制するように、誰かが耕平の肩を叩いた。
「酷いなぁ、高須さん。ボクを忘れるなんて」
そうやって姿を現したのは、
デザイナーでありディレクターであり、そして──。
「社長っ。すみません。いついらしたんですか?」
「ええっ。今日は朝からずっといたけど」
拗ねたように答える一寿は、小柄な体格と童顔のせいもあって、年の割に
打ち合わせやらなにやらで、実際社内にいないことも多い彼だが、いたところで恐ろしく、影が薄かった。
わざとやってるのか、生来のものなのか、存在感がまるでないのだ。
入社三年目になった今でも、恵はしばしば、彼に驚かされている。
「まったくもう、失礼しちゃうなぁ」
ぶつぶつ文句をいいながら去る社長へ、平謝りする恵の耳に、プッと吹き出す音が聞こえた。
顔を向けると、口元を抑え、クスクス笑う耕平と目が合う。
「すみません。それより今度、実際に、八王子で七福神めぐりしてみませんか?」
「ふぇっ?」
「ええぇーっ!?」
唐突な申し出に、思わず変な声が出てしまった恵だが、それは守の大声にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
「何いってんの、黒田クーン。念のため聞くけど、それって、オレと、ついでに鹿島サンと四人でってこと?」
「付いて来たいなら、別に構いませんけど」
「それなら、瀬谷八福神めぐり行こう、恵ちゃん。今度の土曜なんてどう?」
「無理です。土曜は仕事なので」
一応土日休みではあるが、仕事が忙しいときは、休日出勤も当たり前なのが、この業界である。
「じゃあ、日曜は?」
「日曜も無理です。ごめんなさい」
社長命令により、泊まり込みは禁止されてるが、そのぶん始発で出勤したり、終電まで仕事するのが最早常態化してるので、休める日くらいどこにも行かず、のんびり寝て過ごしたい。
「そんなぁ。じゃあさ、次の……」
「ハイハイ。だから、二人の邪魔しないの。早紀ちゃーんっ、私たちやっぱり、向こうで戴くわ」
長身にものをいわせ、崇史は無理やり、守を引きずるように連行していく。
勢いよく音を立てて引き戸が閉まると、守の悲痛な叫びが途絶えた。
「年末年始は、長期休暇ありますよね? 帰省とかされるんですか?」
何事もなかったように、耕平がまた話し始める。
「すると思うけど、うち、
「じゃあ、お正月にどうです?」
「え?」
「大月と八王子なら近いですし、一緒に七福神めぐり、しませんか?」
今度は、きっぱり真顔で誘われ、恵はフリーズした。
確かに、山梨県の大月と八王子は、JR中央本線でちょうど10駅。
乗り換えの接続にもよるが、大体一時間くらいだろう。
そもそも今まで仕事以外で、彼と出かけたことなどないし、さっきのも、冗談か何かだと思っていたのに。
一体どういうつもりなの?
「まだ大分先なので、どうなるかわかりませんが、とりあえず、考えてみます」
なんとかそれだけ絞り出すと、恵は、突然思い出したように、「それじゃあ、イラストの修正、お願いします」と付けたし、ギクシャクとした動きで自分の席へ戻っていく。
耕平は、ただ「わかりました」と答え、再びパソコンに向き直った。
その眼鏡のレンズが、キラリと光る。
そして、来年の話をすると鬼が笑うというが、そんな二人のやり取りを、遠くからこっそり窺っていた、鬼ならぬ他のデザイナーたちも、あるものはニヤニヤと、またあるものは皮肉げに、それぞれ笑みを浮かべていた。
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